平成16年2月


2月29日(日)

●「さそり座のアンタレスが輝いていた。西から光が上がり、夜明け前の空がいっぺんに白色に変わった。カーテンが福竜丸を標的にしてかぶさってくる」。唯一の被ばく国・日本にとって風化させてはならないビキニ環礁の水爆実験から、3月1日で50年…▼水爆実験に遭遇したのは第5福竜丸など多数のマグロ漁船。福竜丸の元漁労長は続ける。「横殴りの風雨に混じって放射線で汚染されたサンゴのカケラなど死の灰が飛来した」「その正体を知ろうと口にふくんだ船員もいた」「米国があそこで核実験をするとは知らなかった」▼米の公文書によると、死の灰を運ぶ風が前夜から観測され実験に適さない気象条件なのに決行。米軍艦艇を退避させただけで、マグロ漁船などには知らせなかった。広島、長崎に次ぐ第3の被ばく地。ビキニ環礁事件をきっかけに反核運動が高まったが、補償問題などを口にすると「アカ」呼ばわりされた▼マグロ漁船の大半は高知県から出漁。最初の実験は広島型原爆の1000個分だった。後遺症で苦しむ船員。福竜丸の乗組員23人のうち生存者は11人。待望の子が奇形で死産した例も。半世紀たって、やっと今年から被ばく者の健康診断が実施される▼あの悲しい出来事から50年。世界には今なお核兵器が現存する。北京で開かれた北朝鮮の核問題をめぐる協議も全面合意には至らなかった。そんな中、米シアトルにある「原爆の子」の右腕が何者かによって切断された。核廃絶を叫び鶴を折り続けた少女の像を早く修復させ、惨事の福竜丸を慰霊しよう。(M)


2月28日(土)

●今年は閏(うるう)年。2月のカレンダーは29日まである。地球が太陽を1周するのに365・2422日(1年)かかる。古代ローマでは2月が年末だったため、4年に1度、2月に366日の閏年を設けたのが始まり▼現代の天文学では、朔望月、すなわち満月から満月までの精密な時間は29日12時間44分2・8秒。古代インドでも1月が29日半ぐらいだということを知っており、1年はこの月が12集まったものだから354日とした(倶舎論)。日本では131年前の新暦から現在の暦に▼閏年は4年に1度のオリンピック・イヤーだが、悲劇をも引き起こす。第6回ベルリン大会は直前に第一次世界大戦が始まり、第12回東京大会は日中戦争が勃発し、第13回ロンドン大会は第二次世界大戦のため、中止に追い込まれた。第22回モスクワ大会は西側諸国がボイコット▼男がムチで犬を殴っているのを見たピタゴラスは叫んだ。「やめなさい。あなたが殴っているのは私の古い友人だ。彼はいま犬に生まれかわっているが、私には彼の声がわかる」。人は平気で魚や獣を殺しているが、亡き愛児や父母の生まれかわりだ、殺生はやめよう、とも説いた▼古代オリンピックは戦争を中断してでも参加していた。今年の平和の祭典は近代五輪発祥の地・ギリシャのアテネで開かれる。閏年という「不思議な時間」を機に、地球を破滅に追い込む「環境危機時間」や核戦争の危機を刻む「終末時計」についても考えてみよう。1日違いは、損なのか、得なのか、分からないが…。


2月27日(金)

●自分の体力年齢を分かっていますか。そう聞かれて、答えることの出来る人はまず少数。日ごろ運動をしている人はともかく、往々にして「自分は若い」と身勝手な解釈をしがち。だが、いざチェックを受けてみると必ずしもそうでないと…▼健康の維持に必要とされる要素は多々ある。バランスのとれた食事、規則正しい生活などは誰でも認識しているが、適度な運動もその一つ。ところが、その運動の実践率は意外なまでに低く、厚生労働省の調査でも、何らかの運動を継続している人は3割程度なのだと▼「健康のためには(しなければ)と思うが、それほど深刻に考えるほどでない」。こうした調査から浮かび上がる最大公約数の意識だが、その裏に見え隠れする姿は自己過信。時として、それが落とし穴になるのだが、若ければまだしも、中高年と言われる年代では特に…▼最も大事に考えるべきは適度な運動だが、その前に自覚しておくべきは体力年齢。今の時代、簡単な診断はインターネットでも出来るが、実践を通して科学的に教えてもらうに越したことはない。2月の初めに行われたが、函館でも体力テスト会などが用意されている▼「測定結果が年齢より若く評価され、ほっと胸をなで下ろす人や、逆に体力の衰えを知り、がっくり肩を落とす人も」。テスト会の様子を本紙はこう伝えているが、体力年齢を知るのは、誰のためでもなく自分のため。「せめて年に1度ぐらいは、チェックを忘れずに」。専門家も薦めている。(H)


2月26日(木)

●“サラ川”で通るまでになった第一生命の「サラリーマン川柳」。全国から募集し、100句に絞り込んだ後、一般の投票によりベスト10を選ぶ、という選考方法もさることながら、人気を支えるのは作品に覚える共感。傑作もあれば迷作、珍作も…▼回を重ねて第17回の募集に、全国から寄せられた作品は2万3525句。その中から優秀100句が決まり、3月12日までの投票に移っている。毎回そうだが、多くの作品から聞こえるのは職場に対する皮肉であり、家庭でのぼやき…。今の時代の断面が読み取れる▼とはいえ、100句いずれも納得の作品ぞろい。目を通せば通すほど選ぶのが難しくなってくるが、目につくのはやはりサラリーマンの悲哀を表現した作品。「無駄はぶけ 言ってた上司 省かれる」「成果主義 成果挙げない 人が説き」「受けた指示 上司変われば また変わり」▼こんな作品もある。「上司辞め あわてて破る 我が辞表」「『課長いる?』 返ったこたえは 『いりません!』」。さらに不満編では「『がんばれよ』 ならば下さい がんばる場」「給料の 額だけ見れば フレッシュマン」「効率化 進めた私 送別会」。上手い▼すべてを紹介できないのが残念だが、政治、社会編には世相がのぞく。「マニフェスト 選挙終われば ただの紙」「たばこ税 収めて世間に 煙たがられ」などが光るが、説得力という点で言うなら「好景気 ハローワークが 独り占め」。今年も“サラ川”に、しばし息抜きの時間を与えてもらえそうだ。(H)


2月25日(水)

●今月中旬、機会あって奄美大島を訪れた。鹿児島から飛行機で50分ほど、この時期の函館と比べると、まさに別世界。気温差は約20度。素晴らしい海に囲まれ、緑深い山…。歴史と伝統に裏打ちされた風土というか、すべてが新鮮な体感だった▼奄美大島は戦後から8年、米軍の統治下に置かれ、わが国に復帰したのは1953(昭和28)年。国は“本土並み”を掲げ、様々な復興策を講じた。その是非も問われたが、住民の底流に一貫して流れていたのは奄美を愛する熱い思い▼それは「伝統へのこだわり」とも言える。象徴的な存在は高級な名産品として知られる大島紬。辛い泥染めをはじめ、すべてが手作業で、しかも時間をかけて一つひとつ丁寧に。その価値に誰もが誇りを持っていたのが印象的だったが、それは食品の黒糖や塩作りでも▼「もしかしたら奄美は南の北海道かも」。滞在中、そんな思いがふと頭を過ぎった。確かに気候風土、面積、歴史など違いは多いが、人々は素朴で、自然にあふれ、食材も豊富で新鮮、そして力を入れる観光への取り組み。さらに聴く者の心に染みる「島唄」は「江差追分」と重なり合う▼若者の頑張る姿も一緒だった。名瀬市を中心に7市町村の人口は8万人弱。自然と伝統を守る精神が息づくこの島も、御多分にもれず、今、合併問題に揺れている。わが国に復帰して50年。空港近くに設けられた観光物産施設「奄美パーク」では、北方領土の返還を訴えるパネル展が開かれていた。(A)


2月24日(火)

●函館市と戸井町など4町村が4月中旬にも合併の調印にこぎつける見通し。道内第一号ということで注目されているが、行政理念に始まり組織、制度、条例のすり合わせなど、各論で整理しなければならない懸案はなお多々。その一つに議員数がある▼100人を超え、東京より議員が多い議会となるケースが全国的に幾つか取りざたされているが、函館と4町村でも議論が割れている。函館市議会が町村議会に提案したのは46案(函館市34と各町村3)。だが、その一方で5市町村の全員を残す84案も根強く残っている▼対等合併の場合は合併時に議員は失職し、50日以内の選挙となるが、合併特例法の規定は別。特に足かせになりそうな問題には甘く、議員にしても最長2年まで全員が残っていいという在任特例などを設けている。だからと言って、そうか、という考えは…▼「合併後、落ち着くまで地域(旧町村)の声を反映させるには全員を」。大義ある言い分にも聞こえるが、背景に見え隠れするのは函館が減っていないこと。それも頷けなくはない。今、忘れてならないのは、何で合併するのかという視点である▼最大のテーマは行財政の効率化であり、議員の数も例外でない。特例のあるなしにかかわらず、函館市も含め5市町村の議員全員が辞職、新定数を決めて合併時に選挙で選ぶのがベストだが、それが無理なら限りなく減らすこと。昨年十月に続いて、在任特例を安易に適用すべきでないことを改めて提起したい。(H)


2月23日(月)

●「夜分、恐れ入ります。少々、お金を拝借したく、参上仕りました」―住人が目を覚ますと、手に短刀を持った男が。大正から昭和にかけて東京で58件の強盗を働いた「説教強盗」。75年前の2月23日に捕まったが、入った家で延々と説教をする奇妙な癖があった…▼当時29歳の左官業で、「犬を飼っておけ」「戸締りはキチンとしとけ」など防犯の心得を朝まで延々と説教、一番電車で引き揚げた。さしずめ今だと「幼児を連れ去ったり、虐待したらいけないよ」という説教か。佐賀県で取り締まる側の警官が幼児を連れ去る事件が発生した▼説教強盗と同世代の24歳の警官。下校中の小学校低学年の女児を無理やり乗用車に連れ込み、約40分間も連れ回したという。署内で密漁取り締まりの研修を受けた午後の非番の出来事。警察に入る前にアルバイト先で強盗を捕まえ、感謝状をもらっていた警官が、なぜ…▼警官による女児連れ去り事件は3年前に山梨県でも。捜査と偽って連れ出し、わいせつ目的の誘拐罪などで起訴されている。今回の警官が勤める交番は小学校の通学路。まじめで仕事熱心だった警官が子どもを連れ去るなんて、魔が差したではすまされない。警察に対する不信感は募るばかり▼中学生以下の子どもを狙った犯罪は増えており、各地で不審者らの情報把握、通学路のパトロール強化、犯罪に巻き込まれない環境づくりが始動した矢先。防犯を説いた「説教強盗」は無期懲役の判決を受けた。警察は「幼児連れ出し」に走った現職警官にも厳しい姿勢を見せてほしい。(M)


2月22日(日)

●国民にとっての内政最大の関心事は「年金」。負担は増え、受給は先送り、しかも減額ときては冷静でいられない。長い老後の生活基盤にかかわることである。百歩譲って、まともに財政運用された結果ならまだしも、そうでないから怒りが込み上げる▼しかも公平感に欠けている。しわ寄せは弱者である国民年金、厚生年金に。公務員共済は手をつける動きになっているからまだしも、看過できないのは優遇され過ぎの議員年金。自分たちは特権階級と錯覚していると思えるほど、無神経な実態を温存している▼その典型が国会議員(国会議員互助年金)。確かに月額の払い込み額も高いが、10年で受給資格がとれて、65歳から受け取るのは年412万円。さらにあ然とさせられるのは、その68%が税金で賄われていること。おかしい。国民年金や厚生年金財政が問題を抱えている時である▼国民に犠牲を強いて…。経済情勢もあるが、運用の失敗が招いた事態でもあるのに、かかわった役人は逃げばかり。国会議員も責任をとろうとしていない。そんな中で国民に負担増を求めるのだから、自浄意識があって然るべき▼だが、見直しも選挙を意識して総論では賛成をするものの、各論に移ると議論で時間稼ぎ…。民主党の河村たかし議員らが提起した廃止論への反応も鈍いまま。その姿は議員定数の削減、是正を容易にできないのと同じ。「格好がつく程度でお茶を濁しておけば」。そんな思いが透けて見えてくる。


2月21日(土)

●「ありがとう大賞」。昨年8月で終えたが、入選作を本紙が掲載し始めたのは、ちょうど1年前。その60編が改めて1冊の冊子に編集、再び人の目に触れ、感動を与えることに。紙面提供という形で協力させてもらった立場として感慨深い▼この事業を主催したのは函館市倫理法人会。きっかけは「感謝の気持ちを忘れないようなキャンペーンはやれないものだろうかという会話だった」という。その感謝を表す言葉の代表格は「ありがとう」。子どもから大人まで、最も尊ばれていい、大事にすべき言葉…▼「是非やりましょう」。相談を受け、賛同したのは言うまでもない。気持ちが塞ぎがちな今の時代だからこそ行う意義がある。早速、募集に入った。「率直な感動、作文に託しませんか、あなたも」。この呼び掛けに応え、寄せられた「ありがとう」は最終的に460編▼学級ぐるみでの応募もあり、小学2年生から84歳のお年寄りまで年齢的にも幅広く。「言えなかった言葉」「まほうの言葉」「心が育つ『ありがとう』の一言」など、入選、非入選を問わず、作品から伝わってきたのは感動に次ぐ感動…。「いい企画」。読者の反響も大きかった▼冊子に残したい、同法人会の思いが凝縮され、作られたのが「ありがとうをあなたに…」(ありがとう大賞入選作品集)。そのあとがきには、こう記されている。「たくさんの方々に『ありがとう』を考える機会を持って戴けたものと感謝しております」。関係者らに贈られたほか、当社窓口でも一般に無料配布している。


2月20日(金)

●食べ物を残したり、食べ物を盗んだり、動物をいじめる人間が落ちるのが地獄草子の「鳥地獄」。熱炎を吹く巨大なニワトリがいて、地獄にきた罪人をズタズタにして焼きながら奈落の底に落とす…。人間に対する鳥類の「テロ攻撃」がまだ続いている▼顕微鏡で見る鳥インフルエンザのウイルスはマッチ棒の先のような形で細胞表面にびっしりと並び、気持ち悪い。生きた鳥との接触で人間にも感染し、ベトナム、タイで死者22人。米国、ノルウェーにも拡大。中国では病死が5万羽を超え、1万羽の渡り鳥が農地に落下している▼山口県で鳥インフルエンザの「終結宣言」が出たと思ったら、今度は大分県でペットとして飼われていたチャボが感染した。山口県と同様に開放型の鶏小屋でチャボとアヒルを飼っていた。アヒルはインフルエンザウイルスを無症状で保有し、感染源になるという▼ベトナムでは豚への感染例が確認された。豚は鳥と人間の両方に感染するといわれ、大流行の恐れがあるという。米国のBSEは今ごろになって、農場経営者が「感染牛はへたり牛ではなかった。政府に訂正を申し入れたが、無視された」と政府と対立している▼ペットに感染したとなると、学校や幼稚園の情操教育にも影響する。今後は外からの感染をしゃ断する「ウインドーレス鶏舎」へ切り替えが進むかも。人間以外の生物は必要以外の殺生はしない。「モー、人間は勝手だ」「食べてもらわなくてもケッコー」。自然界の警鐘を無視したら「鳥地獄」が待っている。


2月19日(木)

●所期の目的を失ったのに、建設時に国などの補助を受けた公共施設は、その後の利活用が制約される。「何で」という思いがこみ上げてくるだろうが、これは現実。「違う目的でも、使えるなら生かすに越したことはない」との思いは通用しない。そのために眠らせている施設が結構…▼あきれ返るが、典型例としてよく語られるのが学校施設。近年の少子化現象に加え、過疎化などによって閉校する学校が少なくない。ところが、その校舎の利活用となると、建設から一定期間を経ていなければ、地域の社会活動といえども市町村が勝手には出来ない▼どうにも理解し難いが、ようやく文部科学省も気がつき始めたか、非営利組織ばかりか民間企業にも開放する方針を打ち出した。これは大きな前進、そう思いきや、権威だけは留保しておきたいという役所の殻だけは破れないようで▼政府の地域再生本部が認めた構想に限るという条件付き。あくまで国の許可が必要という姿勢は変わっていない。最も事情を知り、発展のためという視点を持っているのは、それぞれの地域。とすれば市町村にすべてを委ねるぐらいまで踏み切ってほしかったが▼こんな話もあった。ある地域で公共牧場に観光客が来るようになり、トイレを含めレストハウスを考えた時、国からの答えはノーだった。その理由は農水省の補助事業で整備された牧場だから。規制緩和、権限委譲が叫ばれている時代なのに…。国がまだまだ変わり切れていない姿が垣間見える。(N)


2月18日(水)

●函館市民にとって待望久しい中央図書館が、今年、着工する。来年の夏には完成の見通しで、その後、本の整理など準備に半年を要して、12月に開館の予定。様々な議論があったが、いよいよ現実の段階に。感慨新たというか、期待が膨らんでくる▼都市はそれぞれ数多くのシンボル施設を持つが、文化的シンボルの一つが図書館。そのランクは蔵書数などで決まるが、施設面で言うと、重厚で趣きのある建物もあれば、明るく近代的な建物も。函館の現図書館は前者の代表格だが、残念ながら手狭感を拭えない▼何処に建てるか、どんな機能を持たせるか、議論が始まって今日に至るまで、かなりの時間を要した。この間、市民組織も生まれ、場所論議も活発だった。計画はそうした議論を経た市民意識の集大成。2階建ての、三角形が特徴の建物が期待を担うことになる▼五稜郭公園に面していることから、緑化率25%を考えるなど、周囲の環境との調和にも配慮。一方、館内は明るい雰囲気で、最も利用が多い一般開架コーナーに並ぶ書籍は14万冊、その閲覧席は152。さらには児童、青少年、障害者コーナーなど、これぞ図書館を実感する▼「本を読まなくなった」。大人にも言えるが、子どもたちの文字離れが指摘される。その誘導策として“あらすじ本”が注目されているが、市民にとって気軽な存在の魅力ある施設となることも大事な視点。新たな息吹が吹き込まれるよう願いながら、2年後の開館を待ちたい。(H)


2月17日(火)

●その時、私の目にある物が映った。デスクの引き出しから覗く、細い紙のバッグだった。一瞬にして、私は最悪の結末を予想した。私が手に取った物、それはEcstasyの、ムスク。私はアジアン雑貨の店に向かった。「お香、買ってきた。私、ムスク嫌いなの」(金原ひとみ著「蛇にピアス」)▼「事件前に大麻やエクスタシー(錠剤型麻薬MDMA)などを手に入れ、友達と一緒に使った。その後、代金を支払わなければならず、金に困って強盗を思いついた」。酒店の経営者にナイフを突きつけ「刺すぞ」と脅し、現金10万円を奪った中2男子が供述した(5日、京都市)▼都立高では少年2人が校内で同級生の少女にエクスタシー・MDMAを売っていた。今、10代のヤングがMDMA(薬物、覚せい剤など含む)にmフまれている。オランダ、ベルギーなどで密造され、日本に入ってくる。昨年の密輸は約39万錠で前年の2倍に上っている▼キャンデーのようなカラフルな錠剤。多量に摂取すると、発熱、頭痛、失神し、死に至ることも。路上などで売られ、ヤングがファッション感覚で買っている。日本での末端価格は1錠約4000円だが、原価は5円程度で、暴力団の資金源にもなっているようだ▼アメリカの研究グループは「脳機能障害であるパーキンソン症候群のリスクを増大させる」とも警告している。中3男子のようにMDMAを買う金ほしさに強盗を働いたり、下級生から巻き上げるケースも少なくない。薬物汚染防止の教室を開き「エクスタシー追放」を徹底させよう。(M)


2月16日(月)

●気象(天気)情報は日常生活に無くては困る、欠かせない情報の一つ。いかにニーズが高いかは、充実する新聞の天気欄、テレビの気象情報の数が物語っている。受け止め方に温度差はあるにせよ、今日、予報の精度が上がっていることは事実…▼科学は日々進歩していると言われるが、気象は動きのある自然現象が相手であり、それだけ難しさを抱える。予報は当たる日もあれば、外れる日もあるが、確実に当たる日が増え、さらに予報できる地域の細分化など充実されており、恵まれた時代を実感する▼今や気象衛星からのデータを使う時代だが、調べてみると、わが国に予報のベースとなる天気図が登場して、まだ120年ほどでしか経っていない。その天気図がわが国で初めて表に出たのは1883(明治16)年で、幾つかある説の一つは2月16日とされている▼ドイツ人気象学者の指導を受けて出来上がった初作は7色刷り。その半年後、新橋と横浜の駅(停車場)に掲示され始めたという記録が残っている。その天気図を左右するのは描かせるデータ。当時は観測機器も晴雨計、寒暖計があった程度。予報する側には苦労の時代が続いてきた▼だが、この天気図こそ予報を可能にした“功労者”。「当たらない」という苦情を聞くこともあるが、どれだけ進歩しても、予報に100%はない。十分に役立っている、そんな気持ちで気象情報に接したい。晴れや雨、雪のマークだけでなく、天気図を見ることも忘れずに。(H)


2月15日(日)

●「食料自給率」。よく耳にする言葉だが、模範解答的に言うと、食料の需要(国内消費)に対して国内生産で賄える割合。諸外国に依存しないで済むに越したことはない、それは誰もが容易に理解できる話だが、わが国はその自給率が低いという現実に▼食料自給率の計算方法は幾つかあるが、その中で一般的に採用されているのは供給熱量自給率。カロリーベースではじき出す方式と言えば分かりいいが、そのわが国の自給率は40%。ちなみにフランス、アメリカは100%を超え、ドイツで97%、イギリスで77%…▼先進国の中でわが国の低さが際立つが、品目別でも70%を超えているのは鶏卵(96%)、米(95%)、野菜(86%)、牛乳・乳製品(71%)程度で、BSEや鳥インフルエンザで問題になっている肉類は55%、家畜の餌を含め穀物は28%、そして豆類は何と5%…▼他国への過依存は、時として危険と隣り合わせ、と言われる。それも食料となればなおさら。「もう少し(自給率を)上げなければ」。そう言われ続けているのは、輸入が止まった時の不安ゆえだが、農水省が昨年末、行った意識調査でも国民の間に「このままでは」の思いがはっきりと▼90%の人が将来の食料供給に不安を感じる、85%の人が自給率を大幅に上げるべき、と答えている。専門家に言わせると、予測された結果、となるが、ここまで諸外国との関係が出来上がってしまうと…。一挙に難しいことは分かるが、それにしても国が今、示している目標は平成22年度で45%。まだ低い。(N)


2月14日(土)

●自らの命は自ら守る、車に乗っている時、そのために求められる要件が幾つかある。無謀な運転をしない、は当然だが、シートベルトの着用もその一つ。ということは、それだけ重要視すべきということだが、現実はなかなかその思いと重なり合わなくて…▼北海道は全国の中でも着用率が低いと言われてきたが、まさにその通り。昨年のJAFと道警の合同調査の83・8%は、都道府県別で何と44位。函館に住んでいる者としてさらに驚くのが、函館の着用率が際立って低いこと。道内主要都市別の着用結果が如実に教えている▼札幌89・3%、苫小牧88・3%、旭川86・4%など、そろって80%台なのに対し、函館は70・0%。1903年に開発されたという記録があるシートベルトは、登場して既に100年。わが国で着用が義務づけられたのは1985(昭和60)年だが、それでも20年…▼毎年の交通安全スローガンにも多く採用されてきた。義務づけ初年は「シートベルト いつも乗るたび 乗せるたび」だったし、その翌年は「シートベルト 車社会の 身だしなみ」が続き、近年も「運転は ゆったりハートに しっかりベルト」などがあった▼その一方、警察などが指導し、啓蒙活動などを通して着用効果がアピールされてもいる。そんな中での70%。どう理解すればいいか、これでは「交通モラルはひど過ぎる」と言われても、反論の余地すらない。シートベルトは誰のためでもなく、自分のため。せめて、そのことだけは忘れずに…。(A)


2月13日(金)

●今度は「ごめんなさい詐欺」が相次いでいる。御免、免許の尊敬語、転じて謝罪や訪問、辞去などで使う挨拶になった。「ごめんなさい」は「責任を免除してくれ」につながり、最近はヤングに「すみません」よりも「ごめんなさい」が使われているという▼最初に「ごめんなさい詐欺」が発生したのは岐阜市。「お父さん、お母さん、ごめんなさい」―泣きながら掛かってきた電話に、親が子どもの名前を確認すると、別の男が電話に出て「息子が借金を返さないから東京で働いてもらう。帰してほしければ口座に現金を振り込め」と脅す手口▼昨年の全国の「おれおれ詐欺」は6504件(被害額43億円)、全道で219件(1億5000万円)、道南で12件(856万円)。先月も奥尻で71歳の女性が「孫が友達の連帯保証人になった」といわれ150万円を振り込んだ。上磯では警官をかたり「弟が交通事故」と姉に要求してきた▼金融機関の機転で未遂に終わることが増えたためか、最近は「不審に思われるから、金融機関では、孫から頼まれた、と言わないで」と口止めを図る新手も。70代女性が400万円も取られた。振り込みの窓口で事情を尋ねられたが、孫の話はしなかったという▼ネオン街では常連客を装った「おれおれ詐欺」も。「ごめんなさい詐欺」は岐阜県内だけでも14件(被害額400万円)。孫ではなく子どもを登場させ「ごめんなさい。助けて」と涙ながらに演技されると…。警察は「本人を電話口に出させ、絶対にあわてず、対処してほしい」と呼び掛けている。(M)


2月12日(木)

●植村直己。覚えている人は多いと思うが、「北極圏1万2000`単独走破」などを成し遂げた、わが国の歴史に残る冒険家。1984(昭和59)年の2月12日だった。マッキンリーの冬季単独登頂に成功して下山途中、行方を絶ったのは…▼それから20年。臥牛子にとっては、もう20年になるか、といった思い。お会いしたのは一度だけだったが、「植村さんの遺志を受け継ごう」と、帯広の有志が野外学校の設立に奔走する姿を見てきたから。そこで実感したのは植村さんと有志の強い友情関係だった▼植村さんと帯広との縁は、1976(昭和51)年、北極圏の走破に同行したエスキモー犬2頭を、植村さんがおびひろ動物園に寄贈したのが始まり。これを機に何度か訪れては、植村ファンを増やしていった。そして、1983(昭和58)年だった、こんな話を残したのは…▼「いずれ日高山脈が見える所に野外学校を開き、自分の経験を若い人や子どもたちに伝えたい」。悲報が届いたのはその半年後。公子夫人の理解と協力を得て、野外学校が立ち上がるまでに、そう時間はかからなかった。選ばれた場所は帯広市内から約30`の日高山脈の麓…▼こうした植村さんの精神を伝える施設は、帯広ばかりでなく、出身地の兵庫県日高町には記念館、冒険館、自然学校も。また、その足跡は多数の本で紹介され、映画にも。ウエムラスピリットは今も脈々と受け継がれている。あの人懐っこい笑顔と気さくな人柄とともに…。(H)


2月11日(水)

●函館・道南でも上京の際に見学した人がいよう、北朝鮮の工作船。今月15日で「船の科学館」(東京・お台場)での公開が終了するが、その落ち着き先が横浜のみなとみらい地区に決まった。秋ごろには改めて“歴史の語り部”としての役割を担うことになるあの激しい銃撃戦からすでに2年が経った。記憶に新しいが、工作船の宿命として乗組員が最後に選んだのは自爆という道だった。海底深く沈み、真実究明のため引き揚げられるまで実に263日。数多くの遺留品とともに朽ち落ちた姿は、改めて何かと問いかけている「国民に海上の安全と生命、身体の安全に対する危機意識を高めてもらいたい」(展示趣旨)。海上保安協会などが公開に踏み切ったのは昨年5月31日。既に8カ月を経ているが、未だに待ち時間が出来るほど関心が高く、見学者は1月末現在で155万人余▼展示目的を達成したことを証明する人数だが、当初から抱えていたのは今後の保存問題。恒久的な収容施設を造るには4億円が必要とされ、一時は資金難のためスクラップ処分がささやかれた時期も。だが、何とか残したい、最後の決め手は関係者の熱い思いだった▼確かに事実解明は終えた。もはや調べることはないにしても、国の責任で永久保存しておかしくない。どういう役割を担っていたか、大事なのは事件を語り継ぐことであり、唯一それが出来るのはこの船なのだから。現物を目にすることで問題が風化しないということもある。(A)


2月10日(火)

●「食の安全」。食べ物は安全であって当然、という思いからすると、何とも不思議な言葉だが、ことさら強調されるのは、現実に安全とは言い難い実態があるから。紛れもない消費者からの問いかけであり、そこに将来の鍵が隠されている▼残留農薬、遺伝子組み換え、さらには添加物…。表示の信頼性も含め、生鮮品、加工品を問わず、消費者の食品に対する不安が増している。裏返すと、それは「信頼をつかめ」という問題提起。生産現場から流通現場まで、そのための対応が求められている▼昨年6月、農水省は「食の安全・安心に向けた取り組み姿勢」を示した政策大綱を決めたが、道も動き出した。その一つが「食に関する条例」の制定。目下、盛り込む内容など詰めの作業を急いでおり、内容が固まり次第、道民から意見を聴取、年内に議会に提案したいとしている▼農水省の大綱が環境保全から農業現場、流通管理などまで及んでいるのに対し、道が考える条例は、食糧基地として将来を展望、主として生産者の意識改革を促すことが重点。したがって、罰則規定などは考えず、「安全性に配慮した作物作り」を、その最大の骨子としている▼最近は産地直送というより生産者直送が裾野を広げ、スーパーなどでも生産者名を明記した食品が売れている。理由は簡単。「安全だから」。これだけ豊富に出回っている今の時代、生き残るためのキーワードは価格でもなければ量でもない。「安全という名の信頼」であり、道の条例の思いもそこに込められている。(A)


2月8日(日)

●「新選組ブーム 入館者増加」。4日の本紙1面に、こんな見出しの記事が載っていた。その館というのは、五稜郭公園内の市立博物館の五稜郭分館と末広町にある郷土資料館。昨年末現在の動きというから、放送前に注目されていた証ともなる動き▼確かに、脚本によると大河ドラマ「新選組!」の本舞台は、函館でない。と言って無縁でない。土方歳三の最期の地は函館であり、土方を語る上で函館を外すことはできないから。特に五稜郭分館には戊辰戦争最後の戦いとなった「箱館戦争」に関する歴史史料が多々▼としたら、売り込みが遅すぎる、との指摘も甘んじて受けるしかない。ちなみに東京・日野市では、放送が決まった後に市の組織として「新選組まちおこし室」を設置、年明けから、大々的に「新選組フェスタin日野」を展開中。最終的な事業費は4億円とも▼そこまでは無理にしても、市としてもっと仕掛けがあっていいはず。民間の土方テーマ館があり、立像も建立されている。それらと組み合わせることで、観光的な“素材”は十分。ところが、際立った動きはないまま、放送は進んでいる。「新年度予算に(事業費が)盛り込まれれば」では…▼函館は黙っていても毎年、一定程度の観光客は訪れる。危機感もあるが、それでも他都市に比べるとまだまだ希薄。招く努力が足りない、と指摘されるのもそれ故。この問題も典型的な一例。野外劇と連動させるとか、素人でも一つや二つ函館らしい売り方が頭に浮かんでくるのに。手をこまねいている時間がもったいない。(N)


2月7日(土)

●「いとせめてさけるさくらの一枝にこもりて見ゆる春の色かな」196年前、ロシアの守備に命じられ江戸から択捉島に渡った歌人が可憐に咲くチシマザクラに魅せられた。そのチシマザクラが北方領土返還運動の「シンボルの花」に選ばれた▼木の高さは3―5メートル、幹が短く、樹形の下の方から太い枝が分かれ、枝も根も寒さに備えて大きく横に広がる。千島やサハリン、北海道東部に自生。花は白や濃紅、薄紅と幅広い。126年前に国後島から根室の清隆寺に樹齢150年の親木が持ち込まれ、株分けした約40本が今では名所と言われるまでに▼旧ソ連に追い出され、北方領土から能登半島に引き揚げてきた遠戚の老僧と戦後、しばらく生活を共にした。軍隊に入っていた息子は千島列島で戦死。老僧は「早く島に帰って、息子を供養してやりてい」と願っていたが、息子の後を追って病死した。まだ、返還運動がなかった時代…▼老僧のように自然豊かな北方領土に住んだ人は少なくなった。最近は特に高校生らが返還運動に力を入れていると聞く。ビザなし交流でロシア人とのきずなも深まっているが、地元を離れると「返還運動」の声が小さくなる。担当大臣が変わっても、ただ岬から領土を見るだけ▼「シンボルの花」はポスターなどのデザインに使用され、北方四島の右横にあしらわれた。数年に1度、花が咲いても実をつけない年があるが、これは「チシマザクラが自分の力を蓄えるための防衛策だ」という。力を蓄えた今年は返還運動を全開させ、清隆寺の桜に実もつけさせよう。7日は「北方領土の日」。(M)


2月6日(金)

●東洋大学が実施している「現代学生百人一首」。今の時代に生きて、生活の中で覚える様々な思いが込められた31文字の作品だが、その17回目の募集にも多くの作品が寄せられた。全国からその数、高校生と中学生を中心に6万2749首▼中高校生の時期は最も多感な時代。残念ながら函館・道南からの入選はなかったが、政治、選挙、戦争、不況、犯罪、社会問題など詠まれたテーマも多彩。若い感性が随所に見受けられ、「両足で地面に立てる喜びを一緒にわかつ看護実習」など、15首が秀逸作品に▼入選外も含め幾つか拾ってみると…。政治や選挙関連では「選挙きて中身知らずの言葉だけみんなが知ったマニフェスト」「寝ていたりメールをしたり騒いでる学校ではなく国会の話」「国民の笑顔を早く戻してよ景気回復構造改革」などが。▼さらに…。「リストラされた父見て子が思うサラリーマンは絶対にいや」「日本史の授業を受けてふと思う地球のどこかは戦国時代」「世の中にいろんな壁があるけれど人は超えるか『バカの壁』」「久々の団欒すらもままならず携帯電話がそれぞれを呼ぶ」など、共感を覚える作品が多い▼近年は無関心さを装い、自らをさらけ出そうとしない中高生が増えている、と言われる。思いとは別に、その姿は作品全体からもうかがえるようで、選者の総評は「『迷い』を感じさせる作品が多かった」と。みんなが通り過ぎる“悩める姿”と、この評が重なり合って映ってくる。(H)


2月5日(木)

●「旧函館検疫所台町措置場」と聞かれて、直ぐに分かる人は、そういまい。そんな施設があったのか、何処に、といった反応が一般的かと思うが、老朽化したまま現存している。函館市の景観形成指定建造物の指定を受けた歴史的施設として▼その場所は、函館山の外人墓地から海側へと降りていった船見町に。コレラの浸入警戒など、外国貿易の拠点でもあった函館の検疫に関する歴史は古い。史料によると、取扱事務所が設けられたのは1877(明治10)年。69人が死亡した最初のコレラ発生の年だった▼「山背泊に仮小屋二棟造った」と言われるが、1885(明治18)年に木造平屋建てで建設され、開所したのは翌年のこと。以来、1991(平成3)年まで検疫伝染病が発生した場合の対応施設として、その役割を担っていた。歴史を刻むこと実に120年…▼函館市内では市立博物館の一部建物に次いで古い木造の建築物。海を一望できる函館らしい景観を見据え、今も往時をしのばせている。「補修して残す道を考えたい」。国からの取得を検討してきた函館市があらためて国と協議した結果、新年度の取得で合意したという▼博物館、史料館などとしての活用には無理としても、大事なのは「保存する」という考え方。それは今に生きる者の責務であり、取得―補修―保存が決まったことは、函館市、函館市民に、その意識があることの証。旧函館検疫所も紛れもない歴史の“語り部”であり、息を吹き返す日が待たれる。(H)


2月4日(水)

●個人の自己破産が増え続けている。昨年1年間の申し立ては、実に24万2377件。1カ月平均2万件ほどの手続きが全国の裁判所でとられている勘定に。「個人だけでそんなに」というのが率直な感想かもしれないが、れっきとした現実の話…▼自己破産は借金の支払いを出来なくなった人の最終的な救済手段。債務の免責を受ける代わりに、一定の期間は特定の職務につけない、転居に裁判所の許可がいるなど生活上、かなりの法的制約を受ける。それでも取り立てに追われ、悩み続けるよりは…。昔と違って申し立てに抵抗感も薄らいでいるとも言われるが、それにしても多い▼10年ほど前は年間4万件ほどだった。申し立てがカーブを描くように増え始めたのは1996(平成8)年あたりから。98年には10万件を突破し、その後も12万件、13万件、16万件と増加の一途。一昨年は遂に20万件台となり、昨年はそれさらにを12・9%上回って過去最悪▼この10年間とあれば、背景に雇用の悪化も考えられるが、急激に増えた要因として指摘されるのがサラ金、個人ローン、カードローンの言葉に象徴される“借り易さ”の蔓延。その行き着く先が自己破産であり、現実に複数の借金を背負う多重債務者の増加が指摘されている▼昨年を見ても、ローンの借り過ぎやカードの使い過ぎなどが全体の91%を占めて20万件以上…。そこに至った責任はあくまで本人にあるが、申し立て件数がここまでくると尋常な姿とは言い難い。社会問題という思いが込み上げてくる。(N)


2月3日(火)

●ある時期は必要とされたが、いつまでも必要とされるとは限らない。時代の流れは次々と“新しい必要”を生み出し、“過去の必要”を消していく。そこに進歩がある、とも言えるが、身近な例として函館市が本年度で廃止する交通災害共済制度も然り▼創設されたのは今から遡ること35年前。交通事故が深刻となり、一方で損害保険が浸透し切っていなかった時代だった。「互助の精神で」。各市町村が足並みをそろえて創設した。年間数百円という低額の掛け金で、事故に遭った場合、ある程度の補償が得られる、と▼しかも手続きは簡単、学校や町会などが積極的に加入した。函館市の加入率も今から15年ほど前までは30%台を維持。例えば1990年度は31・2%で、9万5794人。しかし、この間に保険が充実、補償額などの面からも制度の魅力が薄れ、加入者減の流れに▼ちなみに一昨年度は加入率21・2%、6万313人だった。市によると、20%を割ると、会計が赤字に陥る恐れがあるとのこと。大なり小なり各市町村が悩み抱える現実だが、存廃論議の結果、函館市は本年度限りでの廃止を決めた。現在、その周知に努めている▼制度というのは、その時代、その時代に要求されて生まれる性格を持つ。だから、時代が変わり、置かれている環境や価値観が変わると…。「一定の役割を終えた」。この言葉がすべてを物語る。函館市の交通災害共済制度はその分かりやすい一例にほかならない。(A)


2月2日(月)

●「如月」は草木が更生することをいい、寒いから衣服を更に着重ねることから「衣更着」ともいうが、今冬の道南は冬型気圧配置が持続せず「少雪」の傾向。国会ではイラク派遣承認案が衆院を通過し、陸自本隊が活動を開始する月でもある▼先遣隊の調査報告の原案が防衛庁と外務省が現地調査前にまとめていたことを示す内部文書が暴露された。わずか1日半の現地調査で提示した先遣隊の報告書は原案を圧縮したものという。サマワが非戦闘地域であるか否かや、安全性は「日々変化」する。一両日で把握できるわけがない▼中国学を研究している高校同期の教授から退官記念論集「漢心とは何か」が届いた。その中で「常と無常」が目についた。中国でいう「常」とは、スカート状の布がゆらゆらと垂れ下がって揺れることで、長さの単位にもなり「恒常・永遠・通常」の意味が出てくる▼だから「無常」は恒常性の欠如、無秩序、あるいはランダムであるという。オランダ軍に「オンブにダッコ」が先遣隊の現状。「サマワ市評議会が機能している」「いや解散している」などで国会が未明まで混乱するのは論外。狂気に近い机上のバトルで、無秩序なことばかり▼イラクで自衛隊に何かあった時、どう臨むのか。ある隊員は「名誉の問題よりも弔慰金などが先に進んだ。情けない」と嘆く。日々無常だからといって、調査前の報告書案を提出したのなら、情報操作になる。立春を前に駐屯地の親子ガエルが「迷彩服をゆらゆら揺らさないで」と訴えている。(M)


2月1日(日)

●日本語に「攻守」という言葉がある。その字の通り「攻めることと守ること」だが、心理的にどちらが楽かと言えば、間違いなく「攻」。というのも、それは追い風というか、事が順調である状態が多いから。気持ちに余裕もあるし、強気にもなれる▼それは「攻撃は最大の防御」という言葉に言い表されるが、「攻守所を変える」という言葉もある。誰しも「攻」の時ばかりでない、「守」に回る時もあるが、器が問われるのは、まさにその時。人の評価は守りに回った時に分かる、と言われるのもそれ故▼確かに的を射ている。例えばの話、日ごろ自分の主張をいとも簡単に通せる立場の人ほど、つまり「攻」に長けた人ほど「守」に弱い。不祥事を起こした時の経営者の姿が象徴的に物語るが、政界も例外でないよう。うろたえる、取り繕おうとする、そして逃げる▼古賀潤一郎衆院議員の問題を巡る民主党・菅直人代表にも、そんな陰が…。国会質問では弁舌爽やかで、他党の不祥事の際は厳しい舌鋒を浴びせるが、火の粉をかぶるや、党としての最終判断を打ち出すまでの間、持ち前の歯切れの良さはどこへやら、といった印象▼それを「もろさを覗(のぞ)かせた」とみるか否かは個々人の受け止め方だが、一つ言えるのは「守」に回った時の判断、対応が、いかに難しいかということ。「速やか」に加え「客観」という視点も求められる。だが、その任を担うのも上に立つ者の宿命。「守」は最も試される対応かもしれない。(N)


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