平成22年1月


1月31日(日)

●終戦後、函館を占領したアメリカ軍は、市内の主な施設を接収した。兵舎や事務所として使うためだ。対日講和条約が発効した1952(昭和27)年までの接収物件数は、建物や個人住宅、倉庫、土地など56件に上った(函館市史)▼その多くは同条約に沿って所有者に返還されたが、原状回復の労力や出費を伴うものが少なくなかった。同市史によると、床の間が便所に換わっていたり、床柱から天井板までペンキ塗りになっていた例もあった。後者では、元通りにするのに50万円を要した▼こうした理不尽な出来事が、場所と形を変えて今も続いている。米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)を巡る問題である。県民集会では飛行場の早期閉鎖と新たな基地建設に反対するアピールを採択した。移転先決定で揺れる政府と違い、その主張は至って明快だ。根底には、政治に翻弄(ほんろう)され続けてきた住民の怒りがある▼山崎豊子の小説「運命の人」(文藝春秋)は、沖縄返還にまつわる「外務省機密漏洩事件」を材にとった。返還後の土地原状回復費を巡る日米間の「密約」を鍵に物語はダイナミックに展開する▼小説のあとがきで山崎は言う。「知れば知るほど、本土の国民がいかに沖縄の実情を省みなさすぎるか、申し訳なさで一杯だった」。戦争がもたらした痛みの一端を沖縄県民と共有する。施設接収の苦い経験を持つ函館市民なら、それもできるはずだ。(K)


1月30日(土)

●「ライ麦畑でつかまえて」で知られる、というより「ライ麦畑」のみが突出して知られている米作家サリンジャーが27日に亡くなった▼享年91の長寿だったが、1951年の「ライ麦畑」出版直後に隠遁(いんとん)生活に入ってからは、作品の発表ペースは極端に落ち、65年に「ハプワース16、1924年」を発表して以降はほぼ断筆状態。それから半世紀近く、人前に姿を表すこともほとんどなく幻の作家という印象が強い▼彼が隠pカ活を送るようになった理由は「ライ麦畑」が空前のベストセラーとなり世間の注目を一身に浴びるようになったためと言われる。1974年のニューヨーク・タイムス紙による貴重な電話インタビューでも「作品を出版しないでいれば、驚くほど平和な毎日だ」と答えている▼その彼の名前が昨年突然マスコミをにぎわせた。スウェーデンのある作家が、「ライ麦畑」の続編らしき作品を発表しようとしたため、サリンジャーが出版差し止めを申し立てたのだ。この申し立ては認められ、結局“続編”が日の目を見ることはなかったが、もしかしたらこの騒動がサリンジャーの繊細な神経を傷つけ死期を早めた可能性はぬぐえない▼天国の彼が心配しているのは、残された遺族が“続編”の出版を許可してしまうことかもしれない。半世紀以上守られてきた「ライ麦畑」のフィールドを、他人の言葉で荒らしてほしくない。(U)


1月29日(金)

●寒暖の差が激しく、冷え込んだ体を温めてくれるのは鍋料理。鱈(たら)鍋、ごっこ汁、くじら汁が道南の三大鍋だろうか。特に鱈鍋は今が旬のピーク。海峡がしけると、市場に新鮮な魚介類が並ばないので寂しい▼魚へんに雪で鱈。海底近くにいても、はるか頭上に舞う雪の気配を感じ取って美味を増すという。鱈の語源は背面に斑紋(マダラ模様)があることから。日本で水揚げされる鱈はマダラとスケトウダラ、コマイの3種。普通鱈ノといえば、このマダラ▼生命力が強く、寿命は14年ほどで魚では長生きだ。身は雪のように白く、大食家でエビ、カニ、タコ、貝など何でも平らげてしまうことから、「鱈腹(たらふく)食う」という言葉も生まれた。鱈鍋から始まって、白子焼き、生生姜焼き、白ワイン蒸し…レシピも豊富▼脂肪の含有量が極端に少なく、消化吸収もよく、離乳食にも向くとか。ある漁師は「鍋は下準備が命。切身は真っ白になるくらい塩を振りかけ、30分ほど寝かし、よく水洗いして鍋に入れると、鱈の甘みが引き出せる」という。津軽海峡の沿岸で獲れるマダラが質がよいとも言う▼「矢鱈(やたら)」とか「出鱈目(でたらめ)」などの言葉も鱈から出ている…。海底で頭上の雪を見ながら、繰り広げられる国会論争に「政治資金で不動産を買うのは“出鱈目”ではないか」と怒っているかも。今夜は鱈鍋にしようか、ごっこ汁にしようか。(M)


1月28日(木)

●「人より多くの賃金を得なくても食べていけるだけの収入があれば十分」。47%というから半数近くがそう答えている。なんとも謙虚で、一部の政治家にも聞かせたいところだが、驚くのは回答者が新入社員であること▼これは日本生産性本部が昨春の新入社員に行った調査結果。第二の人生を歩もうとしている人たちならまだしも、第一の人生を歩み始めたばかりの人たちの思いである。頑張って働いて、給与も多く、出世も早く、と考えていいはずなのに…▼わが国では20年ほど前から、成果主義、実力主義、能力主義をうたった人事制度を採用する企業が広がった。それは終身雇用制度や年功序列主義といった伝統的モデルの否定でもあったが、客観的な人事評価の難しさなどから、次第に姿を変えつつある▼とはいえ、この人事考課スタイルは若い人たちの支持が多かったはず。それが…。給与や昇進で「年齢や経験を重視して上がるシステム」を支持する率も、冒頭の答えに比例して逆に高まり、給与では48%、昇進では40%という▼雇用環境の厳しさは新卒市場も直撃している。新入社員はまさしく苦労の体験者であり、この調査結果からは「ぜいたくは言っていられない」という思いが透けて見える。それがあきらめにつながらなければいいが、今の永田町がそれをどこまで分かっているか、残念ながら心もとない。(A)


1月27日(水)

●「メールで悪口やいやなことを書かれた」「広告などの迷惑メールが送られてきた」「チェーンメールが届いた」—道内の小学生で約3割、中高校生で6—7割が、携帯電話のインターネットでトラブルに巻き込まれている▼自分の意見、日常の様子を書き込むブログなどを持つ高校生(54・2㌫)中学生(31%)も増えており、「悪口を書かれた」などの実情を知っている保護者は高校で22%、中学生で31%ほどで、親たちは携帯利用状況を十分把握していない(道青少年有害情報実行委調べ)▼先ほど、サウジアラビアの学校で、13歳の女子生徒からカメラ付き携帯を取り上げた校長にコップを投げつけたとして、生徒にムチ打ち90回、禁固2カ月の刑が言い渡された。国際人権団体アムネスティなどは刑は重過ぎると刑の執行停止を求めているが…▼イスラム国家は厳しい。かつてシンガポールで車にいたずらした米国人の高校生にムチ打ちの刑を宣言。当時の米大統領の免除要求でムチ打ち6回が4回に減らされたことも。ネットいじめにつながるメールなどに悪口の書き込みが発覚した場合、どんな“刑罰”があるのだろうか▼携帯所持は高校生94%、中学生42%、小学4—6年生19%に上っている。子供たちに「メールに悪口を書かない」「チェーンメールは無視せよ」「不当な料金請求は親に相談せよ」「有害サイトの誘惑には乗るな」などを徹底させることが必要だ。(M)


1月26日(火)

●「60歳からの川柳—明るく前向きに老いを詠う」。高齢者向け入門書のタイトルのようだが、少し違う。全国老人福祉施設協議会が募集し、優秀作品を表彰している。ここでは思わず吹き出してしまうようなユーモアのセンスが問われる▼賢くも ボケと忘却 使い分け(68歳男性)/妻が言う 婚活したいの 先どうぞ(61歳男性)/買った墓地 嫌いな奴の 相向かい(61歳男性)。この3編は入賞作品の一部。初老の悲哀をソフトな笑いに包む余裕すら感じられる▼直球勝負の作品も。カラオケで 美声聴かせて 入れ歯落ち(70歳女性)/遼君の スイング真似て 腰痛め(62歳男性)/ウオークを 徘徊なぞと 呼ばれ出す(60歳女性)。思わず「分かる、分かる」と言ってしまいそう▼定年後の現実を活写した秀作も多い。随行は むかし社長に 今妻に(65歳男性)/職業欄 留守番と書く 定年後(65歳男性)/定年は 女房が上司に 代わるだけ(69歳男性)/我が家では 家内は家外 我家内(68歳男性)▼これが年金問題になると、笑ってばかりもいられない。掛けてきた 年金実は 賭けていた(80歳女性)。年金制度の不備を皮肉ると同時に、将来への不安が行間ににじむ。政権交代後、年金論議の低調が気になっていたが、国民の関心は決して衰えていない。生きてやる 年金ちゃんと もらうまで(63歳男性)。同世代からの拍手が聞こえる。(K)


1月25日(月)

●「東京スカイツリー」。今はそれほど知られた存在ではないが、あと2年もすると…。知らない人はいなくなり、一度は行ってみたい、と思う所となるのは確実。年間300万人が訪れると試算するシンクタンクもあるほどだ▼50年余にわたって東京観光のシンボル的役割を果たしてきた「東京タワー」。修学旅行などで一度は足を運んでいようが、その代替として建設中の電波塔である。超高層ビルの増加に伴う電波障害対策として構想され、2008(平成20)年7月に着工した▼幾つかの候補地から選ばれた建設場所は、浅草から1キロほど離れた辺り。気になるのが高さだが、何と634メートル。そう「むさし(武蔵)」と読ませる。自立式電波塔としてはトロント(カナダ)のCNタワー(553メートル)を抜いて世界一になるという▼写真で示せないのが残念だが、まさにツリーを連想させるスマートで斬新なデザイン。350メートルに第一、450メートルに第二展望台が設けられるというのだから観光価値も高い。工事は進み、昨年末段階で既に250メートルを超える高さまで進んでいるそう▼完工は概ね2年後。それにしても思うのは、必要とはいえ、東京、大阪、名古屋…大都会ではいとも簡単に集客力に満ちた施設、スポットが出来ること。「何で大都会ばかり」。頭では分かっていても僻(ひが)みの一つも言いたくなってくる。(A)


1月24日(日)

●平安時代の文献に、政治と宗教は「車の二輪、鳥の二翼のごとし」という記述がある。「その一つを欠けば、飛輪することを得ず」—。互いに支え合う存在なのだと(黒田俊雄『王法と仏法』)▼国家体制に沿う教えが正統で、そうでないのは異端となった。鎌倉時代の親鸞や日蓮」の教えは、異端か、もしくは正統の系譜にないと判断されたため、幕府に弾圧された▼国家と宗教、正統と異端—。そんな深遠なテーマを考えさせられる判決が最高裁であった。「砂川市が神社へ市有地を無償提供しているのは政教分離に反し、違憲である」▼憲法は信教の自由を保障する代わり、国家は特定の宗教に肩入れしてはならないことを定める。神社は宗教施設かどうか、白黒をつけるならば宗教施設に違いない。だから法の原則に照らせば妥当な判決だろう▼政教分離の原則は、神道や仏教までも国家に管理されて戦争に突き進んだ苦い過去を教訓に、戦後に定められた。一方で、国家と宗教は聖徳太子の時代から不離一体だったという歴史もある。日本人が神仏に豊作や無事を祈る心は、大昔から脈打つ▼政教分離に求められるのは、反社会的な行為が懸念される宗教団体に、国家が利益を与えない予防線となる機能だろう。市有地にあるのは問題でも、常駐の宮司もいない砂川の神社が、地域の秩序を乱す存在とは思えない。判決は是としても、そのことだけは記しておきたい。(P)


1月23日(土)

●新年会であいさつをするという知人から「今年の雪について話そうと思うが、例年にない大雪と言える降雪量なのか」と聞かれた。気象庁のホームページから調べ、「例年より少し多い程度では。だが、今後も注意は必要でしょう」と答えた▼20日現在、1月の降雪量は90センチ。平年は75センチで平年比120%。函館の11月からの降雪量は231センチで、平年比は同じ。記録的な大雪となった2005—06年の冬に比べれば少ない。ただ、昨年12月は平年比140%の130センチだったため、長い期間、大雪に見舞われているような感じはする。実際、道路わきは雪山の連峰だ▼平年値では、函館で最も雪の多いのは1月下旬で44センチ。もし、これだけ降ると1月の降雪量は134センチとなり、1月として3番目に多い記録となる。ただ、最新の週間天気予報によると、渡島、桧山の気温は高くなり、雪は多くならないようだ▼しかし、旧暦でいえば今は12月上旬。道南で気温が高かった大寒(20日)は旧暦の12月6日だった。これは昨年6—7月、旧暦5月の後に、旧暦の「うるう5月」が入ったためだ。今年は2月も雪が多くなるかもしれない▼では、最新の1カ月予報によると…、2月に入ったころからは冬型の気圧配置が続き、例年同様に太平洋側では晴れの日が多くなるという。雪は少し解けて塊となり、またその上に積もる。足元に温かみを感じることはずっと先のようだ。(R)


1月22日(金)

●「どっこいしょ、どっこいしょ」—暖冬という予報だったが、激しい寒暖を繰り返す異常な気候。先ほどの大雪で近所の高齢者の雪かきを手伝った。かいても、かいても、地面は出てこない。何回、「どっこいしぉ」と言ったことか▼菅直人副総理は「六根清浄」を唱えながら、坊主頭で四国霊場を巡った。煩悩や私欲を断つための仏教用語で、六根は限(視覚)耳(聴覚)鼻(臭覚)身(触覚)の五感に意(心)を加えたもので、欲で心が迷ったり、人の道を踏み外さないための四字熟語▼六根清浄を縮めた六根浄の発音が一休みしたり、行動を起こす掛け声「どっこいしょ」になった。雪かきの後、「3K」の国会中継を聴いた。かつての3Kは「きつい、汚い、危険」だったが、今国会の3Kは「献金、経済、基地」。いずれも現政権のウイークポイント▼菅副総理は2次補正予算の柱に「雇用、環境、景気」の3Kを強調。「3つの幸福を実現したい」としているが、首相は「実母からの12億円にのぼる『子ども手当』は知らなかった」と相変わらず庶民感覚からかけ離れた論議▼沖縄には「他人に痛めつけられても眠ることはできるが、他人を痛めつけて寝ることはできない」という格言がある。米軍基地移設先送りは、いつまで沖縄の人たちを苦しめるのか。六根清浄を唱えても「心が痛みつけられて」眠れない。国会には、あと二つのK「期待」「希望」を加えたい。(M)


1月21日(木)

●「立場が代わると…」という表現があるが、昨今の永田町の姿は、その意味を実に解りやすく教えている。「政治と金」。あまりに古くて新しい永田町課題だが、その見解や対応がこうも変ると、こっちの方が戸惑ってしまう▼政治腐敗を招く多額の政治献金を抑制し、きれいな政治の実現を掲げて、政党助成法が制定され、助成金が交付されるようになって15年。その額、国民1人当たり250円で、共産を除く政党が年300億円を超える交付金を受け取っている▼ところが、その立法精神は生かされるどころか、政治不信を増幅させる要因であり続けている。議員であろうが、政党であろうが、疑惑を抱かれたら、その解明のための対応は求められて当然。少なくても野党時代の民主はその姿勢だったはず▼それが政権を握った今その姿をすっかり隠してしまった。全国紙などの世論調査で突きつけられた疑惑解明不十分の指摘に耳をかさず、逆に批判の矛先を検察、マスコミに向けるばかり。自浄作用を発揮する動きは伝わってこない▼与野党、立場が代わったにせよ同じ議員、政党なのに、である。確かに今、喫急の政治課題は経済対策だが、だからといって「政治と金」の問題を先送りしていい訳がない。政治の大前提は「信頼」の確保である。その思いに立つと、立場に関係なく、導き出される答えは一つしかないのだから。(A)


1月20日(水)

●日曜の昼過ぎ、携帯に送信された速報ニュースメールに思わず目を疑った。「元プロ野球選手の小林繁氏が急死…」。あわてて他のサイトも確認してみたが、誤報ではなかった。57歳の若さだった▼小林氏は1978年、江川卓氏の「空白の一日」騒動の渦中の人となり、一躍悲劇のヒーローに。巨人のエースとプロ入り前の若者との前代未聞の1対1のトレードは、例えるなら菊池雄星選手を獲得するために、日本ハムがダルビッシュ選手を放出するようなもの▼しかし、移籍時の会見で小林氏は「同情は買いたくない。選手として結果を残すだけ」ときっぱり。その言葉通り、翌シーズンは自己最多の22勝をマーク。このうち因縁の巨人からは負けなしの8勝を上げ、見事な“恩返し”を果たし、真のヒーローとして輝いた▼一方、すっかり悪役とされた江川氏も、実は小林氏のトレードにはまったく関知していなかったという。結局、球団同士の思惑に振り回された2人は、騒動から約30年後に共演した日本酒のCMではじめて互いの心境を語り合い、長年のわだかまりをようやく解きほぐすことができた▼プロとしてのプライドを傷つけられながら、それをバネにしてさらなる飛躍を遂げた小林氏。今季からは日ハムの一軍投手コーチとして、貴重な人生経験を若い選手たちに伝えてくれることを楽しみにしていたのだが…。心よりご冥福をお祈りします。(U)


1月19日(火)

●「レシートを見てびっくり。品目の中に人間の名前だけで、しかも、100円、150円など…。何だっけ、これ。人を買った覚えはないし、しかも安い。よく見て納得した。産直コーナーの野菜生産者の名前だった」(毎日新聞の投書欄)▼偉い人のレシートには古くは「田中角栄5億円」、最近は「鳩山由起夫12億円」「小沢一郎4億円」か…。しかも高い。4億円は小沢民主党幹事長の資金管理団体の土地購入費だという。「やましいことはしていない」「積み立てた個人資金」と検察に宣戦布告▼元私設秘書で衆議院議員の石川知裕容疑者(36)ら側近3人が逮捕されたというのに…。中でも足寄町出身の石川容疑者は「疲弊していく古里を元気にしたい」と小沢幹事長の懐(ふところ)から一人立ちしたが、資金の取り扱いを引き受けていたという▼厳しい取り調べに対し、旧知の議員に「小沢先生は激怒するだろう」「もう耐えられない。死にたい。聴取にも応じない」と涙ながらに話したという。議員周辺は自殺を心配して検察に連絡、身柄“確保”となった。「政治と金」の問題は、いつも悲劇を呼ぶが…▼1年で最も寒い大寒(20日)。「やましいことはしていない」と断言するのなら、寒々とした結末の前に事情聴取に応じ、苦悩する石川容疑者に応え、国会で真実を話すべきだ。「4億円にレシート」が現実にならないためにも。(M)


1月18日(月)

●新成人の8割が、わが国の未来に「明るさ」を感じていない。明るさを感じてほしいと求める方が無理か、そうだろうな、昨今の政治、経済の動きを踏まえると、想定内の答えとも言えるが、改めて数字で示されると、がく然としてしまう▼この厳しい現実を教えているのは、インターネット調査会社「マクロミル」が行ったアンケート結果。ほぼ5人に1人、17・8%がわが国の未来は「暗い」と答え、さらに61・4%が「どちらかといえば暗い」と受け止めているという▼氷河期状態の雇用環境などが微妙に影響している、という見方も外れていないが、その背景にうかがえるのは閉塞感であり不透明感。確かにそれは若い世代に限らず各年代に共通した思い。ただ、将来を担う若い人たちとなれば重みが違ってくる▼政治に信頼を抱けているならまだしも、残念ながら政権交代後も政治不信は払拭されるに至っていない。そんな中でも期待感は捨てないでほしいと願いたいが、救われたのは関連のアンケートで自らに希望を持っている人が少なくなかったこと▼実に64・1%が「自分の未来は明るい」、63・8%が「自分には将来の夢がある」と答えている。改めて言うまでもない、その夢や未来を腰砕けにさせないための答えは「政治の信頼回復と経済の再生」。このアンケートで新成人が発したメッセージもそこに尽きる。(A)


1月17日(日)

●大分の暴走族だったツッパリが「親孝行をしたい」と1992年に角界入り。97年7月の名古屋場所、噂の力士を土俵最前列から見た。番付は東十両1枚目。筋肉で張り詰めた太ももは今でも印象に残っている▼相撲で「突っ張り」を武器にした元大関千代大海が引退した。大関在位65場所、14回の角番という最多記録のほか、横綱朝青龍戦での闘志むき出しなどが記憶に残る。番付運に恵まれたり、恵まれなかったのも話題だった▼先の名古屋場所の前、5月場所は西十両1枚目で9勝したが、幕内下位がほとんど勝ち越したため、新入幕はできなかった。同2枚目の久島海も9勝したが、再入幕はならなかった▼千代大海は同年9月場所で幕内に上がり、6場所目で関脇に。99年1月場所は東関脇。本割で横綱若乃花を破り、若乃花と優勝決定戦となり、優勝決定戦では取り直しとなった一番を制し初優勝。この日の3番が最大の思い出という▼この場所で13勝し、関脇3場所で32勝とした。大関昇進の目安となる33勝以上には届かなかったが、武蔵丸、貴ノ浪以来5年間、新大関はなく推挙された。初大関の場所は武蔵丸戦で鼻骨を折り、途中休場だった▼今後は佐ノ山親方として後進を指導する。「目標を持てば、人生も変わる。自分の経験を伝えたい」。苦しい時に踏ん張り、希望を達成するまで頑張るという強い意志を持った力士が誕生するだろう。(R)


1月16日(土)

●ちょうど50年前、函館少年刑務所の船舶職員職業訓練に挑戦する少年たちを取材した。刑務所では全国唯一の船舶訓練で、気象や天文学から船の操縦法などをびっしり勉強。実習船で津軽海峡へイカ漁にも出かけた▼船舶訓練は服役の少年に漁業者が多いことから導入され、一期生は12人。10カ月の訓練の後、船舶技術員の国家試験に全員合格、船長や航海士の資格を取った。道内や東北地方の漁船の船長や漁業会社の事務員に就職。まじめに働くので、船主から礼状が届いたほど▼今の職業訓練は溶接、木工、自動車整備、理容など多様。単純化している作業の嫌悪や倦怠感を取り除こうと、46年前に全国で初めて取り入れたのが作業所に流すBGMだ。心がなごみ、仕事への意欲がわく。そんな中から生まれたのが「マル獄」シリーズではないか▼「マル獄」の前掛けは全国の刑務作業製品の中でも一番の人気。藍染の帆布の中央に丸で囲んだ「獄」、下方に「PRISON(刑務所)」を印字。前身の函館徒刑場の開設年を示す「創業明治弐年」の文字が書かれ、レトロで斬新なデザイン▼「マル獄」の前掛けは機能性がよく刑務所の製品即売会でいつも完売。「市場の活性化に役立てれば」と、今年は昨年の中島廉売に続いて自由市場で21日から3日間、開かれる。厳寒の中、犯した罪を作業の中で償う姿を見てほしい。「点呼する看守囚徒の息白し」(成田青秋)(M)


1月15日(金)

●熊皮の上にどっかりと座り、一点を見つめるアイヌの有力者。堂々とした体にひげをたくわえ、蝦夷錦(えぞにしき)と呼ばれる絹織物の上に黒マントを羽織っている。松前藩の家老で画人の蛎崎波響が描いた『夷酋列像(いしゅうれつぞう)』の1枚にある▼1789年にアイヌ民族が和人に蜂起したクナシリ・メナシの戦い。松前藩は自らの力より、藩に友好的なアイヌの有力者に乱を平定させる道を選んだ。その戦略を藩主の松前道広に進言したのが波響とも言われている▼乱平定の協力者を松前に呼び、蝦夷錦を着せ、道広の命で波響に描かせたのが『夷酋列像』だ。同名の短編小説がある函館市の作家、宇江佐真理さんは、先日開かれた講座「図像は語る」で「本人が描きたいと思ったわけではないのに、皮肉にも代表作になり、人生や運命の不思議を感じる」と語っている▼時はロシアの南下政策が始まり、幕府が北方警備に力を入れ始めたころ。外の動きと藩政の失態で、松前藩は一時、今の福島県に転封される。その中で、画人として朝野に名をとどろかせた波響は、復領のため、絵を売って資金を蓄える道を選んだ▼葛藤の中で画人としての誇りを捨て、家老として藩への忠誠をささげた。波響のこうした労もあり、松前藩は14年後に復領となる。絵師と家老を天びんにかけられ、歩んだ一本道。松前が生んだ偉人に注いだ光と影に、運命の足跡が見える。(P)


1月14日(木)

●今から15年前の1月17日午前5時46分。突然、襲った直下型の地震。崩れ落ちる建物、幾つも上がる火の手、逃げることすらかなわず命を落とした人が6400人。わが国の災害史上に深く刻み込まれた大惨事だった▼それは明石海峡を震源(マグニチュード7・3)に発生した阪神・淡路大震災。負傷者約4万4000人、被災者30万人以上、住宅全壊10万5000棟、焼失住宅6100棟…。道路網は寸断され、ライフラインも不能となって都市機能はマヒ状態に▼地震の脅威は、常につきまとって離れない。実際、毎年のように世界各地で大地震は起きている。道南では1993年7月12日に死者・行方不明者200人を超した北海道南西沖地震を経験しているが、一昨年も中国・四川大地震などが記憶に新しい▼確かに予知科学や体制は進歩している。ただ、台風や大雪などと違うところは、予知から発生までの時間が極めて短いこと。心の準備、対処の動きを整える間はほとんどない。だから脅威なのだが、幾多の大地震は我々に様々な教訓を与えてくれた▼それは個人にも、地域、行政にも。家具の固定、避難用品の準備などは個人が対処しておくのが基本。いずれも身を守る術(すべ)だが、備えが強く叫ばれるのは、災害は絶対起きないという保証がないから。阪神・淡路大震災を受けて「防災とボランティア週間」が設けられた。今年も15日から始まる。(A)


1月13日(水)

●記録的な大寒波が地球を襲っている。欧州で大勢が凍死したほか、米国の一部では非常事態宣言まで出された。日本も例外ではない。気象庁の暖冬予想は外れ、低気圧による異常気象のニュースが各地から届く。雪が少ないはずの道南・函館では、連日の降雪に市民の表情も曇りがちだ▼今回の世界的な寒波を「氷河期(氷期)の前兆」とする論評まで現れ始めた。米映画「デイ・アフター・トゥモロー」は、突然訪れた氷河期に混乱する人々を描いた。このフィクションを引き合いに、“氷の世界”が現実のものになる、と警鐘を鳴らす専門家もいる▼氷河時代は「氷期」と「間氷期」に分けられ、比較的温暖な現在は後者に位置づけられる。話はややこしくなるが、地球上の極地に氷床が残る現在はれっきとした氷河時代のさなかであり、この氷床が広範囲に大陸に拡大すると「氷期」に変わる▼地球温暖化による環境問題が言われて久しい。ここでは省くが、温暖化が氷河期の訪れを早める要因の一つとする学説も少なくない。前述の映画でも、パニックの前触れは世界各地の異常気象だった▼温室効果ガスの排出量などを巡る各国間の駆け引きは記憶に新しい。自国の経済を守るという大義名分などが問題を複雑にしているが、地球規模の危機という意識をどこかに置き忘れていないか。まずは氷に閉ざされた自国を想像することから始めたい。(K)


1月12日(火)

●漫画「深夜食堂」(安倍夜郎著、小学館)が面白い。連載を取りまとめた本は第4集を数え、小林薫主演でテレビドラマ化もされた。作風は地味だが、口コミでじわじわと人気が出ているという▼難しいストーリーはない。東京新宿の片隅で深夜0時から朝7時まで営業する食堂を舞台に、そこに集う人々の人間模様が描かれる。主人公はあくまで、客が注文する料理たち。ただし、グルメ漫画に出てくるような凝ったメニューは登場しない▼温かいごはんにかつお節をのせ、しょうゆをかけただけの「猫まんま」。冷蔵庫で一晩寝かせた「きのうのカレー」。ほかにも、タコの形の赤いウインナー、ポテトサラダ、肉じゃがなど、材料さえあれば客の求めに応じて何でも作ってくれる▼お世辞にも料理と呼べないものもあるが、それぞれが昭和の郷愁に近いものを醸し出している。この漫画が一定の年代に共感を持って迎え入れられる理由もそこにあるのだろう。大抵の材料はいつどこでも手に入るし、調理も至って簡単。無性に食べたくなり、その日の食卓に並んだメニューも何点かあった▼こんな食堂が函館にもほしい。新鮮な魚介類が値の張ることは分かるが、これらを並べた丼ものを驚くほど高い値段で出す店がある。一方では、500円硬貨で釣り銭がくるようなそば店も。これらの特長を適度に織り交ぜた、函館らしい“庶民の味方”が現れないものか。(K)


1月11日(月)

●市民の熱い思いが、今年、函館に一つの文化財産を生み出そうとしている。といえば、答えがすぐ頭に浮かんでくる人もいようが、そう、それは映画「海炭市叙景(かいたんしじょけい)。函館出身の作家、故佐藤泰志の遺作の映画化である▼函館西高在学中に有島青少年文芸賞優秀賞を連続受賞した経歴を持ち、28歳で文壇にデビュー。芥川賞候補にも5回選ばれるなど嘱望された作家で、没後早や20年になるが、「海炭市叙景」は18の連作で、函館の街をモデルにした未完の作品▼「函館出身作家の、函館をモデルにした小説を映画にして、後世に残したい」。菅原和博さん(製作実行委員長)が声を挙げ、西堀滋樹さん(同事務局長)が賛同し、その人となりを知る友、作品に感銘を受けた人たちが、その輪を広げ、大変な募金も徐々に進んでいる▼メガホンを握るのは熊切和嘉監督。キャストに加瀬亮、小林薫、南果歩、谷村美月さんらが名を連ねる。市民エキストラが参加するシーンもあるといい、撮影は間もなく2月から。6月には完成の見通しで、全国上映や国際映画祭への出品など夢が膨らむ▼函館は映画やドラマの舞台になることが多いが、それらと同類に語れない。函館を愛し、故佐藤泰志を慕う多くの人の熱い思いが製作へと動かした映画だから。「市民の思い フィルムに託す」。本紙新年号(特集)の見出しからも同じ思いが伝わっている。(A)


1月10日(日)

●東京で正月を過ごした。朝夕の通勤時間ながら空いている地下鉄の車内では、新聞を大きく広げて読む人も。もっとも最近では携帯電話などでニュースを見るため、器用に折り畳んで読む人は少ないとか▼今回は函館から往復飛行機利用。復路は4日午後。この日で最後となったサービスを受けたかったが、残念ながら数が少なく手にすることはできなかった。新聞である▼列車の旅で楽しみは景色の変化、バス旅行はガイドの案内、空では新聞だったが、日本航空(JAL)と全日空(ANA)のエコノミークラスでは、この日をもって新聞の提供を終了した。羽田発着の国内線のうち、無料で新聞を配布するのは北海道国際航空(エア・ドゥ)のみとなった▼毎朝家や会社で各新聞を読むものの、機内にある全国紙は、飛行機が最初に飛び立つ空港で用意されるらしく、社会面に続き各地域のページがあり、函館から乗っても、関西や北陸、九州などの話題があり面白く、参考になった。旅先の新聞をお土産にする人も居ただろう▼機内で新聞を求める乗客は2、3割程度であろうか。ネット上では「残念」よりも「過剰サービスの削除は当然」「新聞ぐらいは買って乗れ」などと意見が書かれているようだ▼経営合理化が進む航空業界から省かれてしまうメディアとなったことは寂しい限りであり、新聞としての役割を見つめ直す機会であるかもしれない。(R)


1月9日(土)

●「数えきれない程の人に支えられている こんどはぼくが力になる」—石川遼選手が「はたちの献血」のポスターで呼びかける。29年前から始まった「はたちの献血」。キャッチフレーズは「おとなの証明」から始まり、「あなたの勇気を下さい」「人は献血で人を救う」と続く▼医療に欠かせない血液製剤。最近は少子高齢化が進み、血液製剤の需要が高まっているが、献血者は減る傾向にある。安全性の高い血液の確保のため成分血液、400㍉㍑「献血が求められており、特に若い人の理解と協力が必要だ▼献血が自発的なボランティアであることは言うまでもない。ボランティアは「志願者」「篤志家」と訳され、最近は災害地の救助・復興活動にその姿が目立つが、最も身近なボランティアは献血で、今年の「はたちの献血」キャンペーンは1〜2月の2カ月間▼もう一つ、篤志家のボランティアは臓器提供者。「提供」は梵語の「ダーナ(旦那)」からきている。ダーナが欧州に渡ってドネーション(寄贈)となり、ドナー(贈り主)となった。先ほど臓器移植法に基づく脳死移植手術は85例目を終えた▼今年から改正移植法で15歳以上の子どもからも家族の同意で可能になる。献血を受けたり、臓器提供を受けたり、「数えきれない人」に支えられ、大人の仲間入り。「命のリレー」が回ってきた。成人式に出たら、勇気を持って「はたちの献血」デビューだ。(M)


1月8日(金)

●アイヌ民族最大の蜂起とされる「シャクシャインの戦い」。衝突の背景には、アイヌ民族の和人に対する積年の不満がある。その発火点となったのが、松前藩による不公正な貿易だった。戦いの拠点は現在の日高管内。1669(寛文9)年のことである▼この騒乱により、道内各地で200—300人余りの和人が殺りくされたという。当時の道南の状況については、函館市史に詳しい。「さいわい亀田、箱館地方には、何ら直接の戦禍はなく終わっているが、しかし人心はすこぶる恟(きょう)々たるものがあり…」▼やがて函館のアイヌ民族にも、不当な差別という火の粉が降りかかることになる。その一端は、和人がアイヌ民族を襲撃するという、「函館野外劇」の冒頭シーンにも表れている▼こうした歴史を知り、アイヌ文化を後世に伝えようと、一人の男性が行動を開始した。社団法人「北海道アイヌ協会」の函館支部設立発起人、加藤敬人さん(55)がその人。今春をめどに支部の旗揚げを目指すが、参加を表明している人はまだ数人にすぎないという▼「差別や偏見を恐れてカミングアウトをためらっている人も多いと思う」と加藤さん。道南におけるアイヌ文化の伝承は、先進地の日高や釧路などに比べ遅れ気味だ。語り継ぐ人がいなければ、その歴史はやがて風化する。加藤さんの活動が道南アイヌ史再考の端緒を開くものであってほしい。(K)


1月7日(木)

●昨年11月オープンの「北海道坂本龍馬記念館」(函館市末広町)に足を運んだ。正月三が日明けの平日にもかかわらず、大勢の人がそこにいた。NHK大河ドラマ「龍馬伝」が始まったこともあるのだろう。全国的な龍馬ブームの再燃を予感させる光景だった▼館内には龍馬ゆかりの品々が並ぶ。ファンならずとも楽しめる内容だが、山岳画家・坂本直行のコーナーが一風変わっていて興味を引く。直行は、龍馬の血を引く本家8代目。山や草花を愛し、その絵が六花亭の菓子の包装紙に採用されていることでも知られる▼釧路生まれの直行は北大卒業後、十勝管内広尾町に入植。開拓に汗を流す傍ら、日高の山々と植物を描き続けた。1982年に75歳で死去。静謐(せいひつ)な画風は人気が高く、その作品群には「坂本直行記念館」(十勝管内中札内村)で出合うことができる▼直行に限らず、龍馬の子孫が北海道に多いのはなぜか。蝦夷地開拓の夢を抱いていた龍馬にとって「北海道は理想と情熱を託す新天地だった」(同記念館リーフレット)という。志半ばで逝った龍馬の強い思いは、今も子孫たちに脈々と受け継がれている▼幕末の世相を映す刀やピストル、書簡が並ぶその一角に、直行が愛用した画材やリュックサックなどが同居する。そんなバランスの悪さが逆に、坂本家の足跡をたどる上で参考になる。身近に龍馬を感じることができる、意外な楽しみ方だ。(K)


1月6日(水)

●毎月1回「お米の日」、毎月3回「コメの日」があることを知っているだろうか。そう、全国農業協同組合(全農)が記念日として定めた「お米の日」が8日で、その直営店コメコメハウスが設けた「コメの日」が8、18、28日である▼謂れは米を作るのには88の手間がかかること、さらには米という字を分解すると八十八になること、という。それはともかく米は日本人にとって揺るぎのない主食。故に稲作は農業の基幹として君臨し続けているが、その消費量は、というと減少が続いて…▼1965(昭和40)年には一人年間112キログラムだった。それが20年後の1985(昭和60)年には75キログラム、そして今や60キログラムレベル。食生活の多様化がもたらした現象だが、道南地域には、仕方ない、と聞き流せない理由がある▼近年でも1万5千トン強を収穫する産地だから。道南も含め道産米には厳しい評価に耐えてきた歴史があるが、品種の改良、生産者の取り組みが質的な向上を誘導。「ふっくりんこ」などに続いて、昨年は期待を背負う「ゆめぴりか」がデビューした▼それに連動して地元での消費率も高まって、今や道産米の道内食率は75%(道米販売拡大委員会)までに。道産米の復権を裏付けるデータだが、国民運動としての米全体の消費拡大は引き続きのテーマ。「もっと食べようよ」。米を巡る二つの「日」が発しているのは、このメッセージに尽きる。(A)


1月5日(火)

●初詣でや仕事始め、大発会、成人式で見る女性の晴れ着姿は新年をなごませる。帯の結び方で女性の心情がにじみ出るといわれる。舞妓さんの「だらり結び」、出会いを呼ぶ「太鼓結び」、「心」の字を表現した「島原結び」…▼「帯」は、人との出会い(結び)であり、別れ(解く)であり、人と人との絆であり、生きた心の証しであり、子を思う愛であるという。お年玉など正月の風習を通じて、その精神が引き継がれてきた。最近は孫の親にもお年玉をやるようになった▼祖父母らからお年玉をもらった振り袖姿で「大人としての責任と自覚を持ち、郷土の発展に貢献します」「助け合う心を忘れず頑張ります」と宣言する新成人。親からもらった愛の力で社会の荒波に立ち向かってほしい▼3歳の女児が自宅マンションに隣接する公園の植え込みに倒れていた。自宅のある6階から転落したとみられ、頭などを打って重傷。両親は女児が寝ていたので、初日の出を見に外出。子ども部屋の窓が開いており、女児が自分で開け、両親を追ったのではないか。元日の朝の悲しい事故(川崎市)▼5日は「小寒」、7日は食べると万病を防ぐ「七草」。不景気を嘆いても仕方がない。恵比寿のように笑うことだ。失敗を恐れず前進すれば笑顔が出てくる。心結び帯の笑い声は勇気を与えてくれる。心温かい寅さんは〈はつ電話笑顔のままで受話器置き〉と旅立った。(M)


1月4日(月)

●昨今「読書離れ」が指摘されている。言葉を換えると「本離れ」ということにもなるが、さらに見方を広げると「活字離れ」とも言える。函館市中央図書館の利用状況などからは、そうなのか、と映るが、今や大きな社会問題▼大人ばかりか子供もだから悩み多い。その現実は出版物の売り上げに表れているし、全国紙の調査結果なども裏付けている。なんと1カ月に読む本(書籍)は平均して1・5冊、1カ月に最低1冊は読む人は既に5割を割っているというのだから▼どんな現象にも必ずそうなる理由がある。この「読書離れ」にも、娯楽の多様化や生活スタイルの変化など諸説挙げられる。何年前と比べるのが妥当かはともかく、娯楽は急速に増え、日常生活も忙しくなっている。子どもは塾、いや習い事、大人は仕事…▼「時間がない」という答えが多いことに、その姿というか現実が垣間見えるが、だからと言って、仕方ない、として放っとけない。本は知識の泉であり、さらに子どもで言えば、国語力を引き上げ、考える力、洞察する力を養う源となるのだから▼文字の大型化をはじめ、ポイントサービスの導入など出版界、書店も知恵を絞り、教育現場でも朝読書など地道な取り組みが行われている。それもこれも本へと導く環境づくりだが、その努力をさらに。そして声をかけよう。「一日一回は本を手にとろう」と。今年は「国民読書年」である。(A)


1月3日(日)

●大雪の中で、寅年が明けた。初詣でもままならず、インターネットのおみくじを引いたら半吉。「人生は一喜一憂。困難をいとわず誠の道にいそしめば、神仏の加護がある」と▼寺社でおなじみのおみくじだが、これを作ったのは10世紀の天台僧、良源とされる。のちに天台座主となる高僧は延喜12(912)年、滋賀県虎姫町で生まれた。合併で長浜市となる前は、全国で虎が付く唯一の市町村だった▼一を聞いて十を悟る神童で「偉い僧ではなく、よい僧になるように母は願った」(山田恵諦『元三大師』)という。宗論で頭角を現し、その俊英ぶりは論争の相手となった奈良仏教側の史料でも評価されている▼その論争とは、奈良・東大寺の高僧が「すべてが仏になれるわけではない」と主張したのに対し、京都・延暦寺の良源は「一切の成仏は仏の願い。草木が花から実を結ぶように、みな仏となる素質を持っている」と、生き物すべてに仏性があるとした▼つまり、生まれで人生の大半が決まった時代に、貴賤や富貴も問わず、山川草木に至るまで仏になれると論破したのだ。失敗したら容易にはい上がれない現代も、まじめに汗して働いた者が等しく救済される世であればと願う▼良源の人物評価は多彩で、敵も多い。しかし、全焼した比叡山を再建・中興した功績は大きく、元三大師と呼ばれている。永観3(985)年正月3日に亡くなったためである。(P)


1月1日(金)

●年の初め。初春とも言う。1873(明治6)年に太陽暦が施行されるまでは、新年と春とがほぼ同時に訪れていた。太陰暦の名残でもある初春の二文字は今も年賀状の定番であり、新年のスタートを切るのにふさわしい華やかさがある▼とはいえ、一歩外へ出ると厳しい冬。年末の大雪が残る街並みは、春のイメージからはほど遠い。道南経済の情勢も同様である。難所の雪道、それに続く長いトンネルを抜け出せないまま新しい年を迎えた。春を告げる雪解けの日が待ち遠しい▼新春対談で地元選出の逢坂誠二衆院議員と話す機会があった。「道南は宝の山」。自信にあふれた議員の一言が印象に残った。行政などによる景気雇用対策にいらだちに似た気持ちを抱いていたときだけに、それを見透かされたような、ばつの悪さを覚えた▼現有の資源をどのように再活用し、新たな価値付けを図っていくか。自治体ごとの具体策がすらすらと逢坂議員の口をつく。街づくりの基本は、とことん知恵を絞ることにある。そんな攻めの姿勢も、雪に閉ざされた今の時代にこそ求められている▼「市民参加の街づくり」は古くから言われてきた言葉だ。単なるお題目になっていないか。街の将来を行政任せにしていないか—。知恵を出し合い、自らの力で春をたぐり寄せる。そんな強引さが住民の一人ひとりにあってもいい。今年こそみんなが笑顔で暮らせますように。(K)