平成20年11月


11月30日(日)

●インド門は、船でムンバイに到着する人々が最初に目にするモニュメントだ。門は1911年、この地を訪れた英国王ジョージ5世とメアリー夫妻を記念して建設が決まり、24年に完成した▼高さ26メートルの堂々たる構えは、イスラムの建築様式を伝えている。北インド・アグラの世界遺産タージマハルが、イスラム建築の最高傑作であることを思い出すまでもなく、インドにはイスラム文化が根付いている▼インドが独立を達成した翌48年、最後の英国軍は、インド門を通って母国に帰還した。そうした由緒ある経済の中心都市で起きたテロ事件である。事件には、イスラム過激派の関与が明らかになった▼テロリストたちは、船でムンバイに上陸したとの報道もある。だとするとインド門を目標に近づき、襲撃地点の高級ホテルやユダヤ教関連施設に殺到したとも考えられる。高性能の銃器で武装している点が、これまでの爆弾テロとは異なる▼タイムズ・オブ・インディア紙(電子版)によると犠牲者は195人に上る。テロリストたちは、占拠していたタージマハルホテルの爆破も計画していたという。爆破されたら犠牲者が増える可能性もあった▼治安部隊は、抵抗を続けたタージマハルホテルのテロリストたちを29日に殺害、作戦を終えた。だが、日本人をはじめ外国人が狙われたことは、外資導入で発展してきた経済に不安を与える。インドが蒙った打撃は大きい。(S)


11月29日(土)

●定額給付金と消費税率引き下げとどちらが効果があるだろうか。そんな問いがふと頭をかすめる。英政府が景気対策のために、消費税(付加価値税)の減税を実施する方針を固めたとのニュースに接したからだ▼米の金融危機に始まった景気後退に対し、各国はさまざまな対策を講じている。日本では2兆円の定額給付金を大々的に打ち上げた。所得制限を設けるかどうか麻生首相の発言は迷走したが、年度内に支給するという▼政府の思惑は、国民が臨時収入の大半を消費に振り向けてくれることだろう。そうすれば消費を刺激し、景気対策にも貢献する。だが、受け取った給付金は、将来の出費に備えて貯蓄に回されるとの見方も根強い▼英の減税は、現行の消費税率17・5%を15%に引き下げる内容だ。2・5%幅の引き下げは約1・8兆円の減税に相当するというから、日本の給付金の規模とほぼ等しい。英だけではない。欧州連合(EU)も加盟国に対し消費税の引き下げを求めた▼日本の消費税率5%は、欧州に比べると低い。個人消費のテコ入れを図るため税率を下げる余地が乏しいのは事実だろう。まして引き上げが将来の課題となっている現状では、一時的といえども下げにくい▼さて、給付金と減税のどちらに軍配が上がるか。給付金は予算が通らないと絵に描いたモチになる恐れもあるのだから、果たして土俵上に立てるのかいささか不安になる。(S)


11月28日(金)

●日光東照宮にある幼年期のサルの彫刻は「見ざる」「聞かざる」「言わざる」の表情だ。子どものころは、悪いことを見たり・言ったり・聞いたりしないで素直なままに育てという親ごころが込められている▼「元事務次官を殺した」と警視庁に出頭してきた小泉毅容疑者(46歳)は高校卒業時の寄せ書きに「みざる、きかざる、ゆ(い)わざる」の一文を寄せていた。中高校時代は「人付き合いがよく、にぎやかなタイプで、しゃべりやすかった」という少年▼成績も優秀だったのに…。「昔、保健所に家族(ペット)を殺された仇討ちだ。マモノ(元官僚)1匹とザコ(マモノと共存しているもの)1匹を殺したが、やつらは罪のないペットを殺している。無駄な殺生をすれば、それは自分に返ってくると思え」(サイトの書き込み)▼自分の不遇や不平不満を悪い官僚が作った社会のせいだと、官僚への歪んだ憎悪を募らせたのか。近くのお寺に「鐘がうるさい。眠れない」と癒やしてくれる梵鐘の余韻にまで八つ当たり。ナイフを10本も買い込み、10人の酷い殺害計画を立てるなんて▼「これほど悪いやつがおるんかという気持ち。裁判を受ける前に自分で腹を切れといいたい。わが身をささげたい気持ち」と怒る父親。「悲惨な殺生をすれば…」は必ず自分の身に返って来るのだ。“三猿の叡智”の心が少しでも残っているなら、一生をかけて罪を償うべきだ。(M)


11月27日(木)

●東京に住むトルコ人の知人が「なぜ、七面鳥なんだ」と嘆いていた。英語でトルコ(Turkey)は、七面鳥と同じつづり。オスマン帝国を築いた誇り高きトルコが、七面鳥と呼ばれることに納得がいかないのだ▼だが、晩秋のこの時期、米では七面鳥が年に一度の主役に躍り出る。スーパーマーケットには、羽をむしられ、内臓を抜かれた一匹丸ごとの七面鳥が並ぶ。サンクスギビングデー(感謝祭)の食卓に上るご馳走だ▼感謝祭は1621年、イギリスからの移住者が先住民とともに収穫を神に感謝したことから始まったとされる。当初は宗教的な行事だったが、現代では家族や親類、友人らを招いたパーティーが主流だ▼感謝祭の朝、主婦は七面鳥の腹に詰めるスタフィングの準備を始める。角切りのパン、玉ネギ、セロリなどをいため腹に詰めると、オーブンに入れ数時間かけてローストする▼焼きあがった七面鳥を切り分けるのは父親の役割だ。肉には甘酸っぱいグレービーソースやクランベリーソースをかけて食べる。11月第4木曜のきょう、米の各家庭ではそんな光景が見られる。日曜日までの4日間は感謝祭休暇だ▼感謝祭からクリスマスへと続く期間は、いつもなら消費者の買い物が最高潮に達する。ところが今年は景気後退の影響を受け、消費が弾まないらしい。七面鳥を囲んだディナーの席でも浮かれ気分は乏しいのかな、と想像する。(S)


11月26日(水)

●鴨川を渡る風が冷たく感じられるころ、京都に歌舞伎役者のヒノキの看板が掲げられる。鴨川にかかる四条大橋の東に建つ南座の「まねき上げ」だ。きのう、人気役者58人の名を書いた看板が勢ぞろいした▼「まねき」は、独特の丸みを帯びた勘亭(かんてい)流という書体で書かれる。人間国宝の坂田藤十郎さんをはじめ、「吉例顔見世興行」に出演する役者たちの名だ。「まねき上げ」は古都に一足早い師走を告げる風物詩だ▼函館でもこの時期、師走を迎える準備が加速する。五稜郭跡を光で彩る「五稜星(ほし)の夢」が12月1日から始まるのを前に、約2000個の電球を取り付ける作業が連休中に行われた。きのうは五稜郭タワーのクリスマスツリーが点灯された▼郊外の銭湯に行くと、露天風呂の周りがイルミネーションで輝いていた。トナカイが引く橇(そり)とサンタクロース、雪だるま、クリスマスツリーがおとぎの国を演出する。見とれて思わぬ長風呂になった▼道内の内陸部では氷点下20度以下の冷え込みを観測した。11月としては、20年ぶりの記録だそうだ。景気後退が、個人の懐にも響き始めている現状を考えると、先行きの寒々しさに思わず身がすくむ▼だが、縮こまってもいられない。顔見世興行が、華やかな演出でにぎわいを招くように、函館・道南に住む私たちも地域を盛り上げる趣向には事欠かない。来週はもう師走入りだ。(S)


11月25日(火)

●個人消費の拡大と景気浮揚にと、地域振興券が発行されたのは1999年。15歳以下の子供がいる世帯主や所得が低い高齢者などを対象に、市町村が1人当たり2万円の商品券を支給した▼全国で発行されたのは総額6194億円。券はほぼ使用されたが、実際の景気浮揚効果は2000億円程度だった。振興券は使ったが、国民は浮いたお金を貯蓄に回したためだ▼当時、函館近郊のある町で、地域振興券の使用状況を聞いた。学生服や自転車など、もともと購入予定の商品代に多くが充てられていたという。振興券でさらなる消費を、との国の狙いは空振りだったようだ▼同じような券でも、商工会などが発行するプレミア付き商品券は住民に好評だった。道南のある商工会では額面1000円の商品券を850円で発行し、特典を付けた。購買力の町外流出を抑え、地元商店街を少しでも潤すため、民間主導で頑張った。額面5000万円分を完売したときの関係者の笑顔を思い出す▼商品券でなくとも、歳末大売り出しや福引、スタンプカードやクーポン券の発行など、商店街や飲食店のサービスは多彩。財布のひもを緩めさせるには知恵の結集が必要だ▼翻って、特別給付金。過去の「バラマキ」をみれば、総額2兆円がそのまま個人消費の純増になるとは考えにくい。なぜ、貯蓄に回るのか。その根っこに手を添えるのが政治ではないだろうか。(P)


11月24日(月)

●坂本龍馬のファンである東京の知人が、「龍馬祭2008」を見に来函した際、「函館空港のロビーで異人さんに連れられて上京する『赤い靴の少女の小像』と『観光ガイドをするイカロボット』が迎えてくれた」と感激▼赤い靴はいてた〜のモデルとなった少女・岩崎きみちゃんが母親と静岡から函館東浜桟橋に降り立ったのは105年前の吹雪の日で、1歳だった。その後、母親が留寿都村の農場へ入植する際、病弱のきみちゃんは函館の米国人宣教師夫妻に預けられた▼任期を終えて帰国することになった夫妻は結核を患っていたきみちゃんが長旅に堪えられないと判断。東京の孤児院に預けられ、9歳で亡くなった。母親は訃報を知るまで米国に渡ったものだと信じていたという。函館は母子別離の悲しい地だった▼「赤い靴の少女の悲話は函館から始まった」と函館開港150周年のイベントとして等身大の像が来年6月に東浜岸壁に建立される。東京(きみちゃん)静岡県(母子像)横浜(赤い靴はいてた女の子)留寿都(母思像)小樽(赤い靴 親子像)に次いで6つ目▼胸に手を当てて母親と別れた函館を振り返る小像は空港の国内線通路に設置。函館工業高専の学生らが作った観光案内用のイカロボットが市電の模型に乗って「ここは赤い靴の少女が過ごした西部地区で〜す」とガイドしている。きみちゃんもイカ刺しを食べたのだろうか。(M)


11月23日(日)

●何かのきっかけでふと思い出すタイトルがある。「存在の耐えられない軽さ」は、そのひとつである。チェコの作家ミラン・クンデラが1984年にフランスで発表して世界的なベストセラーになった▼同名のタイトルで米で映画化され、日本でも公開されたからご記憶の向きもあろう。東西冷戦下に起きたチェコスロバキアの民主化運動「プラハの春」を時代背景に脳外科医の主人公の恋愛を描いていた▼発言の撤回と陳謝が続く麻生太郎首相の言動は、何だかこのタイトルみたいだな、とつい思い浮かべてしまった。首相は自ら「キャラが立つ」と言うように持ち味の軽みを隠そうとしない▼オタク文化や漫画に詳しく、口調も時としてベランメエだ。それはそれで、若者受けする首相の特異なキャラクターだろうから、あげつらうのは言葉尻をとらえてウンヌンするようなものだ▼でも、一国の首相としては、ここのところ首を傾げたくなる言辞が多すぎないだろうか。中でも「(医師は)社会的常識がかなり欠落している人が多い」には驚いた。日本医師会と歩調を合わせ道医師会も「理不尽な発言で看過できない」と抗議文を送った▼与党の「選挙の顔」の期待を集めて首相に就任してから2カ月。解散・総選挙はずるずると先送りされ、その間に支持率も下降している。言葉の軽さがこの先も治らないようだと選挙を待たず「賞味期限切れ」になる恐れも。(S)


11月22日(土)

●振り込め詐欺が一向になくならない。手口が広く周知されているのに、電話口から聞こえる切迫した声に冷静さを失ってしまう。詐欺を働く側は実に巧妙だ▼息子や孫になりすまして窮状を訴え、送金を求める「おれおれ詐欺」や架空請求詐欺、還付金詐欺など手口が多様化する中、警察庁は04年暮れに名称を「振り込め詐欺」に統一した。交通事故の示談金や勤務先での使い込みなど、電話口の架空話はさまざまで、高齢者が主に狙われる▼捜査当局の摘発も相次いでいるが、今年は8月末までに全道で397件、約4億5000万円の被害があり、函館中央署管内だけでも19件、約3400万円に上るという。件数は前年同期を上回っている▼道警函本などは啓発標語を刷り込んだトイレットペーパーを配布し、独居老人宅の電話機の前に注意のチラシを張り付けている。金融機関のATM周辺では行員らも警戒を強めている。被害を食い止めようと皆懸命だ▼それでも息子や関係者、弁護士役など多人数でストーリーを仕立てる劇団型犯罪も含め、詐欺グループは容赦なく襲い掛かる。まずは電話を受けても動揺したり、慌てたりせず、「詐欺だな」と疑ってほしい。そして親族や警察に相談すること▼身内が被害に遭わない措置を考える必要もある。離れて暮らす親に電話で注意を促し、「そんなに金に困る状況にはないから」と告げておくのもいい。(H)


11月21日(金)

●〈屋根の雪おろしします。げんかんまえもすっきりします。雪おとこ株式会社〉。そんなチラシが新聞にはさまってきた。一人暮らしのハナばあさんは、さっそくチラシに載った番号に電話をして雪おろしを依頼する…▼「北海道の童話」(リブリオ出版)に収載された短編「雪おとことハナばあさん」(斉藤久美子作)の導入部だ。やってきた雪おとこは、屋根の雪をプオーッと息で吹き飛ばし、家の周りは大きな手でたちまちきれいにした▼道南が本格的な雪化粧に包まれたきのう、雪おとこの手を借りたいと願った家庭が多かったのではなかろうか。朝から家の前の歩道を雪かきする姿が見られた。会社で駐車場の除雪をなさった社員もおられよう▼車の屋根には、10aほども雪が乗っていた。気温が下がり、道は凍結した。滑り止めの付いた靴を履いていても、凍結路を歩くときは、少し腰が引ける。冬道への慣らし期間は、歩行者も車も細心の注意が必要だ▼午後、学校帰りの子どもたちが、雪球を作って投げあったり、積もった雪を蹴飛ばしながら歩いたりしているのに出あった。冬の到来に戸惑う大人を尻目に子どもたちは元気いっぱいだ▼〈きっぱりと冬が来た〉(高村光太郎の詩)。この先、暖気で雪がザクザクになることはあっても、春の訪れまでいつ降り出すか分からない空模様が続く。雪かき代行があればなあ、と童話を読みながら空想する。(S)


11月20日(木)

●鍋物のおいしい季節だ。タラちり、石狩鍋、寄せ鍋…と想像を巡らせただけで東海林さだおさんが描くサラリーマン漫画の主人公みたいに口の端からよだれがこぼれる。北国の冬は食の楽しみが倍加する季節でもある▼函館市内の行きつけの和食店でも鍋のメニューが増えた。腹の空き具合と懐に相談して鍋を注文する。あっさりした湯豆腐であったり、味噌との相性が抜群のカキの土手鍋だったり、何を選んでもうまい▼鍋から立ち上る湯気の向こうで笑顔をほころばせる親父さんとの会話も楽しい。景気後退の冷たい風もいっとき忘れてささやかな幸福感に包まれる。そこにおいしい一献があれば、なおさらうれしい▼ボジョレ・ヌーボーといっても、もはや珍しくはない。バブル経済の1980年代にもてはやされたようなありがたみは薄れてしまった。11月の第3木曜、つまりきょうがヌーボーの解禁日だが、買いに走るマニアは多くはないだろう▼この新酒ワインは、鍋物にもよく合う。熱々の鍋を楽しみながらきりっと冷えたヌーボーを口にする。のどを通る新酒の香りが鼻腔に広がり、陶然とした心地よさに浸る。年に一度のご褒美だ▼道南はきのう、この冬初めて本格的な雪になった。家庭でも温かな鍋を囲んだ夕食風景が広がったことだろう。お父さんが傾けたのは缶ビールだろうか。冬の鍋は家族の団らんに欠かせない食卓の主役だ。(S)


11月19日(水)

●母は来ました この岸壁に〜 戦後、ソ連ナホトカからの引揚船が舞鶴港に入るたびに息子の姿を求めて「もしや、もしや」と6年間も待ち続けた『岸壁の母』。モデルとなった端野いせさんは息子の戦死通知が届いても信用しなかった▼「必ず帰ってくる」と37年間の願いもむなしく81歳で亡くなった。あれから27年。先ごろ、北朝鮮に拉致された市川修一さん(当時23歳)の母親のトミさんの訃報。短波ラジオで「新しい家に修ちゃんの部屋をつくりました。会えるまで頑張ります」と呼びかけた『拉致被害者の母』▼トミさんは修一さんから初給料で大島紬をもらった。「帰ってきても病気だったら悲しむ」と、寝たきりにならないように、周辺の散歩が日課。自分で料理も作り、台所で倒れた時も息子の朝ごはんを作っていた最中だった▼北朝鮮は6年前に修一さんの「死亡」を通告してきたが、トミさんは生存を信じ、わが子を抱きしめることを信じて、被害者全員の無事を祈り続けた。でも「北朝鮮から早く取り戻して」という30年間の願いもむなしく、91歳で亡くなった▼31年ぶりに見つかった横田めぐみさんのオルゴールを手に、母親の早紀江さんは「あの子はちゃんと生きてるんです」。なぜ飛んで来てはくれぬのじゃ、せめて一言〜 『拉致被害者の母』も『岸壁の母』も胸が張り裂ける想いだろう。涙腺が緩み、北朝鮮への憤りがこみ上げてくる。(M)


11月18日(火)

●ロバート・デ・ニーロとメリル・ストリープの2大スターが共演した米映画「恋におちて」は、ニューヨーク・マンハッタンの書店で互いに知らない2人が出会うところから物語が展開する▼2人は家族へのクリスマスプレゼントを買いに書店を訪れたのだった。買った品を取り違えたことが知り合うきっかけになった2人は、郊外とマンハッタンを結ぶ通勤列車の中で偶然に再会する▼家族がありながら互いにひかれ合う中年男女の恋心は、抑制が利いた大人の恋愛の理想の姿を映し出していたと言えるかもしれない。だから、見終わった後にしっとりとした余韻が残るのだろう▼この映画を思い出したのは、最初の場面の書店が、クリスマスの飾り付けに彩られ、多くの買い物客でにぎわっていたからだ。ニューヨークでは、ロックフェラーセンターの巨大ツリーが点灯されるとクリスマスムードが一気に高まる▼それはまた、クリスマス商戦の開幕を告げるファンファーレであり、プレゼントや年末の買い物に人々がどっと繰り出す。デパートやスーパーなどもこの時期に大規模なセールを行い、消費意欲をかき立てる▼ところが、今年は景気の低迷でクリスマス商戦に期待が出来ないという。日本でも昨日、国内総生産(GDP)が二・四半期連続でマイナスになり、経済財政担当相が景気の後退を認めた。日米で懐の寂しいクリスマスを迎えそうな予感が強まる。(S)


11月17日(月)

●今年の菊人形は紫式部の「源氏物語」が目立つ。訳本や解説本、現代語訳、漫画など140冊を集めた市中央図書館の「源氏物語を読もう」展を訪れた。国宝の源氏物語絵巻なども写真で紹介しており、世界最古の長編小説の世界を堪能した▼源氏物語千年記は紫式部日記の寛弘5(1008)年11月1日の条に「源氏物語が既に宮中で読まれていた」という記述があるため。物語に流れる「もののあわれ・無常」と「美意識」は日本文化の源泉とも言われ、1000年も読み継がれてきた▼物語は54帖(巻)もあり、読み出しても根気が続かず、12巻目の「須磨」あたりで投げ出してしまうことから、「須磨がえり」という言葉もある。「篤姫」を支えた勝海舟の蔵書印のある写本は「須磨」を過ぎた32帖目まであり、海舟は全帖を読んだのだろうか▼現代語訳の瀬戸内寂聴さんは若い人は「宇治十帖」から入ることを勧めている。2人の男性に身を任せて悩む浮舟。「心は自分を救ってくれて薫を尊敬しているが、性愛では匂いの宮の方がよかった。精神と肉体の乖離(かいり)を描いている」と▼女性の生き方を巡る「男女の業(ごう)とaオ藤」は古今とわず普遍。古典の魅力は七五調などの言い回しや形式の美しさが醸し出す心地よいリズム。「雪の描写」も100カ所に出てくる。時空を超えた貴重な文学遺産。現代語訳や漫画でもいい、今一度、読んでみよう。(M)


11月16日(日)

●カラオケに一人で行くことを「ヒトカラ」と呼ぶ。最近増えているという。個室の中で一人きりで歌って楽しいのかなと思うが、ひそかに歌を練習したり、気兼ねなく好きな曲を歌い続けられるのが魅力らしい▼ちなみに二人で行くのは「フタカラ」と呼ぶのだとか。どんな形であれ、大声で歌って自己満足し、ストレスが発散できればそれでいい。間もなく忘年会シーズンだ。カラオケ店もにぎわうだろう▼あるサイトに、OLがおじさんに歌って欲しくない曲の順位が載っていた。平井堅の「瞳をとじて」、モーニング娘。の「ラブマシーン」、尾崎豊の「I LOVE YOU」…。何を歌おうと自由だろうが、必要以上に感情を込めたり、無理に若者の曲を歌うのは「キモイ(気持ち悪い)」ということのようだ▼でもそんなことは気にする必要もない。上手い下手など関係ない。がなり立てるしか能がなくてもいい。マイクが回ってきたら好きな曲を歌おう▼大勢で繰り出すと、仲間の意外な面が見えてくるのも面白い。物静かな男が一転、激しい振り付けで周りを圧倒することもある。翌日、声がかすれているのを笑い合うのも悪くない。会話の糸口にもなる▼過日、同僚10人ほどで函館市内のカラオケ店に行った。初めて耳にする曲も多かったが、何より驚いたのは誰もが極めて上手に歌い上げること。もしかして、これってヒトカラ効果?(H)


11月15日(土)

●〈めでたさも 中くらいなり おらが春〉。小林一茶が新年に詠んだ句だ。老境に差し掛かってから古里に戻った一茶は、辛い思いを重ねることが多かった。正月を素直には祝えない心境をこの句に託した▼政府が年度内支給を目指す定額給付金について一般の受け止め方は、ありがたさ半分、本当かしらと疑い半分といったところだろうか。何しろ財源を裏付ける補正予算案が通る見通しが立っていない▼総額2兆円の給付金をめぐり、支給に所得制限を設けるかどうか、政府の方針は迷走した。麻生太郎首相は10月30日に新総合経済対策を発表した際は全所帯に支給すると言明した▼だが、高額所得の世帯に出す必要はない、との主張が閣内からも起こると、首相の方針はぶれた。結局、所得制限を設ける場合の下限は1800万円で与党は合意したが、判断は自治体に丸投げした▼自治体側には不満と困惑が渦巻く。ただでさえ忙しい年度末に事務量が増大する。その上、所得制限をするかしないかの判断を押し付けられた。周辺自治体と違いが出るとまずいとの思惑が判断を難しくする▼函館市も戸惑っている。市職員は西尾市長はじめ所得制限にひっかかるケースはなさそうだというが、市内には1800万円以上の所得を得ている人たちもいる。とらぬ狸の皮算用になる恐れもないとはいえない。空手形になったら中くらいのめでたさもない。(S)


11月14日(金)

●「ふしゅう」を日本語大辞典(講談社)で引くと俘囚と腐臭が載っている。俘囚はとりこ、捕虜、腐臭は腐ったものから出るにおいと説明がある。どちらもさほど多く使われる言葉ではない▼麻生太郎首相は国会で「ふしゅう」という答弁を重ねているという。使うのは、日本の戦争責任に関して問われた場合だ。先週の参院本会議で95年の村山富市首相談話を「ふしゅう」すると答弁したと朝日新聞が伝えている▼首相は先月も慰安婦問題で93年の河野洋平官房長官談話をやはり「ふしゅう」すると答弁。外相だった昨年も同様の答弁をしたそうだ。いずれの答弁も事務当局の問い合わせで「踏襲」のことだと分かり、議事録では直されている▼村山談話は先の大戦についてアジア諸国へのおわびと反省を表明した。河野談話は慰安婦問題に旧日本軍の関与を認めた。二つの政府談話に対しては自民党タカ派を中心に異論が根強い▼参院に参考人招致された田母神俊雄・前航空幕僚長は、政府見解の村山談話で言論の自由が制約されるのはおかしいという趣旨の発言をした。更迭の理由となった自らの論文をあくまで正しいとする考えの表明だ▼前航空幕僚長の発言は、首相が再三「踏襲」と答弁している政府談話への挑戦とも受け取れる。まさか首相は談話が政府を〈とりこ〉にしばる重荷だと思っているのではあるまい。「とうしゅう」は国際的な宣言でもある。(S)


11月13日(木)

●「外務省よりも北海道開発庁の職員が多いのはいかがかと思う」。今の言葉ではない。10年ほど前、現職の衆院議員だった佐藤孝行さんが講演で述べた▼現在の外務省職員は本省に約2200人、在外公館勤務を含めると約5500人。減員して省庁再編後も残った北海道開発局の職員は約5600人。たびたび浮上していた開発局の再編が現実味を帯びてきた▼佐藤さんは「内政の失敗なら誰かが後始末すればいいが、外交の失敗は子や孫の代まで影響する」と強調した。開発庁の職員は多いだろうが、それにも増して国益を担う外務省の職員が少ないことが問題だ、との趣旨だった▼政治家の発言は、時間を置いてその通りになることが多い。外務省は2006年、職員の2000人増員や大使館新設などの方針を示した▼佐藤さんは別の講演で「農業に今、本格的な統計業務が必要でしょうか」とも語った。その後、農水省函館統計情報事務所は再編を経て、函館統計・情報センターという小規模な組織となった。佐藤さんは、時の政府が展望していた省庁出先機関の統廃合を例示したのだろう▼開発局の再編はまだまだ議論が必要だ。政府予算の一括計上や北海道に手厚い国の補助率、職員の受け皿問題など、整理すべき課題は少なくない。二重行政の解消や行政のスリム化が時代の流れであっても、このまま道に移管されると道の組織が肥大化する。(P)


11月12日(水)

●函館市出身の作詞家川内康範さんが、ヒット曲「おふくろさん」誕生の経緯を次のように書いている。「ある日突然、森君がお母さんを伴って、当時私の事務所があったホテル・ニュージャパンを訪ねてきた」▼森君とは人気歌手の森進一さんのことだ。川内さんは森さんのお母さんに「母の面影を重ねあわせていた。それがきっかけでこの作品はできた」と明かしている(「昭和ロマネスク」黙出版)▼川内さんにとって「おふくろさん」は、数多い作品の中でも特別な思い入れがあったのだろう。森さんの母が自殺したときは、川内さんが葬儀を取り仕切り、自ら読経までしたと伝わっている▼そんな「おふくろさん」を森さんが歌うことを禁止したのは、よほど腹にすえかねる怒りがあったからだ。きっかけは、森さんが川内さんの承認を得ないで原曲にはない語りを付けて歌ったからだとされている▼騒動のあらましは、昨年民放テレビでも取り上げられたから記憶されている方も多かろう。まして川内さんは地元出身だけにことの成り行きに関心が集まった。だが、ファンとしては森さんの熱唱が聞けないことが残念でもあった▼そんなジレンマに終止符が打たれた。4月に亡くなった川内さんの遺族と森さんが和解し「おふくろさん」が帰ってくることになった。森さんは今後原曲に忠実に歌うそうだ。川内さんもほっとしているかも知れない。(S)


11月11日(火)

●中高校生のころ、興味本位から校庭でタバコを吸った。お祭りには酒も飲んだ。「タバコぐらい」と悪い大人にけしかけられたことも。ちょっとスリルがあって、不良ぽくって、格好よかった。今だったら大麻汚染に走っていたかも▼約2万人に薬物を密売したイラン国籍の男は多い月は2000万円も荒稼ぎ。「日本人は金があるし、まじめに払うからやりやすかった。こんなに薬物を買う人がいて日本は大丈夫かなと心配になった」と供述、薬物汚染が学生、会社員、公務員へと拡散していることを証明した?▼特に大麻取締法違反が多い。読売新聞の緊急調査では、この4年間で少なくとも10大学で43人が摘発されている。今年も大学生らが昨年を上回るペース。キャンパスで大麻を売買していた慶大生や2年間で250回も吸引していた同志社大の女子大生ら▼慶大生には「私学の雄の社会的権威と信頼に打撃を与えた」と有罪判決。プロテニスの男子選手も所持で逮捕された。大麻の茎は縄や袋など麻製品に利用されており、栽培は知事の許可を受けた農家だけ。このため大麻の「使用」には罰則規定はなく、所持を裏付ける証拠がなければ摘発は難しいという▼種子などはネットで簡単に入手でき、公園で栽培していたケースも。好奇心から軽い気持ちで始めた吸引が依存症に。もっと悪性の強い薬物に走るきっかけにもなる。大麻取締法ができて60年、見直す時期だ。(M)


11月9日(日)

●涼楓(すずか)ちゃん(11)は、奥本家の家族バンド「すずちゃんズ」のキーボート奏者だ。演奏スタイルはちょっと変わっていて、涼楓ちゃんはストレッチャーに横たわったままキーボードに向かう▼函館市芸術ホールで8日開かれた障がい者の「ふれあいコンサート」にすずちゃんズは初出演した。メンバーは、ギター演奏がお父さんの修滋さん、ピアノがお母さんの静江さんとお姉さんの静楓(さやか)さん▼涼楓ちゃんの横には、お母さんかお姉さんが付き添う。演奏が始まると涼楓ちゃんは、しっかりと鍵盤を押さえ、メロディーを奏でる。レパートリーは童謡を含め20曲になるとお母さんが教えてくれた▼この日は、タンゴの名曲ラ・クンパルシータや民謡のソーラン節など4曲を披露した。演奏が終わると会場からひときわ大きな拍手が起きた。涼楓ちゃんは、会場に向かって手をひらひらさせて歓呼に応えた▼涼楓ちゃんは、全身にさまざまな障害が起きる難病のミトコンドリア筋症にかかっている。生まれてから4歳半まで入院していた。いまも人工呼吸器を装着し、食事もつるっとのどを通るもののほかは流動食だ▼そんな涼楓ちゃんが、家族と暮らすようになった5歳のとき、お母さんが与えたキーボードに興味を示した。音楽好きの一家にこうしてキーボード奏者が誕生した。笑顔が優しい一家は、コンサート会場に温かな交流の余韻を残した。(S)


11月8日(土)

●〈巷(ちまた)に雪のつもるやう/憂ひはつもるわが胸に〉。文豪永井荷風が「若(も)しもわたくしが其(そ)の国の言葉の操り方を知ってゐ(い)たなら」と断り書きの後に書き付けた詩の一節だ▼仏の詩人ヴェルレーヌの有名な詩句〈巷に雨の降るごとく/わが心にも涙ふる〉を思い浮かべて即興で作った。荷風の胸に積もるのは、どんな憂いだったのだろう。孤独に生きたその胸中はうかがい知れない▼男女の心の機微を描いた「 東綺譚」や40年余書き綴った日記「断腸亭日乗」などで知られる荷風は、東京の下町を愛した。一人暮らしの晩年は、よく浅草などのレストランに出かけていた▼荷風が歌った雪のつもる〈巷〉は、しもた屋が並ぶ下町がふさわしい。その中を懐に手を入れ、えり巻に首を埋めた荷風がやや前かがみになって歩いていく。そんな姿を思い描いてみる▼立冬の昨日、函館は未明に雷が鳴った。豪雪地の日本海側で雪下ろしと言われる雷だ。冷たい風が一日中吹きすさび、携帯画面の天気予報に雪だるまのマークが流れた。市内の初雪は昨年より11日早く、すでに観測している▼寒気にせかされるように分厚い冬物を衣装ケースから引き出し、車のタイヤ交換にガソリンスタンドに駆け込む。荷風が見た昭和初期の下町の雪化粧とは異なり、北海道の雪は準備と心構えを持って迎えなければならない。本格的な雪の季節がそこまで来ている。(S)


11月7日(金)

●法律の名称と実態とはしばしば異なる。小泉政権の2006年に施行された障害者自立支援法に対し、障害者自らが憲法違反だとして提訴したのは、むしろ自立を妨げる法律だと知ったからだ▼この法律が出来た背景には財政難がある。それまで福祉サービスを利用する際の自己負担額は、所得に応じて決まる「応能負担」だった。それが法によって、利用料の原則1割を負担する「応益負担」に変更された▼障害者の多くは、年金や福祉作業所でのわずかな賃金に頼る生活をしている。その収入は、働く貧困層よりも少ないのが大半だろう。そんな障害者が食事や入浴、外出時の介護などの費用負担に耐えられなくなった▼自立して生活するには、福祉サービスが必要なのに、お金が乏しくて頼めない。これじゃ、自立支援に逆行している、というのが障害者の訴えだ。実際、法施行後に負担が増え、サービス受給を断念するケースが表面化している▼今回提訴したのは1都2府5県の障害者29人だ。だが背後には支援法の矛盾を実感している多くの障害者や家族、作業所職員などがいる。障害者が拠り所としている作業所への補助金がカットされ、受け入れを断るケースも報告されている▼支援法は施行から3年後の来年度に向けて、厚労省の審議会などで制度の見直し論議が進められている。今回の提訴をきっかけに、自立支援の本来の趣旨が実現するよう願う。(S)


11月6日(木)

●1950年代から60年代にかけ黒人の権利拡大を求める公民権運動が米社会に燃え上がった。発端は、南部アラバマ州の州都でバスの白人専用席に座った黒人女性が、逮捕された事件だった▼55年12月に起きたこの事件をきっかけに黒人のバスボイコット運動に発展し、やがて全米に大きなうねりが広がる。運動が最高潮に達したのは63年8月、首都ワシントンを埋め尽くした20万人の大行進だ▼この時、黒人運動指導者のキング牧師が「私には夢がある(I have a dream)」と聴衆に語りかけた演説は、格調の高さと力強さで名高い。それから45年、超大国大統領の夢の座を初の黒人がつかんだ▼キング牧師が歴史に残る演説をしたころ、バラク・オバマ次期大統領は2歳だった。演説の翌64年にノーベル平和賞を受賞し、それから4年後に暗殺されたキング牧師に幼少のオバマ氏はもちろん会ってはいまい▼だが、差別撤廃のために戦ったキング牧師の功績は、自らの出自に重ね合わせて常に脳裏にあっただろう。演説でオバマ氏は「(黒人も白人もなく)われわれは、アメリカ合衆国なのだ」と融和と団結を訴えた▼ブッシュ政権の8年は、イラク戦争やアフガニスタン派兵が象徴するテロとの戦いの泥沼化や格差拡大など負の遺産を残した。「変革」を掲げるオバマ氏は、超大国のかじをどう切り替え、世界と向き合うのか。新大統領は来年1月就任する。(S)


11月5日(水)

●はがき5円、かけそば30〜35円、タバコのゴールデンバット30円、学生アルバイト(田植え・麦刈り・3食旅費付き)日給300円だった。駄菓子屋や丸い郵便ポストが健在だった。「ALWAYS 三丁目の夕日」の東京タワー工事が急ピッチの年▼あなたを待てば雨が降る 濡れてこぬかと気にかかる〜 昭和30年代の巷に、甘く低く「有楽町で逢いましょう」が流れていた。七三の髪に、きりりっとネクタイ、マイクを薬指に挟んで、レトロな“ダンディー”な姿が忘れられない▼そのフランク永井さんの悲報が流れた。センバツ高校野球で王貞治投手を擁する早稲田実業が優勝、強打者・長嶋茂雄の立教大が六大学野球で優勝、労働争議や安保闘争などが繰り広げられた時代を、デビュー曲「恋人よわれに帰れ」などで癒やしてくれた▼米軍のクラブ歌手だった経験から英語に堪能で「霧子のタンゴ」などの英語版も。23年前、女性問題で自宅で自殺を図ったが、発見が早く一命を取りとめた。子どもの養育費などで悩んでいたという(後でDNA鑑定で無関係と判定)▼会話が不自由になり、脳に重い後遺症が残り、懸命のリハビリにもかかわらず、再起は果たせなかった。臥牛子の青春時代の歌。ロカビリー風にカバーした「君恋し」や「おまえに」などは今も歌い継がれている名曲。「咲いておくれよ、いつまでも〜」 ソフトな低音が呼びかけている。(M)


11月4日(火)

●大盤振る舞いの大盤は、本来「椀飯(わんばん)」の漢字を当てたそうだ。文字通り椀に盛った飯を振る舞うから転じて盛大にもてなすことを意味するようになった。ご祝儀やご馳走などを気前よく施す場合に使う▼麻生太郎首相は、国民に大盤振る舞いを披れきしたつもりらしい。景気の落ち込みを防ごうとまとめた総合経済対策について、従来にない大胆なものと自賛した。なかでも目玉は2兆円の生活支援定額給付金だ▼4人家族で約6万円を年内に支給すると首相は胸を張った。2兆円を日本の人口で割り、それを4倍して出てきた数字が6万円だ。賃金は下がり気味なのに物価は上がる。苦しい家計の助けになるとの目算だ▼乏しい収入をやりくりしている主婦には、ありがたいことに違いない。だが、臨時収入のうち、赤字の補てんに消える分を除くとどの程度が消費に回るのだろう。不意の支出に備えて残しておく家庭が多いのではなかろうか▼お金を使ってもらわないと消費は上向かない。国がボーナスを支給してくれても、将来の暮らしに安心感が持てないと財布のひもは緩められない。かくして目先の需要喚起には結びつかない可能性さえある▼もう一つの目玉の高速道路料金「原則1000円」は、自動料金収受システム(ETC)搭載車限定だ。ETC普及率が低い道内では恩恵が薄い。どうやら首相が手に持つ飯椀は、上げ底になっているらしい。(S)


11月3日(月)

●全盲の糖尿病患者が、入院先の病院職員によって公園に置き去りにされた事件を覚えている方もおられよう。医療費を払わず、退院を拒否して暴言をはく患者を持て余した挙句の置き去りだった▼大阪府堺市で昨年9月に起きたこの事件は、医療が直面する問題の断面をあぶりだした。マイケル・ムーア監督の映画「シッコ」が告発した米の医療難民が、日本でも起き得ることを示した出来事だった▼米は国民皆保険制度をもたない国だ。民間の医療保険に加入し、けがや病気の際はその保険で医療費をカバーしてもらう。だが、保険料が高いなどの理由で米国民の6人に1人は無保険状態に置かれている▼日本は1961年に皆保険制度を導入した。すべての国民が公的医療保険に入り、安心して医療を受けられる体制が整った。ところが国保の保険料を滞納し、保険証を返還させられて「無保険」状態に陥るケースが明るみに出ている▼厚生労働省の調査では、無保険の中学生以下の子どもだけでも全国に3万2000人が確認された。道内にも950人いる。テレビのインタビューに答えていた母親は、子どもが熱を出しても医師に診せられないと嘆いた▼厚労省は自治体に対し短期間有効の保険証交付を求める通知を出した。だが、根本的な解決にはなるまい。保険料を払えないだけでなく3割の自己負担が重荷になり受診をためらう貧困層も増えている。(S)


11月2日(日)

●カンボジアの世界遺産、アンコールワットを訪ねたのは1993年春だ。内戦が収まりつつあり、国連監視下で民主的な総選挙を控えた時期だったが、アンコールワットに通じる道路脇にはまだ、地雷の埋設を知らせる髑髏(どくろ)マークの看板が点々としていた▼アンコール遺跡群を代表する寺院建築物だが、政権を追われたクメール・ルージュの支配下に置かれ、仏像などが破壊された。今は修復も進んでいるが、あのころは壁面に彫られた像の一部などが削り落とされたままになっていた。それでもその威容は圧倒的な力を放ち、荘厳な表情を湛(たた)えていた▼このアンコールワットの撮影に命をfイけたのが戦場カメラマンの一ノ瀬泰造だ。浅野忠信主演の映画「地雷を踏んだらサヨウナラ」(99年)、ドキュメンタリー映画「TAIZO」(03年)などでも知られる▼一ノ瀬は内戦が激化するカンボジアに単身入り、大量虐殺で知られるクメール・ルージュの網をかいくぐり、そこに迫ろうとするが、73年11月にそのまま消息を絶つ。26歳▼遺体は10年後に近くの村で確認。捕らえられて殺害されたとみられている。内戦に揺れた暗黒の歴史とさまざまな悲劇を映す遺産…▼「地雷を踏んだら―」は、カメラを奪われた一ノ瀬が追われながらアンコールワットに向かって走るシーンで終わる。せめてその目に威容が焼き付いていてほしいと願う。(H)


11月1日(土)

●独ソ戦争終了後の1943年9月。ロシア正教会の代表3人がクレムリンでスターリンと会談した。「教会は何を必要としているのか」と聞く政権側に、正教会側は答えた。「教会を復興し、神学校を開いて神父を養成したい」▼スターリンは「なぜ神父が足りないのか」と聞く。府主教セルギーが答えた。「私たちは神父を養成したのに、彼はソビエト連邦総帥になってしまったからだ」。スターリンは満足そうに「そうだった。私は若いころ、神学生だった」▼函館ハリストス正教会のニコライ・ドミートリエフ司祭は著書『きっとわかりあえる!ロシア人・日本人』(ボロンテ)で、こんなエピソードを紹介している▼国教としてのロシア正教会はざっと千年の歴史を持つ。「宗教は安物のウオツカだ」と建国の父レーニンは言った。だが共産党員はみな、子供たちにこっそり洗礼を受けさせていたようだ▼「ロシア人は洗礼を受けているべきもの、とのしきたりや生活文化があった」とニコライ司祭は言う。国家体制がどうあれ、伝統と習慣に培われた脈打つ精神は変わらない▼スターリンは府主教に、母親が、神父にならなかったことを死ぬまで残念がっていたと明かした。独裁者をかしこまらせる権威が、正教会にはあったのだろう。しかし「愛とか友情などというものはすぐに壊れるが恐怖は長続きする」という彼の語録は、神の教えとはあまりにかけ離れている。(P)


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