平成19年1月


1月31日(水)

●つまむ、はがす、くるむ、押さえる、支える、裂く、切る、ほぐす、すくう、のせる、分ける、運ぶ…。箸(はし)の語源は人の生命が宿るといわれる「柱」や「橋」などの形が説の一つ。箸が持つ数々の機能は毎日の生活に直結している▼日本食ブームもあって欧米などでも箸を使う人が増えてきたようだが、最近、お手本となる日本人の箸の持ち方が気にかかる。そんな中、生活習慣や食べることに対する最低限のマナーが身に付いているかを見ようと、佐世保市の女子高が入試問題に国語、数学のほかに「箸の持ち方」を加えたという▼子どものころ、箸の持ち方や作法についてしつこく聞かされた。移り箸、迷い箸、持ち箸などはいけない、と。女子高の入試はサイコロ、インゲン豆、ビー玉、大豆など6種類を六角形の箸でつまんで別の皿に移すという実技試験。「持ち方は適切か」「スムーズに使えるか」を試験官がチェックする▼塗り箸の産地の福井県のメーカーでは幼稚園や小学校などで「おはし知育教室」を開き、歴史やマナーを教え、箸づくりも体験させているという。箸は樹木を伐採して作られているが、無駄に使えば森林の枯渇(環境破壊)にもつながると「箸で含めるよう」説いている▼箸は日本人の器用さ、美意識、礼儀作法をはぐくんできた。右手を失った機械工が「もう一度、箸で豆腐が食べたい」との一心から次々と介助補助具を開発したという話もある。箸が正しくスムーズに使える児童生徒の家庭では学校給食費を払わないという「箸にも棒にもかからぬ」親などいないはず。正しい箸の使い方を身に付けさせることは、紛れもない家庭の責任である。(M)


1月30日(火)

●啓蒙(もう)など取り組みの成果が着実に上がっている。道産米の道内消費率の話。2006米穀年度(05年11月―06年10月)で65%ラインを超したという。正確には前年度比4・8ポイントアップの67・1%だが、うれしいことに4年連続しての前年度比増▼消費量の減少などから減反政策が取られ、過酷な転作を強いられてきた北海道の米作だが、今も全国の7%の作付面積を占める主力農作物。ただ、道産米はなかなか消費者の支持を得られず、生産、販売とも厳しい環境に置かれてきたが、それを乗り越えて…▼3100ヘクタールほどまで減ったとはいえ、道南はその一翼を担う地域。「ふっくりんこ」など新たな銘柄を生み出しているが、道民に食べてもらうことが最大の振興策。「まずは地元から…」。当たり前だが、道内食率(消費率)の向上を目指す動きは、こうして始まった▼2000年度の道内食率は56%だった。「10年がかり(最終10年度)で80%までに持っていこう」。道などが掲げたこの目標に向かって、愛食運動(毎月第3土・日曜の「愛食の日」制定、各地での愛食フェアの開催…)などを展開してきた結果、この上向きの食率に▼05年度の62・3%から、06年度は冒頭示したように70%ラインを射程距離にするところまで。既に入った07年度の目標は69・4%だが、販売面も最初の11月が前年度同期比37%増と上々の滑り出し。一人当たりの消費量減という現実がある中で、道内食率アップの取り組みに終わりはない。(N)


1月29日(月)

●どこまでも伸びる「芋づる」。戦後の食糧難の時、庭先に植えたサツマイモ。栄養たっぷりで紀元前3000年頃から食べられており、つるが畑いっぱいに伸びて実をたくさん付け、すきっ腹を満たしてくれた。茎まで食べたものだ▼それなのに…。「自治体や企業の談合」「政治家とカネ」の「芋づる」は、伸びれば伸びるほど腹が立つ。一連の知事の官製談合が静まったと思ったら、名古屋の地下鉄延長や高速道工事の入札で大手ゼネコンが不正入札。談合決別を申し合わせたはずだったのに。それで終わらず国土交通省の官製談合と▼かたや政治家に目を向けると、政治資金の収支問題で、伊吹文部科学相、松岡農水相、民主党の松本政調会長、さらには小沢代表の4億円を超えるともいわれる事務所費問題…。角田参院副議長は選挙資金の不正処理疑惑で辞任に追い込まれた▼伊吹文科相は「担当者が誤って記載しなかった。修正できるか検討したい」、辞めた角田副議長の会計責任者は「会計帳簿が見当たらない」といい、角田氏は「カネの出入りは知らない」と他人事のよう。与党、野党を訪わず、またまた政治資金をめぐる疑惑が続いている▼国民の怒りはおさまらず、政治不信は増幅するばかり。サツマイモはaカ摩の名産。西郷隆盛、大久保利通ら偉人が次々と出世したことから「芋づる式に…」と表現するようになったと言われるが、今や歓迎させないことの意味に。通常国会では「芋づる式に…」帳簿や領収書を公開させて、国民の前で真相を解明する、それぐらいの責任は果たしてもらわなければならない。(M)


1月28日(日)

●南極観測から50年という話は本欄でも昨年11月に紹介したが、今から95年前のきょう1月28日が「南極圏内に初めて日章旗が立てられた日」ということは、あまり知られていない。ただ、その中心人物の名は、誰しも聞き覚えがあるはずで…▼白瀬中尉。記述によると、南極探検の計画を明らかにして国に援助を求めたのは1910(明治43)年の1月。残念なことに理解されず、後援会などの募金活動などに後押しされて実現したのだが、204dの「開南丸」で東京・芝浦を出航したのは同年11月19日▼氷海に船の進路を阻まれるなど幾多の苦難に遭遇したが、翌々年1912(明治45)年には南極圏に。1月21日から2台の犬ぞりで南極点を目指した。南極点への到達はかなわなかったが、南緯80度05分の地に日章旗を立てたと言われ、その一帯を「大和雪原」と▼わが国が南極観測に参加するようになったのは、それから45年後のこと。砕氷観測船として、その大役を担ったのは後に巡視船としても活躍した「宗谷」だが、「ふじ」、そして白瀬の名をいただいた「しらせ」へと受け継がれ、3代目の「しらせ」も老朽化が言われている▼南極大陸への上陸に成功し、昭和基地が設営されたのは、1957(昭和32)年の1月29★日。11人の第1次越冬隊員が新たな歴史の1ページを記した。その根っこにだぶるのは95年前に白瀬が抱いた精神。今日までの間、数多くの研究業績を残している越冬隊は、既に第48次を数えている。 (H)


1月27日(土)

●今まさにフリーペーパー全盛時代。東京など都心の主要駅前では道行く人に「○○でーす」と配布する光景が見られるほか、新宿など駅との連絡地下道には専用ラックが連なるように。ついに、というか、1月中旬にはマンガ(週間)が創刊されたという▼「ただ(無料)で配られる(手にできる)紙誌」。フリーペーパーの一般的な認識はこれに尽きるが、3年半ほど前の日本生活情報紙協会の定義によると…。「特定の読者を狙い、無料で配布するか到達させる、記事と広告で伝える定期発行の地域生活情報紙誌…」▼グルメ(飲食店)、ショッピング、求人、住宅(不動産)レジャー(旅行)など、種類も今や多種多様。不特定多数に行き渡らなければ意味がなく、人口の多い大都市圏に集中する。出入りはあるが、昨年時点の発行社数は全国で950社、発行数は1200紙誌ほど▼さらに総発行部数は3億万部に手が届くレベルと言われ、この数からも近年、急速に伸びた情報ジャンルであることは明らか。傾向として製本タイプのマガジン系が増える動きにあるということだが、東京でのマンガ週刊誌は新しい挑戦として注目を浴びている▼“フリー”と侮るなかれ、このマンガ230ページ(うち広告26ページ)というボリュームがあり、創刊号には連載11本、読み切り2本が掲載されたというのだから。ベンチャー出版社の思惑が当たるか否か、スタートは10万部だったそうだが、そこにフリーペーパーがなお進化を続けている現実が垣間見える。(H)


1月26日(金)

●企業も役所も同じだが、不祥事を起こすと、決まって最後は減給、報酬返上などの処分でけりとなる。その件数や減給総額たるや計算のしようもないが、それを集めると、結構な事業ができる額になるかもしれない。としたら、社会にその受け皿があっていい▼突拍子もない話だが、よく考えてみると、意外と正論にも思えてくる。実は先日ある会合で雑談していて聞かされた話。要約すると、社会に迷惑をかけたのだから減給処分の金は社会に拠出されるべき、それが一つの社会的責任の取り方ではないかという考えである▼不祥事が起きた場合、公的機関である役所や社会的に影響力を持つ大手企業などの場合は公にされる。それだけ社会的責任を背負っているということだが、その人が言うには…。「もともと税金である役所はともかく、企業の場合は減給した金は企業に残ったままではないか」▼それは社内的なわびの域であって社会に対するわびではない、と。世間を騒がせ、社会的に反省の姿勢を示すというなら、せめて減給分を福祉などに寄付するとかして初めて社会に対するわびになるという論である▼企業の社会的責任が問われるようになって久しい。関西テレビも然りだが、ここ数年だけでも社会を揺るがせ、倫理を追及された事例は少なくない。その都度、社内以上に問われるのが社会への責任だが、単に「減給した」が社会的な責任の取り方かと聞かれると…。確かに「そうだ」という答えにはなりにくい。(N)


1月25日(木)

●函館・道南もそうだが、全国各地にある文化財は数知れない。国指定の重要文化財をはじめ都道府県指定の文化財まであるが、いずれも貴重な国家的財産。だからこそ後世への責任として災害から、とりわけ火災から守らなければならない▼残念ながら放火などによる火災で失った文化財がある。近年では1998年に東大寺戒壇院千手堂、2000年には京都寂光院の本堂が全焼した。文化庁によると、1897(明治30)年以降、27の建造物(70美術工芸品)が焼失している▼中でも、大きな衝撃だったのは1949(昭和24)年1月26日に発生した法隆寺金堂の炎上。現存していた世界最古の木造建造物だったばかりか、壁画を焼損した。これを機に文化財の防火対策が叫ばれ、保護と国民の関心を仰ぐ手段として“二つの対策”が取られることに▼一つは文化財保護法の制定であり、もう一つが「文化財防火デー」の設定。金堂が修復された翌55(昭和30)年、当時の文化財保護委員会(現文化庁)と国家消防本部(現消防庁)が定めた「…防火デー」は、金堂が炎上した「1月26日」。今年で53回目を迎える▼道内では文化財が多い地域の函館・道南。函館市を例に挙げると、旧函館区公会堂や遺愛学院本館・旧宣教師館など国の重要文化財としての建物、座像が7つあるほか、国や道指定の登録有形文化財も多々ある。「みんなで守っていこう」。26日はそう問いかけられる日にほかならない。(H)


1月24日(水)

●宮崎県が脚光を浴び始めた。県民が新たに無党派の知事を選択したことで、変わるのか、変えられるのか。注目されるのは、選ばれた新知事の考え、行動に加え、県議会議員や職員の姿勢、さらには県民がどれだけ県政に厳しい目を向けるかという意味で▼官製談合事件で逮捕された前知事の辞職に伴う選挙だった。出直しというか“県直し”に手を挙げた候補者は元中央官僚2人ら5人。民主は擁立すらできず、自民・公明は官僚の1人を推薦し、共産は公認で擁立したが、県民が選んだのはまったくの無党派候補…▼タレントのそのまんま東(本名・東国原=ひがしこくばる=英夫)さん。保守系が元官僚2候補に割れたとはいえ、既成政党に投げかけたメッセージは大。というのも全国紙などで分析されているように、支持政党の候補者に投票した人の率がこれまでになく低かったから▼タレント候補だったから、汚職事件を受けての選挙だったからなど、いろいろつけられる理由は宮崎ショックの表われ。統一地方選挙が4月に迫り、7月には参院選挙を控え、穏やかでいられないはずだが、同時に、この結果から警告されているのは議会議員や幹部職員…▼“素人知事”と扱い、主導権は自分たちが握ろうとする悪しき例は、一時期の長野県など過去にもあるが、宮崎県でもそうなるのか。知事ほどではないにせよ試されるという点では県議会なども同じ。冒頭で「脚光を浴び始めた」と記した理由はそこに。しばらくは宮崎県から目が離せない。(H)


1月23日(火)

●またまた起きてしまったというか、たまたま表面化してしまったということか。フジテレビ系で放映された「発掘!あるある大事典U」の番組ねつ造には、過去の反省がないと糾弾されて当然。テレビ局の社会的信頼をさらに大きく失墜させた▼公共の電波を使用する放送・テレビ業界には、1996年9月に自ら制定した立派な綱領(放送倫理基本綱領)がある。中央、地方を問わず、それは放送業務に携わる者に共通の“バイブル”。紙幅の関係から全文を紹介することはできないが、その中に…▼「放送は…社会的影響がきわめて大きいことを自覚し…社会生活に役立つ情報と健全な娯楽を提供し、国民生活を豊かにするようつとめる」「適正な言葉と映像を用いると同時に、品位ある表現を心掛けるようつとめる」。この綱領も現実とのギャップにむなしく響いてくる▼発覚したのは同番組の「納豆でやせる話」だったが、テレビ番組のやらせ、ねつ造は初めてでない。だから根深い問題と言われるのだが、決まっての言い訳は「制作会社が…」。頭は下げるが、こういう問題がなぜ繰り返されるのかという背景を自ら正直に語ることはない▼今回の放送によって製造業者、小売店に与えた影響は計り知れない。直接の関係者への謝罪はもちろんだが、信頼の回復には過去の放送分(同番組)をあらためて検証し、その結果を包み隠さず明らかにすることが不可欠。公共の電波を使用する社会的責任は、それなくして果たしたことにならない。(N)


1月22日(月)

●将来の国づくりに影を落とす少子化問題。未婚率の高まりの一方で、低下をたどる出生率…。その背景として人生観や経済的な事情などが挙げられるが、この流れが続くとしたら…。税や年金をはじめ今の枠組みが崩れる事態すら予測される▼戦後のベビーブームは別として、年間の出生者は1970年代初めで200万人の水準だった。そのピークである1973(昭和48)年の209万人を境に減り始め、ここ数年は120万人を切るレベル。出生率も20年ほど前から2・0を割って、2年前で1・2台に▼長期的に人口を維持できる目安は2・07と言われるが、それをも大幅に下回って…。国の対策の遅れを指摘する声もあるが、少子化対策には難しい要素が多々。予算規模の割に実効が上がっていない理由もそこにあるが、そんな中、一つの事業が注目を集め、広がりを見せつつある▼「子育て世帯(買い物)優待事業」。いわば子どもがいる家庭に商品の割引や特別のサービスをする取り組み。人生観には介入できないが、経済的な負担の軽減なら、というのが発想で、官が証明書を発行し、登録した民(企業や商店)が値引きやサービスを▼静岡、石川県で実施され、先駆的な石川県では金融機関を含め登録が1600店を超えるという。地元の商業対策の一面も担うという点で一石二鳥との評もあるが、京都府や徳島、埼玉県などでも具体化へ。さらに取り組みが広がって、全国どこでも通用する体制になれば…。国の判断が待たれる。(H)


1月21日(日)

●南極地域観測50周年を記念した貨幣(記念貨幣)が23日、発行される。500円のニッケル黄銅貨幣だそうで、発行予定は660万枚。引き換え開始を待ちわびている人も多かろうが、この記念貨幣発行の歴史は、さほど古くはない▼財務省の広報誌「ファイナンス」2006年12月号で、この記念貨幣に関する話が紹介されている。よく知らなかった一人だが、社会常識として勉強になることが多々。それによると、その第1号は1964(昭和39)年。そう、東京オリンピック開催記念貨幣である▼100円と1000円の銀貨幣の2種類。その後、国際的な行事や国家的プロジェクト、さらには皇室の慶事などの際に発行されるように。第2号は1970(昭和45)年の日本万国博覧会記念(100円白銅貨幣)で、以来、今日まで延べ50種類を数えるという▼参考までに挙げると、北海道に関係する記念貨幣も二つある。誰しも察しがつこうが、一つは1972(昭和47)年の札幌オリンピック開催記念(100円白銅貨幣)。もう一つが忘れてならない1988(昭和63)年の青函トンネル開通記念(500円白銅貨幣)▼東京五輪、万博にしてもそうだが、不思議なほど、その時が脳裏によみがえってくる。「記念貨幣の発行をたどることにより、記念貨幣のテーマである行事と自分が当時どこで何をしていたかを回想する機会と…」。同号『記念貨幣』の執筆者も「結び」でこう記していたが、確かに…。そこに記念貨幣の意義の一つがうかがえる。(H)


1月20日(土)

●文化庁が公募選定した「親子で歌いつごう日本の歌100選」が決まった。正確には「…101選」なのだが、口ずさみやすく、情緒にあふれる歌詞の歌ばかりで、いずれも選ばれるに値する。共通するコンセプトは、さしずめ「心のふるさと」▼家族関係の希薄化が言われて久しい。かつて家庭には童謡や唱歌、歌謡曲などを親子で歌う光景があったが、それも今や遠い過去に。「日本の歌100選」は昨年、こうした現実を憂えた前文化庁長官が「家族の絆(きずな)を深める一助に…」と提唱し、候補曲を公募していた▼最後の1曲を絞りきれなかった、それほど難しい選定だったということだが、選ばれた曲をみると…。童謡や唱歌では「さくらさくら」「朧月夜」「浜辺の歌」「夏の思い出」「叱られて」「埴生の宿」「この道」「どこかで春が」「早春賦」「今日の日はさようなら」など▼さらに歌謡曲からも選ばれて当然と思える歌が…。「いい日旅立ち」「いつでも夢を」「川の流れのように」「秋桜」「翼をください」「さくら貝の歌」などのほか、「上を向いて歩こう」「幸せなら手をたたこう」「見上げてごらん夜の星を」と、亡き坂本九さんの歌が3曲▼最近の歌からは「世界に一つだけの花」「涙そうそう」が。文化庁は、この101曲を譜面付きの冊子にして学校現場などへの配布を考えているようだが、ふと頭を過ぎたのは「歌謡曲は別にして、今の子どもは何曲ぐらい歌えるのだろうか」という思い。理屈でなく、選定した一つの意義がそこにあると理解したい。(H)


1月19日(金)

●核戦争による地球滅亡までの時間を概念的に示した「終末時計」が17日、終末を示す午前零時の「5分前」を指した。原爆投下の報を痛恨の思いで聞いたアインシュタインが、科学者たちに呼びかけて米シカゴ大学に設置した時計で、分針が進められたのは5年ぶり▼零時に近づくほどに核戦争の危機が近づくというもので、1947年に「あと7分」からスタート。これまで17回、分針を動かしているが、最も針が進んだのは米国と旧ソ連が水爆実験した53年の「2分前」で、米ソが戦略兵器削減条約に調印した91年には「17分前」に戻された▼そして同時多発テロの2002年からは「7分前」。今回、針を動かした理由は「第2次核時代の懸念増大」。北朝鮮の核実験、イランの核保有への野望、核物質の拡散などが挙げられ、理論物理学者のホーキング氏は「科学者には核の脅威について警告する責任がある」と訴えている▼かつて「2分」進める時、こんなエピソードがあった。針を進める教授が、花粉症に悩まされていたせいか、針に手をかけたまま大きなくしゃみ。その勢いで2分どころか一気に30分も進んでしまった。上空に黒い雲が立ち込めたとか…。人間の能力にはどこか落とし穴が潜む▼かたや、わが国の庶民の“終末時計”は限りなく「0」へ進んでいる。増税の動き、見えない高齢化社会への対応、福祉の将来…。格差も広がって“怒りの核”は大爆発しそう。あらためて、これ以上、分針が進まない対策を願わずにいられない。(M)


1月18日(木)

●厚生労働省は今年「70歳雇用」の普及を目指すという。そのニュースに接した時に抱いたのは、65歳の間違いでは、という思い。確かに65歳まで雇用の法整備はできたが、実態は…。年金受給との絡みからも、もっと徹底されなければならない▼健康寿命の伸びに加え、年金の受給繰り下げが現実となり、年齢層の厚い60歳以上の人の雇用確保は当面する課題。そのバックボーンとなるのが企業に次の3項目いずれかの順守を求める規定を盛り込んだ改正高年齢者雇用安定法。確かに昨年4月に施行された▼「定年年齢の65歳までの引き上げ」「継続雇用制度の導入」「定年の定めの廃止」。分かりやすく説明すると「雇用している高年齢者が希望する時は(60歳)定年後も引き続き雇用すること」という趣旨だが、問題は「継続雇用…」。というのも主導権が企業側にあるから▼法整備をすれば、それで終わりではない。大事なのは実現への誘導で、はっきり言って「確実に年金受給年齢まで雇用をつなげる」という命題は達成できていない。言い方を換えると、まだまだ「65歳雇用」の定着を図る努力が必要ということだが、どうも違和感が▼「70歳雇用を目指す」という話に首を傾げる理由はそこにある。しかも具体的施策として考えられているのが、定年を一気に70歳にした中小零細企業に最大160万円を助成することであり、70歳定年実施の先駆的企業100選の選定というのだから。霞が関・永田町と現実との距離を感じずにいられない。(N)


1月17日(水)

●「わが国の食料自給率は安心できるレベルでない」。その実態を聞くと、当然のように返ってくる答えだが、漠然とながら国民はしっかり認識しているよう。昨年末、内閣府が発表した食料供給に関する世論調査の結果が、そう物語っている▼自国で食料を賄うことは国の戦略の一つ。「食料安保」という言葉があるぐらいだが、いかなる時も安定的に食料を確保できる体制を取っておく、それは国としての強み。ところが、わが国の食料自給率は、この30年、輸入自由化という名のもと大幅な落ち込みに▼肉類、魚介類、野菜に果物…。スーパーの食品売り場には外国産が並び、まさに自給率減を実感する場の様相。1960年代、わが国の自給率はカロリーベースで70%、1980年代でも50%水準を保っていた。それが近年は40%レベル。先進国の中で際立って低い▼もちろん品目別には差があるが、専門家が指摘するまでもなく、危機的という思いは国民の間でも。同調査で「現在の自給率が低い」と答えた人は77%と4人に3人。せめて「80―60%」は…。求める自給率として、約半数がこの水準を挙げ、約7割が「50%程度は」と▼農業に端的だが、自給率が低下を続けた過程の中で、作付け制限など現場が振り回されてきた歴史がある。厳密に言うと、その余波はいまなお続いているのだが、どう考え、どう導いていこうとしているのか。国は10年後に45%とする目標を掲げているが、そこへ導く具体策は、いまだ少しも見えていない。(N)


1月16日(火)

●年頭からメディアをにぎわしているバラバラ殺人事件と、5年前にウクライナで18歳の女性をバラバラに切り刻み内臓を取り出して食べたという事件(他にも5人殺害)が脳裏で重複してくる。今回のバラバラ事件は身内のトラブルが引き金のようだが…▼肉親の愛が次第に憎しみに変わって一瞬のうちに壊れるもろさ、悲惨さ。遺体をバラバラにする頭には、事件の証拠隠滅、もし生き返ったらという恐怖心、変質的な快感(ウクライナの事件のように)、この世から消してしまいたいという憎悪・怨念などが潜んでいると言われる▼歯科医院の裕福な家庭。そこに至る真の事情は知るよしもないが、妹に「夢がないね」となじられ殺害、十数個に切り刻んで捨てた。「生き方が合わない」と妻に殺された夫は高収入を得る外資系企業の会社員。背景はどうあれ、のこぎりで切断するとは…▼連鎖反応か、茨城でも切断された男性の下半身が見つかった。遺体をバラバラにして遺棄する行為は刑法犯罪では最も凶悪。戦後のバラバラ事件は約130件あるそうで、うち親子、夫婦、兄弟など身内による犯行が4分の1を占めているそう▼「人生は地獄よりも地獄的である」。芥川龍之介は『侏儒の言葉』で、人生の苦しみは突然やってくる、それでも生きなければならないと説く。激しい怨念を抱いていても、殺そうとまで思わないのが尋常。自分で地獄をつくり、奈落の底に落ちていく。そこにあるのは、何とも悲しい現実というほかない。(M)


1月15日(月)

●「駅なか」「エキナカ」と書かれたりもするが、「駅ナカ」(自由国民社刊・現代用語の基礎知識)という言葉を耳にしたことがあろうか。道内では、札幌駅もそこまで言えないレベルだが、東京の品川や上野など首都圏の駅で急速に広がって…▼今やちょっとしたショッピング街を連想させる規模にまで。読んで字のごとく駅の構内、つまり改札を出ないエリアに設けられている店舗街のことだが、「駅の中にある」を今流に短縮して「駅ナカ」。確かに一部の主要駅でしかないが、利便性が受けて新たな市場に▼駅の店といって連想するのは新聞・雑誌、飲料水などの売店だが、そのイメージとはほど遠い。例えばJR上野駅。かなりの規模の書店をはじめ飲食店、ケーキ・ベーカリーショップなどが並んでいる。さらにJR品川駅では、新たに2階建ての「エキュート品川」が誕生した▼昨年末、上京した際、ホテルが品川駅前だったこともあって足を運んだが、それは驚きの光景。人出も東京だから多く、人気がある、売り上げがある、ということで、この駅ナカビジネスの人気に目をつけたのが総務省。固定資産税の課税を強化する方針を固めたという▼実は、駅舎用地の固定資産税評価額は鉄道沿線の土地の三分の一。もともと「営利事業はない土地」という判断に立ってのことだが、これでは公平性を欠くとして、評価方法の見直しを進めているもので、実施は来年度にも。当然のことだが、それにしても…。時代は次々と新しいものを生み出してくれる。(H)


1月14日(日)

●今年から団塊世代の退職が始まる。1947(昭和22)年から3年間に生まれた人たちだが、推計で約806万人。雇用側とってはベテランの大量欠員をどう埋めるかといった悩みを抱え、退職者にとっては人数が人数だけに再雇用の不安が…▼平均寿命80歳として定年後に残されている人生は20年。年金の受給年齢も早くて64歳となり、健康だとすると、何もせずに家で、とはなかなか。生活に困らない財産を持ち、何かしたいことがある人は別だが、多くは…。「できるなら、しばらく働きたい」▼そう推測されるが、厚生労働省が昨年末、発表した調査結果(中高年者の生活に関する継続調査・対象50歳台3万3800人)は、それを裏づけている。60歳以降も仕事をしたいと考えている人は、男女、年齢平均で71%。10人に7人であり、もっと詳しく分析すると…▼男性の方が女性より高く、男性の82%に対して女性は60%。また、働きたいのは年金の完全受給までかと思いきや、そう考えている人はわずか5%でしかない。団塊世代はいわゆる“仕事人間”が多いと言われているが、どうやらその認識は間違っていないよう▼実に64%、3人に2人が「可能な限り仕事をしたい」と答えている。ということは、生活の安定もさることながら、働きたいのは生活の張りを求めてのことと読み取れる。問題はそれに応える雇用環境が整っているかどうか、ということ。法制度の上はともかく現実の社会で。同じ人に聞く追跡調査の結果が注目される。(N)


1月13日(土)

●「月額9万2000円」が議論になっている。というより、その設定に世論の厳しい目が注がれている。実勢を調べるまでもなく一般的には安いのだが、そのまま特権を行使するのか改めるのか…。間もなく完成する衆議院(議員)宿舎の家賃の話である▼一等地、格安の公務員宿舎が問題になっている最中に、よりによって際立って地価の高い東京・赤坂に着工したのが赤坂議員宿舎。地方選出の議員のいわば“東京住宅”で、老朽化に伴っての改築だが、投じられた建設費(総契約額)は実に334億円▼300戸の高層棟で、単純に計算すると1戸当たり1億円となる。都心で、国会や赤坂繁華街に近く、しかも地下鉄など交通の便もいい。民間なら月額50万円と推定されるが、衆議院が設定した家賃は9万2213円。それが妥当か否か、と▼国会議員の使命などから「宿舎ぐらいは…」という論もある。ただ、その前提は政治に対する信頼度だが、赤坂宿舎に“安すぎ論”が台頭するのも、そこが崩れているから。政治不信は政治家不信に起因すると言われる限り、世論の大勢は「よし」とはなりづらい▼一握りにせよ、金にまつわる国会議員の不祥事は続き、今も事務所経費疑惑が表面化している。この宿舎問題は「胸を張ってそこに住めますか」と議員に向けられた厳しい問いかけ。こんな議論が起きるぐらいなら新築のまま民間に売り払って、地方選出議員には一定額の住宅手当を支給する手もなくはない。(N)


1月12日(金)

●寒稽古(げいこ)、寒復習(ざらい)、寒念仏…。少雪暖冬が一転、暦通りの氷点下が続く。石油ストーブを2度上げて20度に設定した。代替えエネルギーが出てこない限り石油に依存するしかない。灯油代、電気代と出費が増えて、悲鳴を上げる家計簿▼戦争の陰に利権ありか。ロシアとベラルーシで起きているエネルギー紛争(戦争)の記事を読んだ。ロシアがベラルーシを経て欧州に輸出される原油の供給を止めるというものだ。先に天然ガスの価格を2倍以上も引き上げたばかり。ベラルーシは天然ガスと原油値上げのダブルパンチである▼対応策として、ポーランドやドイツなど6カ国に送っているパイプライン通過料(関税)を徴収、原油抜き取りという措置に。アゼルバイジャンもロシア黒海沿岸への原油の供給を停止した。ロシアが強引に通過関税を撤廃させようとしているが…。遠い国のことではない▼完成間近の石油・天然ガス開発事業「サハリン2」の経営主導権がロシア側に移った。日本と欧米3社が1兆4000億円も出資したのに圧力で経営権を。2年後にガス供給を計画している日本企業にとって、ロシアに対する不信感と不安は増すばかりだ▼軍事的な要衝とも言われ、日本への石油の8割が通過しているホルムズ海峡。そこで米原子力潜水艦が28万トンの原油を満載した日本の大型タンカーに接触した。幸い大参事には至らなかったが、懸念されていた事態。エネルギーの安全保障が待たれるが、いつの日になるか、それまで庶民はストーブの設定温度を1度でも下げて対抗するしかない。(M)


1月11日(木)

●「住民票の写し」の交付は、本人、家族、そして国と地方公共団体などに限る。当たり前のことだが、ようやく法(住民基本台帳法)改正の運びに。総務省が有識者による検討会の報告を踏まえ、今月末に召集される通常国会に改正案を提出する▼同法は最大量の基本的な個人情報を管理する法律。意識が希薄だった40年ほど前に定められたこともあり規定は甘く、不当な目的でないなど若干の規制があるだけ。定められた手続きをとれば誰もが台帳を閲覧できる。個人情報保護法が生まれた今もなお…▼個人の情報にかかわる法律の間で整合性が欠ける、と指摘されて当たり前。昨年の6月には閲覧の原則公開を規制する改正がなされたが、さらに交付に関して法的根拠を求める声への対応が残されていた。検討の結果、固まった素案は、大方の賛同を得られる内容に▼写しの交付を請求できるとした対象は、まず個人では本人と同一世帯の家族。それと国や地方公共団体(業務に必要なことを明らかにした場合)、弁護士(職務上必要な時や債権回収などに必要な場合)…。請求者を限定する戸籍法の改正案と同時に提出される見通し▼個人情報は今の時代の大きなキーワード。知らない間に閲覧され、本人を装って交付を受けられるようでは…。その規制は法律の精神であり、厳密なまでの管理、運用が求められて然るべき。少なくとも個人情報保護法の施行時など、もっと速やかに法整備できたはずで、ようやく、の感は否めない。(H)


1月10日(水)

●地球の温暖化が言われる中で、東京など大都市ではヒートアイランド現象が新たな環境問題となっている。道路などアスファルトが面を拡大するがごときに広がり、緑地を侵すように建設されるビル群…。反射熱で気温を上がらせている▼家の前に水をまいただけでも肌で変化を感じ取れるという話があるが、その運動を提唱しても…。その一方で、道路にひしめき合う車や工場などからは人工的な熱が発せられ、逆に緑は増えず、アスファルトやコンクリート面積が広いから、大気の冷却効果は薄れる▼その結果として4度未満程度気温を高くしているという説もあるほど。そこで、東京都がまず手をつけたのは屋上面積の20%以上の緑化を求める条例の施行(2001年)。その効果は実証されてはいないが、新たな決め手として打ち出したのが公立小中学校の校庭の芝生化▼東京では40年ほど前に、校庭を土から舗装化した経緯がある。いわば、その見直しだが、さすが東京と感心するのは、考えることのスケール。2000校あるそうだが、手始めに来年度(予算20億円)は70校を手がける予定だが、10カ年で見込んでいる総事業費は実に570億円というのだから▼この事業にはヒートアイランド対策に加え、もう一つ子どもたちへの配慮という視点がうかがえる。校庭の芝生化は中央教育審議会も提言していることで、函館でも八幡小で試みられるなど全国的に動きのある取り組みだが、今後10年、その変わる姿が注目される。(N)


1月9日(火)

●全国的に地方自治体が乗り出した移住誘致。北海道でも函館市をはじめ、その輪を広げている。雑誌などで取り上げられ、紛れもない現実の話だが、動きはまだ始まったばかり。今後…。あらためて知名度を上げる努力が求められている▼「2007年問題」という言葉があるように、今年から団塊世代の定年退職が始まる。年金の支給繰り下げに伴う雇用延長もあるが、第二の人生を歩む人たちがどっと増える。「退職後は地方でゆっくり暮らしませんか」。移住誘致の問いかけは、そこに尽きる▼北海道は積極的な都道府県の一つ。昨年11月の東京と大阪で開催された「北海道暮らしフェア」には26の市町村が参加、2500人ほどに北海道の生活を知ってもらった。その一方で、市町村は生活体験をする場の提供などのほか、専用窓口を設置して相談に応じている▼その北海道で、先頭に立っている市町村の一つが函館。もともと退職後に移り住む人の多い都市と言われるだけに、他の市町村より条件は上。市が本腰を入れ始めたのに連動し、昨年は誘致業務を担う民間企業(北海道コンシェルジュ)が誕生、官民の推進体制が整った▼「いよいよ本腰を」ということだが、さらに求められるのが移住誘致政策。東京からの来客があるたび、逆に東京で人に会うたびに、この話を紹介するが、残念ながら認識度はまだ低い。もっと情報の発信が必要…。移住誘致は函館を知ってもらう取り組みでもあるのだから。(H)


1月8日(月)

●「収入がない学生にも義務づける制度そのものがおかしい」。国民年金の加入年齢の話。以前からそう思っていた一人だが、ようやくというか…。厚生労働省が加入開始年齢引き上げの検討に入ったという。正直なところ、もっと早く手をつけるべきだった▼現行の制度では、職業のあるなし、学生も問わず20歳になると加入を求められ、59歳までの保険料納付期間は40年。60歳からの受給開始という考え方に基づくが、一方でその枠組みを崩しておきながら、学生の扱いも含め納付の方は手つかず状態のまま▼大学進学率がここまで高まった現在、20歳からの加入は、学費も抱える親にさらなる負担を強いるようなもの。確かに学生特例があり、活用されてはいるが、見方を変えると、それは払えない層が多い、つまり考え方の前提に無理があることを認めているに等しい▼だったら、特例など設けずに、加入開始年齢を一般的に卒業して就職する年齢にし、その分、納付終了を繰り下げればいい。厚労省が示すと、納付率を上げるための策と曲解されようが、年金の財政運営が国民の信頼を裏切ったのだから、それは甘んじて受けるしかない▼今回、見直しが有力とされる加入期間は、現行を2年繰り下げて22歳から61歳まで。少子高齢化、雇用延長という時代背景を踏まえると、将来的には25歳から(64歳まで)、さらには20歳から65歳までの間に40年間加入すればいいという考え方だって…。年金問題はもっと弾力的な議論があっていい。(A)


1月7日(日)

●「異常気象」という言葉が、日常的に何気なく使われるようになって久しい。そう感じることが多いという証しでもあるが、今冬に入っての道南を見ても何か変。昨夜から様相を変えたが、少なくとも昨年末からは年末年始と思えない穏やかな日々だった▼道央や道北に比べて雪の少ない道南だが、それにしても雪もなければ、最高気温もプラスで推移。ところが道南だけが特別ではないようで…。12月29日と1月3日の両日、函館―帯広を車で走ったが、高速道路はもちろん、冬の難所と言われる日勝峠も路面は夏状態▼さらに驚かされたのは車窓からの景色。道路に雪がなくても両サイドに雪景色が広がるのが例年だが、それもなく、広がっていたのは秋の風情。いくら何でも、このまま春を迎えることにはならないが、今冬は変だ、という話は、どうやらわが国ばかりでもないよう▼年明けから、そんな情報が届いている。例えばアメリカ北東部。例年ならニューヨークなどでは氷点下になるのが、5日には気温が17度まで上がって、桜が開花したという話も。また、イギリス気象庁は…。世界的に今年は平均気温が観測史上最も高くなると発表した▼温暖化やエルニーニョ現象が要因とされ、推算値では1961年から1990年までの平均気温(14・0度)を0・54度上回るという。気象は人間の生活をさまざまに左右する。放っておいては…。この現象は警告であり、きょうの荒れ模様も“気候変動”は現実問題という問いかけにも聞こえてくる。(H)


1月6日(土)

●せり(芹)、なずな(薺)、ごぎょう(御形)、はこべら(繁縷)、ほとけのざ(仏座)、すずな(菘)、すずしろ(清白)。寒の入りの小雪が過ぎると、7日は「七草」だ。7種類の菜を入れたお粥(かゆ)を食べて万病を防ぎませんか。七草を何分で漢字で書けますか▼中高年を中心に熱中している脳トレブームは新年も続く。養老孟司著「バカの壁」に、脳の中の入出力、脳内の一次方程式、賢い脳、バカな脳、脳の操作などという言葉が出てきて以来、脳を使うことに関心が高まったようだ。新聞でもテレビでも脳を鍛えるQ&Aなどがズラリ▼「張り切ってトライ さて脳年齢は」―ある新春川柳を見て、遅まきながら携帯ゲーム機を買ってきた。4色の文字で書いた色違いを声を出して答えるもの、1けた、2けたの数字の計算を競うものなどに挑戦。なんと最終チェックは「脳年齢80歳」と出て、小4の孫に笑われた▼冒頭の七草など全部は漢字に書き換えられず、全部は読めなかった。脳を鍛えていないから何でもすぐ忘れてしまう。そこで「難読語」を勉強するようにしたが、その中で「鷽(うそ)替え」が目についた。そう、7日に大宰府天満宮で行われ、幸運を呼ぶといわれる神事だ▼1年間の嘘(うそ)を鷽に付けて「真」とトリ替えようというもの。昨年は「いじめなど知らない」や「談合に天の声など出していない」とうそをつく大人が続出した。今年は、そんな悪事を働く人は心から鷽替えを、と願いたい。(M)


1月5日(金)

●夕張市の財政破たんは市民生活を直撃しようとしているばかりか、貴重な産業遺産にも危機状態を強いている。その一つが、産業遺産の石炭の歴史村(石炭博物館)。今月末まで指定管理者を募集しているが、もし応じる企業なり、団体が出てこなければ…▼夕張市など空知の産炭地の歴史は、国策による石炭の歴史でもあった。繁栄の時代が去り、生きる術として夕張市が選択したのは「石炭から観光へ」の道。確かに財政運営に問題が無きにしもあらずだったが、責任の一端は事業補助を認めた国にも▼訪れたことのある人は分かるが、この施設は石炭博物館の名に値する。大正時代の坑道を利用した模擬坑道をはじめとする動態展示は社会教育施設であり、無くしてならない産業遺産。本来、国が運営しておかしくないのに、夕張市に委ねたまま▼「この施設には存在意義があるから国が対応を考える」。せめて聞きたかったが、そんな話にはなっていない。「どこかが引き受けなければ駄目にしてしまう」。北海道産業考古学会は危機感を訴え、閉鎖という最悪の場合を想定し、対応を検討していると聞く▼ここまで取り繕ったところに市の責任はあり、責められて仕方ない。ただ、その判断の上に立っても、市だけ、市民だけが責めを負わなければならないのか。少なくとも石炭博物館は国や道が肩代わりして然るべき。という理由は簡単。今後、新たに造れない、価値ある施設だから。水没の危機に直面している坑道は今、静かに国の救いを待っている。(N)


1月4日(木)

●交通安全は社会の願い。事故死者がここ数年、減少に転じているとはいえ、まだまだ努力が必要な状況に変わりはない。道路環境は着実に良くなっており、残る課題は究極のテーマである安全へのモラル。さまざまな形で啓もうされてはいるが、まだまだ…▼その柱の一つに交通安全標語がある。各地域でも独自に行われているが、全国規模として知られるのが全日本交通安全協会、毎日新聞社などによる“安全スローガン”。1965(昭和40)年の「世界の願い 交通安全」を皮切りに、公募で毎年、更新されてきた▼いずれも時代をとらえた素晴らしい作品ばかりだが、例えば「せまい日本 そんなに急いで どこへ行く」(運転者向け)などは、今なお記憶に新しい。ちなみに一昨年は「確かめよう 歩行者 スピード 車間距離」で、昨年は「思いやる 心ひとつで 事故はゼロ」だった。そして迎えた今年…▼1年間掲げられる代表スローガンは、運転者向けが「油断せず いつも心に 初心者マーク」、歩行者・自転車向けが「自転車も ハンドル握れば ドライバー」、そして子ども向けは「青だけど 車はわたしを 見てるかな」。それぞれ優秀作も甲乙つけ難い▼運転者向けは「ハンドル持ったら 脱宣言! 携帯・メール・酒・脇見」だが、佳作に選ばれた函工の今駿輔さんの作品「余裕だよ そんな油断が 事故のもと」も分かりいい。そこに共通しているのは“独りよがり”への警告。自分のため、家族のため、社会のために安全運転を! スローガンの呼びかけはなお続く。(H)


1月3日(水)

●一富士、二鷹、三茄子(なすび)…初夢に現れれば縁起の良い3つの順序。今年は深く眠ったせいか、脳の五感のスイッチがどこかで切れて、新年の光景が見えず、音や味、肌の感覚、それに臭覚までオフ状態だった。ただ、にぎわう海の生態科学館が脳裏に残る▼これまでダイオウイカが最も大きいイカといわれたが、超深海にこれを上回る巨大イカが生息している。マッコウクジラは15メートル、ダイオウイカは18メートル、巨大イカはなんと20メートルを超す。目や口が大きく、触腕には回転する大きなツメを持っており、習性は非常に攻撃的だという▼イカは函館のシンボル。海洋生物センサスの結果、深海にはイカなど60種の新種が発見されており、超深海を含め海には限りない夢とロマンがある。クジラと格闘する巨大イカの勇姿を想像するだけでもワクワクする。子供たちには、そんな生態を勉強する場が必要だ▼本紙によると、函館亀尾小中学校が海や川の生態を学習しようと「水族館」を造った。大きな水槽にメダカ、タナゴ、プレコなどが生態に合った環境で泳ぐ。3学期にはカニや無せきつい動物などを増やす。「魚にも隠れる場所(水草)が必要」という校長の説明に子供たちの目は輝いている▼港まつりで披露する巨大イカロボットのイカ踊りが待ち遠しい。ネット上でアクセスすると世界のどこからでも足や目が動かせるという。ダイオウイカの標本は国内に数体あるが、函館には巨大イカの標本を初展示する生態科学館が欲しい。命を大切にするためにも、子供たちに初夢を実現させたい。(M)


1月1日(月)

●2007年が幕を開けた。誰しも同じだが、新しい年を迎えて込み上げてくるのは「いい1年であるように」という思い。ただ、人によって違うのは、その前につく言葉。「今年も…」か「今年こそ…」かだが、社会という枠では「今年こそ…」となる▼自治体財政の厳しさは、道や函館・道南をはじめ各市町村に共通した事情。加えて地域経済も総体的な判断としては「緩やかに持ち直している」というレベルにとどまり、東京などの首都圏、名古屋などの中部圏の活況が羨(うらや)ましく感じる環境が続いている▼だから「今年も…」となっては困るわけだが、その今年は“選挙の年”でもある。4月には道知事、道議会議員、函館市などの市町村長、市町村議員を選ぶ統一地方選挙があり、とりわけ身近で関心が集まるのが、合併後初の函館市長、市議選挙だが、道内的には道知事選挙…▼公選による選挙が始まった1947(昭和22)年から、道知事選挙は毎★回、与野党が激突する構図で繰り広げられてきたが、今年も然り。2期目を目指す現職の高橋はるみ氏に続き、元道知事室長の荒井聡氏が名乗りを挙げた。一段落した後、夏には参院選挙が控えている▼それにしても今ほど、政治への信頼が揺らいでいる時はない。歪(ゆが)みや不合理が生まれているためだが、その信頼回復こそ急務であり、答えが求められている課題。「今年も」ではなくて「今年こそ…」。そんな思いが少しでも軽減される1年であってほしい、年の始めの願いである。(A)


戻る