平成19年6月


6月30日(土)

●貯蓄なし世帯の増加率、生活保護率ともにトップ―。日本政策投資銀行が毎年発行する「地域ハンドブック」の2007年度版を読んでいて、道内世帯が置かれている実情をかいま見せる数字に出あった▼ハンドブックは、今回初めて「地域格差のあらまし」と題したトピックスを載せた。人口、就業機会、所得水準、資産、その他に分けて地域間格差を紹介している中で、目に付いたのが冒頭のふたつだった▼貯蓄なし世帯は、「家計の金融資産に関する世論調査」(金融広報中央委員会)を基に01年と03年を比較している。この間に全国では貯蓄なし世帯が11・4%増え、23・8%になった。北海道の増加率は17・2%で全国9地区のトップ。道内世帯の30%近くが貯蓄ゼロだった▼一方、道内の生活保護率は20%を超え他地域に比べ際立って高い。保護率は1996年以降、一貫して上昇を続け、いまや5世帯に1世帯は公的扶助を受けている。首都圏や東海といった景気回復の恩恵を受けている地域の2倍以上だ▼他の数字にも格差の実態が表われている。有効求人倍率は全国最低、世帯資産額は沖縄と並びもっとも少ない。人口は98年にピークを迎えてから年々減ってきている。首都圏や東海は人口が伸びているから仕事を求めて流出していることがうかがえる▼格差は札幌への一極集中の形で北海道の中でも起きている。いわば「北北格差」だ。だが、私たちはそれぞれが住む地域をふるさととして生活している。「格差のあらまし」は、ふるさと崩壊を食い止める知恵と施策を地域に求めているとも読めた。(S)


6月29日(金)

●「過去に目を閉ざすものは、現在にも盲目である」。ドイツのワイツゼッカー大統領が敗戦40年の1985年5月、ドイツ連邦議会で行った有名な演説の一節である。日本語訳(岩波ブックレット)も出ているから、読まれた方も多いだろう▼この演説に対しては「犯罪をナチに限定した」とする一部の批判はある。だがドイツの犯した戦争犯罪に真しに向き合おうとする姿勢は、多くの国々から共感を得た。大統領の演説が、いまも読み継がれているのは、言葉に真実の力が備わっているからだと思う▼ドイツは第二次大戦の敗戦から復興に至る経緯が日本と比較される。戦後、急速な経済発展を遂げたドイツは、侵略を受けたヨーロッパの国々から警戒の目を向けられた。ナチの悪夢がよみがえるのでは、との恐れからだった▼そうした不信感を取り除くためにドイツが払った努力は、政治家の言葉によく示されている。その代表がワイツゼッカー大統領だったといってもいいだろう▼米下院外交委員会で従軍慰安婦問題に関する対日謝罪要求決議案が可決されたニュースに触れ、ワイツゼッカー演説を思い浮かべた。安倍首相は、強制性はなかったと国会で答弁する一方、4月の訪米時には慰安婦への謝罪を表明した。慰安婦の方々は気の毒だが、どうやら日本としては責任はない、という考えのようだ▼決議案に賛成した議員は「強制性はなかった」とする説明を細部をほじくって人権侵害の事実にふたをしようとしていると見たようだ。突きつけられた不信を解消するには説得力ある言葉が必要だ。(S)


6月28日(木)

●GNP(国民総生産)やGDP(国内総生産)ほどよく知られてはいない。使われる場面や頻度もずっと少ない。試しに手元にある新聞用字用語集を開いても載っていなかった▼だがGEMは、女性の社会進出を国際比較する上で欠かせない指標だ。日本語訳はまだないのか、政府や自治体などの刊行物ではジェンダー・エンパワーメント指数と表記している▼GEMは@国会議員の男女比率A管理職、専門職、技術職に占める男女比率B男女の推定勤労所得ーの3つを用いて算出する。女性が政治的、社会的、経済的にどのくらいの力を持っているのかをGEMで示し、国際比較する▼このGEMの06年数値で日本は世界の75カ国中42位だった。1位ノルウェー、2位スウェーデンと北欧勢が上位を占め、アイスランド、デンマーク、フィンランドなどヨーロッパ各国が続く。これらの国々では女性の首相や閣僚が多く輩出しているから、なるほどと納得がいく▼政府が発表した07年度版の男女共同参画白書でも日本女性の社会参画は「国際的に見ても低い水準にある」と指摘した。国会議員に占める女性の割合は9・4%で、比較しうるデータがそろった欧米など12カ国中11位。国家公務員の割合は20・0%で10カ国の最下位だった▼働く女性は40%を越え、諸外国と遜色ないが、管理職となると割合はぐんと低い。男女格差はなかなか縮まらないなあ、と思っていたら24日投開票された神奈川県大磯町議選で女性が当選者の過半数を制したことを知った。女性の政治への参画は地方議会が先行している。(S)


6月27日(水)

●函館からもっとも近い外国は?と聞かれてすぐに答えられる人は、かなりの事情通ではなかろうか。正解は、距離でも時間でもサハリン(旧樺太)。稚内から約50キロ離れたこの島へは、函館空港からユジノサハリンスクへ定期航空路が開かれている▼所要時間は約1時間20分。14年前に定期便が就航し、現在週2往復が運航している。時間的には東京に行くのと変わらない。昨年6月に開設されたソウル便は約2時間半だから半分の時間でロシアに着く▼サハリンは大陸棚に天然ガスと石油の豊かな資源が確認されている。日米ロなどが国際コンソーシアムを組み、2つの鉱区で開発が進められている。すでに一部の生産が軌道に乗り輸出も始まった。サハリンは資源開発最前線の活況を見せている▼一方、函館と直結しているもうひとつの外国・韓国は、ソウル便の開設以来、韓国人観光客が増えている。市内でハングルの会話を耳にすることも多くなった。ホテルや観光地では、ハングルの案内板が目に付く▼県庁所在地ではない地方都市で、海外2都市と定期航空路を持つのは、さほど多くはないだろう。海外に開かれた函館を知ってもらおうと、市は「函館空港国際線ご利用ガイド」を作り、観光関連施設などに配布した。ガイドにはユジノのタウンマップやソウルの観光案内なども載せている▼「函館から世界へ」。ガイドのタイトルは海外旅行へのいざないとも読める。夏休みも近い。身近な海外旅行の計画を立てるのも悪くはない。まあ、実際に行くかどうかは懐具合と相談してからだろうが…。(S)


6月26日(火)

●よく知られた諺(ことわざ)を地で行く不正は、背後の闇がどこまで深いのだろう。羊頭を看板に掲げて狗(く=いぬ)肉を売った宋代の中国人もびっくりのミートホープ社偽ミンチ問題の広がりだ▼偽装社長は、確信犯的に牛ミンチに豚・鶏肉の混入を指示していた。会見で横に並んだ長男の取締役に「社長、本当のことを言ってください」と促され、あっさりと認めた。悪びれない様子はどこかマンガチックでさえある▼同社の不正は有名な国産鶏肉販売会社の袋をコピーして中に外国産鶏肉を詰めて販売したり、賞味期限切れの冷凍食品を入手して日付を書き換えて販売したりと新たな展開を見せている▼北海道は「食のブランド作り」に取り組んできた。だがこうした悪質業者を見抜けなかったのは、いかにもウカツだ。あわてて対策会議を設置しても消費者の信頼回復は容易ではない。「ブランド作り」に泥を塗った今回の問題の痛手は大きい▼牛海綿状脳症(BSE)の発生以来、食の安全に対する消費者の関心は高まっている。牛は出生から消費者に渡るまで履歴表示が当たり前になった。だが今回のような偽装を未然に防ぐには、抜き打ち検査などの態勢を整えるほか妙案はないのだろう▼同社は約100人の従業員を解雇する方針だという。社長をはじめ家族で占める役員は高額の報酬を得ていたというが、従業員に余得は回ってこなかったろう。そして職を失うのは従業員だ。狗肉を売ったツケは、弱い立場の人たちにより過酷に降りかかって来そうなのは、やりきれない事態だ。(S)


6月25日(月)

●自動車運転過失致死傷罪が刑法に新設され、12日に施行された。自動車運転中に事故を起こし、人を死傷させた場合に適用される。従来は業務上過失致死傷罪が適用されていた▼悪質な交通違反に対する罰則強化が目的で、最高刑は懲役7年。業務上過失致死傷罪の最高刑より2年重い。オートバイなどの2輪車も新たに対象となった。函館市内でも新しい罪名での逮捕者が出ている▼14日には飲酒運転の罰則強化を盛り込んだ改正道交法が成立。飲酒運転の最高刑は懲役3年から懲役5年に。罰則がなかった酒類や車両の提供者も厳しく罰せられるようになった。自動車運転過失致死傷罪と併せて処罰されると、飲酒運転でのひき逃げの場合、懲役7年6月が懲役15年になる。9月にも施行される見通しだ▼交通法規はしばしば改正されてきた。2001年に危険運転致死傷罪(最高刑は懲役20年)が設けられ、道交法の罰則も強化された。10年もたたないうちにさらなる改正だ。福岡の幼児3人死亡事故(06年8月)、埼玉・川口の保育園児4人死亡事故(同9月)などが改正の背景にある▼「飲酒運転は結局のところドライバーのマナー。自分だけは大丈夫と思っている人が多い」とは、警察官からよく聞く話だ。法改正だけではもはや対処し切れないのではないか▼国内の自動車メーカーは、ドライバーの息からアルコールを検知した場合、エンジンがかからない車の開発に着手しているという。こうしたメーカーを支援するなど、国を挙げて新たな防止策を打ち出す時期に来ている。(K)


6月24日(日)

●「お父さん、住民税が昨年より4万円も上がったよ」。年金生活の老夫婦は嘆く。高齢者を直撃した国と地方の税配分見直しによる税率アップで、1年の折り返し点に当るハーフタイム・デー(6月30日)を迎える。あとの半年は1円でも安い物を買って節約しなければ…▼お年寄りの平均所得は約302万円で、7割が公的年金や恩給に頼っている。住民税などの老年者控除が廃止されたため、今月から年間数千円だった負担が8倍も跳ね上がったケースもある。制度の改正とはいえ、住民税が年間4万円以上も上がるのは異常だ▼かつて「貧乏人は麦飯を食え」といった首相がいたが、まったく“怒り心頭”。政府の言い分も気に食わぬ。「高齢者は資産があって、貧しいといえぬ。応分の負担は世代間の公平化にもつながる」と。老人保険の年齢も引き上げられ、介護保険施設での居住費負担も強いられているのに▼そんな中、偽装「牛肉コロッケ」が出回った。苫小牧の食品加工卸会社が何年間も、堂々と偽装ミンチの“牛頭豚肉”でぼろもうけ。一般消費者には、特に味覚機能に低下が見られる高齢者には区別しにくいから面倒だ▼「5万円の温泉旅行を計画していたが、行けなくなった」「牛肉だと思っていたら他の肉が入っていた」…とブツブツ文句を並べても、納税は国民の義務なのか。それなら、政治活動に使うお金の領収書は「5万円以上」では困る。麦飯を食う“貧乏人”と一緒に「1円」からの領収書にし、税金の使い道を透明にしてほしい。 (M)


6月23日(土)

●中年以降の人たちはひとつやふたつ、美空ひばりの歌をそらで口ずさめるだろう。ファンばかりでなく、ことさら無視しようとしていた人でも、ひばりが歌謡界の女王であったことは認めざるを得ないと思う▼小学生のとき、ブギウギで人気だった笠置シヅ子の歌の物まねでデビューしたひばりは、「文化人」には嫌悪された。NHKのど自慢の審査員や詩人サトウ・ハチローらエライ先生方からはケチョンケチョンにたたかれた▼そんなひばりが、スターの座を駆け上がっていくのは、敗戦後の窮乏生活を送る庶民から圧倒的に愛されたからだ。もちろん天才的と言える歌のうまさがあったことも理由に挙げられる▼ひばりが52歳で亡くなってからあすで18年になる。昭和が終わり、年号が平成に代わった年だった。元気でいればことし古希を迎えるはずだった。70歳を過ぎても活躍している方々も多いことを思うと、ひばりが舞台でスポットライトを浴びていたとしてもおかしくはない▼ひばりについて書かれた本はどれほどあるのだろう。戦後復興、高度経済成長を経てバブル経済の最中に昭和は終えんを迎えた。その時代相をひばりとからめて論じたものから、私生活や家族のことなど数え上げれば数十冊は下るまい▼NHKテレビでもひばり特集を放映する。数々の熱唱、名場面がよみがえり、ファンの胸を熱くした。ひばりを不死鳥にたとえるのも大げさとはいえないかもしれない。きょうもカラオケで「悲しき口笛」から「川の流れのように」までひばりが残したヒット曲を歌うファンがいる。(S)


6月22日(金)

●甲斐、木曽、越後、会津、秋田、北海道…。全国で「駒ケ岳」が付く著名な地だ。北海道駒ケ岳(1131メートル)は大沼湖畔の背にそびえ、そのまま切り取って記念撮影のフレームになる。大沼は、駒ケ岳の噴火で川がせき止められてできた▼その活火山の登山規制が、本年度も継続されることになった。1998年10月の小噴火以来、規制が続くが、今年は7月から9月までに3回、関係者との随行登山が行われる。火山防災教育を行う趣旨で、ヘルメットなどを着用し、山頂を目指す▼10年前、駒ケ岳火山防災会議協議会の調査登山に同行したことがある。山頂に立って驚いたのは、まさに火山活動が続いていたことだ。昭和4年火口はもちろん、96年3月の小噴火でできた亀裂からも白い水蒸気がわき上がり、山は生きていた▼素人ながら、いつ再噴火してもおかしくないと思った。事実、その1年6カ月後に小噴火(水蒸気爆発)した。その後も小規模な爆発を繰り返している▼「入山規制をかけるのは簡単だが、それを解除することは何十倍も難しい」―。同協議会の事務局長を長年務め、この春に定年退職した中西清さんは、かつてこう語った。駒ケ岳の観測・防災体制を全国に知らしめた火山のプロだが、それでも規制解除の判断は難しい▼大沼国定公園は、駒ケ岳を含めた周辺一帯で形成する。大沼の豊かな緑は、褐色の秀峰があってこそ映える。時に自然の猛威を見せつけるが、周辺市町は火山と共生していかなければならない。火山と防災を知るためにも、来月からの随行登山は生きた教材になる。(P)


6月21日(木)

●別名「胃の箒(ほうき)」や「お腹の砂おろし」とも言われ、子供のころ、法事などで体によいと、蒟蒻(こんにゃく)を使った精進料理を食べさせられた。仏教伝来のころ、貴重な薬として中国から里芋とともに入ってきて、高貴な人に振舞われた▼コンニャクは世界一大きな花を付け、咲くまでに4、5年かかり、加工するコンニャク芋になるまで3年以上かかる。それだけ健康に効く大地の栄養をたっぷり含んでいるのだろう。腸壁をきれいにし毒下しをしてくれることから、よくお寺などの大掃除のあと、食卓に出された▼おでん、すき焼きの具ぐらいしか食していなかったが、低カロリーの主成分(グルコマンナン)が「ダイエットにも効く」と脚光を浴びるようになってから、食卓の“主役”に。お菓子分野にも進出し、こんにゃくゼリー、プリン、アイスクリーム、ヨーグルト、ジュースと続く▼孫たちへのお土産にコンニャク入りのお菓子を持って行ったが「こんにゃくゼリーで子供が死亡したというから、食べさせないことにした」と言う。幼児や高齢者がうまく飲み込めずにノドに詰まらせるのだ。国民生活センターによると、この12年間の死亡事故は13件にのぼっている▼「食品としての安全性を欠く」と訴訟も起きている。“ツルリン”とした食感で口に入れたとたん、命を奪う“凶器”になるなんてゾッとする。業者名、商品名が公表されたメーカーは回収には応じていない。国は「食の安全・安心」を徹底させなければ、かつての“蒟蒻薬”に申し訳ない。(M)


6月20日(水)

●嫁1人に手を挙げた婿候補が数十人といった構図だろうか。身持ちに難ありと思われていたが、持参金の余得が期待できるとあって、一気に人気が高まった。グッドウィルグループの介護事業譲渡をめぐる動きを見ていてそんな思いにかられる▼介護事業大手のニチイ学館に続き、居酒屋チェーン大手のワタミが介護サービスの業界団体と連携して、一括引き受けを表明した。名乗りを上げたのは、異業種を含め約30社にものぼるというから、不正でたたかれた「嫁」にしては、予想外の申し込み殺到だろう▼こんなに人気になるのは、介護ビジネスの拡大が見込めるからだ。日本は世界でも例を見ない高齢化社会が間近に迫る。65歳以上人口は、15年に4人に1人、50年には3人に1人になる。高齢者が増えれば、介護需要も増大する。そこにビジネスチャンスも生まれる▼7年前の介護保険導入で、介護は安定的な収益が得られる事業になった。何しろ国がスポンサーについたも同然だから、手堅くやれば事業としての安全性は高い。グッドウィルグループのコムスンのような不正をしなければ、事業から退出を迫られるリスクも少ない▼そんな計算は、事業家ならだれでも働くだろう。かくして婿の申し込み殺到の事態になった、と見てもあながちひが目ではあるまい▼函館市内にはコムスンの事業所や施設が9カ所あり、多くの社員が働いている。そうした社員や、サービスを受けている利用者は、譲渡先交渉の行方をどんな思いで見つめているのだろうか。使命感と志を持った婿に決まるよう願うばかりだ。(S)


6月19日(火)

●釧路市出身のフォトジャーナリスト長倉洋海さんの写真集「山の学校の子どもたち」(偕成社)は、アフガニスタンの首都カブール北部のパンシール渓谷にある村の子どもたちの表情を生き生きと写し出している▼長倉さんは、反タリバン北部同盟の指導者だったマスード将軍に密着取材したことで知られる。「自由で平和な祖国」のために戦ったマスード将軍は2001年の9・11米同時多発テロの2日前、アラブ人過激派による自爆テロで死んだ▼「未来を創(つく)るのは子どもたち」というマスード将軍の言葉を胸に刻み、長倉さんは村に滞在して子どもたちの撮影を続けた。ヒンズークシ山脈につながる標高2780メートルの村の学校には、10の集落から170人の子どもたちが通ってくる▼アフガニスタンは1979年のソ連軍侵攻以来、戦乱に陥った。89年のソ連軍撤退後も治安は回復せず戦闘やテロが多発している。いつ騒乱に遭遇するか予測できない危険な国、というのが日本での大方の印象だろう▼そのアフガニスタンの首都で日本のNPO(民間非営利団体)関係者2人が爆弾テロに巻き込まれた。けがをしたが、さいわい命に別条はないという。このNPOは子どもたちの支援プロジェクトで現地に入っていたという▼ソ連軍侵攻前のアフガニスタンを訪れたことがある。当時も世界でもっとも貧しい国の一つとされていたが、国内のどこでも安全に行くことができた。長倉さんの写真集を開きながら、「山の学校」の平和と子どもたちの笑顔が失われることのないように願った。(S)


6月18日(月)

●人体の不思議展で赤ちゃん(胎児)の標本を見てきた。妊娠3カ月半の身長はわずか数センチだが、すでに全ての器官が備わっている。出産直前では身長50センチ、体重は約3キロになって、かわいい表情も見せる。生み捨てることなど、とうてい考えられない▼熊本市の慈恵病院に「赤ちゃんポスト」(こうのとりのゆりかご)が設置されてから1カ月余り。17日には、3人目の乳幼児が預けられたことが分った。開設直後に3歳ぐらいの男児が、今月初めには生後2カ月ぐらいの男の赤ちゃんが預けられた。生年月日や名前も書かれていたという▼「ゆりかご」は病院の外壁の扉を開け、中の保育器に赤ちゃんを入れる仕組み。「生命を救う最後の手段」「養育放棄を助長する」など賛否両論。そんな中、男児は「かくれんぼしよう」という父親の言葉に何んの疑いもなく隠れた…。乳児には「どうしても育てられない」という手紙▼全国の捨て子に関する相談は年間約200件、20〜30件のえい児殺しが起きており、自宅などで生んで数日後に亡くなるケースも少なくない。母子手帳は「赤ちゃんは人として尊ばれる」「社会の一員として重んじられる」「よい環境の中で育てられる」と呼び掛けている▼ちなみに今年一番の赤ちゃんは1月下旬にメキシコで生まれた体重6・4キロの男児。母胎内にいた日数が世界で最も短い赤ちゃんは2月に米フロリダ州で生まれた体重283・5グラムの女児で、すくすく育っているという。お父さん、男児との「かくれんぼ」は、もう終わりにして、名乗って下さい。(M)


6月17日(日)

●日本の競馬は幕末、横浜に住んでいた欧米の上流階級の人たちが始めたという。根岸に開いた競馬場には、明治になると政府顕官も通った。欧米列強との不平等条約改正を最大の課題にしていた政府にとって、競馬は欧風化のシンボルのひとつとされた▼発想は、日本が文明国であることを示そうとした鹿鳴館と等しい。パーティーに明け暮れた鹿鳴館が夜の社交場なら競馬場は昼間、欧米外交使節と明治政府高官らが交流する機会をもたらした▼欧化主義の象徴だった競馬は不平等条約の改正で役割を終える。その後は軍馬の改良と馬産振興を名目に競馬が奨励され、1906年に馬券が黙認されたことをきっかけに全国に一大ブームを巻き起こす。こうした経緯は、絵が楽しい「浮世絵 明治の競馬」(日高嘉継・横田洋一著、小学館)で知った▼函館に初夏を告げるJRA(日本中央競馬会)の函館開催が16日、開幕した。8月5日まで土・日曜の計16日間に192レースが行われる。開催を待ちわびていたファンが全国からやってくる▼競馬場はギャンブルファンだけの占有物ではない。家族連れにとっても手軽なレクリエーションの場だ。疾走する競走馬の躍動を目で追いながら子どもたちを遊ばせ、芝生でお弁当を広げることもできる▼競馬好きで知られた作家菊池寛は「我が馬券哲学」で「無理をせざる犠牲に於(おい)て馬券を娯(たの)しむこと、これ競馬ファンの正道ならん」と喝破した。さあ、競馬場に出かけオケラの悲哀を味わわない範囲でスリルを楽しもうか。(S)


6月16日(土)

●日本の美称「瑞穂の国」は、みずみずしい稲穂を意味している。この言葉から分かるようにコメは古来から日本を象徴する食物とされてきた。縄文人もコメを食べたことが遺跡の発掘から明らかになっている▼コメへの執着は、日本人の奥深いところに根付いているというのはさほど異論がないだろう。食味に優れた銘柄米がもてはやされ、おいしく炊ける炊飯器がランク付けされる。食卓には、一粒一粒がつやつやと輝き、ふっくら炊き上がったご飯が欠かせないというこだわりも日本人ならではだ▼農業日本一を誇る北海道は、コメの生産量でも新潟県を引き離し全国トップの座を維持している。だが道産米は、コシヒカリなどの銘柄米に味で及ばず、全国的に生産過剰の時代にあって不人気をかこってきた。減反政策のやり玉にあがったのは、まずい道産米だった▼そんな様相ががらりと変わった。ホクレンが扱う道産米が、今年初めて民間流通で全量さばけた。昨年まで一部を政府米として買い入れてもらい、やっと全量がはけていたことを考えると、道産米に対する消費者の評価を示す朗報だ▼道産米は銘柄米に比べて安く流通し、外食チェーンや弁当業界などの大口需要に支えられてきた。だが、品種の改良や生産技術の進歩で、銘柄米に劣らぬ食味の道産米が登場した。「きらら397」に始まり「ほしのゆめ」「おぼろづき」といった名称が消費者に浸透してきた▼減反政策に翻ろうされてきた米作農家は、もう肩身の狭い思いをしなくていい。本道も「瑞穂の国」の仲間入りを果たした。(S)


6月15日(金)

●小鳥と遊んでいるお父さん、安全運転をしているお父さん、Vサインを出しているお父さん、歯磨きしているお父さん、わが子とお遊戯しているお父さん…。本紙が募集した「お父さんの似顔絵」だ。展示会場には子供たちが表現豊かに描いた絵がずらり▼こんな話を聞いた。働かないからワーキングプアではない。高齢の父親の年金を当てにしている息子。ゲーム機などを買うため借金がたまるばかり。母親の医療費もかさみ「少しは働いて家計を助けてくれ」の声にも馬耳東風。ついに息子を勘当し親子の縁を切ってしまった…▼言うことを聞かない子供を勘当するのは昔はざらだった。バビロニアのハンムラビ法典の168条に「自分の子を勘当しようとして裁判官に申し立てても、裁判官がその理由を調査して子に勘当すべき重大な罪がないなら、父は勘当できない」(飯島紀訳)としている▼さらに「前条で重大な罪を負うことがわかれば、一度は見送るが、二度までも罪を負うなら父は勘当する」と続く。一度は言うことを聞かなくても、一度は働かないことをとがめられても、一度は人生につまずいても「見送ること」が父親の教育であり、父親の愛情であるというのか▼でも、子供には汗を流して懸命に働いている姿を見せるのが一番。古代ローマ時代、亡くなった親たちを懐かしむ家族の集会でワインなどを供え、親への感謝の気持ちを表したのが「父の日」の起源とか。失敗しても一度は「見送ってくれる」父親に、まずは感謝の思いを伝えなければ。17日は「父の日」。(M)


6月14日(木)

●1945年の敗戦後、インドネシアには現地に駐留した日本兵のうち約1000人が残留した。それら日本兵は、インドネシア軍を指揮してオランダ軍と戦い、独立達成に貢献した▼忘れられた兵隊たちにスポットが当たり始めたのは70年代になってからである。東南アジアの国々には、戦後も現地に留まる日本兵がいた。そうした残留日本兵がもっとも多かったのがインドネシアである▼朝日新聞の社会面に85歳の元残留日本兵がジャカルタで亡くなったという小さな記事が載った。佐賀県出身の藤山秀雄さんである。藤山さんはインドネシア人女性と結婚、自動車整備工場を営んでいた▼20年ほど前、インドネシアに残留した元日本兵を訪ねて話を聞いたことがある。10人以上の方々に会い、なぜ日本に帰らず、インドネシアに留まったのか理由を尋ねた。藤山さんもそのときお目にかかった1人だった▼日本軍は、インドネシアを独立させると約束して青年たちを組織して連合軍との戦いを続けた。ところが敗戦後、インドネシアには旧宗主国のオランダが植民地復活を目指して軍隊を送り込んだ。そのオランダ軍に対し、独立を求める戦争が起きたとき残留日本兵が協力したのである▼ゲリラ戦を指揮して戦死した日本兵も多い。49年の独立後、生き残った残留日本兵たちは英雄とたたえられ、インドネシア国籍を得て現地に留まった。戦後62年が過ぎ、旧日本兵は大半が鬼籍に入った。記事によると生存者は6人だけだ。戦争で数奇な人生を送ることになった藤山さんの日焼けした顔を思い浮かべる。(S)


6月13日(水)

●「せめてあのとき一言でも」(草思社)は、ルポライター鎌田慧さんが、自殺した児童・生徒の親にインタビューしてまとめた著作だ。副題に「いじめ自殺した子どもの親は訴える」とあるように、いじめを受けて自殺に追い込まれた子どもの父母の悲しみと憤りがあふれている▼本が取り上げたケースに共通しているのは、学校や教育委員会の自己保身と責任逃れに対する父母の不信感の深さだ。なぜわが子が自殺しなければならなかったのか。その原因を知りたくても学校側は真摯(しんし)に対応してくれないとの不満が渦巻いている▼本は函館市の中央図書館で見つけた。同じ書棚には、子どもの自殺についての本が並んでいる。いじめと子どもの自殺がどれほど深刻化しているかは、これらに関する著作の多さでも分かる▼全国の昨年の自殺者数で、児童・生徒や大学生が増加を続け、統計を取り始めた1978年以降最多となったことが警察庁のまとめで明らかになった。一年間に886人が自ら命を絶ち、その中には小学生が14人、中学生が81人いたという▼自殺者の総計は98年以降、3万人台が続いている。同庁のまとめでは、健康問題に次いで多い自殺の動機は生活苦や経済問題だ。格差が広がる時代にあって貧困層が絶望感にとらわれることも多いのだろう▼日本は西側先進国の中で自殺率(10万人当たりの自殺者数)がもっとも高い。子どもはいじめなどの学校問題から、大人は病苦や貧しさから自殺する。自殺が社会的要因に根ざすとしたら「美しい国」が皮肉に見える日本の現実だ。 (S)


6月12日(火)

●1983年の夏。甲子園球場では「KKコンビ」が話題をさらった。PL学園(大阪)の1年生だった桑田真澄投手(米大リーグ・パイレーツ)と清原和博内野手(オリックス)。優勝候補と言われた池田(徳島)を準決勝で破るなど、2人の活躍で頂点に立った。春夏5回連続で甲子園に出場し、優勝2回、準優勝2回を数えた▼卒業後、桑田選手は巨人、清原選手は西武に入団。投手、打者として共に一時代を築いた。その2人が野球人としてたそがれを迎えている▼21年間で通算173勝を挙げ、巨人を退団した桑田選手はマイナー契約を結んで渡米。オープン戦での右足首ねんざも完治し、3度のマイナー登板は無失点。念願のメジャー昇格を果たし、10日に初登板。2回2失点のほろ苦いデビューだったが、「野球の神様にありがとうと言いたい」と笑顔を見せた▼通算本塁打歴代5位(525本)の清原選手は、手術した左ひざのリハビリを続けている。史上初となる、入団以来21年連続2けた本塁打の記録保持者で、今季は記録更新もかかっている。しかし、1軍のグラウンドに立てるかさえ危ういようだ。8月には40歳になる。回復のめどが立たなければ、引退に追い込まれる可能性が高い▼桑田選手も安閑としてはいられない。失点が続けばマイナーに逆戻りだ。そうなった場合、年齢的な問題もあり再昇格の芽はほとんどなくなるだろう。落日のKKコンビ。間違いなく、現役選手として最終章にいる。2人のユニホーム姿をしっかり見届けたい。(K)


6月10日(日)

●退職が始まった「団塊の世代」を対象に、「田舎暮らし」を勧める自治体やビジネスが増えている。仕事一筋に生きた後は都会を離れ、田舎で畑でも耕しながら悠々自適の日々を送ろう、と呼び掛ける▼函館市も同様に、移住促進に力を入れている。移住体験者からは新鮮な食材のほか、病院や商店街、空港など一定の都市機能があり、道内でも温暖で雪が少ない点などが評価されている▼合併で広がった旧4町村地域も、釣りや温泉巡りなどのほか、地域コミュニティーなど、都会では薄れた地域の温かさがある。体感的な暖かさと人情味の温かさは、道南や函館の持つメリットとも言える▼他市町村との競争も激しい。道央の滝川では来月、3泊4日の「暮らしモニターツアー」で、市民との交流を図りながら住みやすさをPRする。八雲では、山車行列に合わせ移住体験ツアーを実施、アイデアが光る▼最近は「田舎暮らし」をテーマにした本や雑誌がよく売れている。北見市出身の山本一典氏の著書「失敗しない田舎暮らし入門」もその一つ。「失敗しない」と冠しているあたり、まず不安やリスクを取り除くことが必要ということか▼函館市も「失敗のない移住」に向け、移住者がアドバイザーとなり、希望者の質問に答える制度を始める。隣近所との付き合いや生活費、福祉の充実度などで頼りになるのは“先輩”の温かい助言だからだ。山本氏は「新しい世界を発見するぐらいの心の余裕が必要」と説いているが、その余裕を生み出すのもやはり、人の温かさではないだろうか。(P)


6月9日(土)

●グッドウィル・グループの子会社になる前のコムスンを取材したことがある。十数年前、福岡市の本社を訪ねて社長から話を聞き、介護士に同行して介護の現場を見せてもらった▼病院に勤めた経験を持つ社長は、介護の人手がないために入院させられている高齢者を住み慣れた自宅で生活させたいと、24時間巡回型介護サービスを始めた。スタッフは看護師資格を持つ主任など数人。小さな事務所でスタートした事業だった▼培った実績が認められ、全国社会福祉協議会のモデル事業になったのは1994年のことだ。それ以来、コムスンの名は高齢者介護の現場で有名になり、巡回型介護サービスを導入する自治体が全国に広まった。コムスンが人材派遣のグッドウィル・グループの子会社になったのは99年だ▼介護事業をめぐるコムスンの不正が相次いで明らかになり、気になって調べてみたが、当時の社長はコムスンにも関連会社の役員にも名がなかった。グッドウィル・グループに吸収されたとき、役員を辞めたのだろうと思う▼介護サービスは従来自治体や社会福祉協議会などが担ってきた。そこに民間大手が参入したのは、7年前に介護保険が導入されたことがきっかけになった。介護が利益を生み出す事業になったからだ▼「正しくないことをするな、常に正しい方を選べ」とグッドウィル・グループの十訓は説く。国民の保険料と税金で賄われる介護保険の事業で不正を働くことは十訓に反するのではなかろうか。志を持ってコムスンを創業した社長は、今回の不正行為に心を痛めているだろう。(S)


6月8日(金)

●「1日おきにパンを食べるのがやっと」「苦労して船を購入したが、生活は苦しかった」「無力な支配者が社会を後退させていることに疑問を持った」。青森県の日本海沿岸で保護された脱北の一家4人の話から、北朝鮮の庶民の生活ぶりがあらためて浮き彫りに▼10年前の大飢饉(ききん)では人口の1割が餓死、凍死、病死したといわれる。飢饉は収束したようだが、脱北者は後を絶たない。今度の4人は全員が腕時計をしており、高価な燃料を積んでの脱出というから“中流階級”か。下層なら脱出費用は作れない。上層なら脱出する必要はない▼イカ漁で食べていたようだが、捕まったら服毒死しようと殺そ剤と覚せい剤を持っていた。「覚せい剤は簡単に手に入る。船で眠くならないように持参していた」と言うが、外貨稼ぎのため国家として覚せい剤密造に関与していることが裏付けられた。日本の暴力団にも渡っているという▼そんな国に拉致被害者がいた。先ほど、30年前と19年前に鳥取県で失跡した男女2人も「拉致の可能性が濃厚」といい、特定失踪者と判断された。DVD「めぐみー引き裂かれた家族の30年」に涙がとまらない。今度の一家は外国放送も聞けるラジオで「日本人の拉致も知っていた」▼じっくり4人から聴取し北朝鮮の実態を明らかにすることだ。拉致被害者はルーマニアやレバノン、タイなどからも出ている。ドイツで開催のG8サミットは地球温暖化対策を議論しているが、安倍晋三首相は自らの肉声で「拉致問題の解決」への強力なメッセージを発してほしい。(M)


6月7日(木)

●米のサスペンス映画「暗くなるまで待って」は40年前に製作された。この映画で主演のオードリー・ヘップバーンは盲目の妻を演じた▼カメラマンの夫が飛行機の中で預けられた人形に麻薬が縫いこまれていた。それと知らずに人形を渡された妻が、悪漢どもに襲われる。妻は照明をすべてたたき壊して、真っ暗にした自宅で、悪漢と対峙(じ)する。暗闇にしたのは、視覚が利かなければ盲目の自分の方が他の感覚を働かせて悪漢に対抗できるとの機転からだった▼映画を思い出したのは、「北の国から」の脚本家倉本聰さんが暗闇を体験できる「闇の教室」を富良野市のホテル敷地内に開くことを知ったからだ。名称はおどろおどろしいが、教室の狙いは目から入る情報を〓サ断して他の感覚をよみがえらせることにあるらしい▼真の闇になった教室では、参加者はインストラクターの声を頼りにはだしで歩く。途中で食べ物を渡されたりする。見ることができない代わりに聴覚、嗅覚、味覚、触覚の四感を総動員させる。闇が少なくなり、目から入る情報に偏りすぎている現代に警鐘を鳴らす意味も込められている▼お化け屋敷は闇の中からろくろ首やガイコツなどが飛び出して、人をぞっとさせて木戸銭を取る。「闇の教室」は完全予約制で大人料金が3000円とか。鋭敏な四感が取り戻せるなら高いことはない▼映画では冷蔵庫から漏れる明かりが妻を危地に追い込む。「闇の教室」では、わずかな明かりも漏れないように携帯電話、時計など液晶画面が光る小物も持ち込み禁止だそうだ。 (S)


6月6日(水)

●死んだ振りして水面に浮かび、カラスがついばもうとすると長い腕で巻き取り水中に引きずり込んでエサにしてしまう。そこから「烏賊(イカ)」の字が当てられた。現代国語例解辞典(小学館)の解説だ▼カラスを食べてしまうイカとは、よほど大きなお化けイカだろうな、と想像をたくましくするのも楽しい。まあ、そんな巨大イカなら食べてもアンモニア臭がしてまずかろうが、道南で揚がるイカはカラスなんかにつつかせたくない絶品だ▼イカ漁が解禁になり、新鮮なマイカが函館市内に出回り始めた。よだれを溜めてこの季節を待ちわびていた人たちも多いだろう。当コラム子も知り合いの店に出かけ、早速刺身を賞味した▼薄いあめ色に輝く半透明の細作り。おろしショウガを載せ、しょう油にちょっとつけて口に放り込むと、上品な甘みが口中に広がった。思わず笑(え)みがあふれる至福の時だ。店の料理長の話では、解禁直後の今ごろは、身がやや小ぶりなだけに柔らかくて一番おいしいのだという▼イカは思わぬ場面でも活躍している。警視庁が提唱する児童向けの防犯標語は「いかのおすし」だ。知らない人に声を掛けられても「(イカ)行かない」「(ノ)乗らない」「(オ)大声を出す」「(ス)すぐに逃げる」「(シ)知らせる」と呼びかける。警視庁にまで採用されれば、イカも本望だろう▼イカ釣り船は来月には函館沖に集まり、海に浮かぶいさり火を函館山から間近に眺められる最高の季節が始まる。イカと夜景の二大役者がそろい観光函館がいよいよ幕を開けた。(S)


6月5日(火)

●「静かなる戦争」(PHP研究所)は2001年に書かれたデービッド・ハルバースタムの著書だ。同書が描いたのは、父ブッシュ政権時代の湾岸戦争終結からクリントン政権を経て現ブッシュ大統領就任までのアメリカの政治だった▼だがもっとも力を入れて描写しているのは、クリントン政権時代に直面したソマリア、ボスニア、コソボの紛争に対する政策決定の過程だろう。大統領をはじめ米政権の高官はどのような考えを持ち、どう動いたか。冷戦終結後の唯一の超大国として地域紛争にかかわっていく経緯が明かされる▼ソマリアでは、死亡した米軍兵士の遺体が群衆によって引きずり回される衝撃的な映像が流れた。旧ユーゴのボスニア、コソボでは空爆の開始決定が遅れ、民族浄化という名の大虐殺が発生した。悲劇はほんの10年ほど前のことである▼その後に米同時多発テロやアフガニスタン空爆、イラク戦争が起きた。ハルバースタムが同書で取り上げた紛争は、国際政治に関心を持つ人々以外には忘れられたと言ってもいいだろう。だが、民族間の紛争が火を噴いたこれらの地域は、いまも危うい平和を保っているに過ぎない▼ハルバースタムは、ケネディ、ジョンソン両政権がなぜベトナム戦争に深入りしたかを描いた「ベスト・アンド・ブライテスト」で一躍名声を確立した。ニクソン大統領を辞任に追い込んだウォーターゲート事件の追究で知られるボブ・ウッドワードとともにアメリカを代表するジャーナリストと言っていい▼ハルバースタムは1カ月半前、自動車事故で亡くなった。それ以来、著書を再読している。(S)


6月4日(月)

●横綱に昇進した白鵬の口上は「精神一到(せいしんいっとう)を貫き」、孫悟空らの獅子奮迅(ししふんじん)の働きがあって…。でも、しゅんしょういっこく(春宵一刻)しんぼうしかん(唇亡歯寒)いちようらいふく(一陽来復)の漢字検定2級になると、読み書きは難しい▼それでは、もがりのもり、もえのすざく、そまうどものがたり、しゃらそうじゅ、のルビが付く映画を漢字で書くと、そう、先のカンヌ映画祭で審査員特別賞グランプリを受賞した河瀬直美監督の「殯の森」や「萌の朱雀」「杣人物語」「沙羅双樹」だ▼朝咲いて夕に散るという沙羅双樹は釈迦の入滅時に咲いていた。一連の作品には「形あるものは必ず壊れ、生あるものは死ななければならない」という説法が流れている。「喪上がり」が語源の「殯」という難しい漢字をタイトルに、なぜ。一般公開に先立ちNHK衛星で放映された作品を鑑賞した▼奈良で生まれた河瀬監督が古代史に彩られた奈良の古い民家と森が舞台。愛妻を失いグループホームで暮らす認知症の男性と子供を亡くした介護士の女性が墓参りに行く途中、深い森に迷い込む。懸命に生きながら、介護に苦しむグループホームと、さ迷い歩く殯の森の共通性も追求している▼水鉄砲でずぶ濡れになった男性がつぶやく「ゆく河の流れは絶えずして、もとの水にあらず…」が森にとけ込む。教育再生会議がまとめた新たな教科「徳育」は子供たちに生きることの大切さを教え、悔悟憤発(かいごふんぱつ)して、落ち込んでも奮い立つ姿勢をたたき込むのなら賛成だ。(M)


6月3日(日)

●いつも給油するセルフ式ガソリンスタンドの表示価格が130円を超えていた。先月末はレギュラー1リットルが129円台だった。元売り各社が今月から卸売価格を引き上げたことがすぐに末端のガソリン価格に跳ね返った▼スーパーに行くと、マヨネーズが値上がりしていた。原料の大豆油が品不足で高騰したためだという。バイオエタノールブームでサトウキビやトウモロコシの作付けが増え、その分大豆が減ったからだ。トイレットペーパーやティッシュペーパーの値上げも予想されている▼北海道が好天に恵まれる6月は、値上げの波状攻勢に見舞われそうだ。石油危機に端を発した狂乱物価で洗剤やトイレットペーパーを買い求める長蛇の列ができたのは1973年だった。まさかその二の舞いはあり得ないだろうが、デフレに慣らされた消費者にはモノの値上がりは久しく経験がなかった▼しかも所得は頭打ち。もうかっている会社でも株主配当は増やしても、社員の給与を増やさないのは、今春闘の低調な結果が示している。それどころか今月から定率減税廃止で手取り額が減り、ため息をもらすサラリーマンが続出しそうだ▼せめて好きなウナギを食べて元気を付けようかと思ったら、国内消費の半分以上を占める欧州産が資源量の激減で輸出規制されそうだという。台湾産の稚魚も輸入が減る見通しだ。そうなればかば焼きの値上がりも必至だ▼さわやかな気候に反してさえない話をつづってきて、ふと外を見るとお年寄りが、街路樹の根元に花を植えていた。そう、北国の6月は花の彩りを楽しむ月だ。(S)


6月2日(土)

●「残念ながら、今のところ、私どものお菓子には道産小麦の出番はありません」。道外の菓子店の発言だとしたら、気にする人は少ないかもしれない。しかし、北海道を代表する菓子メーカーの社長の言葉だとしたらどうだろう▼5月中旬、北海道新聞の夕刊1面に、帯広に本社がある六花亭製菓の社長による意見広告が掲載された。「地産地消」がイメージだけで一人歩きしているのではないか、という疑問から始まる。納得のいくお菓子を作るには、原材料を厳選する必要があると説く▼例として挙げられたのは、六花亭の主力商品で北海道を代表する菓子「マルセイバターサンド」。原料の小麦粉は「北米産」と記した上で冒頭の言葉を続け、「『おいしさ』をないがしろにしては本末転倒」と締めくくっている▼これに憤慨したのがタレントで、牧場を営む田中義剛さん。十勝管内中札内村でチーズなどを生産する田中さんは、自身のホームページのブログ(日記風サイト)や北海道新聞夕刊のコラムで、道産小麦をおとしめるような広告を出す必要があるのか、と憤りをあらわにした。ブログでは「『今は、使っていないが、いつか北海道の小麦を使ったお菓子を作りたい』というのが、地元企業の役目」と指摘している▼立場が異なる両者だから、どちらが正しいということもないだろう。ただ、十勝といえば日本有数の小麦産地。そこの企業トップの発言だけに目に留まった。それにしても、あの銘菓のビスケットが、北米産小麦で作られていたとは、知らなかった。(K)


6月1日(金)

●クジラは中年以上の世代には郷愁を感じる食べ物だろう。安いクジラ肉は学校給食によく出てきた。それで味を覚えた人もいれば、苦手になった人もいるに違いない▼渡島半島沖で揚がったツチクジラの初物が函館市内のスーパーなどで売られた。魚売り場には南氷洋産の解凍クジラとツチクジラが並んでいた。ツチクジラは冷凍していないだけあって、肉の赤みが濃い。初鰹(はつがつお)に懸ける江戸っ子の気負いはないが、初物はとにかく試してやろうと買い込んだ▼「刺身用」と書いてあったが、自宅ではニンニクを利かせてステーキ風にした。クジラを食べるのは久しぶり。素人料理でどこまでおいしくできるか不安だったが、まあ何とか食える味付けにはなった▼クジラはノルウェーや米アラスカの先住民、フィリピン、インドネシアの一部地域などでも伝統食になってきた。だが、日本ほど反捕鯨国の目の敵にされている国はない。それは、1986年に商業捕鯨が禁止されてからも日本が調査捕鯨の名目で年間約1000頭のクジラを捕獲してきたからだ▼クジラは一部の大型鯨類を除き資源が回復している。日本は資源管理を徹底しながらミンククジラなどの商業捕鯨を再開すべきだと主張しているが、旗色は悪い。米環境団体の船が日本の調査捕鯨船に体当たりしたり、化学物質入りのビンを投げつけたりする事態も起きた▼米アンカレッジで開かれた国際捕鯨委員会(IWC)総会でも日本が共感を得たとはいえない。そんなことを考えながら食べたクジラの味は少ししょっぱかった。(S)


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