平成18年5月


5月31日(水)

運動会のシーズンだ。1等賞を目指して無心に走ったり、跳んだり、綱引きしたり、グラウンドに歓声が上がる。そこには「我(わ)が国と郷土を愛する態度を養う」や「日本を愛する心を涵養(かんよう)する」という難しい教育の入る余地はない▼政府は「あくまで教育目標で強制はしない。子供の内心は評価しない」というが、それは当たり前。だが、埼玉県や福岡県では現行学習指導要領に基づいて、通知表に「愛国心」の項目を入れ評価の対象にしている小学校があるという。果たして「自国を愛し…」の部分の評価、点数はつけられるのか▼夏場所で初優勝したモンゴル出身の大関・白鵬は、優勝インタビューの中で、「お父さん、お母さんに感謝したい」と言った。そこには自分の生まれた土地や親兄弟に対する愛着と感謝の気持ちがあふれている。また、ひらがなで「君が代」を覚え、表彰式に臨んだともいう▼法律で強制しなくても、国民として自分の国を愛する気持ちを抱くのは、ごく自然なこと。自国を愛していない国民は少ないはずだから。としたら、あえて法律での規定が必要だろうか。米国や英国、ドイツなどには日本の教育基本法に当たる法律は見当たらない▼友だちと仲良くする心、家族と協力し合う心、ふるさとの歴史や伝統・文化を学ぶ心、自分や国の将来を考える心…。いろいろな心が一緒になって「愛国心」が生まれる。その原点は白鵬のように「父母に感謝する心」にある。間もなく始まるサッカーW杯では、黙っていても愛国心に燃えることになる。(M)  


5月30日(火)

近年は福祉住宅も多様化している。そうした話を聞いたり、光景をみると、必ず脳裏をかすめる人がいる。函館出身か、幼少の頃に函館で生活したことがあるとうかがった記憶があるが、今や故人になった元音更町長(十勝)の金子尚一さんという人▼まちづくりに斬新な考えを持ち、ちょっとしたヒントを大事にする首長だった。ある時と言っても、15年ほども前のことである。「こんなことを考えているのだが」と話してくれたのが、一人暮らしの高齢女性と福祉を専攻する女子大生が入居する公営住宅の建設だった▼ちょうど町に女子短大(今は共学)を誘致した直後のこと。このスタイルだと高齢者は安心して生活でき、学生は日常的に高齢者と接触できる、と。話していて印象的だったのは「将来を見越した一つの実験かもしれない」という言葉だった▼「それは素晴らしい考えですよ」。後押しの視点から記事にしたが、当時の国や道には簡単に受け入れる発想はなかった。なかなか実現しなかったが、確か3年目…。熱心に説き伏せる姿が道、厚生省(現厚生労働省)の担当者の考えを動かし、補助対象として認める道を開かせた▼完成後、その住宅を取材したのは一度だけだったが、高齢者も、学生も喜んでいた光景を覚えている。現在では珍しくもない話だが、そこから思うのは、先を見通す行政の難しさ。時代はさらに高齢化色を強めている。介護の体制も今のままでいいのか、その問いに限りはない。(A)


5月29日(月)

「出世もほどほどに、定年までここで働いていたい」。もちろん一般論だが、若者の間に、そんなサラリーマン意識が垣間見えるという。一時期、脱終身雇用意識が高まったが、その思いが薄れてきた現実が調査の結果からも浮き彫りにされている▼「定年まで」。わが国に終身雇用が制度と言えるほどに根づいて久しい。雇用する側にとっては継続的な労働力の確保、働く側には生活の安定という思いが背景に。いわば日本型雇用システムで、今も崩れていないが、近年はとりわけ働く側の意識変化が言われてきた▼そこに芽生えてきたのが、条件のいいところがあれば転職する、仕事を覚えて起業する、といった思い。企業が欧米などで一般的な成果主義を採用し始めた頃とも一致するが、実際に定年まで働きたい、とする若い社員は減少する動きだった。それがここ1、2年は…▼社会経済生産性本部が今年の新入社員を対象に行った調査(4月末発表)でも、その姿がはっきりと。一言で表現すると、安定志向。「今の会社で最後まで」は40%、「終身雇用を望む」も45%と、いずれも昨年調査よりも増え、37%が年功給を望むと答えている▼かつて多かった社内行事などに参加したくないといった答えも、これまで最低の17%。また、社長になりたいとした新入社員は8%台だったという別の調査結果もある。軽々に論評はできないが、揺れ動く若者心理の裏に何があるのか、政治や社会が突きつけられている大きな課題がそこにある。(N)


5月28日(日)

映画「ダ・ヴィンチ・コード」を観た。新約聖書で最も存在感があるといわれるマクダラのマリア。娼婦や罪深い女ともいわれ、キリストの足に香油を塗ってプロポーズのしぐさ。巡礼にも同行している。処刑の日には十字架の傍にいた唯一の女性▼世界の名画「モナリザ」「最後の晩餐(ばんさん)」を舞台に「その罪深い女とキリストが結婚していた」という歴史ミステリーの謎を解く。マクダラはサラ(ヘブライ語で「王女」の意)をもうけ、エルサレムから南仏へ身を隠し、標高1340メートルの山の礼拝堂で余生を送った▼小国の王子だった釈迦は生後7日で母親と死別し、16歳でヤショーダラ姫と結婚、男子をもうけた。最初の相手はゴーバーというが、ヤショーダラ姫は身分が高かったため第1夫人に。なんと第3夫人もいた。宴会後、だらしなく酔いつぶれる女の姿に幻滅し、四苦八苦を追求しようと城を出た▼親鸞も恵信尼と結婚し、善鸞という男子をもうけている。聖者の妻帯を認めている日本人には抵抗感は小さいが、封印されていた「イエスが妻帯し子供もいた」という想定は、キリスト教徒には「とても考えられない」に違いない。世界各地で上映ボイコット運動が起きている▼2月にはデンマークの新聞が掲載した爆弾の形のターバンを巻くムハンマドの風刺漫画をめぐって、イスラム教徒などが暴動を起こしている。バチカンは「マクダラのマリアは罪深い女ではない」との見解を公表した。この作品の原作と映画は、宗教と表現の自由との難しさをあらためて提起しているようだ。(M)


5月27日(土)

「知的障害児に夏休みの楽しい日々を」。道教育大函館校の学生が中心になって夏休みに開いているサマースクールが、10年目を迎えた。今年も8月7日から5日間、実施の予定で、近く一般のボランティアの募集を始め、本格的な準備に入る▼障害を持つ子どもたちは夏休みの間、親のかかわりだけでは限界があって、家に閉じこもりがちになる。「休みのうち何日かでも“集える場所”があれば…」という声に、道教育大の木村健一教授(障害児教育)と学生らが応えて立ち上げたのが、このサマースクール▼1997年だった。ちょうど本紙が創刊した年で、学生ら若い人たちの取り組みを紙面で支援したいと連日、ルポ的に紹介した記憶がある。その後も毎年、報じてきた経緯があるだけに思い入れは強く、地域として継続されてきたことに敬意を表したい▼当然ながら家庭から感謝されている。また、学生には生きた勉強の機会でもあるが、それだけでない引き付ける何かがあるようで…。本紙の取材に木村教授は「実習や研究など多忙な時期なのに、熱心な姿には驚かされる」と語っているが、その何かが継続の源のよう▼確かに、求められる背景にはさまざまな問題があり、木村教授はシステムの構築などを課題として挙げている。そうはいえ、サマースクールが函館で生まれた素晴らしい事業であることは論をまたない。今年はどんな笑顔が広がるか、実行委やボランティアの人たちに、地域として拍手を送りたい。(H)


5月26日(金)

新大学生の80%、親の69%が「親子の間で適切なコミュニケーションがとれていると思う」と答えている。これは東洋大学が今年入学した学生の親子に聞いたアンケートの結果。総体的にはまずまずと受け止められるが、ただ父親に限っては…▼進学や将来についての話し相手は圧倒的に母親で、父親は学生側からも、親側からも10%以下。学生、親ともに同じ認識というのは皮肉だが、残念ながら自分も、と受け止める父親が少なくないということだろう。正直な現実であり、時代背景が透けて見える▼その姿は会社人間という表現に代表される。週休2日やさまざまな休暇が普及して、まだ時間はそうたっていない。仕事で帰宅は遅い、子育ては母親任せになって…。その結果として、本来、おかしいはずの「家庭サービス」「家族サービス」なる言葉まで生まれている▼政府の政務官会議プロジェクトチームは、5月半ばに「家族の日」の制定と、毎月「家族の週間」を設けることを提案した。ただ、こうした国民運動が容易でないことは、既にある「家庭の日」(青少年育成国民会議)、「道民家庭の日」(北海道)に対する認識の低さが物語っている▼この調査結果が語りかけているのは、父親に「少し考える余地がありますよ」ということ。「意識して話さなくても通じ合えている」という人もいようが、警告はまさしくそこに。説得力という観点からは「親子の信頼は会話(コミュニケーション)から生まれる」という方に軍配が上がる。(H)


5月25日(木)

空知管内の栗山町議会が抜本的な改革を打ち出し、硬直化した議会のあり方に一石を投じている。新聞各紙が報じたから記憶している人も多かろうが、最も注目されるのは「議会を議員による討論の場」と位置づけて“規制緩和”を果たしたこと▼国会に始まり都道府県議会、市町村議会まで、「議会」と名のつく場は、議員が一方的に質問するというか、行政側を追及する形式。確かに質問に対する答弁として反論はあり得るが、市町村長らが議員に聞くといった逆質問はない。だからかみ合わない議論も珍しくない▼その姿は議場の造りが象徴している。傍聴経験のある人なら分かるだろうが、函館市議会もそうであるように議員と市幹部が真正面に対峙(たいじ)する形に造られている。つまり議員同士は同じ方向に向いているわけで、これでは議員同士が議論しようにもなかなか、ということに▼議会の運営は会議規則をよりどころにしている。問題はそれが今の時代に合っているか否かだが、栗山町議会が出した答えは「ノー」であり、新たなあり方を模索する中で後ろ盾として考えたのが条例による対応。こうして議会基本条例を誕生させた▼そこにうかがえるのは「議会をもっと身近に」という思い。それはいつまでも旧態依然であってはいけないというメッセージにも聞こえる。議会改革という言葉はよく耳にするが、住民サイドから実感できた事例はあまりない。この栗山方式が「画期的」とインパクトを持って受け止められた理由もそこにある。(N)


5月24日(水)

睡眠薬を多量に飲んだらどうなるのだろう。シンナーや大麻を吸ったらどうなるのだろう。覚せい剤や麻薬をうったらどうなるのだろう。好奇心旺盛な中高校生は、つい誘惑に負けてしまうのでは。理数系離れが進むといわれるが、理科の実験は楽しい‥▼きょうは理科室で「酢酸と水酸化ナトリウム」の実験。器具はビーカーとかビュレットとか。10ミリリットルの酢を水で薄めて100ミリリットルに。あぁ、オーバーした。もう1度。水酸化ナトリウムを落としてもなかなか色が変わらない。逆切れ。飲んでみた。のどの奥苦っ(あるブログから)▼サイトでは情報が結構交換されている。札幌の中学校で給食当番の女子生徒2人が担任教諭の給食に薬品や睡眠薬3錠を混入させていたことが発覚。薬品は理科で使った酢酸カーミンの溶液で、顕微鏡観察の時に細胞核を染色する薬剤だ。睡眠薬は他の生徒から譲り受けたものだという▼この中学のほか、給食のスープに2、3摘の香水を混入させ9人が気分が悪くなった学校や、担任のラーメンに急激な沸騰を避けるために使う沸騰石を入れたり、中1男子が女性担任たちの米飯に石英の粉を混ぜた学校も。いずれも「いたずら半分で入れた」ようだ▼そう言えば、母親にタウリンを与えて「だんだん弱っていく‥」と母親の容態をブログに書き込んだ高1女子もいた。薬品を誤って使用すれば命にかかわる。例えば睡眠薬は他人に譲渡してはいけないことになっている。各校で薬物追放の授業をもっと開いて、廃人に追い込む薬物の恐ろしさを教えよう。 (M)


5月23日(火)

いつ、どこでもテレビを見ることができる時代が到来した。携帯端末向け地上デジタル放送のいわゆる「ワンセグ」で、東京などが先行する形で4月から始まった。対応する機種が必要だが、エリアが全国に広がり、一般的になるのは時間の問題▼情報化時代と言われて久しいが、それにしても進むテンポの速いこと。陸上競技なら、さながら100メートル走といった感じ。自動車電話やポケベルの登場に驚かされて、せいぜい20年。それもあっという間に携帯電話がとって変わり、その携帯電話も機能が次々新しくなって…▼単なる通話だけでも革命的だったのに、今ではメール、カメラなどは当たり前。その登場から10年ほどたつかどうかで、テレビまで受信できるようになったというのだから、感嘆するしかない。電話、テレビも“固定の時代”でなくなった、ということである▼「ワンセグ」は1セグメント放送の略表現。地上デジタル放送では、一つのチャンネルが13セグメントに分かれた構造になっているが、「ワンセグ」が使うのはこのうちの1セグメントというところから、こう呼ばれるように。移動しながらでも画像の乱れがないというから画期的▼出先でニュースや天気予報などを見る、などの利用が見込まれている。全国的に広がるに伴って、テレビばかりか携帯電話の買い替え需要が起きてくる。振り回されるのは消費者とも言えるが、便利なものには抵抗しようがないことも事実。それにしても…。この世界の技術はどこまで進むのか、既に予想を超えている。(N)  


5月22日(月)

「自分たちの街をきれいに」。それは共通の願いだが、自分たちも参加して、自分たちの手で、となると…。春先に町内会が呼びかけて取り組む光景は各地で見かけるが、組織化しての行動例は多くない。それだけに江差町の取り組みは賞賛に値する▼「江差追分」「いにしえ街道」を中心に、江差町は今、観光の視点から街づくりを進めている。それを支えるのが民間の意識であり、「気持ちよく迎える」を実践している。商店のトイレ開放もそうだが、動き始めた「くさかり隊」という名の清掃ボランティアも然り▼財政難のため公園の草刈りや清掃を業者に委託しづらくなっている現実は、どこの市町村も同じだが、かと言って、ごみや草が目に余る状態は、街の印象を損ないかねない。それは町にとってマイナス。だったら、自分たちでやろうや、と誕生して2年目という▼先日の本紙が報じていたが、その呼びかけに応じたのは職業も別々の女性も含めた約40人。自分たちが出す会費で用具をそろえ、今年もこの13日に皮切りの活動が。今の時代、街づくりは住民の参加なくして難しい、と言われるが、こうした姿は求められる第一歩▼本紙の取材に代表者らは「江差を訪れる多くの人が『マチがきれいだ』と褒めてくれる。活動をきっかけに(マチ)全体がきれいになれば」「運動しながらマチをきれいにできることが何より」と話している。力まず、こだわらず、楽な気持ちで…。この談話に住民活動の原点を教えられた思いがする。(H)  


5月21日(日)

最近「メタボリックシンドローム」という言葉を目にし、耳にする。でも、その認識の広まりはまだまだだが、健康に関するキーワード的な言葉の一つとして覚えておいていた方がいい。ちなみに日本語にすると「内臓脂肪症候群」となる▼日本人の三大死因といえば、誰もが知るがん、心臓病、脳卒中であり、がんを除く二つはいわゆる生活習慣病。その引き金になるのが動脈硬化だが、最近は内臓の周りについた脂肪が密接に関連するという説が主流に。その病状を総称したのが「メタボリックシンドローム」▼そこでわいてくる疑問が、内蔵脂肪の蓄積はどう判断するか、ということ。それには“目安”があって、男性なら腹囲85a、女性なら90a以上。それに血圧、血糖値、血中脂質のうち二つ以上が基準値を超えていると、病状あり、となり、一つなら予備群の域にあると…▼「まずは腹囲への注意を怠るな」。そんな問いかけにも聞こえてくるが、厚生労働省が初めて行った全国調査の結果(5月8日発表)には、ただただ驚くばかり。男性では40歳以上で有病者26%、予備群者26%と半数超の52%を数え、40歳以下でも合わせて46%というのだから▼そこから推定される有病者、予備群者の数たるや、これまた衝撃的。40歳以上74歳未満の有病者は約940万人、予備群者は約1020万人という。この年齢層人口(5700万人)の実に34%。その仲間入りをしないためには時々、腹囲の測定を…。男性なら「85センチ」、女性なら「90センチ」である。 (H)


5月20日(土)

「ジャガイモに塩辛って美味ですね」。ある転勤族の人がこう語っていた。「そう思いますか、結構いけるでしょう」と答えたが、彼の口から続いて出た言葉が気になった。「意外なほど飲食店のメニューにないのは、もったいないね」▼北海道は言わずと知れたジャガイモの一大産地。十勝などには及ばないまでも、厚沢部がメークイン発祥の地であるように道南も例外でない。北海道に行ったらジャガイモを、その際、観光客が描く食べ方のイメージは「熱々のジャガイモにバターを乗せて」だろう▼それに比べて塩辛添えの知名度は、まだまだというより同じ土俵に上がっていないレベル。一見、ミスマッチのように思われがちだが、そうじゃない。臥牛子も10年ほど前の出合いを鮮明に覚えている。戸外で開かれたあるパーティーだった。食べてみると…▼それを機に「ジャガイモには塩辛」を勧めてきたが、ほとんどの人が最初は「まさか」と言い、食べるや「うまい」と。イカは函館の食文化。塩辛はその代表的な加工商品であり種類も数多い。どの塩辛との組み合わせがいいのか、そう考えると“ジャガイモ塩辛”だって奥が深い▼よく言われる。そこに住む人が普段、当たり前のように口にし、何とも思っていない食べ物が、観光客など外部から来た人に受けるのだ、と。旅行でそんな経験をした人は結構いるはずだが、“ジャガイモ塩辛”はまさしくその存在。察するに、彼はこう言いたかったに違いない。(H)


5月19日(金)

体にいい、病気の予防に効果のある食べ物…。飲み物という言葉に置き換えてもいいが、今やそれが“売り”の飲食物は数え切れないほど。次々と新たな研究成果も発表され、その都度、妙に納得したり、疑問を覚えたり、ということが結構ある▼それだけ健康に対する関心が高いという証しでもあるが、いいとなれば、やろうか、続けようか、という思いになるのは人間の心理。自分がやっていることが支持されると、うれしくもなってくる。だが、往々にして納得と疑問が交錯することが多い。個人的に、だが、実は4月にも▼それは朝日新聞に載っていた「緑茶、コーヒーに糖尿病の予防効果」という大阪大教授の研究成果を知らせる記事だった。5年をかけて、1万7000人を調査した結果というから説得力があるが、カフェインの摂取量が多い人は糖尿病の発症リスクが少ない、と▼緑茶を1日6杯以上飲む人は週1杯未満の人に比べて(糖尿病の)発症リスクが33%減っていた、という。糖尿病の予防は食事に運動から、と言われるが、これが簡単なようでなかなか難しい。だが、緑茶やコーヒーに効果があるとすれば“予備軍”にとっては朗報▼確かに、これは一般論であり、個人差がある。毎日コーヒーを5、6杯は飲むという友人が「でも俺は数年前から境界型と言われ続けている」と話していたが、そうきりきりせずに…。「緑茶やコーヒーを飲むことならできる」と思うことで気持ちは楽になる。それでいい。(H)


5月18日(木)

フリーター、ニートなど若者の雇用問題は、緊急を要する政治、社会問題。首都圏や中部圏などをはじめ経済情勢が上向きに転じ、雇用にも好転の期待が高まっているが、現実に目を向けると問題の根は深く、国の政策も未だ決め手に欠けたまま▼フリーターは「フリーアルバイター」の略だが、2003年の国民生活白書によると、15歳から34歳までの、いわゆる働き盛りの年齢層におけるフリーター人口は417万人。驚くほどの人数だが、10年前に比べ2倍に増えているとも言われ、減るような兆しもない▼「何とか定職、常用雇用に道を」と願うのは、安定的な生活を確保してほしいという思いからだが、社会的にも意味があって…。経済成長率は高まり、納税、年金なども改善される。確かに、国も取り組みを打ち出してはいるが、中にはピント外れと首をかしげる話も…▼つい最近もあった。新聞各紙が報じていたので記憶している人もいようが、政府の再チャレンジ推進会議が国家公務員3種(高卒程度)採用の1割を「フリーター枠」にして、門戸を開くことを検討するという話。あきれるというか、ちょっと待ってよ、と言いたくなる▼というのも、小手先の策だから。対象となる人数はせいぜい100人ほど。民間へのモデルになりようもなければ、波及など望める話でない。今、急ぎ求められているのは常用雇用化を促す政策。「定職に就きたい」。フリーターの64%が望んでいる、という調査結果があるが、依然としてそれには応え切れていない。(N)


5月17日(水)

乙部町の「縁桂(えんかつら)」に子孫誕生!空中で2本の枝が結合した連理(れんり)の木として知られる桂の巨木だが、その遺伝子を受け継いだクローン苗木が育って…。本紙をはじめ新聞各紙が報じていたが、先日、3本が植樹された▼足を運んだことのある人も多かろうが、所在地は役所的に言うと、乙部町字富岡国有林1453林班。こう聞くと「会うのも大変か」と思うが、それも“名木”なる故。でも国道229号から少し入った所にある縁桂森林公園の駐車場から遊歩道を歩いて30分という▼静かにたたずむ「縁桂」。樹齢は500年と言われ、樹高40メートル、幹周6・1メートル。地上7メートルのところで1本の桂から出た枝がもう一本の桂と結合している。その姿から「縁結びの神が宿る木」という別名をいただき、全国巨樹・巨木「森の巨人たち100選」に選ばれている▼中国湖南省の「重歓木」と友好姉妹樹ともなり、今や乙部町のシンボル的存在。町などの「この遺伝子を持った木を…」という思いに、応えたのが独立行政法人材木育種センター。江別市のほ場で「縁桂」の枝から、接ぎ木の技術で育て、植樹されたのはそのうちの3本▼厳しい自然環境に耐えてきた「縁桂」を大事にしなければならない。その一方で、植樹された幼木には「無事に生育してほしい」と。この子孫づくりは多くの人たちの共感を呼ぶ話であり、将来に夢を託す取り組みと思うからだが、次世代に“財産”を引き継ぐ乙部町の取り組みは、これでまた一つ進んだ。(H)


5月16日(火)

中央競馬は春のクラシック(G1)レース真っただ中。天皇賞、NHKマイルカップなどときて21日のオークス、28日の日本ダービーへと続く。場外発売の函館競馬場も訪れるファンが増えているが、それにしても圧倒されたのが4月30日の天皇賞…▼それはディープインパクトの走りっぷりであり、圧勝のレース運びだった。それまで3冠、群を抜いた実績を誇るとはいえ他の馬を引き立て役にした、紛れもない主役舞台。武豊騎手をして「(世界中探しても)これ以上に走る馬が存在するとは思えない」と言わせた▼5冠馬のシンザンなど、過去にも輝かしい実績を残した馬はいる。だが、ディープインパクトが強烈なのは、その勝ちっぷり。「空を飛ぶような…」(武騎手)という表現が少しも大げさではない。このあと、どんなレースを見せてくれるのか、楽しみが広がる▼次の舞台は宝塚記念(6月25日)、そして世界の最高峰とも言えるフランスのG1・凱旋門賞(10月1日)に。頑張ってほしい。というのも、わが国には欧米から優秀な種牡馬や繁殖馬を輸入しレベルの向上を図ってきた歴史があり、そろそろレースで“お返し”をする番だから▼北海道は言わずと知れた競走馬(軽種馬)の生産地。ディープインパクトも胆振管内安平町産のいわば道産子だが、産業振興の観点から、実力を備えた人気馬の登場は願ってもないこと。続く馬が出てほしい。2歳馬がデビューする中央競馬の函館開催(6月17日から)は、あと1カ月ほどに迫っている。(H)


5月15日(月)

“平成の大合併”によって全国の市町村数は、1000以上も減った。2年ほど前に3100ほどあったのが、この4月時点で1822市町村に。動きが鈍いと言われる北海道でも2004(平成16)年12月の函館市(5市町村)を皮切りに21例…▼212から180市町村になった。この大合併には様々な議論があるが、強いて言うなら、悩み多き選択でもある。その結果として、今まで頭に入っていた知識の切り替えが求められる。道南なら身近な地域だから分かるが、全道、全国となると、大変なこと▼特に、北斗市のように新しい名がつけられた市町村となると、覚え切れるものでない。道内でも、例えば安平町や大空町など。安平町は早来と追分町、大空町は女満別と東藻琴村が合併した新町だが、あぁそうか、というレベル。さらには日高町と新ひだか町もある▼道内ならまだしも、全国までは…。実際に、ニュースなどで分からない市町村名に出くわすことが少なくない。新聞は必要に応じて旧市町村名などのただし書きをしているが、それとて全部とはいかないし、また何時までもとはならない。考えると大変なことである▼個人的にも住所表記の変更を余儀なくされた人は計り知れない。でも住所変更の連絡をしてくる人は…。せいぜい何かのついでがあった時ぐらいか。はっきり把握できるのは、暑中見舞いか来年の年賀状ということかもしれない。確かに時間が解決してくれることだが、その“平成の大合併”は、まだ終わっていない。(N)


5月14日(日)

本紙が市民映画館と表現する「シネマ・アイリス」が、10周年を迎えた。映画を取り巻く環境が大きく変わった中で、ファンが支える映画館の存在は貴重。資金面をはじめ多々苦労があったはずだが、さらに歴史を刻み続けてほしいと願う一人▼立ち上げたのは映画好きを自認する代表の菅原和博さん。自主上映会を行う中で自前の館の必要性を感じ、出資要請などの行動を起こしたのは1995年だった。さすが映画ファンが多いと言われる函館、大きな反響があって翌年の5月には実現へ…▼こうして誕生した「シネマ・アイリス」は、広さ約150平方メートル、71席という「ちょうどいい規模」の映画館。協力するボランティアスタッフにも恵まれて10年の節目に。映画ファンが築き上げた拠点とも言えるが、これまでに上映した映画の数は実に1000本…▼大都市でしか観られない単館作品や大手館では上映されない作品が数多い。賞賛される最大の理由はそこにあるが、単なる営利目的だったら、恐らくここまでは…。今まさに10周年を記念した特別企画「高峰秀子と成瀬巳喜男。そして昭和」が、始まったところである▼16日までの「浮雲」に続いて、「流れる」(17日―19日)、「放浪記」(20日―23日)、「女が階段を上がる時」(24日―26日)と。いずれも函館出身である高峰秀子の出演作だが、こうした作品と今、接することができるのも「シネマ・アイリス」があったればこそ。本紙も上映案内の告知などで、さらなる協力ができれば、と考えている。(H)


5月13日(土)

「さて、どうしよう。できるなら(今の仕事を)続けたい」。いわゆる団塊の世代の多くに共通した思いではないかと推察されるが、その一方で、新たな道を切り拓(ひら)こうとしている人の話に接すると、自分も何か、という気持ちになるのも心理▼団塊、その意味は「かたまり」で、団塊の世代とはかたまりのように人数が多い年齢層、終戦直後数年間のベビーブーム時に生まれた人たちを指す。それから60年、現役を退く時を迎え、年金受給の繰り下げもあって、その雇用問題は“2007年問題”と表現されて…▼その中に、一念発起し、新たな道に挑戦する人たちがいる。新聞や雑誌で何度か取り上げられている道の前副知事、麻田信二さんもその一人。道職員時代、主に農政を担当し、食の安全・安心条例の制定に力を尽くした人だが、任期を残して退職し、果樹農家の道へ▼長沼町(空知)に持つ2ヘクタールほどの果樹園で、4月から本格的に。ブルーベリーやラズベリーなどの栽培に取り組んでいるという。なかなかできることではない。何故、という質問に、麻田さんは「(農作業ができるのも)残り10年と考えれば、今しかなかった」と答えた、と聞く▼端的で、示唆に富んだ話である。とりあえず今の仕事を続けるのもいい、別な道を探すのもいい。ただ、麻田さんの話にあるように、現役として通用するのも、いくら胸を張ったところで確かに10年である。「大事にしよう今後の10年」。団塊の世代へ送られているメッセージに聞こえてくる。(A)


5月12日(金)

「きょうの天気は? あすはどうだろうか」。予報を参考に、着る服を決める、傘を持つかどうかを判断する…。無意識な日常的行動だが、気象情報は今や欠かせない生活情報。それは気象庁が行った調査結果からもうかがい知ることができる▼気象予報は近年、格段にきめ細かくなった。かつては、晴れか曇りか雨か、とせいぜい気温だけ。それが市町村ごとの予報や3時間ごとといった時系列的な予報、さらには風の向きや強さ、波の高さ、週間予報も加わって今では花粉や黄砂情報などまでも▼観測機器や技術などが進歩したことが前提にあるとはいえ、こうまで身近な存在になったのは需要があるから。創刊から1面にスペースをとった本紙の考えもそこにあるが、新聞が重きを置き、テレビが一日に何回も時間をとっている理由もそれ故。実際にニーズは高い▼4月末に公表された気象庁の調査結果も、それを裏づけている。予報の利用率は「よく」「時々」を合わせて90%台というから10人に9人まで。その予報入手媒体としては新聞とテレビが圧倒的に多いが、最近はご多分に漏れずインターネットが増える動き▼「外れているじゃないか」。時々ながら本紙も苦情を受ける。それもニーズの証しだが、この調査では積極的な支持でないとはいえ、ほとんどの人が予報に満足している、予報を信頼している、と答えている。採点なら、それは紛れもない合格点。あらためて天気予報のありがたさを実感する。(H)


5月11日(木)

「ヒダカソウ」を守れ! 道は登山道を除き、日高山系アポイ岳(日高管内様似町)の生育地保護区内を立ち入り禁止とした。「固有植物の宝庫」と呼ばれ、その植物数が80種ともいわれるアポイ岳だが、ここまで対策を講じなければならない現実を教えている▼アポイ岳は標高811メートルの低い山だが、比較的雪が少なく、橄欖岩(かんらんがん)が生み出す貴重な植物群で知られる。例年、この時期には「ヒダカソウ」や「サマニユキワリ」などが咲き始め、6月初めともなると、その花を目当てに各地から訪れる登山者が多い▼山の価値は早くから評価され、1952(昭和27)年には高山植物群落として国の特別天然記念物に。だが、残念なことに、盗掘などにより絶滅の危機が叫ばれるようになった一つが「ヒダカソウ」。4年前には採取を禁じる指定希少野生動植物に指定されたが…▼道は2年前、さらなる保護のためアポイ岳と幌満岳の一部287ヘクタールを生育地保護区に指定するなど具体的対策に乗り出した。しかし、登山者の踏みつけなどが後を絶たないことから新たに打ち出したのが、違反すると罰則が伴う、この登山道以外の立ち入り禁止措置▼それでなくてもアポイ岳はハエマツの増殖という悩みを抱えている。これらの対策も含めて保護、復元、再生のプロセスを突きつけられている。登山者も最低限のできることをしなければ…。それは登山道から踏み出ないこと。アポイ岳が問いかけているのは、その簡単な登山マナーである。(A)  


5月10日(水)

札幌の知人の話では、庭にまだ1羽もやってこない。北原白秋が作詞した「舌を切られた小雀は 泣く泣くお宿へ帰ります 泣いても泣いても 口きけず…」のスズメの歌を祖母がよく聴かせてくれた。いつも人家のそばで暮らしている野鳥なのに▼また「いたずら雀で困ります しっしっしっ お米を食べている  しっしっしっ」と歌われているように、かつては米を食べるやっかい者として追い払われてきたが、米づくりが衰退した今、害鳥ではなくなった。むしろ、虫や雑草の種を食べてくれる益鳥の印象が強い▼先月、北海道からスズメの姿が消えたというニュースが流れた。旭川、札幌など各地で発見されたスズメの死がいは1456羽。専門家も「こんな大量死は聞いたことはない。寄生虫や感染症、化学物質中毒の可能性が考えられる」と首を傾げている▼2月には知床沿岸で油まみれの海鳥の大量の死がいが見つかった。大半はハシブトウミガラス、エトロフウミスズメだが、絶滅危惧種のオロロン鳥も。犠牲は数万羽とする見方もあり、国内最悪の鳥類惨事。原因の特定には至っていないが、世界遺産の知床への影響も懸念される事態…▼若葉から青葉に変わる時期は野鳥の繁殖期。約140種といわれる函館山の野鳥も活動を始め、妙なるさえずりで癒やしてくれる。あのスズメの大量死は自然破壊による生態系の変化か、異常気象の影響か、原因はナゾだらけだ。でも「舌を切られた小雀」にしてはならない。きょう10日から「愛鳥週間」。(M)


5月9日(火)

日銀函館支店は時々、ちょっと違った角度から地域経済の分析をしてくれる。4月の中旬に発表した大型小売店の管内外資本別実態と分析、もその一つ。本紙が「函館地区の大規模小売店 道南以外の資本6割に」という見出しで報じた記事である▼読み過ごした人のために、その概略をおさらいすると…。店舗面積1000平方メートル以上の、いわゆる大規模小売店は1991年には35店あって、うち管外資本(子会社含む)の割合は43%だった。それから店舗自体も徐々に増え続けて15年たった昨年は…▼70店舗とこの間に25店舗増えて、このうち管外資本は41店で率にして59%。ということで先の見出しの表現となるのだが、そこから教えられるのは、函館も他の地方都市の例に漏れず管外からの進出が活発ということであり、地元資本が影響を受けて減りつつある現実▼日常的に地域情報と触れていると、厳密な数字はともかく、漠然と「管外が増えたな」といった予測はつくが、こうして数字で示されると、現実の姿がインパクトを伴って伝わってくる。しかも、そうなった背景や今後の展望まで触れて、現実を教えてくれている▼経済調査や統計といえば、型にはまった、専門的なものがほとんど。分析も然りで、説明も分かりづらい。同支店の調査分析が違うのは、そこに「地域の経済実態に関心を示し、理解をしてもらいたい」という思いがあるから。さて、今度はどんな切り口の分析をしてくれるだろうか。 (H)


5月8日(月)

新入社員が職場に配属され、社会人としての実質的なスタートを切っている。期間の多少はあれ、ほとんどが研修を受けての第一線。近年は数年で辞める人が結構いると聞くが、初々しい姿を見るたびに「頑張ってほしい」という思いが込み上げてくる▼その新入社員に企業側がまず求めるのは、社会人としてのマナー、という話がある。確かに、いつの時代にも言われることだが、より深刻だという。その現実は研修内容の組み立てにも表われ、業務(専門知識)に関する知識より、むしろマナーに重きが置かれる傾向▼同時に、もう一つ研修で重要視され始めているのが、法令順守のコンプライアンス。不祥事の増加という時代背景があるとはいえ、いわば一からの教育が必要ということだろう。備えていて当然の常識であり、知識なのに、と言ってみても現実は正直というほかない▼日本経済新聞の調査結果でも、研修メニューのトップは、実に8割強の企業が必要と答えた「社会人マナー」。続いて「仕事に関する専門知識」「自社の歴史や業務内容」「財務などの一般知識」の順で、「コンプライアンス」の必要性を挙げる企業も4割弱までに▼地元の経営者から聞く話の中でも、共通しているのはやはりマナーと意識の問題。あいさつに始まって、身だしなみ、言葉づかい、接客マナー、電話の応対…。そして意識とも絡む積極性の不足。もちろん一般的な傾向として言われていることだが、だからこそ根が深い、という見方もできる。(H)


5月7日(日)

●雪が降り積もる楢山で、ただ一つのおにぎりに合掌して、おりんは「いただきます」と言ったに違いない。食料が乏しい村では70歳になると息子に背負われ、捨てられにいく。別離する母子の情景が心をうつ。40年ぶりに映画「楢山節考」を見た▼今、学校は運動会や遠足の季節で、おにぎりが昔から主役。でも、最近の給食となると多量の食べ残しが出ている(児童で15%、生徒で19%くらい)。給食は健康な体づくりの基本で、成長に不可欠な栄養素の多い和食が見直されているが、どうして残食率が高いのだろう▼ある学校で保護者から給食を食べる前に、みんなで言う「いただきます」は必要ないという意見が出た。「給食費を払っている」ことが理由のようだ。ちょっと待て、レストランなど外食と勘違いしているのではないか。「いただきます」は農家の人や給食を作った人に感謝する言葉なのだ▼米国でも手をつけないサンドイッチが捨てられるなど、食べ残しが問題になっており、ある小学校では容器などを工夫して、感謝して食べる「ゴミ減らしデー」を設け、残食減量にこぎつけたという。保護者も含め「^テ(はし)の上げ下げにもうるさい」食育に着目した効果が出ているようだ▼おりんは死を前に自分の食べ物を泣く泣く下山する息子に持たせた。何が一番と言っても、子供に感謝されるような手づくり料理に勝るものはない。そして「もったいない」「いただきます」の作法を、親が身をもって教えていこう。「食の教養」はそこから始まる。(M)


5月5日(金)

●会話が少ない、触れ合いが足りない。よく耳にする家庭の課題だが、その結果として親子の意思疎通が欠け、悩み、苦しむ家庭の姿が問題になる。まさに憂慮される現実であり、何とかしなければ、と全国的には様々な取り組みが行われている▼小さな扱いながら4月末の本紙に掲載されていた長崎県鹿町町(しかまちちょう)の取り組みもその一つ。「大事なのは地域の意識を高めること」という思いがうながした取り組みで、「しかまち子育て十カ条」を制定し、今年1月にはポスターにして町内全戸に配布した▼もちろん条文は町民から公募し、その中から九つを選定した。分かりやすい表現で、いわば当たり前のことばかりだが、その記事では次の三つが紹介されていた。「子育てはほめてしかって抱きしめて」「あいさつは明るく笑顔で気持ちよく」「テレビを消して読書や会話」▼確かに大事なことが言われている。忙しさにかまけ、ともすると大人が面倒がったり、忘れがちなことを思い起こさせるに十分で、説得力もある。十カ条なのに九つというのにも理由があって、実は「十番目は各家庭で決めて加えてください」という意味とか▼家庭や子どもに関する調査結果などからも浮かび上がるが、家族そろっての食事が減り、家庭での会話も少なくなっている、と言われる。鹿町町の十カ条の趣旨は「そこにちょっと気づいてほしい」ということであり、地域へのメッセージという意味合いも。きょう5日は「こどもの日」。各家庭で独自の「我が家の十カ条」を話し合ってはどうだろうか。(H)


5月4日(木)

●静内町と言った方がまだ通りいいが、隣の三石町と合併して生まれた新ひだか町(日高管内)に「龍雲閣」という歴史的建造物がある。桜の名所で知られる二十間道路の先に建つ由緒ある建物だが、ご多分に漏れず、老朽化が激しく、差し伸べられる手を待つ状態▼個人的な感慨だが、保存してほしいという思いが強い。というのも、20年ほど前、静内町に居住した際、何度か足を運んだことがあるから。その道幅から名づけられた二十間道路と、明治の雰囲気を今に伝える「龍雲閣」は、歴史的に不可分の関係…▼そもそも、この一帯は宮内庁の御料牧場だった所で、二十間道路は牧場を視察する皇族の行啓通りとして造成され、「龍雲閣」は宿泊などの貴賓舎として造られた施設で、木造一部二階建ての御殿造り。1909(明治42)年の建造というから間もなく100年を迎える▼伊藤博文や大正天皇、さらには昭和天皇も皇太子時代に滞在したと伝えられ、ここで書き記された書なども残されている。管理はされているが、年々、傷みが激しくなって…。数年前に訪れた際、修復保存に向けた取り組みが具体的に必要な状態、といった話を聞いた▼問題はそのための費用。自治体は厳しい財政事情下にあり、できれば官民の連携で、と願うところ。その一つの方途として募金活動が取りざたされている。確かに他の地域にある建造物だが、敢えて取り上げたのは、北海道の歴史的遺産として貴重で、意味のある建造物と思う故。そう毎年、桜まつりの際には公開されている。(A)


5月3日(水)

●裁判の迅速化は司法界が抱える課題だが、その切り札の一つとして公判前整理手続きが試みられている。凶悪事件などで既に幾つかの事例があるが、徐々に広がって経済事件としては初めて堀江貴文ライブドア前社長の公判でも適用されている▼裁判に慎重さが求められるのは当然だが、それにしても時間がかかり過ぎると言われて久しい。刑事事件でも1審の判決まで何年もかかる訴訟がある。増える裁判、かかる時間、まさに裁判ラッシュの様相の中で対策が求められるのは当然で、ようやく対策に本腰が…▼柱はこの公判前整理手続きと連日的公判の確保で、試みは始まったばかり。公判前整理手続きとは、初公判が始まる前に検察側と弁護側が裁判官を交えて争点と証拠の整理を行い、その上で公判に臨むという手法。手続き時間だけでも短縮されることは間違いない▼4月末の長野地裁では、これまでなら3カ月ほどかかったと推測される傷害事件の裁判が、2週間で判決まで至ったという事例も。単純に早ければいいというものではない、さらに検察側と弁護側がどれだけ向き合うか、が鍵を握るが、合理的で問題がないなら、それに越したことはない。あとは間隔の置かない公判日程である▼というのも、3年後にも裁判員制度がスタートするから。専門家によって事前に論点が整理されていれば、事件概要の把握も早いし、公判日数が少なくて済み、応じやすくもなる。もちろん民事への適用も検討されて然るべき。そう考えていくと…。裁判制度の改善は、まだ手がつけられたばかりである。(N)


5月2日(火)

●都市景観はその都市の格を決める、とさえ言われる。観光を売りにする都市ではなおさらだが、それは欧州などの都市に多くの事例を求めることができる。実際に訪れた人を魅了する所は数え切れないほど。その点、わが国は…。課題が多いと言われて久しい▼景観を構成する要素は多々ある。街並みもそうだし、建物の高さや色彩…。もちろん看板もその範ちゅうに入る。そこに共通するのは統一感であり、伝わってくる思いは美しさ。だから都市政策に不可欠の要素として挙げられるのだが、現実に目を移すとなかなか▼あの京都でも今、中心地域での新規ビル建設に対する高さ規制などが議論されているところである。確かに都道府県や大規模市などでは、景観条例や屋外広告物条例が制定されている。函館市も昨年の中核市移行に伴い、単独で屋外広告物条例を持つ都市となった▼だが、景観上、疑問を抱かせる看板は少なくなく、どうしても求められるのが、広告物の高さやデザインなどに関する独自の規制基準。いわば函館に合った基準を設けるべきということだが、市民の意見を聞いた上で、今、年度内の条例改正に向け、具体的な検討が始まろうとしている▼景観は街に潤いを与え、屋外広告物は街の賑わいを演出する、といった話を聞いたことがある。確かに、看板などの無秩序な姿ほど景観を損なうものはない。どう考えていくか、これから市が実施しようとする意見の募集はその問いかけであり、それは景観に対する市民の意識を占う第一歩でもある。(H)


5月1日(月)

●わが国には数多く「国民」という冠がつく運動がある。それなりに納得しているが、遂にここまできたか、という思いにかられた国民運動がある。4月末に立ち上がった「早寝早起き朝ごはん運動」だが、本来、家庭で基本的にすべきことだから▼それを敢えて運動として展開していこうというのである。確かに「最近は子どもが親の生活パターンに引き込まれ、睡眠や食事に問題がある」と言われる。少なくても、子どもに早寝早起きの規則正しい生活習慣を身につけさせ、朝食抜きなどはなかった国のはず▼そこに流れていたのは、子どもの健全な発育に大事なことという思いだが、それが今の時代は…。睡眠と朝食の効能を論ずるまでもないが、残念ながら「食育」という言葉が登場する現実があり、文部科学省の調査でも小学5年で4%が「ほとんど朝食を食べない」と…▼「今日の子どもの学習意欲や体力の低下は、社会の根幹を揺るがしかねない喫緊の課題であり、家庭における食事や睡眠などの基本的生活習慣の乱れとの相関関係が指摘されている。このようなことから…」。この運動推進の全国協議会は、趣旨をこう説明している▼同省も「国民運動として位置づけていきたい」としているが、容易なことではない。というのも、基本的な生活習慣にかかわることであり、鍵を握るのは親の意識、認識だから。協議会が掲げる事業項目が漠然としているのもそれ故だが、それにしても…。諸外国に恥ずかしい国民運動というほかない。(N)


戻る