平成16年3月


3月31日(水)

●行政に代表されるが、4月は会計年度の始まりの月であり、それ故に制度の見直しも多い。中には生活に密着したことも少なくなく、新年度で言うなら消費税。様々な議論があったが、これまでの「税抜価格表示」から「総額価格表示」に変わる▼消費者の受け止め方もさることながら、大変だったのは商業者。レジの直しに負担を強いられ、価格設定の難しさも加わってくるのだから。消費者、商業者とも慣れるまでに時間がかかるに違いない。ちょっと早いが、翌年度となると、年金改正が重くのしかかってくる▼その一方で近年目立つのが行政組織の再編。行財政改革の名の下、統廃合などが行われている。例えば道。新年度から渡島でも函館土木現業所、渡島保健所、函館児童相談所などが支庁組織となる。どれだけ効率的になるのか傍目には少しも見えてこないが…▼渡島町税滞納整理機構も動き出す。年度中ということなら、最大の課題は合併であり、渡島・桧山でも幾つか姿が見えてきている。そのほか、新年度の動きとしては、例えば函館ではJR駅前の再開発が完工して新しい街の顔が誕生、懸案の中央図書館が着工する▼世界も、日本も、道内も問題と課題だらけ。「もうそろそろ」と期待する経済情勢も未だ底を打ったという実感までは。7月に参議院選挙がある政治も然り。明るい話がかき消されてしまいそうだが、それだけ平成16年度は大事な年度と言うことも出来る。あすから4月―。(H)


3月30日(火)

●街路樹の管理、清掃などでのアダプタ制度が、函館でも検討される。街路樹は数も多く、行政だけで守り、きれいに保つのは大変な負担であり悩み。住民参加が求められる背景もそこにあるが、その手法としてアダプタ制度が着目されている▼まだ馴染み薄だが、1985(昭和60)年にアメリカで考え出され、始まった住民が清掃奉仕するための制度。ハイウエーに散乱するごみなどの清掃がきっかけと言われる。そこから発展した、いわば「まち(公共スペース)美化運動」で、わが国に登場したのは98(平成10)年…▼類似の制度も含めると、今では大阪市や千葉県八千代市など120を超える自治体でみられる。一般的に多いのは行政が必要な道具類などを提供、手を上げた市民が希望した場所の清掃に当たるというパターン。「あくまで住民が主体的に」という精神に立っている▼自治会などが行政の依頼を受けて取り組むことが多いが、それと決定的に違うのは住民に主体性があること。美化はもちろん協働意識、地域への愛着が増す効果も報告されている。確かに鍵を握るのは住民意識だが、まちづくりの原点の制度とも言われるのはそれ故▼子どもの頃、月に1度か2度、朝早く道路や公園を清掃する日があって、皆で汗を流した記憶がある。そんな光景は姿を消して、いつしか行政任せに。「これではいけない」。そう警鐘を鳴らす制度と考えると分かりやすい。函館でどんな「まちの美化システム」が打ち出されるか、検討結果を期待したい。


3月29日(月)

●わが国は肩書き社会だと言われる。名刺を受け取ると、大よそどういう立場の人か認識できる。だが、民間では近年、立場の読み取りが難しい肩書きが多々。マネージャーやディレクターもその類だが、さらにチーフが付いたり付かなかったりする▼これにも困惑するが、旧態依然の官の世界には変えた方がいいと思われる肩書きが幾つか。例えば助役や教頭。いずれも組織のナンバー2、もっと分かりやすく言うと市町村や学校でトップの補佐役を意味する肩書き。まさに読んで字の如しだが、今の時代にはどうか▼そんな疑問が背景にあるのだろう、ここ数年、違う表現が登場し始めている。助役は副市長、教頭は副校長。副市長は京都市、静岡市、上越市などに続いて4月からは横須賀市でも。また、私立ではむしろ一般的な副校長は横浜市の公立学校などで採用済み▼さらに4月からは東京都の公立高校で踏み切るが、都教委は小中学校でも変えるよう設置者である区市町村に求めている。ナンバー2だからトップである市長、校長の肩書きに「副」をつけただけ。確かにそうだが、助役や教頭よりは職務上の立場がより分かりやすい▼助役でも副市長でも、また教頭であろうと副校長であろうと、それに伴って仕事の中身が変わるわけではない。「今風に…」。そんな心理も読み取れるが、それでも変更の動きが続くのはイメージを大事にする時代だから。もっと踏み込んだ表現をするなら、これも時代の要請。検討に十分値する。(H)


3月28日(日)

●南の無人島から不穏な風が吹いてきた。沖縄県石垣市登野城2392番地の「魚釣島」。中国の活動家が「魚釣島は中国の領土だ」と上陸、沖縄県警が7人を逮捕した不法上陸事件。周囲11キロ、広さ3・6平方キロの小さな島の領土問題が再燃した▼石垣島から約170キロの東シナ海にある魚釣島は、天気のよい日でも西表島や与那国島からは見えない。109年前に尖閣諸島がどこの国にも属さないことを確認してから日本の領土。島にはガジュマル、ビロウなどの樹木にイリオモテランなどが自生。湧き水もあり、ヤギも生息している▼明治政府が民間に貸与、昭和初期まで延べ数百人が島に渡り桟橋や船着場、貯水場などを建設。かつお節や海鳥のはく製などを製造、今でもかつお節工跡がある。36年前に国連が行った調査で石油資源が豊富なことから中国、台湾、香港から領有権をめぐってトラブルが続発▼日中友好条約締結の年には約100隻の中国漁船が領海侵犯(1978年)、台湾の聖火リレー船も侵入(90年)、香港からの抗議船の活動家1人が水死した(96年)。中国は資源探査のほか、潜水艦の航路も探っているという。今回の7人は尖閣諸島の観光船ツアーの調査を目指していた▼魚釣島に中国の国旗を掲げた7人は英雄視され、北京の日本大使館前では日章旗が焼かれた。28日には第2陣の船が魚釣島に向かう。平然と違反を繰り返す活動家に「厳重に対処」「粛々と対処」とは生ぬるい。日本人には航行区域外航行を解除して、元島民らが住み付けるようにしたらどうか。(M)


3月27日(土)

●函館市内は道内他都市に比べ入り組んだ難しい交差点が多い。その有難くない代表格がJR函館駅前の交差点。「変則」という言葉が「交差点」の頭につくほどで、何度通っても緊張する、という声も大げさでない。ましてや初めての観光客にとっては…▼この交差点は、駅への入口と出口が一方通行。そこまではいいが、その直線進路は入口側に近く、さらに電車も絡めて一括管制しているのだから複雑この上ない。大きな事故が起きていないのが不思議だが、逆に信号をよくも機能させていると感心する▼こうなったのは何時からか。必ずしも定かでないが、1965年には今の形になっていたというから、少なくても40年以上は経っている。専門家もこの方式がベストと判断し続けてきたに違いないが、道路の改良など周りの状況変化なしには変えづらい事情も確かに▼その変化がやってきた。市が進めている土地区画整理事業で、ほぼ輪郭を現しつつある。タクシープールやバス停が駅舎に向かって右側に移り、その跡が駐車場に。今の入口道路である函館ハーバービューホテル前だけが残り、両方向通行に▼これによって「変則」が姿を消し、すっきりとした十字交差点が誕生する。駅前整備の完了に先んじて8月までに実現の見通しというから、あと半年弱。「ようやく」。そんな思いもこみ上げてくる。一度、形成された街を変えるのは至難。金がかかる、時間がかかる、この交差点も例外でなかった。(A)


3月26日(金)

●世の中は進んで近距離の切符はICカード時代。残念ながら函館・道南はその域にないが、東京や大阪など大都市圏で急速に普及中。実際に上京してJRなどの改札口で見る光景は、大げさでなく「時代はここまできたか」を実感させる▼今は緑の窓口に残るが、切符は遠距離、近距離を問わず窓口で手渡しの時代が長かった。それが近距離を中心に自動券売機に代わり、それも現金払いに加え、予め購入したプリペイド式カード(JR北海道では「オレンジカード」)で買えるように。ここまでは函館駅でも…▼ところが、切符にもICが採用され、それが今、現実に。ICカードとは、一般的に「プラスチックのカードにIC(集積回路)を埋め込んだもの」だが、磁気カードに比べ圧倒的に収容情報量が多く、複数の機能を持たせることが可能。情報管理の安全性にも優れている▼JRでは東日本が先行し、2001年11月から「スイカ」の愛称で導入。西日本は昨年11月から「イコカ」の扱いを始めた。「オレンジカード」などは切符を買うためのカードだが、この「スイカ」「イコカ」は、それ自体が切符。だから券売機へ足を運ぶ必要もない▼カードに残金さえ残っていれば、自動改札口を通る時に、指定された部分にかざすだけでOK。歩みを止めることなく通過出来る。見ていると、この“ワンタッチ派”が本当に多い。しかも「スイカ」は、駅構内のコンビニで買い物まで出来る。電話など急激な時代の変化を教えられることは多々あるが、切符でも…。


3月25日(木)

●函館市内にあった二つの老人クラブ連合会が、いよいよ一つにまとまる。至る道のりが長かっただけに関係者の感慨は察して余りある。新しく生まれる組織の名称は函館市新老人クラブ連合会。4月1日の発足、18日の記念式典に向け準備が進んでいる▼今年のキーワードとなる言葉として、間違いなく挙げられるのは「合併」。特例法に急かされるように道南地域でも市町村の枠組みが大きく変わろうとしているが、函館には亀田市と合併した歴史がある。そう遠い昔のことではない、1973(昭和48)年だった▼函館、亀田の老人クラブ連合会は、その4年後に合併されたが、うまくまとまり切らず、再び分れて今日に。趣旨が同じ団体であっても運営の考え方、手法は違い、ましてや歴史があればあるほど歯車のGシみ合わせが難しくなってくる。それを象徴する事例とも言われた▼しかし、何時までも別れたままでは…。両市の合併から30年になる、そのタイミングをとらえて再び合併へのアプローチが始まった。総論で異論はなかったものの、各論に入るや簡単にいかないことも。時間はかかったが、一緒になろうという熱意が何にも勝っていた▼市町村の合併は民間にも様々な問題を提起する。確かに自治体と違って法の制約を受けない。だから、どんな組織も一本化を強制されることはない。当然だが、その一方で込み上げてくるのが「同じ市に住んでいるのに」という市民感情。老人クラブ連合会はその狭間で苦悩する姿を教えてくれたような気がする。


3月24日(水)

●春休み。新1年生、新社会人になる準備で忙しい。プロジェリアという難病の「100歳の13歳少女」アシュリーちゃんは特殊学級ではなく普通の学校に通っている。過酷な運命と懸命に生きる姿。母親が語り下ろした「みじかい命を抱きしめて」を読んだ▼プロジェリアは早老症のひとつ。遺伝子の異常によって、普通の8倍から10倍の早さで老化していく。アシュリーちゃんは生後9か月でプロジェリアと診断された。髪の毛が抜け落ちて、血管が浮き出て、背も伸びず…。平均寿命は13歳。800万人に1人といい、世界で30人ぐらい▼遺伝子の何かが1つ失われるのだ。大半が心臓病で命を落とすという。母親よりも先に年を取ってしまう、やりきれない短命。先日、テレビでも生命の設計図・DNA(遺伝子)から解いたアシュリーちゃんを放映していた。カナダから11時間かけてアメリカに飛び、同じ病気の15歳の少年と再会した▼3日間のデートで「力強く生きよう」と誓ったが、その少年は数日後に他界した。アシュリーちゃんは「夏の1日」という2つの命の絵を描いた。母親は「彼女は成長するにつれて力や知恵、愛と勇気を身につけるようになり、私の人生の土台になった」という▼日本でも早老病にかかった少女が3年前に7歳で力尽きた。劣化ウラン弾で遺伝子が壊され髪の毛が抜けたイラン人少年らの絵本も出版された。世界中が平和を願う1つの遺伝子で繋がれた家族と思いたい。アシュリーちゃんは「欠けた遺伝子の1つを元に戻してほしい」と訴えている。(M)


3月23日(火)

●高等教育機関の連携を目指す大学センター構想が、函館で検討されている。それぞれ外野席からはうかがい知れない学内事情がある中で、検討会の設置に動いているのは前進。今あたかも規制緩和が叫ばれる時代、試みから現実へ、その実現が期待される▼函館にはいわゆる高等教育機関として北大水産学部、道教大函館校、公立はこだて未来大、函館大、工業高専がある。他の都市も同じだが、連携は希薄で、厚い壁があったのは事実。地域に開かれることも少なかったが、大学もそれで済まない現実を迎えている▼時代が求めているのは、大学間の連携であり、地域との連携。地域課題として函館では産学官による函館国際水産・海洋都市構想の大きな柱として具体的に踏み出している。加えて大学間の連携が実現すると、地域もさることながら、誰より学生が望むところ▼函館市で大学センター設置の考えが表面化したのも「いつまでも垣根を設けている時代ではない」という考えから。既に学長レベルで検討会の設置が確認されている。そして当面、模索しようとしているのが単位互換や教員の相互派遣、市民講座の開催、共同研究など▼この大学センター構想について、井上博司市長は今定例市議会の代表質問に、こう答えている。「地域の大学が一つの大学群として、総合大学と同様の機能を発揮することが期待される」。可能な範囲でいい、地域、学生のために。それは必ずや大学のためにもなるはず。関係者のさらなる努力を望みたい。(N)


3月22日(月)

●国民の関心ごとの一つに「年金」がある。運用面で様々な問題を起こしたつけに加え、少子高齢化の波をかぶって財政面でひっ迫した状況。というわけで、登場するのはいつもの負担を国民に強いる政策で、保険料のアップや受給開始年齢の繰り下げ▼その改正を巡る今国会での本格審議はこれからの見通しだが、理解を求める環境づくりの一環か、そんな]ラった見方をしてしまうが、社会保険庁も今までと同じ姿勢ではいられなくなった。「満58歳を迎えた各種年金の加入者に加入記録を通知して、しかも希望者には給付見込額を知らせる」ことに▼既に15日から始まっているが、よく考えると、遅ればせながらの思いを拭えない。これまでが典型的な役所仕事だったということ。インターネットや郵便での照会には応じるが、知りたいなら社会保険事務所に足を運びなさい、と姿勢だったのだから▼誰しもそうだが、定年後の生活設計を考える時、その前提となるのが年金。受給は何時から、はともかく、見込める受給額となると、ある程度の予測はつくとはいえ正確には押さえていないもの。定年目前になって確認する人が多いということが、それを物語っている▼時期がくれば自動的に分かる、それに越したことはない。年金の通知は望まれる行政サービス。今年の対象者は、ざっと115万人。結構な額が予想される通信・事務経費はどこから出るのか、老婆心ながら気になるが、そういう思いを抱かせるのも積もり積もった不信を拭えないからに他ならない。


3月21日(日)

●伝統ある道南の陸上競技界に小学生から高校生まで、全市的な指導組織が誕生した。その名は「千代台陸上スクール」。4月から本格的に始動する。さすが道南、と賞賛していいほど、これからの時代を念頭に置いた画期的な取り組みに映る▼「(児童・生徒が)スポーツで伸びるかどうかは、本人の資質に加え、指導者の力に負うところが大きい」。一般によく聞く話だが、少子化の時代、学校や地域単位での組織維持が厳しさを増す中、陸上も例外でない。「――スクール」が誕生した背景もそこにある▼その一方で、長期間、同じ指導者から教えを受けられる利点もある。従来は小、中、高と指導者が違うことが多いが、これだと一貫した指導が可能になる。確かに、運営する側になると大変だが、それを乗り越えて…。前段で賞賛という言葉を使ったのもそれ故▼道南の陸上には胸を張れる歴史がある。全国に先駆け小学生の大会を普及させたほか、全国で活躍する選手を送り続けている。協会関係者や熱心な指導者の努力が残した実績の証だが、将来を見据えた環境づくりとでも言おうか、その情熱が新たな挑戦へと走らせた▼これで学校にクラブがなくても大丈夫、希望者にプラスの練習先が確保される意義は大。指導体制も整えられている。何をもって成果とするかは難しいが、早かれ遅かれ見えてくるはず。長期的には必ずや底辺が広がり、優秀選手もより育つに違いない。挑むスタッフにあらためて拍手を送りたい。(A)


3月20日(土)

●しばらく音なしだった長野県の田中康夫知事だが、お騒がせぶりはなお健在。選挙人名簿の二重登録を巡って県内の小さな村の選管が提訴された問題の渦中にいる人が、実は田中知事というわけ。住民票を長野市から、その村に移したことに端を発している▼選挙人名簿への登録は、実質的に住民登録によって手続きが進む。この小さな村の対応も通常と映るが、田中知事の行動が問われ、また問題視されているのは、居住実態のない市町村に住民登録をすることの是非。法律の定める住民登録の届け出では、こう記されている▼「転入届は新しい住所に住み始めてから14日以内」。明確ではないとはいえ「住み始めてから」の表記は、生活の本拠地を意味すると解釈するのが妥当。この村の村長宅に表札を掲げたところで、田中知事が長野市内のマンションに住んでいることは明らか▼住民登録を居住実態のない市町村にしている、確かにそんな人はいる。顕著なのは親元に残したままの学生だが、片方は知事という立場の人である。同列には論じられない。「村の福祉政策などに共鳴したから」という理由も、どうひいき目に見ようと説得力に欠ける▼これがまかり通るなら、無法図に誰もが好きな市町村に住民登録していいことになり、登録人口と実態人口が大幅に異なるという現象などが起きかねない。「住み始めてから」の精神もそこにあるはずで、地方行政のトップが自らそれを否定しては…。この問題には大きな問いが内包されている。(N)


3月19日(金)

●「欧州の土の失せるは さながらに岬の失せるなり…みずからを殺(そ)ぐにひとし そはわれもまた人類の一部なれば ゆえに問うなかれ 誰がために鐘は鳴るやと そは汝(な)がために鳴るなれば」(17世紀の英国の詩人、ジョン・ダン)▼スペイン内戦で自らも戦ったヘミングウェーが、この詩から引用したのが「誰がために鐘は鳴る」。そのスペインがイラクに派兵したとして、アル・カーイダ系の過激派に狙われマドリードで列車同時爆破テロ、200人が死亡。イラク戦争後、欧州での悲惨な爆弾テロは初めて▼その過激派が「イラクからの撤兵を約束したスペイン新政府の意図が分かるまでスペインでの活動を停止する」と声明する一方、日本、英国、サウジなど6か国を「米国の従僕」と名指し、適当な時期、適当な場所で新たな攻撃を加えると警告した。スペインの列車爆破も選挙前に予告されていた▼17日にはバグダッド中心街のホテルで自動車爆弾による大規模なテロ。宿泊していた外国の技術者ら多数が死亡。先月から米軍を狙ったテロが減少しているのに反比例して、民間施設など「ソフトターゲット」を狙ったテロに変わり、スペインの撤兵表明はテロ集団の思うつぼにはまった…▼自衛隊の第3陣も近くイラクに入る。第2陣の女性隊員は「人道復興支援に役立ちたい。疲れた男性隊員のオアシスになれるよう活動したい」と語っていたが、「善意」の人道支援の自衛隊に「誰がために鐘は鳴る」のラストシーンは観せたくない。20日でイラク戦争から1年。(M)


3月18日(木)

●「残すべきか否か」「残せるか否か」。開発か保護か、にも通じるが、身近でも歴史的建造物の解体や銘木の伐採の際など、この議論が交わされる事例は多い。道南では今、森町内の鷲ノ木5遺跡の環状列石(ストーンサークル)が、その渦中に置かれている▼縄文後期とされる鷲ノ木遺跡は、既に4遺跡で土坑墓群と配石墓が同じ土台から出土し、さらに隣接の5遺跡では宗教的な役割を推察出来る環状列石が発見されている。学術的には貴重な遺跡。考古学会はそう説明し、強く保存を求めている▼ところが、問題は出土した場所。地域の期待を担って現在、延伸工事が進む北海道縦貫自動車道の計画ルート上だった。保存するに越したことはない、それは誰もが思うことだが、工事の遅ればかりか保存経費をどう捻出するか、町には厳しい財政時代ゆえの悩みが重くのしかかる▼建造物などにも言えるが、壊したり、無くしたりするのは簡単。だが、それは二度と同じものが返ってこないことを意味する。木にしても銘木の域に達するには百年の時間を要する。壊す判断だけは急ぐべきでない、と言われるのもそれ故。ましてや遺跡となると…▼保存に値すると評価されている鷲ノ木5遺跡は、より慎重であっていい。ただ、その任を苦悩する町に委ねては酷であり、何時まで経っても解決しない。必ずや遺跡と道路を救える道はあるはずで、その鍵を握る行動は国や道、道路公団の説得。そこに思いを一つにすることが急がれる。(N)


3月17日(水)

●「漫画人気は 時代、年代に 関係なく」。書店や乗り物で改めてそんな思いを実感する。奨励する人、弊害を説く人、漫画に対する考えは個々様々だが、漫画に“和み”を覚えるのは、誰もに共通した思い。手軽で、身近な息抜きの存在とも言える▼漫画が登場したのは1800年代といわれ、最初とされるのはイギリスの絵入り風刺。わが国でも古くからあるが、本格的な定期刊行の漫画本となると戦後…。団塊の世代が子ども時代に親しんだ「少年マガジン」や「少年サンデー」の創刊も1959(昭和34)年から▼今と違って当時は漫画が少しで、読み物が多かったそうだが、支えた作家は手塚治虫であり、石森章太郎ら。人気に後押しされるかのように「少年キング」「少年チャンピオン」なども加わり、それらの連載から漫画の歴史に残る作品が幾つも送り出されている▼漫画は何も雑誌ばかりでない。単独のシリーズものもあれば、新聞などの4コマ連載なども。函館在住のおおた美登利さんが本紙に好評連載中の「函館ルネッサンス」も2000回を超えているが、わが国の新聞連載漫画の歴史は1902(明治35)年の「時事新報」に遡る▼「漫画はこれからの時代の表現能力として一般的になるかもしれない」。その当時、あの福沢諭吉が語った話として残っている。一口に漫画と言ってもジャンルは広く、奥も深い。その中で週刊誌が漫画人気の一翼を担ってきたのも事実だが、きょう17日が「漫画週刊誌の日」ということはあまり知られていない。(N)


3月16日(火)

●冬至から81日目で暖かくなる「九九消寒」。晴る、張る、墾る、生ずる、発芽する春。日の出は1週間で約10分は早くなる。小雪の今年はお墓参りまでに雪も解けてしまうだろう。彼岸が近づくと、気になるのが開拓期などで犠牲になった無縁仏▼明治維新の発火点になった箱館戦争。松前から浜伝いに江差に入った土方歳三は開陽丸が沈没した翌日、旅館・能登屋で榎本武揚と合流した。旅館を出た2人は本陣の順正寺(現在の東別院)に向かう途中、まだ3分の1を海面に出す開陽丸を見て立ちすくむ。何を語り合ったのだろう▼よほど悔しかったのか、土方は目の前にあった松の幹を拳で叩き続け涙をこぼした。その海を眺める松の岱に戦死した新政府軍の92人の墓所がある。江差追分の父・佐之市の墓も碑ができるまでは、楕円形の石ころだけで、無縁仏同然だった。過去帖で確認されるまで忘れられていた▼親子2代で函館の火葬場管理を務めた長谷川實さんは著書「死者との語らい」で、無縁仏の供養を訴えている。函館大火、太平洋戦争、洞爺丸惨事などで亡くなった数多くの遺体に出遭った。大火で身内を失い、洞爺丸で息子を失ったという婦人もいた。開拓従事者など身元の分からない死者は火葬場前方の斜面に土葬され、終戦までに3000体は下らないという▼函館山には駆遂艦「橘」の戦死者を埋葬した場所もあるという。彼岸は先祖と子孫が語り合う日。無縁仏は帰ってきても、迎える人がいない。長谷川さんが願う「無縁仏の霊園」づくりに同感だ。あす17日は春の彼岸入り。(M)


3月14日(日)

●「老後の豊かな生活の場」として最適の都市! 函館市は「新しいふるさとづくり」と銘打った事業を検討している。首都圏などの定年間近のサラリーマン、退職者をターゲットにした、いわば“人誘致”。地方都市の人口定住対策として注目される▼個人的な話で恐縮だが、転勤族として函館で生活するようになって8年。住み易さを実感している一人だが、定年後に東京や札幌の家を処分して、または家やマンションを購入して函館に落ち着く、そんな話をよく耳にする。「だったら積極的に売り込んでみてはどうか」と▼態勢をとっていなくても、この現実があるのだから。情報を提供するなど本腰を入れて呼び掛けたら、人口増の可能性が一つ広がるはず。今年の新年号の本欄で提案させてもらった。説明するまでもないが、気候は温暖、食材は魚をはじめ新鮮で豊富、医療機関もそれなりに▼自然環境にも恵まれ、東京までも飛行機で1時間余り、新幹線も現実味を帯びてきた。利便性も悪くなく、穏やかに生活する地としての評価は紛れもなく及第点。「団塊の世代の受け皿になり得る」はともかく、将来を展望した施策として函館市がそう考えたのもうなずける▼確かに色々な意見もあろう。「高齢者人口が増えるだけ」「人口増を狙う時代ではないのでは」。本紙にも幾つか寄せられた。だが、街の活性化を考える上で人口は大きな要素。どこの都市でも出来る事業ではない、函館だから可能な事業。としたら、長期的な視野に立って取り組むべき、あらためてそう考える。(A)


3月13日(土)

●同じ高校生でも国によってこれほどに意識格差があるものか。そんな思いを抱くと同時に、わが国の高校生の意識、意欲の希薄さが気にかかる。比較することの是非はあるにせよ、そんな調査結果を目の当たりにすると、心なしか将来に不安が込み上げてくる▼浮き彫りにしたのは、日本青少年研究所と一ツ橋文芸教育振興会が日本と米国、中国、韓国の高校生を対象に行った調査。性意識や生き方などを幅広く聞いているが、結論的に言うなら「かつては他国より目的意識が高かったのが、徐々に低くなる傾向をたどっている」と▼具体例を挙げると分かりいい。「男は男らしくすべき」では、韓国の55%、米国の64%、中国の81%に対し、わが国は43%。また「結婚前は純潔を守るべき」と答えたのは、他の3国の50%以上に対し、わが国で30%台。この違いは職業観、将来感にもうかがえる▼「先々自分で会社を興したい」は、3国とも60%以上だが、わが国では24%。逆に「偉くなると責任が大きくなるからいやだ」では、わが国の56%が突出している。他にも「リーダーになりたい」は低く、「困難があると諦める」が最も高い、といったように▼「昔から持たれてきた男女像が崩れ、日常生活、仕事でも挑戦する意欲が伝わってこない」。識者はこう分析するが、「器用で無難にこなす力がある一方で、そこそこがいい」というのも、確かに言われる最近の若者像。こうした意識や姿を危険信号と受け止めるかどうか、政治も社会も考える時が来ている。(H)


3月12日(金)

●函館の街中にパブリックアートがあるのを知っている市民は半数余り…。そんな姿が市の調査で明らかにされたが、分かりやすく言うと、まだ身近な存在になっていないということ。この現実を踏まえ、どう取り組んでいくべきか、考えるに越したことはない▼パブリックアートを厳密に表現するなら「街角などの公共空間(パブリックスペース)に設置される芸術(アート)」となろうか。一般に彫刻やモニュメント作品が多い。わが国では大都市の再開発地区などで積極的に採用され始め、その流れが地方都市にも▼函館市が設置計画を策定したのは平成11年度のこと。それに基づき現在まで7カ所に12基が設置されている。ボーニアネックス前、BAYはこだて前、グリーンプラザに各2基、さらに旧シーポートプラザ前、西波止場横などで、作品としては心和ませる子ども像が多い▼歩いていると目につくので、結構、知名度があるかと思いきや、調査によると必ずしも…。「パブリックアートが設置されていることを知っている」と答えた人は56%。見たことのあるアートでも、最も率の高かったボーニアネックス前の「函館の妖精 夏・冬」でさえ25%▼だからと言って、この結果をもって事業を否定するのは早計。理解されるに時間のかかる事業であり、少しも焦る必要はない。港と歴史的なスポットに恵まれた函館は、パブリックアートが似合う街であり、将来への文化財産づくり。財政事情が厳しくとも、その視点を忘れずさらに知恵を絞りたい。(A)


3月11日(木)

●「異常気象」。よく聞く言葉だが、その象徴的な表現として近年よく言われるのが「地球の温暖化」。平年値に比べ気温などが明らかに上昇することを指すが、今冬の北海道も素人目にはその類に映る。実際に観測データが裏付けている▼函館海洋気象台によると、昨年12月から3カ月間の函館の平均気温は、過去50年の中で最も高かったという。暖冬、それは北海道全体に当てはまる現象だったが、その一方で、例年、雪の少ない北見、帯広などで多雪といった現象も▼思わず温暖化と結び付けて考えてしまうが、たとえそうでないにしても温暖化は放っておけない深刻な問題。人類が21世紀に解決しなければならない最大の環境課題とする指摘も決して大げさでない。対策として叫ばれるのが二酸化炭素やメタンガス、フロンガス排出量の抑制▼「二酸化炭素の排出が現状のまま続くと、21世紀半ばには二酸化炭素濃度が2倍になり、平均気温が1度から2・5度上昇する」。環境庁の1996年報告書はこう指摘しているが、わが国はその二酸化炭素排出量の多い国。しかも過去20年間で20%も増加している▼というわけで国際的に求められているのが実効ある抑制策。その音頭をとるのは国だが、誰が、どう担うべきか、は議論の分かれるところ。内閣府が行った調査では「国民全体」と「排出割合に応じて企業や国民」がほぼ半々。幸いにも「他人事でない」という認識が読み取れるが、肝心なのは国の牽引力だが…。そこだけが気にかかる。(N)


3月10日(水)

●道南を訪れる観光客の多くが道南滞在のほとんどの時間を函館で過ごす、そんな実態がある。確かに異国情緒あふれる元町や函館山の夜景など、函館には観光客を魅きつける資源があるが、さらなる可能性を模索する中で必要なのは、目を道南に向ける視点▼「近年は観光も多様化、名の通った観光地を訪れるだけではよしとしない層が増えている」。それを受けた具体例の一つに推奨するグリーンツーリズムがあるが、考えるべきは「現状プラスワン」の発想▼夜景があるから函館に来た観光客は、ほとんど1泊する。だったら1日目は函館を、2日目は道南地域を、となれば一段と幅が広がる。その場合、課題となるのが2日目にどれだけ長い時間滞在させるかだが、渡島西部、渡島中北部などが考えた“お奨めルートづくり”も誘導策の一つ▼「歴史の息吹と桜」「食と紅葉」などをテーマに西部は、中高年向けの大千軒岳登山と知内温泉をセットにしたコースなど季節別、家族や中高年別に16を。中北部は「体験・温泉・食」をテーマにファームインなどをアピール。近く東部も打ち出す予定▼これは情報発信の原点。関係者の努力は多とするが、問題は考えた、作った後であり、誘導するための環境づくり。例えば、交通手段。公共交通機関の利便性に劣る地域だが、マイカーで訪れる人ばかりではない。その人たちの足をどう考えてあげるのか、と問われたら…。出来ればそこまで提案したい。(A)


3月9日(火)

●鳥インフルエンザを巡って、ついに自殺者が出た。京都府丹波町の養鶏場の67歳の創業者と64歳の奥さん。自宅に「大変、ご迷惑をかけました」という遺書を残して、クスノキに麻縄をかけて首をつっていた。鶏の大量死の責任を取ったのか…▼ベトナムなどで死者まで出た鳥インフルエンザ。夫婦の養鶏場では先月27日に感染した鶏が大量死したことが匿名で発覚。「腸炎だと思った。鳥インフルエンザとは思わなかった」と否定していたが、実際はその5日前から日に数千羽単位で死亡しており、しかも発覚まで届け出ていなかった▼この養鶏場は5カ所で175万羽を飼育、出荷された鶏肉、鶏卵、加工品は16府県に上っている。また、5キロ離れた別の養鶏場の鶏からもインフルエンザ反応が出ていたが、感染源や感染経路を調査したところ、問題の養鶏場からの二次感染の可能性が高いという▼養鶏場近くで見つかった2羽のカラスの死がいからも鳥インフルエンザウイルスが検出された。鶏の餌を狙って鶏舎に入ったカラスが別の養鶏場にウイルスを媒介したようだ。中国で生命の根源である太陽の象徴として崇められた飛ぶ(金)烏も、とんだウイルスを撒き散らしたものだ▼府警が届け出義務違反の疑いで捜査を開始する矢先の夫婦の自殺。鳥インフルエンザの責任を感じての悲しい行為のようだが、死して詫びても問題が解決する訳ではない。学者は「カラスのほか、他の野鳥も高病原性ウイルスを運ぶ可能性がある。大量発生する事態を防ぐことが肝心」と警告している。


3月8日(月)

●活字離れが指摘されて久しい。子どもから大人まで本を読まなくなった。新聞にも言えることだが、確かに…。漠然とした思いながら納得させられるが、7年連続して売り上げが前年割れという出版市場の現況が、その姿をはっきりと語っている▼読書の重要さは誰もが認めるところ。字も覚えるが、何より洞察力が養われるなど、教育的見地からも叫ばれる。だからと言って文学にこだわる必要はない。雑誌でもいい。大事なのは日常的に本に触れていること。かつての時代、読書が最高の楽しみだった▼学年ごとの月刊誌を友だちと読み回した、多くの人にそんな記憶があるに違いない。それが今やテレビが家庭にどっぷり入り込んで、ゲームなど与えられる遊びが有り余るほど。本との付き合いが遠のく環境が広がり、小中学生をはじめ若い世代を中心に活字から離れるばかり▼全世代を対象にした文化庁の調査結果があるが、月に1冊も本を読まない人は実に38%。逆に月に11冊以上読む人はわずか4%、25人に1人でしかない。別の調査結果はさらに深刻で、中学生の49%が月に1冊も読まず、さらに37%が字を読むことが嫌いと答えている▼これでは本も売れないはず。1996年前後、出版界は2兆5000億円市場と言われたが、出版科学研究所によると、2003年は約2兆2280億円。調査結果と販売額から伝わってくるのは、(本を)読まない、(本が)売れない現実。いまさらながら活字文化の危機を教えられる。(H)


3月7日(日)

●市町村が抱える今年最大のテーマは合併。道南でも函館市と戸井町など5市町村が12月の実現を目指し、さらに前向きに進んでいるケースがある一方で、苦しい選択を強いられている町村も。置かれた現実は微妙に違うが、悩む姿は共通している▼市町村にはそれぞれ歴史的な背景がある。それは出来上がった枠組みであり、住民感情も複雑に交錯する。当然ながら制度も、公的負担も、財政事情も違う。なのに、国のつけを回された格好で合併を強いられているのだから、穏やかでなければ、不満も増幅する▼故に、この合併から派生する問題は多々。先月、本紙も報じていたが、渡島や檜山の町村会の存廃もその一つ。合併によって町や村の数が減るばかりか、市となるケースもあって、町村数は大幅に減少する。とすると、現状での存続はあり得ず、新たな検討を迫られる▼市町村の横断的な組織として知られるのは、町村会と総合開発期成会。組織的には地域の全市町村が加わっているのは期成会で、渡島で53年の歴史を持つ町村会には、函館市は加わっていない。確かに設置の目的は違うが、民間的な発想では首をかしげるところ▼地域の連携を考える組織に変わりはないとすると、何も二つある必要はない。合併も広義に広域行政の模索だと考えると、先走りかもしれないが、道南市町会しかない。「地域全体の発展の鍵は各市町の連携」。何事も受け止め次第だが、合併はそう問いかけているとも言える。(N)


3月6日(土)

●「裏金は公然の秘密。生活費に使うのも自由で、財布に入ると公私の区別はなかった。月に5〜8万円もらっていた」。道警の元幹部が道議会で裏金づくりの実態を証言するテレビ中継をみた。高度成長期の時、民間では1泊の出張旅費を3日分請求して叱られたなどの話があったが、道警の裏金づくりは税金だ▼事件協力者に払う報償費の不正発覚が発端。「謝礼を支払う場合は名前や住所の一部をいつも変えていた」(警部補)といい、知らぬ間に「協力者」として名前が使われていた道民も。元署長が疑惑の裏金を全額返還したのも、不正を認めたことを意味する▼参考人旅費を流用したり、捜査員の日額旅費をピンハネしたり。元幹部は道警に勤務した大半の部署で「裏金づくりに関与した。(交際費が)税金という認識はなかった」と証言した。組織の権力を握る幹部に裏金が入るためか、現場の警官の士気が低下するのも当たり前。道民の不審を招く結果にもなる▼元幹部は、捜査員の夜食代や捜査用車両の修理代、部下の超過勤務手当の不足分にも回したとも言うが、このような経費は予算化すればいい。カラ出張を繰り返し、旅費を不正に請求して、懇親会費などに回していた静岡県警は約500万円を返還するという▼「石川や浜の真砂は尽きるとも世に…」の文句ではないが、いつの世も悪事(不正)の種は尽きないのか。道警本部長もやっと「信頼を低下させた」と陳謝した。あとは真実を包み隠さず明らかにすること。道議会も問題をあやふやに終わらせてはならない。(M)


3月5日(金)

●桜? その話はまだ早いよ、そう言われそうだ。五稜郭公園や松前城公園などにしても、ようやく冬の眠りから目覚めたところか、開花となればまだ先の話。しかし、南北に長い日本列島、南からは便りが次々と。桜まつりの情報も伝わってくる▼桜は日本人の心を魅了する木であり花。咲き乱れた時に受ける感動もさることながら、一つの文化として心に根付いて離れないから。種類も多様。さらに全国の名所と呼ばれる所には、何時、誰が植えた、といった記録があるように、それぞれ愛される歴史を持っている▼その桜前線は1月に沖縄のカンヒザクラから始まる。濃いピンク色で、かわいらしい花をつけるのが特徴だが、本部八重岳では今年も1月中旬から桜まつりが開かれた。続いて2月の開花で知られるのが、静岡県河津町の河津桜。ほぼ1カ月咲き続けるそうで、今が盛り…▼見た人もいるかと思うが、1日のNHKテレビ「ひるどき日本列島」で放送されていた。桜は種類によって開花時期、場所が異なり、北海道を抜けるまで4カ月ほどかかる。だから各地の“はしご見物”も可能で、いつ頃咲くのか、という開花予想に関心が高いのもそれ故▼今後の天候が鍵を握るが、気象庁は3日、関東・北陸以西のソメイヨシノの開花予想日を発表した。それによると、今年の開花は総じて平年より5日ほど早いとのこと。例えば近畿地方は3月24日から30日あたり、関東地方の水戸、宇都宮などで3月30日ごろ。この分では函館・道南も4月末には…。(H)


3月4日(木)

●またまた秘書給与の名義借り疑惑が発覚した。それほど過去の話ではない、あれだけ問題になったのに。国民に疑念を抱かせ、辞職に追い込まれた議員も出た。それが今度は大臣を務めた経歴を持つ国会議員とは…。呆れるばかり。何も変わっていない▼国会議員一人に関連して年間、国から支払われる費用は、ざっと6100万円。歳費が2077万円、これが高いか安いかはともかく文書通信交通費が1200万円、立法事務費が780万円。この約4000万円に政策、第一、第二の3人分の秘書給与が加わる▼その合計給与は2070万円ほど。公設秘書化は「金の心配なく議員活動に専念してほしい」という趣旨によるが、都合のいい金ぐらいの認識しかないのかも、と思えてくる。しかも疑惑議員に共通しているのが、逃げが見え見えの言い訳。この議員も例外でなかった▼「勤務実態はあった」「地元の事務所で」「寄付は本人の意思」。最終的に正直に語るか、司直が立件するか、早かれ遅かれ実態が明らかになろうが、今回もいち早くとられた行動が政党の論理でしかない離党。そこにあるのは国民ではなく、党に迷惑をかけた、という思いだけ▼国会議員は疑惑を持たれること自体、許されない立場だが、秘書給与の問題で疑惑を持たれるのは最低。ただ、こうも続いては全議員の秘書実態を定例的に強制調査させる法的措置が必要かもしれない。そして少しでも問題があれば名前を公表して支払いを止めるとか。何とも情けないが、現実はそこまで求めている。(N)


3月3日(水)

●人形よ 誰がつくりしか 誰に愛されしか 知らねども 愛された事実こそ…。京都の人形の寺・宝鏡寺にある人形塚に彫られた武者小路実篤の歌。宝鏡寺は百々御所とも呼ばれ、歴代の皇女が愛した数多くの雛人形がある。きょう3日は「ひな祭り」▼少女時代を宝鏡寺で過ごした和宮親子内親王が徳川第14代将軍家茂の奥方になったのは、新選組らが活躍した激動の幕末で、江戸城無血開城に隠れた功績を残されたという。宝鏡寺には天皇から贈られた御所人形や雛人形が保存され、春秋の2回、一般公開されている▼桃は悪鬼を払い、身体の悪血や寄生虫などを排除する。水戸藩は桃仁を救急薬として刀傷、矢傷などを治していた。菱mヘの白と緑と桃色の三色の意味は、雪が解けて、草が萌え出し、花が咲く春の喜びを餅につきこみ、幼女の成長や家族の1年の健康を祈ることだ、と何かで読んだ▼宮崎県の女子高校生が5358人の「武力に頼らないイラクの復興支援を求める署名」を小泉純一郎首相に提出したが、小泉首相は「学校は正しく国際政治の複雑さを教えるべきだ」と人ごとのように、一蹴(いっしゅう)した。3日は語呂合わせで「耳の日」でもある▼桃の花言葉は「気だてのよい娘」。国のことを真摯に心配している女子高生の声に「聞く耳を持たぬ」偏狭な態度は、悪鬼を射る「桃の弓」の的は免れないだろう。雪が残る北海道も雛祭りを機に日差しが一段と増す。百病を除く「桃の酒」でも口にして「雅な雛」の成長を祈ろう。(M)


3月2日(火)

●各市町村とも定例議会の時期を迎えた。厳しい財政環境の中で、新年度に進める施策を、予算ともども審議する重要な議会。道南では函館市がいち早く2月26日に開会し、井上博司市長の市政執行方針に対する論戦が、これから本格化する▼その結果は、いわば1年間のまちづくりの指針であり、第1回と呼ばれるこの議会が最も大きく位置付けられるのはそれ故。本来なら無関心でいられないはずだが、現実は住民と議会との距離が一向に縮まらないようで。傍聴の実態がそれを如実に物語っている▼建前論と言われるかもしれないが、自治の主役である住民は議会に対するチェック機能を持つ。その権利を行使する場として選挙があるが、議会の傍聴も然り。ところが、調査結果などからも明らかなように、議会への関心は低調のまま。函館市も例外でない▼平成14年7月に市議会が行った市民アンケート調査による★と、傍聴した経験がある、と答えた人は5・3%。20人に1人でしかなかった。議場には一般86席、車椅子2席、委員会室には10席が設けられているのだが、びっしり埋まることは年にあるかないか、そのレベル…▼実際、傍聴記録によると、平成13年は5回で563人、14年が同じ5回で801人、15年が7回で637人。率直な感想として、大事なことが決められる場としては少な過ぎる。「傍聴者数は市町村の活性化を占うバロメーター」。今議会は…。函館市の代表質問、一般質問は4日から始まる。(N)


3月1日(月)

●「会うは別れのはじめ」と言われるが、この言葉を最も実感するのが3月。サラリーマンにとっては転勤、児童、生徒、学生にとっては卒業の月であり、地元を離れる人も少なくない。新たな旅立ちに違いないが、そこには一抹の寂しさがつきまとう▼「住めば都」という言葉もある。何年か生活をしていると、住み慣れ、良さが分かって愛着が生まれてくる。函館・道南もよく言われるが、これこそ最も誇るべき地域財産。素晴らしい出会いがあったことの証しだから。それだけに別れは辛くなる▼確かに笑顔の別れもあるが、特に遠く離れる別れとなると、感傷的になって涙の別れとなりがちに。交通アクセスが充実し、通信も進歩した今の時代、遠く離れたにしても昔ほどの距離感はないと分かっていても、込み上げてくる思いは同じ▼また、我が子を自宅から送り出す親子の別れとなると、そこに生まれる心情はさらに複雑。前途を祝って明るく送り出したいと思っていても、なかなか…。離れていく方、送り出す方、どちらも辛いが、少なくとも離れていく人には、新たな旅立ちという視点がある▼そう考えると、送り出す方がより寂しさを覚えるということかもしれないが、その後に新たな出会いが待っている点では一緒。今年も避けて通れないその“別れの月”がやってきた。きょうから3月。一方で、自然界も“冬の眠り”から目覚め始め、春の足音が次第に大きく…。新しい出会いの月、4月がすぐそこに控えている。(H)


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