平成20年3月


3月31日(月)

●映画化された「たそがれ清兵衛」やテレビドラマになった「三屋清左衛門残日録」など多くの人気作品を残した藤沢周平さんを1990年に撮影した写真が手元にある。亡くなる7年前だから、藤沢さんが63歳のころだ▼写真は、書斎の机に地図を広げて見入る藤沢さんを写している。藤沢さんは右手に大きなルーペを持ち、地図の一部を拡大して調べている。下級藩士や江戸庶民の哀歓を端正な文章で描いた藤沢さんにとって、文献や地図での下調べが欠かせなかったのだろう▼ルーペを使っているのは、年齢から推して老眼だったからと思う。細かな文字が読みにくくなり、メガネで矯正しても文字の輪郭がぼやける。加齢に伴う当たり前の現象だが、ルーペを使わないと文字が見えにくいのは不便なことに違いない▼写真を見ながら本紙の読者を思い浮かべる。いま新聞を最もよく読んでいるのは、比較的高齢な方たちである。じっくりと新聞を読んで情報や知識を得るとともに笑いや喜び、怒りや悲しみも見出す。そうした読者がルーペを頼りにしていないかと気になっていた▼本紙はきょうから一回り大きい文字に切り替えた。大きな文字は高齢者ばかりか若い世代にも読みやすく目に優しい。ルーペ頼りを少しでもやわらげたいとの願いもある。文字拡大に合わせ当コラムも体裁が変わった。刷新した本紙がこれからも読者の皆様に愛されますように。(S)


3月30日(日)

●米ワシントン・ポトマック河畔のサクラが見ごろを迎えた。ワシントンポスト紙の電子版を開くと、11枚のカラー写真を掲載している。サクラは米国人にも人気が高く、全米から訪れる花見客が100万人にも達するそうだ▼ワシントンのサクラは、よく知られているように明治末期の1912年、当時の尾崎行雄東京市長が贈った。ソメイヨシノを中心に約3000本が咲き誇り、4月13日まで桜祭りが開かれている▼ポトマック河畔のサクラが全米第一であることに異論はないが、他の都市にもサクラが植えられている。その多くは日本から招かれた庭師が、丹精込めて育てた。たとえばニューヨーク・ブルックリン公園にも桜の木があり、花見時には大勢の人出でにぎわう▼今年は暖冬の影響かサクラ便りが例年より早い。東京などでは、この週末、ほぼ満開になった。日米の首都が同じ時期にピンクに彩られる。政治情勢は日米ともに視界不良だが、桜花の見事さに心を弾ませる春だ▼ポスト紙の写真を眺めていて日本の花見との違いに気づいた。花見酒の光景が一枚もない。敷物の上に酒やご馳走を並べ、飲めや歌えの歓楽のひと時を過ごす。日本の花見に付き物の写真が掲載されていないのだ▼米国人にとって、サクラの美しさを愛(め)でるのが花見で、酒食は関係ないらしい。確か米では屋外での飲酒が禁じられていた。さて、道南のサクラは松前公園や五稜郭公園など、まだつぼみが固い。それがほころぶのは一カ月後だ。それまでは、桜もちと香り高いお茶を楽しみながら待つことにしよう。(S)


3月29日(土)

●商社を定年退職した先輩は、米で大学院に進学した。子供たちはすでに独立。妻と2人、カリフォルニアの明るい日差しを浴びながら地理学の勉強に励む。長期休暇で帰国の際、居酒屋で聞く話は、いつも刺激的だ▼マスコミに勤務していた先輩は、中国の大学で日本語を教えている。福建省で2年間教えた後、昨年から札幌市の友好都市である遼寧省瀋陽市に滞在する。春節で帰国した時、生き生きした表情で若い学生に教える喜びを語ってくれた▼長寿社会の日本で定年後にどんな道を選択するかは、一人ひとりの人生観や家族の事情にかかわる。紹介した2人のように海外に飛び出す人もいれば、趣味やボランティアに生きがいを見出す人もいよう。もちろん新たな職場で働く人もいる▼そんなことを思ったのは、年度末で定年退職する人や異動が決まった人とあいさつする機会が増えたからだ。民間にせよ役所や学校にせよ、送られる側と送る側との間には、さまざまな思いが交錯する。特に長年勤めた職場を去る退職者にとっては、尽きぬ思い出があるだろう▼定年は、明治時代の陸海軍で現役定限年齢を設けたことが始まりだという。定限年齢を略して定年だ。それが民間にも広がった。ただし、当初は停年の語が使われた。定年に替わったのは、1955年からだそうだ▼「隠居と定年」(関沢まゆみ著・臨川選書)に教えられた。この本で紹介している隠居は、もう休眠語に近いかもしれない。30年余勤めた職場を去りますとあいさつに訪れた人は、隠居とはほど遠いはつらつとした表情だった。(S)


3月28日(金)

●「給油すべきか待つべきかそれが問題だ」などと気取ってはいられない。リッター25円の違いは、懐への影響が大きい。諸物価値上がりの4月を控え、政治の機能不全が思わぬ恩恵をもたらそうとしている▼もっとも後々まで続く恩恵かどうかは分からない。だが、どうやらガソリンや軽油などの価格が、一時的にせよ引き下げられるのは確実な情勢になってきた。暫定税率の廃止を巡る国会のごたごたに起因するのだから手放しでは喜べない値下げだ▼函館市内のガソリンスタンドは、レギュラーが1g当たり140円台後半を付けている。一時期は150円を越えていたから少しは下がった。それでも原油高のあおりを受けた高値が続いている。仕事や生活で車を使う人たちや企業の負担はかさんだままだ▼値下げは、確かに朗報には違いない。レギュラーを30g給油すれば、750円も助かる。サラリーマンにとっては、ランチ1食分をゆうに捻出できる額だ。スーパーのチラシを隅々まで眺め、日々の支出を出来るだけ抑えようと努力している主婦にとってもうれしいことだろう▼ガソリン税などは出荷時に税がかかるから、ガソリンスタンドの在庫分は、暫定税率を課せられている。だが、1日からは在庫分も25円値下げして販売する動きが一部で出てきている。客を奪われないようにと損を承知の出血サービスだ▼さて、給油を先延ばしするかどうしよう。ガス欠になっては困るから必要最小限だけ入れて値下がりを待とうか。国政の視界不良の余得をどう生かすか、何だか悩ましい年度末だ。(S)


3月27日(木)

●坂と海の風情あふれる函館を舞台に撮影された映画「犬と私の10の約束」を孫3人と見た。「10の約束」をめぐって、片足の先が白いゴールデンレトリバーのソックスと母親を亡くした少女あかりの交流を描く。孫たちは「約束は守らなきゃ」と真剣に見ていた▼「10の約束」はインターネットなどで世界中に広まった作者不明の短編詩。犬から飼主への「10のお願い」が綴られている。「あなたと一緒にいる時間は10年くらいしかありません」「理解しあえるのに時間をいっぱい下さい」「私をぶたないで。私はあなたをGシまないから」▼さらに「言うことをきかないときは理由があります。叱(しか)る前に考えて下さい」「私が年をとってもどうか見捨てないで下さい」などと続く。あかりは急死した母親と「10の約束」を守ることを条件にソックスを飼う。が、大人になって就職活動などに追われ、つい忘れて…▼孫たちは昨秋から飼主の老夫婦が面倒みきれなく、たらい回しになっていた老犬を飼っている。散歩に出かけても「言うことを聞かない」と文句ばかり言っているが、犬は「あなたには学校もあるし友達もいるれど、私にはあなたしかいません」と呼び掛けているのだよ▼「10の約束」を守ればブログで友だちに「死ね」など書き込むことはありえない。「10の約束」の一部が「命の重みを考える格好の教材」として、今春から小学6年生向け道徳副読本「みんなで考える道徳」に取り上げられる。ソックスが言う「たくさん、私と話して下さい」は、さらに家族の絆(きずな)を深めるのだ。(M)


3月26日(水)

●松本清張の原作を野村芳太郎監督が映画化した「張込み」は、強盗殺人犯を追う刑事を描いた。東京から佐賀市に出張した2人の警視庁刑事が、犯人の昔の女が住む家を見張る。犯人が女に連絡を取るだろうと踏んでのことだった▼真夏の暑さにじっと耐えて2人の刑事の張り込みは続く。いっときも気を緩めずに見張る刑事の緊張感が、モノクロ画面から伝わってきた。やがて女は日傘を差して外出する。女の行き先を追った刑事は、犯人にたどり着く…▼映画は50年前に封切られた。DVDにもなっているから、借りて見ることができる。巨匠野村監督の多くの作品の中でも人気の高い一作だろう。犯人を追い詰める刑事の執念に圧倒されたことを覚えている▼この映画を思い出したのは、茨城県土浦市で起きた8人殺傷事件で、捜査員が張り込んでいたにもかかわらず、犯行を食い止められなかったからだ。犯罪学の専門家や元刑事などのコメントは、問題があったことを指摘している▼警察に失態があったのかどうか、これから検証が行われるだろう。だが、テレビで感想を求められた市民は、警戒態勢を取りながら犯行を防げなかったことを批判して「怖くて外出も出来ない」と語っていた。犯行や逃走を許したことの反響は大きい▼「張込み」の刑事は、忍耐を尽くして犯人を検挙した。土浦の捜査員も全力を傾けたのだろうと信じたい。だが、手配されていた犯人を見逃し、犯行を防止できなかった事実は重い。昨日の閣議後、首相が国家公安委員長に事件の検証を指示したのも異例のことだ。(S)


3月25日(火)

●市街地の雪はすっかり解けて、本州からは開花の便り。もち米とあんこが桜葉に包まれた桜餅。この春は、お米から作られる食品に米粉(こめこ)パンが加わった。外見は食パンと変わらないが、しっとり、もちもちした歯ごたえがあって、おいしい▼パンの原料の輸入小麦が来月から大幅に値上がりするが、オーストラリアなどの減産もあって、すでに10円前後じわじわと値上がり。その中で登場したのがお米パン。カロリー控えめでヘルシーで女性を中心に人気。食料の自給自足の“主役”になるのではないか▼日本の食料自給率39%を基準に農水省が試算した「1日の食事例」によると、朝食は茶わん1杯のご飯、ジャガイモ2個、ぬか漬け1皿、昼食は焼きいも2本、ジャガイモ1個、リンゴ4分の1、夕食は茶わん1杯のご飯、サツマイモ1個、焼き魚1切れだ。戦後の食事を思い出す▼自給率を英国並みに70%台に上げる必要がある。特に輸入に頼っている穀物は、輸入がストップしたら全国の全遊休農地を活用したとしても、小麦の国産は3割にも満たないという。大豆やトウモロコシも然り。それなのに、過剰な食料在庫や年間約1700万トンを廃棄している。もったいない▼その自給率の“主役”になるはずの米の生産調整(減反)を農水省などは10万ヘクタールの削減(08年度)を目標にしている。古古古米であふれているとも思われないのに、さらに減反とは。桜餅を食べながら「学校給食にも取り入れている米紛パンや食用以外の用途を開発すべきではないか」と考えた。(M)


3月24日(月)

●夕闇が近づく6時ごろ五稜郭公園を通りかかると、低い空に月が出ていた。冬、青白い光が寒気に震えていたときとは異なり、月の光にも少しずつ温(ぬく)みが増してきたように感じる弥生の空だ▼30歳で亡くなった中原中也の詩「湖上」は〈ポッカリ月が出ましたら、舟を浮かべて出掛けませう〉と歌う。詩は、静かな月夜に愛する人と語り合う叙情に満ちた情景を彷彿させる。2人の話に聞き耳を立てるのは月ばかりだ▼中也には「春」と題した詩もある。〈春は土と草とに新しい汗をかゝせる。その汗を乾かさうと、雲雀(ひばり)は空に (あが)る〉。道南の3月は、土と草とに汗をかかせるにはまだ早い。空高く上がるひばりの美声を聞くのは、もっと先だ▼それでも数日来の暖気は、街を行く女性の装いに春色の彩りを添え始めた。くぐもった冬色から解放され、コートの色合いが明るくなった。帽子と手袋を着けた子供たちも減ってきた。そろそろ冬物を仕舞い込む時期だ▼星の形に五稜郭を浮かび上がらせていた「五稜星の夢」のイルミネーション電球が昨日、取り外された。冬から春へ季節を手渡す恒例の行事だ。冬空を背景に地上の星を描いたイルミネーションは、今年の暮れの出番まで眠りに就く▼つい先日まで日陰に解け残っていた黒い雪も、すっかり消えた。去年の3月は遅れてきた寒気が雪をもたらしたが、今年はもう冬タイヤを交換しても大丈夫だろう。そんな予感が強まる温かさだ。春は平地を覆い、そして山に登って行く。道南の山々の雪模様が、輝く色を失ってきた。(S)


3月23日(日)

●月に向かうディスカバリー号の映像のバックにヨハン・シュトラウス作曲の「美しく青きドナウ」が流れる。印象的な場面は、ワルツの優雅な旋律とあいまっていまも脳裏に残る▼「2001年宇宙の旅」は、SF映画の傑作といっていいだろう。公開されたのは、アポロ宇宙船が人類初の月面着陸を果たす前年の1968年だった。せりふや説明が少なく、観客の視覚に訴える表現方法が斬新だった▼人工知能HAL(ハル)型コンピューターが命令を無視して反乱を起こし、乗組員の命を奪う。ひとり残ったボーマン船長が、HALの思考を停止させる。象徴的なエンディングが分かりにくいが、十分に楽しめる作品だった▼映画を作ったスタンリー・キューブリック監督は、日本のSF映画に触発されたらしい。1957年のインタビューで、監督の元に届いたばかりのSF映画について尋ねられると「書くことに気をつけてくれ」と手の内を明かさないように求めたという▼このエピソードが事実ならキューブリックは、制作に取り掛かる数年前から宇宙映画を構想していたことになる。そして制作をスタートするとき、脚本を依頼したのが、セイロン(現スリランカ)に住んでいたSF作家アーサー・C・クラークだった▼映画史に残る作品は、2人の偉才の出会いによって生まれた。だがキューブリックは01年の世界を見ずに99年に亡くなった。それから9年を生きたC・クラークも19日に旅立った。宇宙のかなたで再会した2人は、新たな作品について話し合っているだろうかと空想の羽を広げた。(S)


3月22日(土)

●チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世が、文芸春秋1月号で浄土真宗本願寺派(西本願寺)の大谷光真第24世門主と対談している。ダライ・ラマは語る。「平和とは自分の心を清める、心を静かにすることです。慈悲の心が起こることです」▼大谷門主もアフガニスタンや中東地域の戦争、テロが「慈悲の心」と対極をなす世界であると憂う。宗教が争いの種となる中で、今後は宗教間の敬意と対話が重要なキーワードになると指摘している▼チベット暴動の火種がくすぶり続けている。中国側は「自治区独立を目指すダライ・ラマの主導」と激しく批判。対する指導者は全面否定し、事態の国際調査を求め、暴動が治まらなければ退位することも示唆した▼「世界の秘境」という場所が、真相をさらに見えなくしている。が、漢族とチベット族の対立という民族問題に端を発していることは間違いない。漢族が移民政策を進め、自治区の実権を握る。チベット族の自治は、漢族支配に押しやられた形だ▼民族融和や観光開発を狙い、中国は青海省とラサを結ぶ青蔵鉄道を2006年に開通させた。秘境を貫く海抜4000メートル級の車窓は観光客に人気だ。一方で鉄道開通により漢族の移入がさらに進み、チベット文化の破壊も懸念されている▼インドに亡命しているダライ・ラマは、大谷門主にこう語った。「あなた方には国があり、自由があり、そして財力もある。一方で私達は何も持っていない難民なのです。温かい心を除いては何も持っていません」。流血の惨を広げてはならない。双方が慈悲の心を持ち、対話してほしい。(P)


3月21日(金)

●政治の決断には誤りや思惑違いが付き物だろうとは思う。神ならぬ人間のやることだ。どれほど熟慮を重ねても、後悔の伴わない決定は、そう多くはないかもしれない▼米ブッシュ政権が推し進めるイラク戦争の開戦から5年を迎えた昨日、日本では日銀総裁が不在になった。戦争の決断と中央銀行総裁人事は、もちろん質において異なる。しかし、ときの政権の最高意思決定が混迷を招いたことでは、似通っている▼5年前、対テロ戦争を掲げてイラクに侵攻した米軍は、3週間で首都バグダッドを陥落させた。ブッシュ大統領が戦闘作戦終了を宣言したのは5月である。「平和の脅威」のフセイン政権を電撃作戦で打倒したことに米世論は熱狂的支持を与えた▼そのときは、5年たってもイラクの治安が回復せず、自爆テロなどによる犠牲者が増え続けるとはだれも予期していなかっただろう。開戦以来の米軍死者は約4000人に上る。イラク民間人死者は、その20倍以上と推定されている▼米国内では帰還兵の自殺や心的外傷後ストレス障害(PTSD)が問題化しているとテレビが伝えていた。1970年代のベトナム帰還兵にも見られた悲劇である。米国民の間に反戦機運が盛り上がり、ブッシュ政権への反感が渦巻く▼日銀総裁人事が2度もとん挫したのは、政治の機能不全の表れだ。世界経済が変調を告げているときに、日本には中央銀行のトップがいない。福田康夫首相としては、まさかの思惑はずれだろう。誤算の連鎖―。それがどんな形で跳ね返ってくるのか、何だか不安になる。(S)


3月20日(木)

●自他共に認める劣等生だった作家遠藤周作さんは、旧制高校や私立高校をいくつも受験してことごとく失敗した。浪人3年目のときは、親もあきれて高校以外の受験も許してくれ、やっと補欠のどん尻で通ったのが、慶応の文科だった▼遠藤さんのエッセー「浪人時代」は、「三月、四月になると私は世の中が全く憂鬱(うつ)でたまらなかった。この頃(ころ)の情なさは、よくよく記憶から離れられぬ」とつづる。そして「受験雑誌の出版社の横を通るたび私はチェッといつも舌打ちをする」と毒づく▼3月は歓喜と悲嘆が交錯する月だ。大学や高校などの合格者に自分の番号を見つけて喜びを爆発させる生徒の陰に、打ちひしがれた不合格者もいただろう。函館でも、はじける笑顔の横を足早に去る暗い表情があったに違いない▼世の中は思い通りにならないと人生訓を聞かされても不合格者は、不運と情けなさをのろいたくもなる。家族の慰めの言葉は耳を素通りするだけかもしれない。多感な年代に受験失敗の痛手は、遠藤さんでなくても長く尾を引く▼だが、試験に失敗したからといって、それで人生の先行きが暗くなるわけではないのも事実だ。若さには、可能性の海が開けている。挫折の経験が、貴重な糧となって豊かな実りに結びつくことだってまれではない▼遠藤さんは予科から仏文科に進み、猛勉強して戦後初のフランス留学生に合格する。「沈黙」や「深い河」などの多くの作品のほか、ユーモアに富んだエッセーも残した。「くよくよするな」。狐狸庵山人のつぶやきが聞こえる。(S)


3月19日(水)

●暑さ寒さも彼岸まで。雪解けが進み、フキノトウが顔を出し、赤松街道ではこも外し。すっかり早春の風情。彼岸は雪かきなしの墓参ができそうだ。合掌に込められるのは『母への感謝』が一番多いといい、今春の墓地には「母への哀悼歌」が流れるのでは▼彼岸はサンスクリット語のパーラミター(到彼岸)の意味で、迷いの此岸から悟りの彼岸に到ること。三途の川の向こう側の黄泉の世界。お彼岸やお盆に人は果たして彼の岸から帰れるのだろうか。墓前で「お父さん、お母さん、帰って来て」と呼び掛けるのを待っている…▼「マッチを擦れば、おろしが吹いて、線香がやけに、つき難(にく)い、さらさら揺れる吾亦紅(われもこう)、ただ、あなたに謝りたくて」 “郷愁”“移りゆく日々”の花言葉をもつ『吾亦紅』。高浜虚子が「吾も亦、紅なりとひそやかに」と詠んだといわれる、どこか儚い吾亦紅▼母親に「親のことなど気遣う暇に、後で恥じない自分を生きろ」と言われ「俺、死ぬまであなたの子ども…」と歌ったヒット曲。また『千の風になって』は「私のお墓の前で泣かないでください、眠ってなんかいません、あの大きな空を吹きわっています」と愛慕の念を謳(うた)い上げる▼先ほどできた函館出身の女性が亡き母への思いを綴った演歌『ありがとう、お母さん』には「思い出だけが涙でめぐる、手引かれて登った函館山に、そっと手を合わす」と死別のシーンが切々。「十億の人に十億の母あれど我が母に勝る母はあらめやも」(暁烏敏)。墓前で合掌し感謝しよう。 (M)


3月18日(火)

●函館市近郊に張られたポスターが風にあおられ、正面を向いた顔が心なしかゆがんで見えた。写真ばかりでなく、さまざまな場で見慣れた顔である。自民党が次の衆院選に擁立を決めていた中村勉氏が、支部長辞任を表明した▼2年前に自ら手を上げ公募で選ばれた中村氏である。検察官から弁護士へと転身した中村氏が国政を目指したのは、強い志に突き動かされたからだろうと想像する。選挙を戦う前にその志を断念したのは、苦渋の選択だったろう▼函館市内で16日開かれた支部拡大役員会後に記者会見した中村氏は「自らの力不足で保守分裂の事態が解消されなかった」と述べた。それが「一身上」を理由とする辞任表明になった。分裂を克服できなかった責任を負って身を引くというのは、筋が通っているように見える▼だが政治の世界には、表に出てくる動きの陰に本音をむき出しにした別の力学が働いているのが常だ。今回の辞任劇に至る背景にも、支部の顔として活動してきた中村氏が、なぜここまで来て辞めるのか分かりにくさが残る▼8区には、中選挙区時代に2人の大物政治家が争ったしこりがいまも尾を引く。保守の団結を損ねているのは、そのおん念の深さだろう。それが小選挙区制導入後の衆院選で、自民4連敗につながっているのは、衆目の一致するところだ▼道知事選に3選目指して準備していた堀達也氏が、出馬断念に追い込まれたのは5年前だった。上京した堀氏を間近で取材して、政治に翻ろうされる胸中の無念さを思った。降ろされた堀氏と中村氏がダブって見える。(S)


3月17日(月)

●文化人類学者川喜田二郎さんの「鳥葬の国」は、チベット人の生活を描いた古典的名著だ。ちょうど50年前、学術調査に入ったときの見聞を本にまとめた。チベットの葬送である鳥葬を初めて紹介したことでも知られる▼チベットは、いま秘境ブームに沸く。06年に開通したラサまでの鉄道が、日本や欧米からの観光客を呼び寄せる。旅行会社がツアーを組み、秘境にあこがれる人々を送り込む。仏教の祈りと静けさに満ちたチベットは、変貌を遂げていると言っていいだろう▼そのチベットで暴動が起き、死者が出たのは、中国の支配に対する根強い反感を表す。チベットは1959年、中国軍に制圧された。だがチベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世は、インドに脱出して亡命政府を樹立、中国と対立してきた▼ノーベル平和賞を受賞したダライ・ラマ14世は、日本や欧米をたびたび訪れ、チベット人に対する中国の人権侵害を訴えている。中国はダライ・ラマ14世の動きに神経をとがらせ、チベット問題は中国の内政問題との態度を取り続けてきた▼今回の暴動の背景はまだ分からない部分が多い。だが、チベット独立の動きがマグマとなって噴出したことは間違いないだろう。北京オリンピックを控えた中国にとって、国際社会に与えたマイナスイメージは、毒入りギョーザよりもずっと大きい▼中国の自治区になったチベットには、漢民族の人口が増えてきた。それでもチベット固有の文化は守られ、独立の動きは止まない。川喜田さんの本のタイトルにある「国」を回復する日は来るのだろうか。 (S)


3月16日(日)

●為替相場に関心が高まったのは、1971年のドルショックがきっかけだった。同年8月、ニクソン米大統領が、ドルと金との交換停止と、変動相場制実施を宣言した。背景にあったのは、ベトナム戦争の戦費調達で拡大した米の財政赤字である▼それから4カ月後、ワシントンのスミソニアン博物館で各国蔵相会議が開かれ、為替レートの改定が決まる。1jサ360円だった円は、一挙に308円になった。だが、固定相場維持を目指したスミソニアン体制は長続きせず、2年後には各国とも変動相場制に移行する▼ドルショックから37年、最近上げ足を強めている円相場は、またも米経済の変調に起因している。信用力の低い個人向け住宅融資(サブプライムローン)問題が深刻化し、米景気を後退させる不安が強まる。それが波及して日本でも欧州でもドル安に歯止めがかからない▼円は1995年4月、1jが79円台の最高値をつけた。その記憶があるからか、今回12年ぶりに1jが100円の大台を突破しても、驚きはいくらか薄い。円高の進行で株式市場も大きく値を下げたが、日本経済の底が抜けることはあるまい▼円高は輸入品の値下がりが望めるなど悪いことばかりではない。特に高騰が続くガソリンや灯油が下がるかと期待しているのだが、函館市内のガソリンスタンドの表示は上がったままで変わらない▼輸入品のチーズも先月値上がりして以来据え置きだ。円高が消費者物価に影響してくるのは、まだ先なのだろう。それを期待しながら、相場の動きを見守っていこう。(S)


3月15日(土)

●自己中心的な輩(やから)は多いが、度を超すとグループや組織の活動が停滞してしまう。他者の意見に耳を貸さず、自分の考えだけで物事を決めてしまう。これがリーダー的立場にいると、全体の活力は失われる▼リーダーに最も求められるのは決断力だが、それは独断専行とはまったく異質のものだ。身勝手な上司に振り回され、ため息ばかりの御仁も少なくないだろう。そんな相手は適当にあしらっておけばいい。ただ、自己中心的な行為が事件に発展した場合、適当に…では済まない▼昨年8月、函館市内で起きた少年たちの集団暴行死事件。当時18歳の男子高校生が元同級生らの執拗(しつよう)な暴行で死亡した。起訴された少年4人の裁判は進行中で、27日に函館地裁で判決が言い渡される。どんな事件にも誘因はあるが、その根幹に潜むのは加害者側の自己中心的な考えだ▼過日、被害者の母親が法廷に立ち、「なぜ何も悪くない息子が、こんな死に方をしなければならないのでしょう。どんなに痛く、苦しくて、悔しかったか。殺したいほど加害者を憎んでいます」と訴えた。少年4人はその場で、この母親の悲痛な声を聞いていた▼その翌々日、主犯格の少年(18)は法廷で「友達は『ずっと友達だ』と言ってくれた。今まで生きてきて良かったと心の底から思う。社会復帰したら強く正しく精いっぱい生きていきたい」と述べている▼被害者の、遺族の無念さをこの少年はどう感じているのだろう。この少年の言葉こそ、自己中心的の極みではないのか。暗澹(あんたん)とした思いにとらわれる。(H)


3月14日(金)

●「水ヲ下サイ アア 水ヲ下サイ ノマシテ下サイ 死ンダハウガマシデ…」 自分も広島で被爆、朝鮮戦争やトルーマン米大統領の「原爆使用もありうる」という声明などに失望して自殺した原爆詩人、原民喜(はら・たみき)。3月13日は47回目の命日▼広島の原爆ドーム側(そば)に立つ原民喜の詩碑を見てきた。「遠き日の石に刻み 砂に影落ち 崩れ墜つ 天地のまなか 一輪の花の幻」が刻まれていた。終戦後の食料難の中で、自身の身体に変調が現れ、頭髪が抜け、体中に斑点。周囲の被爆者が次々と息をひきとる…▼黒いキノコ雲が空を覆って、炎に包まれた身をよじるがい骨、劫火(ごうか)に焼かれ、逃げ惑う生きものたち…。メキシコで奇跡的に見つかり、東京で特別公開されている岡本太郎の巨大壁画「明日の神話」。これもまた、原爆詩のように、悲劇を乗り越え、人間の誇り、純粋な怒りが伝わってくる▼「コレガ人間ナノデス 原子爆弾ニ依ル変化ヲゴラン下サイ 肉体が恐ロシク膨張シ 男モ女モスベテ…」 原民喜の『原爆小景』など読み返すごとに、地球上に核兵器がある限り、核廃絶を叫ぶ強烈なエネルギーを覚える。無数の人の死を詠いあげて、「生の深みに堪えよ」とも訴える▼「心願の国」「永遠のみどり」などの遺稿と17通の遺書を残し、46歳で妻のもとへ旅立った。原爆症に苦しんでいる人々はまだ沢山いる。原爆症認定基準の「3・5キロ以内で被爆」「爆心地付近に1週間程度滞在」の緩和は当然。「ヒロシマのデルタに 青葉したたれ」と、申請者全員を認定せよ。(M)


3月13日(木)

●「水ヲ下サイ アア 水ヲ下サイ ノマシテ下サイ 死ンダハウガマシデ…」 自分も広島で被爆、朝鮮戦争やトルーマン米大統領の「原爆使用もありうる」という声明などに失望して自殺した原爆詩人、原民喜(はら・たみき)。3月13日は47回目の命日▼広島の原爆ドーム側(そば)に立つ原民喜の詩碑を見てきた。「遠き日の石に刻み 砂に影落ち 崩れ墜つ 天地のまなか 一輪の花の幻」が刻まれていた。終戦後の食料難の中で、自身の身体に変調が現れ、頭髪が抜け、体中に斑点。周囲の被爆者が次々と息をひきとる…▼黒いキノコ雲が空を覆って、炎に包まれた身をよじるがい骨、劫火(ごうか)に焼かれ、逃げ惑う生きものたち…。メキシコで奇跡的に見つかり、東京で特別公開されている岡本太郎の巨大壁画「明日の神話」。これもまた、原爆詩のように、悲劇を乗り越え、人間の誇り、純粋な怒りが伝わってくる▼「コレガ人間ナノデス 原子爆弾ニ依ル変化ヲゴラン下サイ 肉体が恐ロシク膨張シ 男モ女モスベテ…」 原民喜の『原爆小景』など読み返すごとに、地球上に核兵器がある限り、核廃絶を叫ぶ強烈なエネルギーを覚える。無数の人の死を詠いあげて、「生の深みに堪えよ」とも訴える▼「心願の国」「永遠のみどり」などの遺稿と17通の遺書を残し、46歳で妻のもとへ旅立った。原爆症に苦しんでいる人々はまだ沢山いる。原爆症認定基準の「3・5キロ以内で被爆」「爆心地付近に1週間程度滞在」の緩和は当然。「ヒロシマのデルタに 青葉したたれ」と、申請者全員を認定せよ。(M)


3月12日(水)

●秋田市の大森山動物園で、アムールトラ2頭が生まれた。父親のウィッキーは富士自然動物公園生まれの8歳。母親のアシリはドイツ・ベルリン動物園生まれの8歳で、昨年、多摩動物公園から嫁入りした▼ロシアや中国に生息するが、野生数は下限で300頭とも言われ、国際自然保護連合のレッドリストで絶滅危惧(きぐ)種に指定されている。美しい毛皮を狙った密猟や、森林伐採が進み餌となる獲物が減っているためである▼中国のサファリパークで昨年、トラの狩猟風景を見せ物としている映像が流れた。観光客が“餌代”として買った羊や牛を放し、アムールトラにハンティングさせるという。視聴者から「残酷だ」と非難の声が殺到した▼似たような話を、ある動物園の飼育係から聞いたことがある。ニシキヘビの餌となる生きた鶏を、別の職員が誤って開園中に与えてしまい、その様子を見た子供がショックを受けた。園に抗議が寄せられ、ミスとはいえ、飼育係の男性は悔やんでいた▼人前で餌を食べたアムールトラとニシキヘビに罪はない。野生に身を置き、生き抜くために狩猟するのが本来の姿だからだ。しかし、その生きるための営みを奪ったのは、人間の乱開発、あくなき欲望を満たすための乱獲。おごった経済活動というべきだろう▼豊かな自然と命を奪った責任は重い。先日、絶滅の危機にひんしている「オキナワトゲネズミ」が30年ぶりに発見され、ほっと温かい思いに浸った。大森山動物園のトラも、まさに「虎の子」。すくすく育って、次の世代への誕生に結びついてほしい。(P)


3月11日(火)

●「イナンターネットの掲示板などに『キモい』『消えて死んでしまえ』など書き込んで級友や友だちをいじめちゃいけないよ」と、子どもたちに生命の大切さを教えるのが教育者の使命。教職のトップの校長が「人を殺すことは平気だ」というメールを送って逮捕された▼埼玉県の56歳になる高校の校長。別の男性と付き合うようになった元教え子に復縁を迫り、断られると携帯電話や校長室のパソコンから「何があってもしらないよ。2人の関係をばらす」と、しつこく脅迫。女性はこのメールを苦に睡眠薬を飲んで自殺未遂を起こしていた▼2年前には女子高生に痴漢をした男を取り押さえるなど「まじめで仕事一途」という評判の校長の脅迫なんて、何の理由があろうとも許されない。4年前、がんを宣告された神奈川県の小学校の校長(当時57歳)が子どもたちに命の尊さを伝えようと最後まで教壇に立ち続けた▼また先ほど、がんで余命半年と告げられた大阪府の62歳の元女性校長は以前務めていた中学校で「最後の授業」をした。卒業を控えた3年生に、病気のこと、仕事のことなど、自分の人生を教材に生きることの尊さを説き、「人生はしんどいけど、しっかり生きてほしい」と呼び掛けた▼かたや、脅迫メールを送った校長は「より良い社会の実現に貢献できる人間になってください」と、午前の卒業式で祝辞を述べ、謝恩会を終えて帰宅したところ、逮捕された。何と情けない校長。元女性校長の「私の使命は子どもたちのために希望を失わず生きること」を肝に銘じよ。(M)


3月10日(月)

●「春はあけぼの。やうやう白くなりゆく、山ぎは少しあかりて…」。鋭敏な感覚で季節をとらえた清少納言の「枕草子」の書き出しである。夜が明けきらぬころの微妙な色合いの変化を描写していて忘れられない文章だ▼清少納言にならい、春暁(しゅんぎょう)の美しさを目に焼き付けてみたいな、と思ってはみる。だが10分でも長くベッドにこもっていたい身にとって、夜明け前の時間に目覚ましをセットするのは、どうしてもためらわれる▼それでも朝5時には、夜のとばりが退き、カーテンの隙間から白っぽい気配が入り込むのを目の端に感じる。起き出したりはしないが、眠りからゆっくり目覚める前の満ち足りた気分にひたる。少しずつ明るみを増す日の光が、部屋の隅にも届き出す▼吹く風に温かさが加わってきた。日陰にかたまりとなって残っていた雪が、数日来の好天でほぼ消えかけている。函館市内の最高気温が4月上旬並みとなった昨日、車の窓を開けて春の風を入れながら走った▼晩飯を食べに行く居酒屋のおやじさんが「夏タイヤに交換しようかと思っています」と言った。交換した途端にまとまった雪が降るかもしれないよ、と浮き立つ気持ちに水を差す助言をした。まだ、油断は出来ないだろうが、これから降る雪は春の淡雪。市内や近郊では道路が凍結する恐れは少ないだろう▼春の足音が一段と高まってきた。厚手のオーバーやジャンパー、冬靴を手入れして仕舞い込む準備を始めるころだ。清少納言の鋭敏さはなくても、北国の私たちは待ちわびた春の訪れを肌で感じる。(S)


3月9日(日)

●酒は涙か溜息か 心の憂さの捨て所〜 函館日日新聞の記者をしていた高橋掬太郎は連夜、十字街銀座通りを飲み歩いて“悲しい記憶”に傷心したという。酒を愛し、月を愛した李白には、水に映る月をとらえようとして転落し水死したという伝説が残る▼江差の繁次郎の「かん酒」は酒好きの2人が炉端に寝込んだ話。むくっと起きた男が「ああ、ばかぐせことしたば。橋のたもとで拾った一升徳利、かんコしているうちに目さめでしまったね」。繁次郎は「まぬけだやな。そったらどき、かんしねで、さっさと飲んでしまえばいいだね」▼「嫌な記憶は酒を飲んで忘れようとしても、逆に強く心に残る」―東大の研究グループがネズミにアルコールを飲ませて実証した。箱に入れたネズミに弱い電気ショックを与えると、次からは箱に入れただけで身をすくめるようになった。アルコールを注入した群と注入しない群れに分けて実験▼恐怖を学習した「シラフの群」は箱の中ですくむ時間が半減したが、「酔った群」は恐怖におののく時間が長かったという。嫌な恐怖の記憶がアルコールによって薄まるどころか、逆に強まったのだ。やけ酒に走って、憂さ晴らしで飲むほど、切ない恋の淵に沈んでいくのか…▼「複雑な人間性を焚火(たきび)にしてお燗(かん)をする、そしてあったまる良識の世界が、居酒屋でありたい」(草野心平日記)。意志の弱い凡人にはほど遠い“良い酒飲み”の模範だろう。“楽しい記憶”に切り替えたいが、「悲しい恋の捨て所…」と癒してくれる魔力も捨てがたい。(M)


3月8日(土)

●「徒然草」の第140段は「身死して財(たから)残ることは、智(ち)者のせざるところなり」と始まる。知恵のある者は、自分の死後に財産が残るようにはしないものだ、という戒めだ▼子供にまとまった資産を残せそうもない勤労者としては、「その通り」と胸を張りたくなる兼好法師の言葉だ。もっとも凡人には、資産を残したくても残せないとの悲哀の感情も心のうちに動く▼そんなことを考えたのは、世界の長者番付の数字に圧倒されたからだ。米経済紙が発表した番付では、1位が米の投資家ウォーレン・バフェット氏の620億ドル(約6兆4000億円)だった。財政再建中の夕張市の借金が350億円だから、その180倍の個人資産を持っている▼市に少し寄付してくれたら助かるのになあ、なんて願いは、海の向こうには届くまい。もっとも米の大金持ちは、社会活動に多額の寄付をする。バフェット氏も長者番付3位のビル・ゲイツ米マイクロソフト会長が作った慈善基金団体に300億ドルを寄贈した▼バブルのころは、日本の大金持ちも上位10傑に入っていた。だがいまや100位以内には1人もいない。代わって幅を利かせているのは、ロシア、インド、中国など経済発展が著しい新興国の資産家だ。10億ドル以上の資産家数はこれら3国が日本をはるかに超す▼大金持ちの世界地図は様変わりしている。まあ、この先もお金とは縁がなさそうなコラム子としては「朝夕なくて叶(かな)はざらん物こそあらめ(朝夕なくてはならぬ物だけあればいい)」と清貧に徹しよう。(S)


3月7日(金)

●「四十にして惑わず」は、よく知られているように孔子の「論語」から来ている。40歳にもなると、自分の生き方に確信を持てるようになり、落ち着いた生活を営む。孔子の教えは、現代にも通じる真理だろう▼それはよく承知していても、40歳にして新たな挑戦を続ける人たちを惑っていると冷ややかに見るのは失礼というものだ。「青春」の詩で名高い米のサミュエル・ウルマンは「冒険する心を忘れてはならない」と書いている▼40歳を目前にして、米大リーグのマウンドを夢見て努力を重ねている4人の日本人選手を考えるとき、ウルマンの言葉がよみがえる。野茂英雄、桑田真澄、高津臣吾、薮恵一の4投手である。4人とも大リーグ残留が保証されないマイナー契約である▼しかも日本のプロ野球で高い評価を受けた選手ばかりだ。特に野茂は大リーグでも通算123勝を挙げ、オールスターにも出場した大投手だ。桑田は巨人の元エースであり、薮も阪神を背負って立つ主力投手だった。高津は日米通算300セーブの記録を持つ抑えのエースだ▼惜しまれて引退してもおかしくない4投手が、大リーグに挑むのは、それだけ深い思いがあるに違いない。大リーグは、野球選手ならだれもが夢見る大舞台だ。そのマウンドに自分が立つ。それは震えるほどの喜びをもたらす▼大リーグのオープン戦が始まり、4投手をテレビで見られるようになった。チャネルを合わせながらウルマンの「人間は年齢(とし)を重ねた時老いるのではない。理想をなくした時老いるのである」との言葉を思い浮かべる。(S)


3月6日(木)

●人口3万人の福井県小浜市は、日本海に面した港町だ。江戸時代からサバの水揚げ港として知られ、京都へ運ぶサバ街道の起点でもあった。北朝鮮の拉致被害者、地村保志さん一家が暮らしていることでも話題になった▼その小浜市に国内外のメディアが殺到しているという。市役所広報広聴担当の藤本雅樹さんに電話で聞いたところ、米ニューヨークタイムス、CNN、AP通信、ロイターなどが取材に訪れたと誇らしげな口調で語ってくれた▼小浜市がにわかに脚光を浴びたのは、名前が、米大統領選の民主党指名候補レースでクリントン氏と激しく争っているオバマ氏と同じだからだ。村上利夫市長が、名前が共通するよしみから、特産の若狭塗りのはしを添えて親書を送ったところ、オバマ氏から返事が来た▼「心温まる贈り物に感謝します」と書かれた手紙は、直筆サインの前に「あなたの友人」と日本語で記されているそうだから、政治家らしい気配りに感心する。こうしたやり取りを市の認知度アップに結びつけようとの思惑からか、市民の間に「勝手に応援する会」が結成された▼市民の願いがわずかに届かず、4日の予備選では大票田のテキサス、オハイヨ両州でクリントン氏がオバマ氏を抑えた。予備選撤退の崖っぷちに追い込まれていたクリントン氏には、待望久しい勝利だ▼両州を制すれば指名に大きく弾みがつくと見られたオバマ氏は、勢いがそがれた気持ちだろう。だが史上まれな激戦は、続く。海の向こうの選挙戦に、小浜市民が熱くなっている様子が電話からも伝わってきた。(S)


3月5日(水)

●冬ごもりの地虫もはい出す啓蟄(けいちつ)を前に、日本列島は中国から飛散する黄砂に見舞われ、日本海沿岸には韓国からとみられるポリ容器が漂着。松前、奥尻、石狩のほか、苫小牧など太平洋沿岸まで初漂流。厄介な“春の使者”に花粉症も加わる▼3日の西日本はことし初の黄砂、東日本にまで達した。黄砂は中国の砂漠化が原因。草地の荒廃や森林伐採、地球温暖化も影響しており、巻き上げられた砂が偏西風に乗って日本に飛来。酸性雨の原因となる硫酸イオンなどの化学物質やジクロルボスなど農薬類も検出されている▼ポリ容器の日本海沿岸に大量漂着は9年前から始まり、年に1万個から4万個が漂着している。今冬は先月だけでも2万4000個を超えた。道内でも奥尻の78個をはじめ113個が見つかった。多くにはハングル文字が表記されいるが、中国語などの表記も▼中には強酸性の液体など劇物が残っている容器もあり、「過酸化水素水」と表記された容器から塩酸が見つかっている。昨夏には薬瓶や注射針など医療廃棄物も大量に漂着している。不法投棄の可能性が高く、劇薬指定の危険な薬品を投棄する悪質な行為は容認できない▼ときには飛行機の発着まで混乱させる黄砂は気象災害を引き起こし、健康被害も懸念される。「黄砂と花粉を一緒に吸うと花粉症が悪化する」との研究報告もあり、砂漠の緑化など急務だ。黄砂も、花粉も、ポリ容器も今月から来月にかけてピーク。特に劇薬のポリ容器は、発見したら直ちに通報することが肝心。(M)


3月4日(火)

●大統領選の指名レースが過熱している米と、総統選が最終盤にさしかかっている台湾は、どちらも日本との関係が深い。米は日本の同盟国であり、台湾はかつて日本の統治下にあった。台湾との国交は途絶えたが、人やモノの交流は盛んだ▼その台湾総統選で国民党の馬英九候補と民進党の謝長延候補の両陣営が61年前に起きた2・28事件を巡って攻防を繰り広げている。日本の敗戦後、台湾には国民党政府の官僚や軍人が中国本土から統治のためにやってきた。外省人と呼ばれる人たちだ▼元から台湾に住む本省人にとって、外省人は新たな支配を押し付けてくるよそ者と映った。1947年2月28日、外省人官憲の弾圧に抗議した本省人との間で大規模な衝突が起こる。中国本土で共産軍と戦っていた国民党政府は、援軍を台湾に派遣して力で鎮圧した▼この衝突では、3万人近い本省人が犠牲になったとされる。悲劇の傷は、内戦に敗れた国民党が台湾に逃れた49年以降も長年癒されずきた。その古傷が、再び蒸し返されたのは、民進党が国民党攻撃の武器として持ち出したからだ▼そうした戦術が、選挙にどう影響するのか、結果は22日の投開票で判明する。現状では、国民党の過ちを率直に語った馬氏が優勢だという。それにしても、歴史の遺恨は根深く、容易には解消しない▼一方の米大統領選は民主党の指名争いが4日、ヤマ場を迎えた。勢いずくオバマ氏か、「恥を知れ」と批判を高めるクリントン氏か。ロシアでメドベージェフ氏が次期大統領にあっさり決まったのとは異なる様相を見せている。(S)


3月3日(月)

●3月の弥生(イヤヨイ)のイヤは「いよいよ」の意で、草木がますます伸びる月。特に3日の桃の節句・ひな祭りは女の子の健やかな成長を願う。桃の花、菱餅(ひしもち)、桃花酒など栄養たっぷりで、不老長寿を祈願した能面「西王母(せいおうぼ)」の世界が重複する▼桃の原生地の中国。天地宇宙の創造主ともいわれる西王母の園。里の女が帝に「千年に一度花が咲く桃が今咲きました。ぜひ献上したい」と申し出た。帝は「食べると長寿を得るという西王母の桃だろう」と大喜び。里の女は「われこそ西王母の化身である」と明かす▼「急いで桃の実を結ばせよう」と言って天上界へ。管弦を奏して待つ帝の前に、侍女を従えた西王母が現れて、桃の実を献上した。種をまいて千年で発芽、千年で花が咲き、さらに千年で結実する桃。かの「西遊記」で孫悟空が食い荒らし岩の中に閉じ込められた桃か▼中国から輸入し日本で被害が出た冷凍ギョーザによる中毒事件。中国側は「毒物メタミドホスは中国の国内で混入した可能性は極めて低い」と反論。毒物が袋の外側から内側に染み込むことが実験で確認されたという。それなら日中共同で浸透実験をして白黒をつければいい▼「食の安全」が崩されてから1か月。西王母ならメタミドホス事件をどう裁くだろうか。「私の園では“毒入り桃”なんてとんでもない。一刻も早く正答をだしなさい」と嘆いているに違いない。七段かざりの雛壇(ひなだん)を飾って、愛らしい淡紅色の花を咲かせる“生き雛さま”に安全な菱餅(食べ物)を提供しなければ。(M)


3月2日(日)

●もう過ぎてしまったが、2月22日は「猫の日」だった。鳴き声の「ニャン、ニャン、ニャン」にちなみ、1887年に制定され、ペットフード工業会が主催している。猫好きの人が「猫の日」なんだからペットフードの一つでも買おうか、と思ったとすれば、まさに主催者側の思惑通り▼猫は犬とともに、人間の生活に深くかかわってきた。だからだろう、猫に関係する慣用句も多い。「猫の手も借りたい」「猫かわいがり」「猫なで声」「猫の額(ひたい)」「猫をかぶる」…。どれも無意識のうちに使っている▼小学生のころ、自宅で犬と猫を飼っていた。犬は戸外で鎖につないでいたが、猫は自由気ままに家を出入りしていた。食事時になると茶の間に姿を見せ、父親の晩酌の肴(さかな)のそばに座り込んでいた。食べ終わるとそのまま眠り、ふっと目覚めて出ていく▼必要以上に飼い主にまとわりつかず、どこか「媚(こ)びない」部分が猫にはある。そうありたいと思うのは、日常生活での人間関係に疲れているせいか…▼雨が降ったと思えば雪になり、暖かかったり寒かったり、何とも「猫の目」のように天気が変わる。そうしながら春は確実に近づいてきている。進学、就職で新しい生活が始まる人も多い。転勤や転職で環境が変わることもある。春が活力を感じさせるのは、そんな動きが伴うからだ▼さて、「猫も杓子(しゃくし)も」スーツ姿で入社試験に挑んだであろう新社会人の皆さん。くれぐれも「借りてきた猫」にはならないように。斬新な発想と行動力で、「猫背」のおじさんたちを蹴散らす気構えで。(H)


3月1日(土)

●江戸期、「この下に高田あり」の高札が立てられたエピソードは、上越地方の雪がどれほど深いかを表している。屋根に雪が降り積もると、家がつぶれないように雪下ろしをする。だが、雪はやがて屋根を越すまで積み重なる▼そうなると、雪下ろしは出来なくなり、雪掘りに切り替わる。雪の中から家を掘り出す。雪掘りの語は、街も家も道もすべてが雪に埋もれる豪雪地だから生まれた。北海道では使われない言葉だ▼本州の豪雪地では、暖気で雪が解けて流れ出す雪代(ゆきしろ)の季節になった。北海道はこの時期、雪代にはまだ早い。日の当たらない小路や道路端に薄汚れた氷が残る。それがすっかり解けるのは、まだ先だ▼札幌出身の作家渡辺淳一さんに「雪割りの季節」と題したエッセーがある。「札幌はいま氷割りの真最中である。いや雪割りというべきかもしれない」と書き出す。春浅いころ、この固く凍結した残雪を「スコップで砕き、表の路上へ捨てる作業」を雪割りと呼んだ▼日当たりの良い路上にまかれたかたまりは、車に踏まれ解けて流れる。気温が上昇した日には、そこから水蒸気が立ち上る。春めく季節、道内のどこでも見られる光景だ。3月といっても雪が降る日はまだやって来ようが、日差しには温かな膨らみが増している▼函館の最高気温が5度を上回るようになった。道路端に残る硬い雪も解け出している。五稜郭公園の堀に沿った道は、気温が上がる日中、小さな水たまりが出来る。寒気が来てももう長続きはしないだろう。冬が過ぎ、春の足音が日ごとに高まってきた。(S)


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