平成20年1月


1月31日(木)

●93歳で亡くなった東本願寺函館別院の住職、大谷演慧(えんねい)さんは気さくな方だった。1997年の正月、取材する機会に恵まれた。宗門の元門首代行を前に、緊張で声が震える。そんな姿を見てか、大谷住職は笑顔で、こんな自己紹介をした。「飛んでる住職です」▼その場で京都新聞のコピーをいただいた。超軽量動力機(マイクロライト)の愛好者で、82歳となった当時でも琵琶湖上空を飛んでいる姿が紹介されていた。航空スポーツの発展に貢献したとして、パリの国際航空連盟から世界的な賞も受けている▼戦前に父親と軽飛行機に乗ったことが、空への興味の始まり。戦後、マイクロライトが発売されるとすぐ、操縦にチャレンジした。「空を飛ぶと、ストレスもみんな忘れてスカッとします」という▼祖父は北海道開拓を指揮した東本願寺22世現如、父の瑩潤(えいじゅん)さんは函館別院の前住職で、宗務総長や国会議員も務めた。大谷住職は、いとこの前門首が亡くなり現在の門首が決まるまで、門首代行を務めた▼取材で、門首とはどういう存在か尋ねた。大谷住職は「門徒の首座という意味で、ともに仏法を聴いていく存在。それも結構だが、やはり門首とは拝まれる存在であると、私は思う」と語った。個人的に同感だった▼宗門の内紛と改革の中で、かつて絶対的な権威を誇った門首(法主)は象徴的な存在となった。750年の法統を守り、宗門を支えた大谷家の矜持(きょうじ)がのぞいたような気がする。今ごろは風になって浄土を飛び、祖父や父に会っているかもしれない。合掌。 (P)


1月30日(水)

●温室効果ガスというと思い浮かぶのは二酸化炭素(CO2)だ。中には、CO2以外にはないと思っている方もおられよう。温室効果ガスの削減目標を定めた京都議定書では、対象となった他のガスについてもCO2換算で示しているからだ▼だが、CO2よりも温室効果が高いガスもある。そのひとつのメタンは、CO2の21倍の温室効果があるとされる。天然ガスの主成分のメタンは、重要なエネルギー源だが、やっかいものでもある▼帯広畜産大学の高橋潤一教授が、スイス・チューリヒの学会で、家畜のゲップに含まれるメタンについて発表したのは3年前だ。牛や羊などの反すう動物は、ゲップとともにメタンをはきだす。それを減らせないか、と高橋教授を中心としたチームは研究を進めてきた▼その成果が実り、メタンを除去する技術を開発した。硝酸塩を多量に含む牧草を与えた乳牛のゲップに、メタンがほとんど含まれないことを発見し、飼料の工夫でメタンを除去できた。この技術は日本をはじめ米国、カナダなどで特許を取得したという▼国内のメタン排出量の約30%は牛に由来するとされるから、この技術が普及すれば、温室効果ガスの削減に大きく貢献できる。高橋教授らは7月の北海道洞爺湖サミットの前に国際シンポジウムを開き、世界に訴えたいと計画している▼渡島、桧山管内には乳用、肉用合わせて約4万5000頭の牛が飼育されている。原油高が飼料の高騰を招き、農家の経営は厳しいが、夢の飼料が安価で供給されるなら、使ってみようという動きが出てくるかもしれない。(S)


1月29日(火)

● 隣国同士がそっぽを向き合うのは、ままある。歴史上の経緯や政治情勢などから、互いを敵視している国が国境を接している例はいくつも挙げることができる。日本にしても海を隔てた隣国・北朝鮮とは国交がない▼だが、首相の隣国訪問が半世紀ぶりとなると、よほど根深い対立が尾を引いていたのだな、と同情心をかられる。古代文明のゆりかごであり、日本の観光客にも人気が高いギリシャの首相が、先週トルコを訪問した。首相の公式訪問は、49年ぶりだという▼両国はキプロス問題を巡って長い間、争ってきた。ギリシャ系、トルコ系の両民族が住むキプロスでは、内戦やクーデター、トルコ軍の侵攻といった騒乱が起きた。両民族のにらみ合いはいまも続き、事実上の分断国家になっている▼トルコにとって最大の政治課題は、欧州連合(EU)加盟だ。EUには、イスラム国家トルコを警戒する動きがあって、加盟交渉は進んでいない。先にEUに加盟しているギリシャ首相は、首都アンカラでトルコの加盟を支持する発言をした。キプロス問題も話し合われた▼ギリシャの伝統音楽の旋律はエーゲ海の明るさとは異なり、沈んだ諧調に彩られている。ギリシャ人に尋ねたら、トルコの制圧に苦しんだ民衆の心が、音楽にも反映していると答えた。なるほどギリシャは1830年に独立を勝ち取るまで約400年間、トルコの支配下にあった▼ギリシャ首相の訪問は、歴史上の経緯を乗り越えての決断だったのだろう。両国にとってのどに刺さった骨のキプロス問題は、首相訪問でどう動くだろうか。(S)


1月28日(月)

●庶民にはおよそ想像できない巨額なおカネの話だ。世界連鎖株安の影響を受けて鳩山邦夫法相は約40億円の損失をこうむったそうだ。兄の鳩山由紀夫民主党幹事長も同程度の損失だろうと弟は明かしている▼両氏は母方の祖父からブリヂストン株の生前贈与を受けている。華麗な閨閥につながる両氏は、国会議員の中でも指折りの資産家だ。40億円の損をしても、家計に響くわけではない。持ち株を手放さずに持っていればいいだけだろう▼額が二桁違う課税逃れの裁判にも驚いた。消費者金融大手「武富士」の元会長から長男に贈与された法人株を巡り、課税処分の適否が争われた裁判で23日、東京高裁が約1330億円の追徴課税を適法と判断した▼香港に移住した長男は、海外居住だから課税されないと主張していた。一審の東京地裁は長男側に軍配を上げたが、高裁は「移住は税逃れ」として国側の逆転勝訴の判決を出した。長男側が上告すれば、最高裁で争われることになる▼海外居住者への課税で思い出したのは、世界的なベストセラー「ハリー・ポッター」シリーズの翻訳者が、東京国税局の税務調査を受け、3年間で35億円の申告漏れを指摘された事件だ。翻訳者は、スイスに住んでいるとして日本では税の申告をしていなかった▼金持ちはさまざまな手法を使って節税に励むのだなあ、と感心する。日本で稼がせてもらったのなら、日本で納税すればいいのに、というのは億なんておカネには縁遠い庶民のひがみか。ところで株価はその後反騰した。鳩山さん兄弟は少しは損失を回復しただろうか。(S)


1月27日(日)

●姉妹都市の函館市とカナダ・ハリファクス市は共通点が多い。星形城郭がともにあり、港を中心に発展した学術都市。日本最大の海難「洞爺丸事故」が函館であれば、世界最大の海難「タイタニック号沈没」はハリファクス沖で起きた▼北米大陸の大西洋岸という地理を考えると、相互訪問はなかなか難しい。だが、両市民の心の交流は年々深まり、四半世紀もの年輪を刻んでいる。その象徴が、ハリファクスからのモミの木寄贈だろう▼1998年の第1回はこだてクリスマスファンタジーから昨年の第10回まで欠かさず続いている。冬の夜空に輝くイルミネーションは、瞬くように色を変えながら、ベイエリアを異国のように照らし出す。魅力を増した「ひかりのまち」は全国へテレビ中継もされた▼贈り主のピーター・ケリー市長が初めて来函した。函館ハリファックス協会会長の山崎文雄さんやクリスマスファンタジー実行委員長の沼崎弥太郎さんら関係者に熱烈に歓迎され、西尾正範市長も謝辞を重ねて述べた▼ケリー市長は「25年間の友好の証し」として今後もプレゼントを約束。これからもツリーは、毎年はるばる海を越えて運ばれてくるだろう。その距離1万8000`。やはり彼の地は遠い。ケリー市長も多忙で、函館訪問がようやく実現したのだという▼しかし、ハリファクスにほど近い、プリンス・エドワード島を舞台にした「赤毛のアン」にこんな言葉がある。アンいわく「心を開いてあたれば、良き友になる」。距離は離れていても、温かい心を通わせた文化交流をいつまでも続けていってほしい。(P)


1月26日(土)

●〈沼は演説百姓よ 汚れた服にボロカバン 今日は本所の公会堂 あすは京都の辻の寺〉。1960年10月18日の衆院本会議。演説中に右翼のテロで刺殺された浅沼稲次郎社会党委員長の追悼演説で、池田勇人首相が読み上げた詩だ▼この演説は、国会での名演説のひとつに数えられる。安保騒動が尾を引き、自民・社会の与野党が厳しく対立している時代だった。だが、演説を聞いた議員からは、与野党を問わず拍手が起り、涙をぬぐう姿も見られた▼演説の草稿を書いたのは、池田首相秘書官で、のちに政治評論家になった伊藤昌哉さんである。冒頭の詩は、浅沼さんの「私の履歴書」に引用されていたのを見つけて、草稿に入れたという。「忘れられない国会論戦」(若宮啓文著・中公新書)で紹介している話だ▼国会の場でがん患者であることを告白し、がん対策基本法の成立に力を尽くした民主党参院議員の山本孝史さんが昨年12月に亡くなった。その山本さんの哀悼演説に立ったのは、がん対策の充実に共に奔走した尾辻秀久自民党参院議員会長である▼厚労相を務めた尾辻さんは、社会保障の論客だった山本さんとは、好敵手の間柄だった。参院本会議場の演壇で尾辻さんは、演説の途中に何度も声を詰まらせ、涙をぬぐった。目頭を押さえる与野党議員も多かった▼原稿の棒読みや感情むき出しの論戦とは異なり、同僚議員をしのぶ演説には、心を打つものが多いように思う。酸素吸入のボンベを引きながら国会を歩いていた山本さんの姿を思い浮かべ、改めてご冥福を祈った。(S)


1月25日(金)

●《わがいのち この海峡の浪の間に 消ゆる日を想ふ―岬に立ちて》 立待岬の石川啄木墓の側にある砂山影二の歌碑。●木を深く崇拝し、歌才に秀で、人生に懐疑的だった影二は1921(大正10)年、青函連絡船「伏見丸」から身を投じた。20歳の春だった▼今年3月で青函連絡船が誕生して100年、運航廃止から20年。悲喜こもごもの人生模様を運んだ。影二のように身投げも月に1人はいた。記者になったころ、連絡船が欠航したら、出航を待つ乗船客でごった返す桟橋光景を取材するのが定番だった。ゴザ、ムシロを敷いて。中には臨月の主婦も▼五色テープにドラの音を背に出航した「大雪丸」の3等船室だったと思うが、津軽海峡で丸窓が割れて海水がなだれ込んだとの無線、「すわ、第2の洞爺丸事故か」と取材に飛んだが、ずぶ濡れの乗客らがすばやく板や毛布などで丸窓をふさいだため大事に至らなかった▼昨年、長崎港の大雪丸を見てきた。22年間、海峡を走った船体。学生時代、よく乗客名簿に名前を書き込んで乗船。デッキで食べたカレーライスがうまかった。スルメを肴にポケット瓶で身体を温めたものだ。JR函館駅の写真展「海峡の記録」(2月5日まで)で、汽笛も鳴る懐かしい大雪丸の模型に出会った▼写真展には、海峡を白波を立てて進む勇姿、窓ガラスに付いた塩をふき取る清掃員、別れのテープの出航風景など80点が並ぶ。高速フェリー「ナッチャン」になっても、海峡をまたいだ人と船のドラマは引き継がれるだろう。(M)


1月24日(木)

●「ワーキングプア」という言葉が定着して久しい。いくら働いても所得が低い「働く貧困層」のことであり、格差社会の象徴とされている。背景には長期化した景気低迷のもとで、企業が正社員の採用を控え、契約社員や派遣社員、パートなど非正社員を増やしたことなどがあるとされる▼国税庁の調査によると、全国で年収200万円以下の給与所得者は1995年の793万人(全給与所得者の17・8%)が、2005年には981万人(同21・8%)に拡大した。その後も増加している。OECDの報告では、相対的貧困率(平均所得の半分に満たない人の比率)が先進国中、米国に次いで2番目に高いとされた▼少し前まで総中流社会と言われた日本は、「勝ち組」「負け組」という二極化の時代を迎え、格差を否応なく意識させられる状況になっている。格差の根源にある「所得格差」は教育格差、医療格差、情報格差などさまざまな面に波及する▼実態を読者に伝えようと取材チームを組み、所得格差の現状を調べたことがある。手取り月10万円前後のタクシー運転手は「蓄えや保険はないし、先の心配はいくらしても尽きない」と漏らし、季節労働者は一日一本のビールが発泡酒に代わったと告げた▼まじめに働けば安定した生活が送れる、汗水流して仕事に精を出せば良いことがある、少し前まではそんな時代だった気がする。希望のない日々はつらい▼格差解消という言葉だけではなく、雇用改善も含め、国として、社会全体として真剣に取り組まなければ、活力は低下し続ける。せめて、努力が報われる、そんな社会でありたい。(H)


1月23日(水)

●34年間も続けば、暫定という表現が不適切なのかもしれない。道路整備の財源不足を補う目的で田中角栄内閣が導入した暫定税率は、当初2年間の措置として実施された。それが延々と継続して、ついに今国会で与野党攻防の火種になった▼ガソリンにかかる揮発油税は、戦後まもなく創設された。それが道路建設のための特定財源になったのは、1954年のことである。以来、石油ガス税、自動車取得税、自動車重量税などの新税が設けられた▼車を保有して走らせる受益者に、道路の建設・維持費用を負担させるとの考えからだった。本来の税率を約2倍にしている暫定税率は、3月末に期限切れになる。税率が本則に戻ると、ガソリン1リットル「当たり約25円のかさ上げ分がなくなる▼原油高の影響で石油製品が高騰している中で、25円の差額は大きい。民主党は暫定税率の撤廃を訴えているのに対し、自民党は維持を盛り込んだ改正法案を出して年度内の成立を目指す。国会で熱い論戦が繰り広げられているのは、世論の関心が高いテーマだからだ▼地方にとっても影響が大きい。国の試算では、暫定税率が廃止されると、道内自治体の減収額が約578億円にも上る。全国知事会も地方財政に深刻な影響を及ぼすと税率維持を政府に要望した。引き下げを願う世論の動向と、厳しい財政運営との板ばさみに地方も苦悩する▼暫定税率について、論議がこれほど沸騰したのは初めてだ。ここは単に税率の問題にとどまらず、道路整備の在り方にまで踏み込んで論議してほしい。国会論戦がおもしろくなりそうだ。(S)


1月22日(火)

●かつて「お腹がすいてドッグフードを食べた」と3人姉弟が両親に虐待され、3歳児が死亡する事件があった。食事は1日に1回で、ドッグフードに手を伸ばすと、トンカチで殴打されて…。8歳の二女は学校で出る給食にかぶりつきたかっただろう▼給食は食育の主役。食育基本法は「子どもたちが豊かな人間性をはぐくみ生きる力を身に付けていくためには、何よりも『食』が重要である。知育、徳育、体育の基礎となるべきものと位置づける」とうたっている。朝ご飯を食べる子どもは試験の正答率が高いデータもある▼ご存知、日本の学校給食は1889年、山形・鶴岡の小学校で出したのが始まり。貧困児童を対象に、この学校を建てた住職が昼食に出した給食は、おにぎり、焼き魚、漬け物の3品。昭和に入って、貧困児童のほかに、栄養不良や身体虚弱児も対象に含め、栄養価の高い給食が導入された▼一時は豪華なバイキングもあったが、最近はお米が主役になりつつある(ちなみに道産米の道内食率は過去最高の70%台に)。朝ご飯、給食、晩ご飯は学力、体力、気力、持久力の源。“貧困児童”ではないのに、いまだに給食費を払わない保護者がいる。子どもたちが知ったら…▼メニューも「地産地消」を柱に、野菜のカレーライスやビビンバ、手巻き五目ずし、豆腐だんご汁、マグロの揚げ煮など種類も豊富。ドッグフードで虐待を受けた姉弟も、栄養たっぷりの給食を食べたかったろうに。今月24日は119年前の最初の給食を受けて制定された「学校給食の日」です。(M)


1月21日(月)

●石油製品の高騰や食料品の値上がりなど庶民の懐に響く事態が進行している中で、これは喜ばしい話だ。自動車やバイクの保有者に義務付けられている自賠責保険の保険料が4月から下がる。交通事故死が減り、保険金支払いが少なくて済むからだ▼下げ幅は平均で24%にも上る。たとえば自家用乗用車の2年契約では、負担が現在の3万830円から2万2470円になる。8360円の節約は大きい。バイクは約6840円、軽自動車は6020円の負担減だ▼警察庁の統計では06年の全国の交通事故死者は6352人。10年前より約3300人減少した。取り締まりや飲酒運転の罰則強化、01年の危険運転致死傷罪の導入などが、事故抑止につながっているのは間違いないだろう▼自賠責保険は保険金の上限が死亡3000万円、後遺障害4000万円と低いなどの限界がある。しかも人身事故しかカバーしない。不足を補うため保有者の多くは、任意の自動車保険に別途加入しているのが実情だ▼任意保険は自賠責よりも保険料が高い。毎年の更新時、損保会社から送られてくる保険料を見ると憂うつになる。軽微な物損事故でも保険を使うと翌年の保険料がとたんに上がる。修理代と保険料の上昇分を比較勘案して、保険請求をあきらめるユーザーも多いだろう▼ふと考えた。自賠責保険料の引き下げが出来るのだから、任意保険だって下げられるのではないか。死亡事故減は、任意保険の保険金支払いにどんな影響をもたらしているのだろう。損保会社さん、ユーザーの疑問にぜひ答えてほしい。(S)


1月20日(日)

●北海道の気温は100年で5・2度も上昇し、緯度の高い北海道ほど温暖化になることが立証された。暖かい今冬を予測していたが、どっこい、真冬日が続いている。オホーツク海の流氷山脈も低くなったという。「限界集落」にもこの真冬日が直撃しているのだろうか▼限界集落とは、65歳以上の高齢者が住民の半数を超える集落。高齢化が進み、日々の暮らしに限界がきているところ。大半は山間部にある。農林業などの衰退とともに働く場がなくなって、高齢者だけが取り残された。買い物や通院の交通機関にも事を欠く、廃墟寸前の集落。冠婚葬祭もままならず▼政府が過疎地域に指定した市町村の限界集落は7800超。このうち、消滅の危機にさらされているのは2600カ所。実際にこの7年ほどで200集落が消えている(政府調べ)。5年ほど前、函館の山間部にある限界集落の廃屋を訪れた▼円いちゃぶ台があった。薪(まき)を焚いていた錆(さ)びたストーブがあった。野菜などを運んだのだろうか竹製のカゴもあった。ぶあつい鍬(くわ)もあった。この鍬で開拓期の原野を切り開いたのだろう。本紙の調査によると、渡島管内でなんと30の限界集落がある。八雲12、函館6、北斗4、福島3など▼過疎や高齢化で非農家の増加、農地・耕地の放棄などが進み、伝統行事が消滅した集落も。米つ作りだけではなく、地域の賑わいをとり戻す方法はないものか。ゼラチン質たっぷりの冬の味覚「ゴッコ汁」に舌つづみを打ちながら、限界集落再生の道を探ってみよう。(M)


1月19日(土)

●折りたたみの自転車を車に積んで、郊外に出かける。駐車場に車を止め、愛用のキャップをかぶって自転車にまたがる。緑の風を体に受けて走ると、鼻歌なんかもわいて来る。環境に優しい自転車は、楽しい移動手段でもある▼その自転車が街中を安全に通行できる道路環境を整えようと、国土交通省と警察庁がモデル地区づくりに乗り出す。全国98地区が指定され、道内からは函館市の五稜郭駅周辺など4カ所が選ばれた。08年度から2年かけて自転車専用道や専用通行帯を設ける計画だ▼北海道開発局に尋ねると、函館では五稜郭駅を起点に国道や道・市道にまたがる約3`区間に専用通行帯を設置する。計画の細部はまだ固まっていないが、フェンスで仕切ったり、カラー舗装で自転車専用帯を示すことになりそうだという▼自転車は軽車両の扱いを受け、車道の左端を走るのが原則だ。だが車にはねられたり、接触されたりといった事故が怖い。そこで歩道を通行する自転車もよく見かける。そのことが自転車事故を引き起こす原因にもなっている▼自転車乗車中の事故は、道内でも増え、06年の死傷者数は3981人に上る。道警のまとめでは10年前より30%も増加した。自転車にぶつけられ転倒して死傷する歩行者や、運転者自らも亡くなったりけがをするケースが目立つ▼専用道は公園などには設置されていたが、一般道ではこれまでなかったという。自転車と歩行者が互いの安全を保ちながら共存する。ヨーロッパでは、当たり前の光景が日本にも根付くか。モデル事業の成否はその試金石になる。(S)


1月18日(金)

●数日来の函館の寒さは、穏やかだった昨冬とは比べものにならない厳しさだ。最低気温が氷点下10度まで下がり、日中でも寒暖計はプラスにならない。道路に薄く積もった雪は、夜の冷え込みでブラックアイスバーンに変わる▼寒い朝、水道の栓を上げても水がちょろちょろとしか出てこない。水道管が凍結したかと心配になったが、しばらくすると空気がドンとはぜるような音とともに水が勢いよく出始めた。その水を手に受けると凍るような冷たさだ▼道内は昨日、この冬一番の寒気に見舞われ、上川地方の内陸部では氷点下30度以下を観測した。大気中の水蒸気が氷の結晶になって、輝きながら降るダイヤモンドダストが見られた。森では樹木が割れる凍裂も起きたろう。まさに凛冽(りんれつ)とした寒さだ▼道南の函館では海面から霧が沸き立つ「毛嵐(けあらし)」を同僚カメラマンが撮影した。冷え込んだ大気と温かな海水面が出会うと発生する現象だ。最低気温が、今季一番の厳しい冷え込みになった朝だ▼函館の最低気温は1900年に記録した氷点下19・4度だ。温暖化の影響からか過去40年間では10位までに入る記録はない。だが、日中の最高気温が低かった記録では、1996年の氷点下9度が9位に食い込んでいる▼過去の厳しい寒気に比較すれば、このところの冷え込みはまだ穏やかなのかもしれない。住まいにしても寒冷地仕様が普及し、ずっと楽になった。だが一歩外に出ると、寒気が顔に突き刺さる。函館の最低気温10傑は1月下旬から2月中旬に集中している。冬はこれからが本番だ。(S)


1月17日(木)

●未明の神戸の街。倒壊する高速道路やビル、家屋。懸命に救出にあたる住民たちに迫る猛炎…。6434人が命を失って、4万人の負傷者が出て、44万世帯が被災した阪神大震災から17日で13年。死者の8割以上は建物などの下敷きだった▼身内を亡くした神戸のいとこに「悲惨な日」が近づくと、毎年電話を入れているが、「まさに生き地獄だった。家具の下敷きになったのか、いくら探しても見あたらず、3日、4日と経ってしまった」と涙声になってしまう。恐怖と悲しみ、あきらめが交差しながら避難、今も仮住まい▼昨年は能登半島(3月)新潟県中越沖(7月)と大地震が相次ぎ、インドネシアの大津波では数十万人の犠牲者が出た。大災害のたびに問題になるのは避難計画。とくに「要援護者の安否確認」だ。町内会などが情報を集めても、個人情報を守る壁が厚く、生かされていないのが現状▼小学生の孫たちと中越地震で大切なものを守る強さと家族の絆を描いた映画「マリと子犬の物語」を見た。屋根の下敷きになった祖父を助けるマリ、そのマリと子犬を救出に行く兄妹…。実話にもとづいた地震の映像に孫は「私も勇気を出して、おじいちゃんを助けるよ」と言った▼大震災で犠牲になる大半は高齢者と子ども。子供たちの日常の居場所や昼間よく遊びに行く場所(公園など)も家族の避難計画に記入し、そのカードを町内会や自治体が把握することも欠かせない。もちろん、自分の命は自分で守る「自助」意識も大切だ。大惨事を風化させないためにも。(M)


1月16日(水)

●508メートルの高さを誇る台北101は、2004年の竣工当時、世界一の高層建築物だった。89階の展望階に立つと、晴れた日には市内が一望に見渡される。だが、曇りや雨の日には、下からはい上がってくる雲に視界がさえぎられ、何も見えなくなる▼台湾の陳水扁総統は同年12月31日、台北101のテープカットに出席した。人気絶頂だった陳総統は、4年後に視界一面が雲に閉ざされた政治状況に見舞われるとは思ってもみなかったろう。台湾の立法院(国会)選挙で陳総統率いる与党・民進党が地すべり的な敗北を喫した▼定数113のうち、民進党はわずか27議席、対する野党・国民党は3分の2を超す81議席を得た。小泉純一郎首相が「郵政民営化の是非を問いたい」と叫んで衆院を解散し、与党が圧勝した05年の日本の総選挙をほうふつさせる圧倒的な議席差が生まれた▼台湾は3月に総統選挙を控えている。陳総統は退陣するが、与野党候補は最大の政治決戦に向けてすでに激しい選挙戦を展開している。総統選以上に注目されるのは、同時に実施予定の国連加盟の賛否を問う住民投票だ▼台湾名義での国連加盟を推し進めようとしている陳総統に対し、中国、米国などは中台間の緊張を高めると警戒している。台湾独立の動きは、中国にとって容認できることではない。米国も極東の不安定要因になるとけん制する▼台湾は日本の観光客に人気が高い。函館へはチャーター便が乗り入れ毎年8万人を超す台湾人観光客がやってくる。日本と歴史的にも関係が深い台湾の熱い政治の季節はこれからが本番だ。(S)


1月15日(火)

●〈その頃「ああ、私はいま、はたちなのね」と、しみじみ自分の年齢を意識したことがある〉。2年前に亡くなった詩人茨木のり子さんが「はたちが敗戦」(茨木のり子集1・筑摩書房)と題したエッセーに書き綴っている▼茨木さんは敗戦の混乱期に20歳を迎えた。〈眼が黒々と光を放ち、青葉の照りかえしのせいか鏡の中の顔が、わりあいきれいに見えたことがあって…。けれどその若さが誰からも一顧だに与えられず、みんな生きるか餓死するかの土壇場で、自分のことにせい一杯なのだった〉▼後年、「わたしが一番きれいだったとき」の詩で有名になった茨木さんは、20歳のころの残念さが詩を書かせたと回想している。詩は国語教科書に採用されているから、覚えている方も多いに違いない▼20歳を祝う成人式は1946年、埼玉県蕨町(現在の蕨市)で実施された青年祭が起源だとされている。2年後に公布された祝日法では、この青年祭を参考に1月15日を「成人の日」に制定した。今年は制定から60年の節目にあたる▼連休を増やすハッピーマンデー法の施行で、成人の日は2000年から1月第2月曜に移動している。茨木さんが成人を迎えた戦後の混乱期と異なり、豊かさになれた現代の成人式は華やかさと屈託のない笑顔に包まれる。混乱といえば、荒れた成人式が話題になるぐらいだ▼函館・道南でも昨日、成人式が行われ、晴れ着姿の女性や羽織・はかまの男性が門出を祝った。茨木さんのころの夢は腹いっぱい食べることだった。飽食の時代の20歳は、どんな夢を描いているだろう。(S)


1月14日(月)

●中学生の塾通いは都市や町村を問わず、ごく一般化している。いや中学からでは遅いと小学校の高学年になると、塾に通う児童も多い。東京などでは有名私立小学校に入るために園児対象の塾さえある▼それでも公立中学校が自校で夜間塾を開くとなると大きな論議を巻き起こすのは、当然だろう。東京杉並区立和田中が、塾講師を先生に夜間授業を実施する構想を示したら、都の教育委員会が待ったをかけた。公教育の力不足を認めることになると警戒したのかもしれない▼横やりを入れた都教委に対し、父母は夜間塾におおむね好意的だ。何より授業料が一般の塾より安いのは助かる。学校の仲間と一緒に授業を受けられ、学力の向上も期待できる。テレビのインタビューで母親は、ぜひ行かせたいと答えていた▼実現が危ぶまれた夜間塾は、石原慎太郎知事の後押しもあって今月末から授業がスタートする。民間からスカウトされた藤原和博同中校長が「夜スペシャル」と名付けた挑戦は、公教育の在り方に波紋を広げながら実現の運びだ▼函館・道南の公立中が生徒の学力を高めようと同じような試みをしたらどんな反応を呼ぶだろう。父母は歓迎するかもしれない。その一方、中学の受験塾化の行き過ぎに批判が強まることも予想される▼子供をいい高校、いい大学に行かせたいというのは、大方の父母の願いだ。それを実現するには、中学時代の学力がものをいう。だから教育では飽き足りないと思う父母も多い。和田中の挑戦の行方は、父母や教育関係者にとって見逃せない事例だろう。(S)


1月13日(日)

●一升瓶が10円か20円で店に買い取りされていた20年ほど前、ごみ集積所から瓶を持ち去るのは犯罪なのか、警察署幹部に聞いたことがある。ちりも積もれば山。盗んだ瓶を換金して、ついに車を買った“努力家”がいたためだ▼幹部は「窃盗か占有離脱物横領の可能性がある」と答えた。人の背広から財布を盗めば窃盗、背広から落ちた財布を拾って懐に入れると占有離脱物横領になるという考え。なるほど、微妙なものだとうなずいた▼東京都世田谷区のごみ集積場から古紙を勝手に持ち去ったとして、区条例違反の罪に問われた古紙回収業の男性に、東京高裁が罰金20万円の逆転有罪判決を出した。同様の事件で1審の東京簡裁は7人を有罪、5人を無罪としたが、今回の高裁判決で12人全員が有罪となった▼世田谷区の条例そのものが憲法違反かどうかが争われた今回の刑事裁判。高裁は、安易な持ち出しを放置した場合、高価に売却できる資源だけが持ち去られ、区の資源回収コストがかさむ恐れを指摘し、適法とした▼被告は「本当はやりたくなかったが、仕事が少なくなってきたので…」と悔やんでいたという。資源回収やリサイクルには業者の協力が欠かせず、行政が回収することの課題も残した▼函館市は多くの町会や団体などに依頼し、新聞や雑誌などの資源回収をしている。新聞の場合、市の奨励金と業者の買い取り金で、団体の活動費が生み出される。今後も、市、業者、市民が協力し合い、資源循環型社会を築いていくことが必要だ。(P)


1月12日(土)

●世界初の交通死亡事故は1896年にロンドンで発生。時速6キロ強で宣伝走行していた車が人をはね、打ちどころが悪く不慮の死に至った。日本では1907年、東海道の平塚付近で工員4人の車が電柱に激突、全員即死した事故が最初という▼この1世紀余りで世界の交通事故死者数は2500万人を超し、毎分2人が死亡しているデータもある。日本では平塚の4人即死事故をきっかけに、一定幅以下の道路での走行禁止や時速制限設定など、規則を作って取り締まっている。そして、ついに危険運転致死傷罪が登場▼福岡の幼児3人死亡事件。元市職員は居酒屋などでビール1缶、焼酎のロック9杯、ブランデー数杯飲んで車を運転、時速100`で追突。現場から逃げ去り、身代わりに友人を呼び、友人が持ってきた水をがぶ飲みし、呼気検査で「酒気帯び」と判定された▼これが「危険運転」にあたらないというのは釈然としない。地裁は「交差点の右左折や直進を繰り返し細い道でも運転できている」「追突直前に急ブレーキで衝突を避ける措置を取っている」などと判断、脇見運転による「過失」と認めた▼酔いの程度や「故意」による立証が難しいと。酒を飲んでいても、ひどく酔っていなければ正常な運転ができるという見方は厳罰化の流れに逆行するのでは。どこまでが正常運転なのか。「危険運転」とは何なのか▼酒を飲んで運転すること自体が「故意」ではないか。ハンドルを握った時点で犯罪に手を染める危険性は誰にもある。被告は一生かけても罪を償ってほしい。(M)


1月11日(金)

●「イムジン河」という歌がある。朝鮮半島の38度線を流れる川に、南北分断の悲しさを映し込んだ曲だ。ザ・フォーク・クルセダーズが歌い、1968年にリリース予定だったが、政治的配慮などからレコード会社が発売を中止し、ラジオやテレビも自主規制した▼2004年に製作された映画「パッチギ!」(井筒和幸監督)には、この“幻の曲”が全編通じて流れている。舞台は68年当時の京都だ。朝鮮学校に通う女子生徒に一目ぼれした府立高校の男子生徒が、彼女のためにギターで「イムジン河」を演奏しようと…▼当然、民族問題が底流にあり続ける。そこに学生運動や毛沢東思想に心酔する教師、グループサウンズなどの世相が盛り込まれ、十代後半ならではの夢、熱さ、そして挫折が痛いほど心に響く。誰もが通過した「あの頃」と重ね合わせ、締め付けられるような思いとともに、いつの間にか涙で映像がゆがんでしまう▼社会との接点を見いだそうとしながら、何も知らない、何もできない自分と出合う時期。自分の無力さにも気づく。そんな挫折の連続にもがいた「あの頃」を、映画が静かに思い出させてくれる。流れる「イムジン河」は切なく、そしてやさしい▼日常と掛け離れた世界に歓喜したり、登場人物にあこがれたり、身につまされたり…。映画を好きになる理由はさまざまだ。まして撮影にかかわったとなれば、思い入れは格別だろう▼本紙で連載を開始した「映画と私の物語」は、函館が舞台になった映画に特別な思いを持つ人にスポットを当てる試み。一人でも多く登場してもらおうと考えている。(H)


1月10日(木)

●「ダカール・ラリー」(通称パリ・ダカ)は、ラリードライバーなら一度は走破したい晴れ舞台だろう。プロドライバーばかりではない。冒険心に富む車好きなら、いつかチャレンジしたいと夢を膨らませていたかもしれない▼三菱車で総合優勝を飾った篠塚建次郎さんやカミオン(トラック)部門で挑戦を続ける菅原義正さんらの名を知ったのは、パリ・ダカを紹介したテレビ番組を通じてだった。世界一過酷とされるパリ・ダカは絵になる素材だった▼ラリーは世界各国で行われている人気モータースポーツだ。世界ラリー選手権(WRC)が十勝で開催され、有名選手が激しいバトルを演じたことをきっかけに、道内でも人気が高まった。WRCは、道央圏に舞台を移して継続開催される予定だ▼だが、30年の歴史を持つパリ・ダカは、節目の年に初めて中止が決まった。理由は、競技を狙ったテロの恐れがあるからだという。パリ・ダカでは、事故による死者のほか、テロ組織や強盗に襲われるケースも発生している▼治安が不安定なアフリカを走るのだから多少の危険は承知のうえだろうが、今回は国際テロ組織アルカイダが狙っているとの確度の高い情報があるらしい。中止の決定はやむを得ないのだろう。それにしても競技関係者やモータースポーツファンにとっては残念なことだ▼猛スピードで疾駆するラリー車とは違い、ラクダに乗ってサハラ砂漠横断を試みた上温湯隆さんを思い出した。上温湯さんは1975年、サハラで「渇死」した。パリ・ダカはそれから4年後に始まった。 (S)


1月9日(水)

●江戸時代の横綱谷風梶之助は、63連勝の記録を持つ。これを破ったのが昭和の大横綱双葉山の69連勝である。時代が異なり比較は難しいが、谷風が「天下無敵」の大横綱であったことは、だれも異論がない▼谷風は寛延3年(1750年)、いまの宮城県仙台市に生まれた。全盛時代の体格は6尺2寸(約187センチ)、40貫(約150キロ)と伝えられる。その偉丈夫の谷風の命取りになったのが、寛政7年(1795年)江戸にはやった風邪だった▼「江戸市中流行感冒猖獗(しょうけつ)を極め、谷風亦(また)此(こ)の感冒に襲われ、鬼神も憚(はばか)らるゝ大力士も病魔に抗しがたく、之(こ)れがため、其(そ)の年正月九日長逝す、享年四十六歳」と明治から昭和にかけて活躍した記者の三木貞一が記録を調べて書いている▼流感のことを「タニカゼ」と呼ぶようになったのは、谷風のあっけない死に起因する。医学の恩恵がいまほど及んでいなかった江戸時代の人々にとって、風邪は命取りになる流行病だった。きょう9日が「風邪の日」になったのは、谷風の命日にちなむ▼本紙に小児科診療日誌を連載中の安斎由紀子医師が「札幌、旭川では大流行のインフルエンザも、函館では本格的な流行を迎えないまま冬休み」になったと診療現場の様子をつづっている。だが、「これからが寒さも本番で、風邪の流行しやすい時期」にさしかかる▼油断は禁物だ。「タニカゼ」にかからないようにするには「手洗い、うがい、マスクをする」を心がけよう。「風邪の日」は予防の大切さを確認する日でもある。(S)


1月8日(火)

●アメリカは銃、日本はナイフか。キレる子供たちがどうにも止まらない。人がキレるのは、心と体の調整機能を持つとされる脳内の物質“セロトニン”の欠乏が原因で、この物質が欠けると、他人への衝動的な攻撃が抑制できなくなるという▼先日、東京品川区の商店街で高2男子が100円ショップで買った包丁3本を持って暴れ、男女5人を切りつけた。「殺してやる」「おれは悪くないんだ」と叫びながら。その前日には香川県で高3男子が果物ナイフを持って県庁に浸入。「知事を殺してやる」と叫んで▼創価大の研究チームが世界9カ国・地域で行った国際調査によると、「親に注意されるとカッとなる」「親に乱暴な言葉遣いをする」児童は日本が56%と最多で、日本の子供はキレやすいことが裏付けられた▼突然キレて暴行事件を引き起こす中高年も10年間で激増している。さらに道教委によると、心の健康状態に問題を抱える高校生の比率が北海道は15・2%と全国平均の約2倍に上っている。「ちょっとしたことでカッとなる」も全国平均を上回った▼いじめ、傷つけられた苦しさが伝わらないゲーム機やネット上にどっぷり浸かっている…。一度に包丁3本も買った行動は、少年が発する「SOS」だった。店員は不審に思わなかったのだろうか▼精神科医の香山リカさんは「キレている自分の状況を客観的に見る」などキレない5カ条を呼び掛けている。学校・家庭・地域で一緒に支えていくしかないのか。子供たちにも脳の血行をよくし、セトロニンを増やす七草のセリを食べさせなければ。(M)


1月7日(月)

●政治家の著書というととかく自慢話が多い。政策の実現に自らが果たした役割を相当誇張して書くのが一般的だ。05年に引退した小里貞利元衆院議員の本もそんな一冊だろうと思って読んでみたらいささか趣が異なった▼タイトルは「新世紀へ夢を運ぶ 整備新幹線」(文藝春秋)。労相や自民党総務会長などの要職を歴任した小里さんは、党の整備新幹線建設促進特別委員長も務めた。新幹線に懸けた夢をどう実現させたのか、北海道新幹線も含めて紹介したのが本書だ▼整備新幹線は、すんなりと計画が認められたわけではない。1982年に赤字国鉄の民営化が決まったとき、整備新幹線計画の凍結が閣議決定された。さらにいまも語り草になっている「昭和の三大バカ査定」騒ぎにも翻ろうされた▼88年度予算編成の直前、大蔵省の主計官が、青函トンネルと整備新幹線計画を名指してカネの無駄遣いになると批判した発言だった。巨額の資金を要する新幹線計画には、財政難が重くのしかかり、2000年暮れにもあわや凍結の危機に見舞われた▼小里さんは、渦中にあって舞台裏の生々しいやり取りを熟知しているだけに、この本には政府、政治家、関係道県知事らの動きが語られている。政界を引退したいまでも高橋はるみ知事や道内経済団体関係者らが小里さんの事務所を訪れるそうだ▼道新幹線新青森―新函館間には、来年度178億円の予算が計上された。新函館までは2015年の開通が予定されているが、札幌までの延伸は未着工だ。喜寿の小里さんが元気なうちに朗報を届けたい。 (S)


1月6日(日)

●ニューヨーク証券取引所で新年早々、原油価格が1バレル100ドルの大台を突破した。産油国の政情不安や中国など新興国での需要増を見込み、一気に上昇した。石油価格のさらなる高騰が心配だが、投機資金が買いを入れたことも気がかりだ▼投資と投機は違う。株の場合、投資は売却益や配当を期待してコツコツと利殖に励む。投機は為替や株価などの変動に目を付け、安く買って高く売り抜ける。両者の線引きは難しいが、最近は投機を「マネーゲーム」と呼ぶ▼日本はほんの20年前、実態以上の経済に踊らされた。バブル期の土地投機資金は、道内では札幌と函館に流入。1991年の函館市基準地価で、本町交差点の商業地(旧拓銀)は1平方メートル当たり170万円まで跳ね上がった▼資産インフレは、バブルがはじけると大暴落する。基準地が変わり、現在の旧拓銀の地価は不明だが、けた違いに下落しているのは間違いない。91年の市内商業地の平均地価は76万3400円で、昨年は16年ぶりに上昇に転じたものの8万3400円まで下がっている▼拓銀破たんに象徴される道内のバブル後遺症は、ほとんど回復していない。函館も景気の低迷が長引き、商店街や大型店は売り上げの低迷と競争激化にあえいでいる。当然、市民の懐も寒い▼いままた、投機筋マネーの原油価格つり上げは、庶民に犠牲を強いている。灯油購入助成を受ける「福祉灯油」の対象世帯はもちろん、多くの国民は投機に回すようなお金は一銭もないのが現状だ。厳しい寒さが一層、身に染みて感じられる。(P)


1月5日(土)

●東京タワーが出来た半世紀(昭和33年)前は高度成長期の入り口だが、交通事故など滅多に起きなかった。記者の駆け出し時代、交通事故が発生すると運ばれた病院に電話をかけ「容体はいかがですか」と聞いたものだ。警察の発表がないためだった▼全国の交通事故による死者は多い時は年間1万6000人超といわれたが、昨年は5743人で一時期の3分の1に激減した。しかし、北海道は国道でも本州の高速道並みに整備されていることからスピード違反が絶えず、昨年の交通死は286人に▼愛知県の288人に次いで2番目となり、3年連続の全国ワーストワンをやっと回避した。安Gヒしていたら、長万部町の国道5号の直線路で60代の女性が運転する乗用車が対向車線にはみ出して標識の柱に激突、3人が死亡、1人重傷のニュースが飛び込んできた▼札幌の宗教団体の集会に参加するため、同世代の知人ら9人と2台に分乗、帰る途中で、ブレーキ痕はなかった。睡眠不足だったのか、疲れていたのか…。長女えみるちゃん(当時10)を交通事故でなくした風見しんごさんは、近く著書「えみるの赤いランドセル 亡き娘の恩愛の記」を出す▼血染めのランドセルが真っ平らにつぶれて…、内出血で顔が小豆色のまま死後硬直して…。遺体を清める際には「死に化粧ではなく、お嫁入りする時の化粧をして下さい」と涙ながらに頼んだという▼長万部の国道で亡くなった3人にも、かわいい孫が待っていたことだろう。高齢者はその日の体調を十分考慮して、無理な運転をしないことだ。(M)


1月4日(金)

●インド象のインディラは、東京上野動物園の人気者だった。戦時中、逃げ出したら危険として猛獣が殺され、上野動物園には一頭の象もいなかった。子供たちが本物の象を見たがっていることを知ったネール・インド首相が贈ってくれたのがインディラだった▼インディラは占領下の1949年、日本にやってきた。それから34年後の1983年に死ぬまでインディラは、子供たちに愛された。そのインディラは、ネール首相の娘の名前だった。後のインド首相、インディラ・ガンジーさんである▼インドの最大政党・国民会議派を率いたガンジーさんは首相在任中の1984年、警護官に撃たれて衝撃的な最後を遂げる。後を継ぎ40歳で首相に就任した長男ラジブ・ガンジーさんも1991年に女性自爆者によって暗殺される。インド政界の名門ガンジー家の悲劇である▼インドの政治を揺るがした事件を思い出したのは、隣国パキスタンの混迷が深まるばかりだからだ。暮れの27日、最大野党・人民党総裁のベナジル・ブット元首相が暗殺された。大統領を務めたブット元首相の父は、1979年に処刑されている▼政界の名門に起きた悲劇という点では、ガンジー家と似通っている。ブット元首相の後継総裁には、英オックスフォード大生の19歳の長男が就いたそうだが、実質的には夫の元投資顧問相が取り仕切る▼パキスタンはインドと並び核兵器を持つ南西アジアの大国だ。政府開発援助(ODA)を通じ、日本とのつながりも深い。この国の政治状況の混乱がどんな経緯をたどるのか、注視したい。(S)


1月3日(木)

●正月三が日は、届いた年賀状を一枚ずつ確かめながら、あの顔この顔を思い浮かべられる方も多かろう。虚礼廃止の一時期の掛け声はすっかり聞かれなくなり、年賀状を交わす儀礼は連綿として続いている▼槍ヶ岳に向かった4人も、友人や知人にあてた年賀状に新年を山で迎えます、と楽しい予定を記していたかもしれない。まさか正月早々命を失うことになるとは、だれも思ってもみなかったに違いない▼標高3180メートルの槍ヶ岳は、槍の穂先のようにとがった特異な山容から登山者に人気が高い。季節を問わず多くの登山者が訪れる。ベテランだけに許された厳冬期でも、最後の穂先の登りの鎖場には、時によって順番待ちの列が出来る▼この冬も多くのパーティーが槍ヶ岳を目指した。標高1991メートルの槍平小屋近辺にはいくつかのテントが張られ、元日の夜を迎えていた。そこを襲ったのが雪崩である。7人が巻き込まれ、4人が亡くなった今回の雪崩は、新雪が積もって起きる表層雪崩だろうと言われている▼十勝岳山系の上ホロカメットク山で昨年11月23日、道内の登山者4人が死亡したのも表層雪崩が原因だった。この遭難では、前日に大量の降雪があったことが分かっている。今回の槍ヶ岳の遭難も年末から降り続いた新雪がザラメ状の雪面に堆積し、重みで滑り落ちたのだろう▼中高年の登山ブームが続いているからか、槍ヶ岳でも上ホロカメットク山でも遭難者には、働き盛りの年代が目に付く。突然の悲報を遺家族は、どんな思いで受け止めるのだろうか。悲しい想像に胸がふさがれる。(S)


1月1日(火)

●作家の幸田文さんが「ふたりの新春 ひとりの新春」(全集第20巻・岩波書店)と題した随筆に書いている。「このごろではもう、新年のけじめなど一切かまわず、新年は去年の引き継ぎだ、といった思いかたをしている」▼文豪幸田露伴の晩年を世話したことで知られる文さんは、父露伴から生活の在り方を厳しく仕込まれた。新年は、住まいの掃除や整とんは無論のこと「志は第一に新しく改め」一線のけじめZをつけて迎えることを習いとしてきた▼そうしたけじめの引き方は、昭和も後半になると緩んできたのだろう。住まいの掃除は、いつもどおりに掃除機をかけるだけで済ませ、障子の張り替えもしない。現代の住まいでは、障子ばかりか神棚のない家も珍しくない▼大みそかから元日にかけ、テレビを見ながらゆるゆると時間を過ごすのが、ごく一般的な新年の迎え方ではなかろうか。それでも初詣では欠かせないと函館八幡宮や亀田八幡宮などには、市民が途切れることなくやってくる▼願うのは家族の健康や受験合格、恋愛成就などのご利益だろうが、詣でることですがすがしい気分が味わえる。文さんのように凜(りん)とした志の一新はないかもしれないが、何らかの感懐を抱くきっかけにもなる▼さて、今年は前途にどんな出来事が待っているだろうか。多事多難より平穏無事がいいのはもちろんだが、地域も国内外もさまざまな難題に直面しているのは事実だ。当コラム子は、皆様にいいことがたくさん訪れる年であるよう願いながら、これから初詣でに出かけることにします。(S)


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