平成22年3月


3月31日(水)


●ある小4児童の10本の永久歯が虫歯だった。なかなか歯医者に行けず、治した歯がまた虫歯になっていることも。母親は「母子家庭で生活が苦しく、子どもの面倒を見切れない」という(毎日新聞)▼最近、「子どもの貧困」が進んでいる。政府が発表した日本の相対的貧困率は15%(2007年)で、子どもの貧困率は14%。特にひとり親家庭の貧困率は54%で、OECD加盟国で最も高かった。経済的理由が進路選択に影響を及ぼしたケースも▼そんな中、先ほど子育て支援策の目玉「子ども手当法」が成立。今年は中学卒業まで1人あたり月額1万3000円(次年度から倍額)。4、5月分が6月に支給される。高校教育の無償化と合わせて期待されているが、子育て以外への支出も心配される▼2兆円を超す給付予算は事業仕分けによる歳出削減、埋蔵金に地方などが負担する児童手当制度を組み込んでいる。このため、在日外国人で子どもが外国で暮らしているケースにも支給されたり、海外に住む日本人でも助成されない子どもがいるという矛盾も出てくる▼子どもたちに等しく、能力に応じた教育を受ける機会を与える手当でなければ。貧困率の高い子どもが平等にスタートラインに立って、貧困を克服するようにしなければ。まず、貧困率であえぐ家庭が給食費や修学旅行費、病気の治療費に回したり…か。使われ方にも議論があり、根本的な見直しの声も多い。(M)


3月30日(火)


●10年前の3月31日、この日を忘れることはできない。有珠山が噴火した日である。同時に本紙にとっては夕刊としての発行最終日でもあった。覚えている人もいようが、本紙の紙齢はその3年3カ月前から夕刊で刻んでいた▼切り替え当日である故、昼は最後の夕刊、夜は最初の朝刊を印刷しなければならない。トラブルがないように「夕刊は早めに」と制作作業を進め、紙面がほぼ組み上がり印刷へ、という時だった。午後1時10分ごろか、テレビに速報が流れた▼「有珠山が噴火…」。前々日あたりから緊急火山情報が出されていたので警戒していたとはいえ、夕刊には厳しい時間帯。組み上げた紙面を捨て噴火記事を入れた紙面へ。情報が錯綜する中、時間と勝負の紙面制作だった。そして最初の朝刊にはその続報を▼だから、忘れることができないのだが、実際に噴火による被害も大きかった。洞爺を中心に陸路、鉄路は寸断され、避難を余儀なくされた人は1万6000人。長万部町も避難所としての役割を担った。月日の経つのは早いもので、あれから10年▼現地では…。西山火口に設けられた散策路から見える壊滅した建物、激しく隆起した旧国道が、今に当時を伝えている。地震の予知は科学的にも、体制的にも進んできている。例えそうだとしても不変の戒めは日ごろの心構え。駒ケ岳や恵山の近くで生活している道南の我々には、なおさら求められる。(A)


3月29日(月)


●ドイツ人のヴォルフガング・ワーグナー氏が20日、90歳で亡くなった。彼の正体は名前自体にヒントがある。ロマン派の大作曲家、リヒャルト・ワーグナーの孫なのだ。遠い歴史上の人物のイメージがある人物の孫がこれまで存命だったことは、ちょっと驚きだ▼ヴォルフガング氏の肩書は、単なるワーグナーの孫ではなく「バイロイト音楽祭の前総監督」。バイロイトといえば、毎年ワーグナーのオペラ作品のみが演奏される、音楽ファンにとってはあこがれの聖地である▼同音楽祭はナチスの援助を受けたことなどから、戦後は一時中断。それを1951年に復活させたのが、ヴォルフガング氏とその兄のヴィーラント氏だった。特にヴィーラント氏は演出家としても才能を発揮し、「新バイロイト様式」と呼ばれるスタイルが脚光を浴びた▼ヴォルフガング氏も演出を担当したが、兄ほどの高い評価は受けなかった。その代わりに、個性的な演出家の招へいに力を発揮し、バイロイトの伝統を守りながらも新しい風を送り込み続け、2008年に退任するまで40年にわたり総監督として腕をふるってきた▼実はヴォルフガング氏の退任後に「お家騒動」が行ったのだが、彼の2人の娘(つまりワーグナーのひ孫)が共同で就任することで決着したという。政治の世界では批判の対象となることが多い“世襲”だが、バイロイトでは今後も継続してほしいものだ。(U)


3月28日(日)


●函館をはじめ、全国の土地の下落に歯止めがかからない。今年1月1日現在の公示地価で、函館市の商業地の下落率は前年比7・1%、住宅地も同5・3%だった▼道内の基準地で値上がりした地点はゼロ、全国約2万7400地点でも上昇はわずか7地点という。上がった土地は今後、地下鉄の駅が開業するなど、特殊な事情がある場所に限定された。土地を持てば安心という神話は、崩壊した▼公示地価は土地取引の指標や目安となる。つまり、それだけ値を下げなければ売れない、買えないという経済の実態を表している。そこがまず問題だ▼函館の地価はそれでも道内他都市と比べると高い。しかし、不動産は単に下がればいいというものではない。下落は一見、マイホーム取得者に有利だが、まだ下がるとの観測から買い控えの心理が働く。そうなれば土地取引や建築工事、家具購入など数千万円規模の消費がなくなる▼消費の冷え込みは企業を直撃し、税収が落ち込む。経済・雇用情勢はさらに悪化し、倒産やリストラ、給料カットなどが進む。そうした末にローンの支払いに窮して家を手放す人が出る。しかし、買う力のある人が少ないから投げ売りとなり、借金だけが残る…▼将来への不安から結局、家を買う予定は崩れ、そしてまた下がる。そのような「負の連鎖」が続く懸念が大きい。だとすれば、あまりに大きな資産デフレの悪循環である。(P)


3月27日(土)


●融雪が進んで、道南も春の装いとなり、自転車の季節到来。まだ風が冷たいとはいえ、肌に伝わる躍動感から、ともするとペダルを踏む足にも力が入る。くれぐれも事故やけがのないように。守ってほしいのが安全原則だ▼速度を抑えて車道は左側を、夜間はライトを、歩道では歩行者優先を、など。事故防止の大前提は乗る人のマナーだが、道路環境の改善も鍵を握る。道路が良くなると自動車事故も減ると言われるが、それは自転車も同じであり、整備は大きな課題▼というのも、自転車による事故がこの10年間で4倍に増えているという現実があるから。加えて、健康によく、環境にも優しい乗り物として見直され、利用者が増える傾向に。なのに現実は…。通行帯の整備など自転車を取り巻く環境は遅れに遅れている▼函館市内もしかりだが、それでもモデル事業の順番がようやく回ってきた。事業主体でもある函館開建などが周知に努め、21日付の本紙にも詳細な告知広告が掲載されていたが、場所は五稜郭駅から西側、八幡小から北側の国道5号、八幡通りなど▼歩道の広い所は歩行者と自転車通行帯を色分け舗装し、狭い所は標識が設置される。完工予定は4月末。同開建の地域住民調査で、約7割の人が自転車と接触しそうな経験や、そんな光景を目撃したことがあると答えた実態がどう変化するか。変わらないとしたら、改めてマナーが問われることになる。(A)


3月26日(金)


●27日は「さくらの日」。日本さくら会が18年前に「咲く」の語呂合わせで「3×9菔27」から記念日に。日本の歴史や文化、風土とかかわってきた桜を通じて自然や文化に関心を深めようというもの▼万葉の昔から愛され親しまれており、歴史を秘めた道南の代表格は松前の「血脈(けちみゃく)桜」。約290年前、城下の柳本父娘が吉野山を訪れた時、美しい尼僧からもらった。本堂を建て直すため成長した九重桜を切ろうとしたが…▼死を目前にした美人が住職の枕元に現れ「私に血脈(死者が仏になれる書簡)を下さい」と嘆願。翌朝、その血脈が桜に揺れており、伐採中止に…。その銘木が悩まされるのが野鳥のウソによる被害。津軽海峡から飛来して新芽を食べてしまうから▼今季は町や町民が血脈桜を防鳥網で覆ったほか、他の古木にもテープやバルーンなどの防鳥器具を取り付け、ボランティアが巡回してウソを追い払った。函館公園の桜もウソによる食害を受けており、昨年は日に約30羽が飛来し最悪だったが、今季は2、3羽に減った▼「カラスの多い年は食べられるのを恐れてウソが少ないようです。今年はその年。桜はいっぱい咲きます」(函館公園管理事務所)。先の春の嵐で耐え忍んでいる本州のソメイヨシノは日に20キロの速さで北上してくる。函館の開花予想は5月2日。函館公園、五稜郭公園の花見が待ち遠しい。松前の血脈桜、夫婦桜も観たい。(M)


3月25日(木)


●ある会合で、観光振興の話題になった。函館観光の魅力は何と言っても「見る」「食べる」の二つ。では、これらに匹敵する、ほかの楽しみ方はあるか。残念ながら答えは「ノー」である。決定的に欠けているものがあるはず。その場にいた何人かが頭をひねり、出した答えが「体験型観光」だった▼体験型といっても、その内容は千差万別。スポーツ・アウトドア系が目立つが、変わり種も少なくない。「日本一寒い町」を逆手に取った陸別町(十勝管内)の「しばれフェスティバル」、“踊る阿呆”になりきれる徳島県の阿波踊り体験などが好例だ▼一方で、農業体験を観光の目玉に打ち出し、成功しているところも。函館は日本に誇る漁業の街。これを観光に生かさない手はない。例えばイカ釣り舟の同乗体験。自分で取った新鮮なイカに舌鼓を打つ。こんなぜいたくな観光も珍しい▼問題は、事故などが起きた場合の責任の所在である。「自己責任として、参加者にもある程度のリスクは覚悟してもらわなければ」。会合ではこんな意見も出たが、参加者に全責任を負わせるという発想は現実的に無理がある▼「自己責任」の線引きは難しい。プロ野球では、ファウルボールによる負傷事故が訴訟に発展した例もある。要は事前に関係者間の十分な論議があったかどうかが問われる問題だ。イカ釣りに限らず、責任問題で腰が引けているようでは何も始まらない。(K)


3月24日(水)


●障害者のスポーツの祭典、パラリンピック冬季大会で日本は11個のメダルを獲得した。前回のミラノで転倒したノルディックスキーの新田佳浩選手は「転んだことで成長する機会を与えてもらった」と金メダル▼パラリンピックは1960年にローマで行われたのが第1回だが、現在の名称になったのは64年の東京大会から。下半身の麻痺を意味するパラプレジアとオリンピックを組み合わせて名付けられた。新田選手は3歳の時、コンバインに左腕を巻き込まれた▼今、その「障害者」という表記をめぐって「障がい者」などに改めようという動きがある。広辞苑では「障害」と「障碍」の二つを当て区別はしていないが、「害」には「損なう」や「災い」のネガティブな意味合いがあり、「妨げる」の意の「碍」には負のイメージが少ないという▼最近は「障がい者」「障がいのある人(方)」という言い方に変えている自治体が目立つ。英語圏でも「パーソン・ウィズ・ディスアビリティー(障害のある人)」が多く、バンクーバー大会でもこの表記を使用した▼2回目に転倒したアルペンスキーのアダム・ホール選手はすぐ起き上がり金メダル。「転ぶようなことがあっても、また起き上がればいいんだ」と胸を張る。政府の「障がい者制度改革推進本部」で障害の定義・表記などを見直すという。呼ばれる人に痛みを抱かせないような呼称はないものか。(M)


3月23日(火)


●「マンガ大賞2010」(実行委員会主催)の大賞に「テルマエ・ロマエ」(ヤマザキマリ著、エンターブレイン発行)が選ばれた。受賞後はオンライン書店などで品薄状態が続いている。画風は硬質だが、れっきとしたギャグ漫画である。珍妙なタイトルには「古代ローマの風呂」という意味があるらしい▼内容も奇抜だ。古代ローマの公衆浴場専門の設計技師・ルシウスが突然、現代日本の銭湯にタイムスリップする。フルーツ牛乳や温泉卵、シャンプーハット、富士山の背景画などに驚きつつも、そのアイデアを古代に持ち帰り、名声を得る▼古代ローマ人の風呂好きは有名だ。同書の単行本第1巻に収められたエッセーによると、どんな小さな古代ローマ遺跡からも公衆浴場の跡地が見つかる。入浴料金は安く、よほど貧しくない限りは誰でも足を運ぶことができた▼風呂好きでは日本人も負けていない。函館市大船町の「ホテル函館ひろめ荘」がこのほど、入館者数30万人を達成した。源泉かけ流しの温泉や、地元の新鮮な魚介類を使った料理が人気の秘訣(ひけつ)だ。30万人目となった女性は「ここの温泉は体も心も温まるから好き」と語った▼公衆浴場の魅力の一つは、入浴者同士の裸の付き合い、心の触れ合いにある。古代ローマの浴場は、社交場としての色彩がより強かった。ルシウスさん、今度タイムスリップするときはぜひ、ひろめ荘へ。(K)


3月22日(月)


●3月が別れの月ならば、4月は出会いの月であり出発の月—。合わせて年度替わりの月とも言えるが、学校は卒業生を送り出し、官公庁や多くの企業では定例の人事異動。陽気も手伝って、人々が動き、気持ちを新たにさせる▼迎える4月。社会人として、企業の戦力としての研修が始まっている。本来なら、新社会人こぞって心弾んでいるはずの月である。なのに現実は…。そうなってはいない。回復気配を実感できない経済環境は、企業活動を守りに入らせ、しわ寄せは雇用に▼志がかなわないまま、3月を終えようとしている新卒者が例年以上という。2月1日現在の調査ながら、厚生労働省によると、大卒の就職内定率は80%。ということは、新年度まで2カ月残した段階で未内定者が5人に1人いたということである▼昨年同時期に比べて6・3ポイント低いというのだから、人数的にも多いことが推定される。ちなみに短大卒は67%、専修学校卒は72%、そして高卒が81%。ただし、これは全国平均であり、北海道はその水準に届いていない▼一方で求職者も減る気配はなく、雇用異常緊急事態とも言うべき深刻な情勢。政府は「新年度予算が執行されれば」と強調しているが、額面通り受けとる人はいまい。何度も聞いてきたせりふだから。急がなければならない、早めに安心したいから。1年先に卒業する学生の就職活動は年明けから始まっている。(A)


3月21日(日)


●列島を恐怖のどん底に陥れた地下鉄サリン事件から15年。何げない日常のありふれた風景が、毒ガスという殺りく兵器により一瞬で地獄へ変貌する様を前に、戦後の平和な日本に生まれ育った人間は震え上がるしかなかった▼当時、埼玉から東京都心へ通勤していた筆者は、ワイドショーをぼんやり眺めながら休日の朝を過ごしていた。そこに飛び込んできたのは、自分がその場にいたかもしれない地下鉄車内で、原因不明のまま乗客が次々と倒れていく姿▼それは事故でも火災でも殺人鬼でもなく、人々のささやかな幸福を奪い取る目に見えない悪魔の仕業だった。悪魔の正体が1年前に長野県松本市で7人の命を奪った毒ガス=サリンであることが判明したのは、夕方になってからと記憶する▼松本の事件では、被害者であり第一通報者でもあった男性を犯人扱いしたことで捜査が混乱。それ以前に、坂本弁護士一家誘拐事件の実行犯がオウムであることを見抜いていれば、二つの毒ガステロは未然に防ぐことができたかもしれない…▼事件発生から15年目の今年になって、被害者救済法により新たに13人目の死亡者が認定された。一方、麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚を含め、これまでオウム関係者で10人の死刑が確定したが、いずれも未執行。平田信ら3人の特別手配容疑者の行方はいまだ分からぬまま。事件の本当の終結はいつ訪れるのだろうか(U)。


3月20日(土)


●「投網は投ぜられたぞ。張り拡げられたる網の中へ、月明の夜、鮪の群れは踊り込もうぞ」—古代ギリシャの歴史家・ヘロドトスが著書で書いている紀元前のマグロ漁の様子。日本人も縄文時代には丸木舟でマグロを獲っていた▼当時の貝塚からはマグロの骨が見つかっている。我々の祖先はマグロをたくさん食べ、日本の食文化を築いてきた。2千年たって国際舞台で「日本人はマグロを食べすぎる」とヤリ玉に上がった▼カタールで開かれているワシントン条約会議に地中海を含む大西洋産のクロマグロの取引全面禁止が提案されたが、委員会で「資源管理をきちんとやれば絶滅することはない」という日本の主張が認められ否決された▼最近は回転寿司で子どもまで「赤みよりトロ」とクロマグロに飛びつく。だから大西洋では乱獲量を増やし日本に回す。小型魚のうちに獲ってイケスに入れ、トロの部分が多くなるようエサを与える畜養で、小型量の乱獲が資源の枯渇につながっている▼4年前にも減少の深刻なインド洋などのミナミマグロの漁獲量を半分にまで減らそうという動きがあった。資源管理を怠っておきながら環境保護を訴えるのは、知らず知らず漁業や食文化を窮地に追い込んでいるのでは。今度のクロマグロ禁輸騒ぎは飽食時代に「違法な漁獲によるマグロは輸入するな」「身近にある美味なものに気づけ」という警鐘だ。(M)


3月19日(金)


●詩人・茨木のり子は精神的な自立を説いた。群れることを嫌ったと言ってもいい。「一人でいるとき淋しいやつが/二人寄ったら なお淋しい/おおぜい寄ったなら/だ だ だ だ だっと 堕落だな」(一人は賑やか)と突き放し、さらに感情が激すると「自分の感受性くらい/自分で守れ/ばかものよ」(自分の感受性くらい)と喝を入れる▼一人は時に孤独だが、白旗を揚げないところがこの詩人らしい。「じぶんの耳目/じぶんの二本足のみで立っていて/なに不都合のことやある」(倚りかからず)。誰にも頼らず、背筋を伸ばして人生と向き合う女性像がここにある▼この潔さが、時の政治家にはあるか。鳩山邦夫・元総務相である。自民党を飛び出したはいいが、秋波を送った“同志”は意外と冷たかった。目指すところの新党結成ははるか遠く、はたからは一人相撲としか映らない▼新政権の民主党は支持率が伸び悩み、下野した自民党も元気がない。第三局の流れを我が手でという心意気は買うが、鳩山氏の誤算は政局を読み切れなかったことに尽きる▼この政治家は自らの姿を幕末の志士・坂本龍馬に重ねた。龍馬には孤立を恐れない、おおらかさがあった。鳩山氏にそれができるか。詩人が嫌った“寄り合いの堕落”よりはいい、と開き直ることができるか。期待するほどでもないが、少し気になる。気長に鳩山氏の次の一手を待ちたい。(K)


3月18日(木)


●帯広で唯一開催されている「ばんえい競馬」が、存廃の危機をさまよっている。世界にも例はなく、北海道遺産に指定され、希少価値はあるものの、売り上げは低迷して経営的には赤字。今年は開催されるが、来年以降については不透明▼途中に大小二つの障害がある200メートルのコースを500キロから1トンの重りを乗せたそりを引いて着を競う。北海道の開拓を担った農耕馬を今に残す、いわゆる「ばん馬」の公式版とも言えるが、公営化されたのは1946(昭和21)年▼その翌年、岩見沢と旭川で行われたのが始まり。開催市の財政を潤してきた“孝行者の事業”だったが、近年は苦しみ続きで、遂に岩見沢、旭川、北見市が撤退。その最大の危機を救ったのが帯広市だった。民間企業に経営を委ね、単独開催して2年が過ぎた▼企業や個人の協賛レースを設け、ネット投票拡充のための道内外PR活動、さらには場内イベントの誘致…。その一方で舞台として取り上げられた映画「雪に願うこと」がヒットし、全国的に知名度は上がった。でも売り上げ増に結びつかない▼努力は続く。今年に入ってからも五重勝馬券(指定5レースの1着馬を当てる)の発売や一口馬主の募集。7月には併設される商業施設がオープンする。しかし、付きまとう「今年も赤字なら」の思い。残してほしい、でも、それだけでは残れない。伝わってくる現実はそんな叫びにも聞こえてくる。(A)


3月17日(水)


●神は6日間で光や天地、獣や人間を作り、7日目に休んだ。旧約聖書の天地創造神話にある。わが国も、古事記や日本書紀によれば、イザナギとイザナミが島を作り、夫婦の契りを結んだ▼洋の東西を問わず、世界や国の歴史は神話から始まる。では、神話から歴史に変わるのはいつか。日本古代史研究に大きな足跡を残した井上光貞博士は、天皇で言えば、実在が確かになるのは第15代の応神天皇だろうと論考している▼古事記に、百済の照古王が応神天皇に馬を二頭贈ったとある。井上博士は「照古王は『百済記』でいう肖古王であり、375年に亡くなった人物。だから応神天皇は4世紀末の人とみていい」(中央公論社『日本の歴史』巻1)と指摘する▼歴史学者が解いた時期と若干違うが、今年は応神天皇が亡くなって1700年と伝えられる。その応神天皇を祭る全国2万8000の八幡宮や八幡神社の中から、千七百年式年大祭を執り行う全国10社に函館八幡宮が選ばれた▼4月1日に行う大祭では、天皇陛下からの幣帛(へいはく)が奉納される。100年に一度の大祭に氏子たちも、傷みが進む同八幡宮の石段の補修を記念事業として実施することを確認した▼北海道・東北から唯一選ばれた函館八幡宮の旧社格は国弊中社。鎌倉幕府の宗教拠点となった鶴岡八幡宮と同じだ。その格に応じた栄誉が函館にきた。文化のまちとして、胸を張っていい。(P)


3月16日(火)


●三寒四温とはいえ、まだまだ冷え込む夜は続き、ストーブは24時間つけっ放し。洗濯物などをついストーブで乾かすが、つけっ放しの時はストーブから離すのが常識ではないか▼灯油ストーブの火が乾かしていた衣類に燃え移ったとみられる、認知症高齢者グループホームでの火災(札幌)。1階は自力歩行できない6人、2階に自力歩行できる2人が入居(1人は外泊中)。夜間の当直は女性職員1人で、通報が遅れたためか7人の尊い命が失われた▼認知症の高齢者が共同生活を送るグループホーム。介護施設に比べ比較的設置が容易で、全国で1万カ所近く、14万人以上が生活している。函館でも今度の火災で1部に安全対策の不備が問われている▼消火器、避難誘導灯などの点検報告を怠ったり、消火・通報などのマニュアル(消防計画)も未提出だったり…。自力歩行ができない入居者に当直が1人だなんて考えられない。小規模のためスプリンクラーの設置義務の対象外だった。防火設備基準の厳格化が必要▼今ひとつ、「人間関係にイライラして、しゃべれない人を狙った」と高齢の入院患者6人(肺炎などで死亡)の肋骨を折った女性看護師(兵庫県)。意思表示できない高齢者だけに無念だったろう。グループホームの7人は、はいずり回っても“火炎地獄”から逃れたかっただろう。夜間の避難訓練も義務付けるべきだ。(M)


3月15日(月)


●先日の引退会見で、らしからぬ涙を見せ「さすがの朝青龍も今度ばかりは事の重大さを深く反省していることだろう」と、一瞬でも同情心を持った自分が馬鹿らしく思えた▼引退後、初めての母国モンゴルでの記者会見。彼の口から出たのは「相撲協会に辞めさせられた」「(協会は)規制が厳しくて、気に入らない要求もたくさんあった」など批判や不満のオンパレード▼中でも引退の発端となった暴行問題については「報道されていることは間違いで、暴行の事実は一切ない」と否定するだけでなく「人に暴力を加えることはいけないことです」と、あたかも自分が被害者であるかのような口ぶりにあきれた▼土俵上での彼のやんちゃな行動については、世間が騒ぐほど問題があるとは思えなかった。腕っぷしを買われて異国の地を訪れた血気盛んな若者が、自分の強さをアピールするためにガッツポーズをしたり、相手に駄目押しを食らわせて悦に入るのは仕方がないこと。脚本家の某マダムやひげの某漫画家が、なぜあれほどまでに彼を敵対視するかが不思議だった▼しかし今回の会見での責任転嫁ぶりには、あきれるしかなかった。これは“品格”ではなく“人間性”に起因しているのだろう。もちろん彼の人間性を成長させることができなかった周辺の責任も大きい。ただ、この件でモンゴルと日本との国際関係が悪化することだけは避けてほしい。(U)


3月14日(日)


●厳重な警戒で張り詰めた空気に包まれる「厳戒態勢」。代表例は外国の要人が訪れた際の警備。昨年7月、函館開港150周年記念式典の出席者は入場時に、この雰囲気を経験しただろう▼一般の人が遭遇する機会はまれである。通り魔など凶悪事件が発生した際、子どもたちの登下校を見守る大人が増える。子どもにとってはうれしく、日常的な様子に見えるが、街は異様なムードになってしまう▼12日、上野—金沢間を走ってきた寝台特急「北陸」、急行「能登」が最後の定期運転となった。上野駅に3000人、金沢駅に1500人が訪れ、別れを惜しんだ。両駅にはJR職員が約40人ずつ、金沢駅では約30人の金沢東警察署員も警備に当たった▼「普段でもラストランは警備が多いが、今日は、あのおかげで厳戒態勢だった」と金沢駅にいた知人の写真記者。2月に大阪で、写真を撮ろうとした鉄道ファンが線路に入り、列車を止めた事件を受け、混乱を防ぐためだった▼先日、今月限りで定期運行から退く函館市電を撮影しようと、車道に立ちカメラを向ける人を見掛けた。大型連休は函館本線にSLが走るが、大沼付近では路上駐車して撮影や見物するなど、危険な行為も少なくない▼金沢駅で混乱はなかったが、警察の警備対象となってしまったファンはいい気分でなかっただろう。函館も観光シーズンに向け、余計な厳戒態勢が敷かれないことを祈りたい。(R)


3月13日(土)


●〜チィチィパッパ〜 生徒の雀は輪になって お口をそろえてチィパッパ〜 なごり雪の庭木にスズメが姿を見せた。でも、スズメの天敵はサルモネラ菌で、放鳥を控えた天然記念物のトキの天敵はテンだった▼先月、旭川市内の民家の餌台付近でサルモネラ感染症によるスズメの連続死が発生。4羽からサルモネラ菌を検出。旭山動物園の獣医師が「餌台による餌付けで感染したとみられる。予防のために餌付けの自粛か清掃や消毒を徹底してほしい」と呼び掛けた(毎日新聞)▼スズメが道内で大量死したのは4年前。1500羽にも上った。冬の餌場に集まってきたスズメの間に感染したと推測。サルモネラ菌は病原性をもつ細菌で人が食中毒にかかると急性胃腸炎にかかり、ショックで死亡することも▼先ほど、佐渡トキ保護センターで9羽が死んだ。絶滅したトキを人工繁殖で野生に戻す計画で100羽超を飼育している。襲ったのはイタチ科のテン。囲いの金網に62カ所のすき間が見つかっており、このすき間から侵入し、寝静まった夜の不意打ち▼すき間だらけの金網では野生動物の侵入は防げないのでは。スズメのサルモネラ感染は庭先などの餌台といわれ、餌に付着した菌を食べて次々感染する“人為的な死”だ。特に幼稚園や学校の餌台は要注意。〜すずめ、すずめ、お宿はどこだ、チチチ〜 菌をばらまくお宿(餌台)はいらない。(M)


3月12日(金)


●あまりにも馬鹿げた話で、呆れるしかない。全国を5地域に分けて春と秋に大型連休を分散して設けるという話である。しかも大層な名の会合(観光立国推進本部会議)で議論されたとあっては、もはや理解の域を越える▼その役所は発足新しい観光庁(国交省)。その官名通り観光振興が業務とはいえ、最初の動きがこれでは。はっきり言おう、大型連休を増やしたところで、将来的に経済状況が良くなったとしても、国民こぞって観光に出かけるわけでもない▼さらに論外なのは5地域に分けた理由である。全国一律だと観光地が混雑するため、というのだから。発想があまりに貧困。伴う支障も明らかである。全国的に事業展開する企業の対応は難しいし、中小企業には応じかねる厳しい現実がある▼例え休めて帰省するにしても一緒でなければかみ合わない。それでも、というのが観光庁なのだろうが、同じ政府内で、同じ日に、ほぼ同じ趣旨の会議が、別に開かれていた。厚労省所管の労働政策審議会で、有給休暇の消化目標設定を企業に促すことを提起した▼こっちの方によほど説得力がある。官公庁や大企業を除いて、有休の消化率は低い。休みを増やし、分散化もしたいのなら有休制度の運用こそ現実的。企業にその枠内で必ず年に5日以上の連休を2回取らせることを課すのも一つの例。分散連休設置案は、現実を踏まえない机上の論というしかない。(A)


3月11日(木)


●食用としてのイルカ漁は是か非か。米映画「ザ・コーヴ」がアカデミー賞の長編ドキュメンタリー賞を受けたことで、食文化の在り方が改めて問われている。イルカを食べるか食べないか、クジラを食用とするか否か。本来は一国の問題であるはずの食文化の違いが、国際的な論争の火種になる。大昔にはあり得なかったことだ▼映画の撮影地となった和歌山県太地町に限らず、イルカ漁を行う地域は日本国内に複数ある。イルカを食用とする慣習がいつごろ始まったかは定かではない。言えることは、食文化というものは長い歴史の上に成り立っているということ▼アジアの一部ではイヌやネコの肉を食用にしている国もある。「伝統文化の中には正しくないものもある」「食文化は変わるもの」といった意見もあるが、ここで最後に問われるのは“食べる側”の意識の持ちようではないか▼太地町にはイルカの像が祭られているという。こうした行為を、命に対する感謝の気持ちと受け取りたい。アイヌ民族は狩猟や漁に出ても必要最小限のものしか取らなかった。イルカやクジラを食するイヌイットの人々は、今も暗黙のうちに捕獲数を制限している▼牛や豚の肉が日常的に食卓に並ぶことを、どのようにとらえるかといった議論もある。食文化に関する意見の対立は、価値観や解釈の違いにほかならない。ただ、共通項はやはり「命への感謝」であってほしい。(K)


3月10日(水)


●「学ぶ」。年齢に関係なく大事なことは、誰もが解っている。それが生涯学習の領域とは別の、学校という話になると、強い意志がなければ容易に成し得ない。気後れもあれば、いまさら、という思いもあるだろうから。でも、学びたい…▼その壁を乗り越えた姿には、本当に勇気づけられる。例えば、昨年4月、函館に誕生した自主夜間中学の「函館遠友塾」に通う人たち。義務教育を受ける機会がかなわなかった人の学ぶ場として、今西隆人さん(七飯養護学校教諭)らが運営する▼生徒の年齢はまちまち。現在50人が水曜日の夜2時限、校舎となっている総合福祉センターに。支える人たちの気持ちも温かく、すべてを物語るように和らいだ授業風景。そこに身を置いた本紙記者の熱い思いは、連載企画「わたし学びます」を生み出した▼昨年は学ぶ人たち、先月は教える人たち。多くの反響をいただいた。そろって3年間を修了してほしいと願うが、卒業といえば、85歳の後藤吉子さんが函館中部高校の定時制を卒業した(本紙2日付)。まさに脱帽である▼最近、定年を機に勉学の道を選ぶ人の話は、少しも珍しくない。ただ、後藤さんはその域を超えてからの挑戦であり、函館遠友塾に学ぶ人たちにとっても大きな励み。公的な卒業証書が授与されるわけでもない、でも楽しいから通う、学ぶ喜びがあるから。そこには教育の原点が映し出されている。(A)


3月9日(火)


●ブェロキラプトルは知能が高く恐竜を管理する能力を持ち、空腹でなくとも人を襲う。化石に閉じ込められた蚊の血液から恐竜のDNAを取り出し、よみがえらせた映画『ジュラシック・パーク』。囲いから逃げ出し研究者らを殺害▼約6550万年前に生物の大量絶滅をもたらした小惑星衝突の時、生命力の強い恐竜も生き残れなかった。12カ国の研究グループがメキシコ付近への1回の小惑星衝突が原因とする論文をまとめ、火山噴火説などが否定された…▼衝突したのは直径10〜15㌔の小惑星。衝突速度は秒速20㌔で、エネルギーは広島型原爆の約10億倍、衝突地点の地震はマグニチュード11以上、津波の高さは300㍍を超え、放出物で太陽光がさえぎられて寒冷化。気温低下が10年も続く▼先のチリ地震・津波をはるかに超えた人類未経験の大変動で、プランクトンや植物が死滅し、恐竜は絶滅。逆に小惑星の軌道がちょっとだけずれて、地球に衝突しなかったら恐竜大国が続き、人類は月のクレーターでひっそり暮らしていた…▼小惑星の大規模衝突は数千万年に1度というが、多くの偶然や犠牲が繰り返され人間社会が形成された。今生きていることへの宇宙のロマンがつのる。研究者らを襲った「ジュラシック・パーク」が残らなくてよかった。今恐いのは人類を破滅に追い込む核戦争であり、年に470億㌧ものヒマラヤ氷河が融ける地球温暖化だ。(M)


3月8日(月)


●東北新幹線の青森までの開業(今年12月予定)が、カウントダウンに入った。新青森駅は完成し、迎える準備も本番モード。次は函館の番と思うゆえか、新幹線に関連することなら、たわいのない話も身近に感じてしまう▼新幹線車両の「500系のぞみ」が、2月末で東京—博多(一日一往復)から姿を消したという話も。「夢の超特急」のキャッチフレーズで、東海道新幹線が登場したのは1964(昭和39)年だが、今日までの46年の間、様々なドラマに包まれてきた▼東海道は山陽と結んで博多まで延び、東北や上越、長野などが新規に開業した。その都度、新車両が開発され、その一方で役割を終えた車両も。東海道新幹線開業時に登場した第一号「0系」の懐かしい姿は既になく、今また「500系のぞみ」も▼新青森開業時に使用されるのは、現在の「はやて」の「E2系」と呼ばれる車両という。ただ、2年ほど後には、この「E2系」に代わって世界トップの営業最高時速320キロを実現する新型車両が投入される計画。函館にもこの新型が乗り込んでくる▼その時、想定される東京からの所要時間は3時間50分。時のたつのは遅いようで速い。2週間ほど前の本欄でも問題提起があったが、開業まであと5年。それを「まだ5年」と考えるか「あと5年」と考えるか。今、問われているのは「あっという間に5年がたってしまっている」という現実である。(A)


3月7日(日)

●虐待を正当な行為と考えている人はいないだろう。それなのに虐待事例の報告は途絶えることがない。ペットなど動物に対する虐待も言語道断だが、家族や友人のように身近な人間を攻撃の対象としてしまう精神状態は、いったい何が原因なのだろうか▼奈良県では5歳の男児が両親から2カ月間十分な食事を与えられず、餓死したという。死亡時の体重は約6キロで、同年代の標準の3分の1程度だった。両親は容疑を認め「愛情がわかなかった」と供述しているという▼たとえ自分の子どもであっても、愛情がわかないケースがないとはいえない。しかし、まったく他人の子どもであったとしても、目の前で毎日衰弱していく男の子をそのまま放置して胸が痛まない人間はいないはず▼連日のように虐待死のニュースが届く日本だが、お隣の韓国も状況は同じ。こちらはインターネットカフェで少女キャラクターを育てるゲームに夢中になり、生後3カ月の娘を餓死させたという。実の娘より仮想世界の住人に「愛情がわいた」ということらしい▼そもそもこの夫婦自身がネットで知り合って結婚したというから、なんともやりきれない。これをきっかけに韓国国内でネットを問題視する動きが活発化しているのも当然だ。しかし悪いのはネットではなく、自分の子どもさえ愛せない心。これを教えることができるのは学校ではなく、それぞれの家庭でしかない。(U)


3月6日(土)

●20年ほど前、ある死亡交通事故を取材した。飛び出してきた犬を避けようと、運転の男性が急ハンドルを切り、電柱に激突して死亡。目撃者の証言である▼飛行機の自動操縦ができるように、自動車も自動運転装置を開発しようと思えばできるらしい。しかし、「障害物を避ける」という画一化された判断がいつも通用するわけではない。犬か人か車か電柱か…。それらの判断を機械に委ねるのは難しい。この事故で当時の警察官は「動物には申し訳ないが、犬に犠牲になってもらうべきだった」と言った▼キツネを避けようとしてスリップし、後続の車両に追突されて亡くなった女性の両親が、道路を管理する東日本高速道路に損害賠償を求めた裁判で、最高裁は訴えを退けた。高裁では管理に問題があったとして賠償命令を出したが、今回は両親が逆転敗訴した▼亡くなった女性にも遺族にも、痛ましい事故と判決としか言いようがない。事故は苫小牧の道央自動車道で起きた。現場付近に動物の侵入を防ぐ有刺鉄線はあったが、キツネが入り込むすき間があったらしい▼「シカ注意」などという標識を、高速道で見かけたことがある。一般道ならまだしも、高速道でそんな余裕があるのか疑問も感じる。勝訴したとはいえ、東日本高速道路にはさらなる改善策を講じてほしい。だが結局は、人間が気をつけるしかない。動物に飛び出すなとは言えないのだから。(P)


3月5日(金)

●フクジュソウが顔を出した。啓蟄(けいちつ)は、春になって、地中の虫たちもが這い出すことを指す(今年は6日)。また、この時期は子どもたちが校舎を飛び立つ卒業シーズンでもある▼今春卒業する高校生の就職活動の中で“高卒クライシス(危機)”という現象に直面しているという。不況による親の収入減で学費を滞納し卒業式に出られなかったり、卒業資格が得られなかったり…。就職が決まらないのも大きな要因▼1月末現在の渡島・桧山管内の高校生の就職内定率は、急速な景気悪化で前年比7・2ポイント減の61・7%にとどまっており、なんと下落幅は過去10年で最大。特に道外求人の落ち込みが激しく、製造業の求人も半減し、バブル崩壊後の氷河期に近い水準(函館公共職業安定所)▼就職希望の高校生が専門学校などへの進学に切り替える動きも出ているという。授業料を滞納している生徒(全国で公立高0・4%、私立高0・9%)も結構いる。無利子で貸し付ける支援策を受けて卒業しなければ、進学も就職も難しくなり、ワーキングプアに陥る…▼高卒クライシスは「働けど働けど、わが生活楽にならざり…」以前の苦難。当面はバイトで家計を支えるという生徒もいる。道は就職が決まらない新規卒業生を臨時職員として採用する方針を打ち出した。雇用促進策なども地方自治体主導の段階に入ったのか。胸を張って「蛍の光」を歌ってほしい。(M)


3月4日(木)

●便利な生活は「ごみとの戦い」をもたらした。使い捨てが当然のごとくになり、投棄されているごみの量は天文学的な数。山や川、海にも…。市街地や道路脇では雪解けのこの時期、見たくない光景が目に飛び込んでくる▼「山をきれいに」。登山でのごみの持ち帰り運動が提唱され、清掃登山も広がる動き。その象徴が富士山だが、アルピニストの野口健さんらの活動によって、この5年間に回収された量は123㌧という。それでも残っているほか、新たな投棄も報告されている▼一方、数日前の本紙は、函館の亀田川河畔環境保全検討委員会の活動を伝えていた。「亀田川を昔のような清流に」。そんな思いに立った取り組みも未だ悩みが多いという内容だったが、これもごみ対策。読んでいてあるプロジェクトが思い浮んできた▼英国で生まれたグランドワーク。荒れ放題の工場跡、汚れた河川などを行政、企業、住民のパートナーシップで公園等に再生させる取り組みで、数多くの実績を残している。行政は土地所有者との交渉など、イメージアップを考える企業は資金提供を▼そして住民が労力と管理の役割を担う。かつてマンチェスター近郊で視察した河川環境再生の実例と、亀田川の取り組みがだぶる。富士山清掃もそうだが、行政には財源的な限界があり、かと言って住民活動に依存するだけでも解決しない。グランドワークの知恵が生まれた背景もそこにある。(A)


3月4日(木)

●便利な生活は「ごみとの戦い」をもたらした。使い捨てが当然のごとくになり、投棄されているごみの量は天文学的な数。山や川、海にも…。市街地や道路脇では雪解けのこの時期、見たくない光景が目に飛び込んでくる▼「山をきれいに」。登山でのごみの持ち帰り運動が提唱され、清掃登山も広がる動き。その象徴が富士山だが、アルピニストの野口健さんらの活動によって、この5年間に回収された量は123㌧という。それでも残っているほか、新たな投棄も報告されている▼一方、数日前の本紙は、函館の亀田川河畔環境保全検討委員会の活動を伝えていた。「亀田川を昔のような清流に」。そんな思いに立った取り組みも未だ悩みが多いという内容だったが、これもごみ対策。読んでいてあるプロジェクトが思い浮んできた▼英国で生まれたグランドワーク。荒れ放題の工場跡、汚れた河川などを行政、企業、住民のパートナーシップで公園等に再生させる取り組みで、数多くの実績を残している。行政は土地所有者との交渉など、イメージアップを考える企業は資金提供を▼そして住民が労力と管理の役割を担う。かつてマンチェスター近郊で視察した河川環境再生の実例と、亀田川の取り組みがだぶる。富士山清掃もそうだが、行政には財源的な限界があり、かと言って住民活動に依存するだけでも解決しない。グランドワークの知恵が生まれた背景もそこにある。(A)


3月3日(水)

●道内出張で困るのが列車による移動だ。JRが高速化に取り組み、乗車時間は確かに短縮された。ところが、全車両が禁煙になったころから事情は一変。移動距離が逆に長くなった、と感じる喫煙者は少なくない▼函館を発って札幌駅に着く。真っ先に向かうのが、駅構内の喫煙コーナー。同類も多く、目と目が合えば「お互い大変ですねぇ」と無言の会話を交わす。分煙の設備を整えた公共施設や飲食店が札幌には多く、喫煙者にはせめてもの救いだ▼一方で、今の厚生労働省には分煙という発想がないらしい。学校や病院、交通機関、飲食店、遊技場などを原則として全面禁煙にするよう、同省が全国の自治体に通知した。分煙では受動喫煙を防ぎきれないというのが、ルール強化の理由という▼今回の通知に限らず、喫煙者を排除する動きが全国的に加速している。神奈川県は罰則付きの「受動喫煙防止条例」を今春にも施行する。また、東京都内のある区は受動喫煙の訴訟を受け、公園内の灰皿を撤去した上で喫煙の自粛を求める。禁煙エリアは屋内から屋外へ。その拡大の早さを象徴する自治体の対応として、公園内の禁煙が全国に広がる可能性もある▼非喫煙者の「煙を吸わない権利」を否定するものではない。それでもなお政府や自治体の対応に違和感が残るのは、拙速という印象を免れないからだ。喫煙対策の遅れという長年のツケは、一朝一夕には返せない。(K)


3月2日(火)

●すし、カラオケ、交番…。日本の単語が各国に広がり、国際語になった例は少なくない。津波もその一つ。「tsunami」と書く。南米チリで発生した大地震が津波を生み、日本列島を襲った。遠い異国からの“招かれざる客”。この場合は「tsunami」がふさわしい▼tsunamiが日本に達したのは2月28日午後。この数時間前、太平洋側を中心に津波警報が発令され、全国数万人規模の住民が自宅などを離れた。道南でも公共交通が大混乱し、避難所の住民は不安な表情でテレビ画面にくぎ付けとなった▼気象庁の発表や、各地の警戒の様子などが刻一刻と伝えられる情報社会。災害対策の先進国という印象を強めた矢先だっただけに、気象庁による1日の謝罪会見には驚かされた。「津波の予測が過大だった」というが、その謝罪理由自体、理解に苦しむ▼過小な予測、あるいは予測すらない国々で甚大な津波被害が出た例は枚挙にいとまがない。予測が外れることで“オオカミ少年”になるのではという恐怖心、あるいは社会経済への影響に対する過剰な反応が、今回の謝罪になって表れたという見方もできる▼1993年7月、奥尻島を中心に多数の犠牲者を出した北海道南西沖地震。この惨劇を身近で体感した道南住民にとって、津波警報は特別な意味を持つ。予測が当たった、外れたという次元で語られるものでは決してない。(K)


3月1日(月)

●「今は働いている。でも、いつかさびれた団地に流れ着いて、細々と暮らし、あっけなく息絶えて、腐敗して、即身仏として発見されるだろう」—昨年の自殺は12年連続で3万人を超えたが、「無縁死」も3万人を超えている▼誰にも知られずに死ぬのが「無縁死」だ。「身元不明の自殺と見られる死者」や「行き倒れ死」など国の統計で出てこない「新たな死」が増えて、年間3万2000人。うち1000人が身元不明のまま(NHKスペシャル「『無縁死』の衝撃」)▼身元不明は「行旅死亡人」として処理される。飢え、寒さ、病気、自殺や他殺などと推定されるが、氏名、本籍地などが分からず、遺体の引き取り手のない死者を指し、行き倒れている人の身分を表す法律上の呼称。かつて立待岬から身を投じた自殺者もこれで処理された…▼無縁死は地縁や血縁などが薄れ、退職して会社との「つながりの糸」も切れた状態から発生する。ネット上には「どうせ死ぬときはひとり」「おれの末路も同じだ」など、自暴的な書き込みが相次いでいるという▼自殺は長引く不況の中、経済、生活苦などから「うつ状態」になる人が多いが、無縁死も有縁社会から無縁社会に陥って発生する。死は必ず訪れるが、無縁仏にはなりたくない。断末魔でも有縁社会の残り火があるはず。3月は草木が生長するヤヨイ。無縁社会から抜け出すように草花を送って支援しなければ。(M)