平成23年1月


1月31日(月)

●アジアカップの熱戦で日本国民を寝不足にさせてくれたサッカー日本代表。準々決勝、準決勝とも手に汗握るゲーム展開だったが、オーストラリアとの決勝は、一瞬たりともテレビ画面から目が離すことができない激戦で、勝利が決まった瞬間は、ただただ「ご苦労さま」と声をかけたくなった▼決勝が行われたカタールの首都「ドーハ」は、1993年に日本代表がW杯初出場をかけ、イラクと最終予選を戦った因縁の地。ロスタイムでの痛恨の失点でW杯行きを逃し「ドーハの悲劇」として語り継がれている。筆者も18年前の衝撃を忘れることができない▼その後、4度のW杯出場を果たし「ドーハの悲劇」は完全に過去の想い出話になっていたはずだった。ところが今回の準決勝の韓国戦では、再び悪夢がよみがえるような展開に胸が締め付けられそうになった▼日本リードで迎えた延長後半ロスタイム、怒涛の韓国の攻撃に耐えきれず、同点弾を許してしまったのだ。結果的にはPK戦で勝利をつかんだものの、「ドーハの悲劇」のトラウマがよみがえってきた▼しかし、決勝戦の試合終了の笛が鳴った瞬間「ドーハの呪い」は完全に解けた。マスコミやサポーターが引っ張り出してきた過去の因縁を、日本代表は強固な団結力で一蹴してくれた。まだ技術的には世界レベルに及ばない面もあるが、アジア王者としてのプライドを胸に、さらなる高みを目指してほしい(U)


1月30日(日)

●まるでモノクロの世界だ。火口から噴き出す黒い煙、農業用ハウスの上に降り積もった火山灰。住民の口を覆うマスクは、ほんの5分で灰色に染まる。宮崎、鹿児島の県境にある霧島連山・新燃(しんもえ)岳の火山活動が活発化している▼宮崎県内の一部市街地では、道路上に積もった灰で車がスリップする。降灰を清掃するため、宮崎空港が一時閉鎖された。県内産の野菜も店頭に並ばなくなった。市民生活に与える影響は大きく、小噴火がこのまま続けば、「宮崎」ブランドが被るダメージは決定的なものになる▼「なんで宮崎ばかりが…」。多くの住民の共通した嘆きだ。高病原性鳥インフルエンザに感染した鶏が県内で見つかり、その被害が拡大している。口蹄疫(こうていえき)被害が宮崎を直撃した昨年の記憶も新しく、県民の生活と心に生じた傷は癒えるいとまがない▼道南もまた活火山の駒ケ岳を有している。噴火があれば大沼国定公園や近隣観光地などへの影響は大きく、その規模によっては各種インフラに甚大な被害を与える。鳥インフルエンザ、口蹄疫の危険性も同様、道南が渦中に巻き込まれないという保証はない▼宮崎の現状を見て、道南住民にできることは—。「対岸の火事」という意識を捨て、火山防災対策や感染防止対策を徹底する。自らの身を守ることが、間接的にせよ被災地など他地域を助けることにつながる。これも一つの考え方である。(K)


1月29日(土)

●経済産業省の試算によると、全国の競輪場の売り上げ減がこのまま続くと、2016年度には全国46場すべてが赤字になる見通しという。競輪場を半減し、レースの数を減らせば赤字競輪場は1カ所にとどまる予測も示した▼不況に加え、レジャーの多様化で競輪の売り上げは右肩下がり。バブル期に全国で年間2兆円ほどあったが、最近は8000億円を割っている。市営函館競輪も300億円を超える年もあったが、近年は200億円を割る年が多い▼数年ごとに開かれるビッグレースの黒字で収支均衡を図ってきた函館競輪も、近年は累積赤字を抱えている。赤字になれば廃止を求める声も出てくるが、公営ギャンブルは地域の産業を支え、自治体の財政を潤してきた歴史もある。ホッカイドウ競馬は馬産地とともに歩み、函館競輪もこれまで290億円を市の一般会計に繰り入れ、学校や道路建設などに役立てられた▼函館市では昨年、JRA函館競馬場のリニューアル効果で、減少を続けていた観光客が増加に転じた。夏競馬の期間中、航空会社は機材を大型化し、宿泊や飲食業界に経済効果をもたらした▼地域経済を潤す観点からも、函館競輪の経営健全化は不可欠だ。魅力あるレースを開き、ファン拡大を図り、売り上げ増に結び付ける。北海道唯一の競輪場として、選手たちの人気も高い。函館の魅力と合わせたPRや新規ファン獲得に期待したい。(P)


1月28日(金)

●「頑張れニッポン!」—。アジアカップで決勝に進んだ日本代表チームのことではない。「ものづくり」に携わる関係者へのエールである。それは逆に、「MADE IN JAPAN」の未来に対する不安の裏返しと言ってもいい▼天然の資源を多く持たない日本は、製造業の技術力をもって経済大国になった。その「ものづくり大国ニッポン」「技術立国ニッポン」の国際評価が、いま揺らいでいる。そのことは、貿易不振や雇用の減退といった日本経済の現況からみても明らかだ▼そんな憂鬱(ゆううつ)から解放される一時があった。函館工業高校を会場に先日開かれた「第29回北海道高校工業クラブ大会」でのこと。審査員の1人として工業高校生の研究成果に触れ、その技術力の高さに感心したり、それぞれのひたむきさに感動したり▼火気や蒸気を使わない機関車のエンジンを作り、実際にミニ機関車を走らせた高校があった。別の高校は全自動折りたたみ式のごみステーションを実演して見せ、他校からも大きな拍手を受けた。これらはほんの一例だが、いずれ劣らぬ「ものづくり」への意欲は、素人目にも頼もしく思えた▼家電、自動車、半導体…。これまで日本がリードしてきた分野の主導権は、アジアの新興国に移ろうとしている。でも、悲観はしない。「ものづくり」に対する日本の若者たちの熱い気持ちは健在だ。最後にもう一度。「頑張れニッポン!」(K)


1月27日(木)

●今の社会システムを語る際、鍵を握る言葉に「効率化」がある。行政の、経営の、生産の、運用の、業務の…という表現で、よく使われる。いわば時代の要請を象徴する言葉とも言えるが、逆に考えると、それだけ改善すべきことが多いと言うこと▼辞典をひもとくと、「効率」とは、投資や労力に見合って得る成果の割合、という意味。当然、その評価や判断は経済や社会環境などに左右される。実際に、バブルの時代には疑問を感じないでいたことが、今や「何と無駄な」と思われることが多々ある▼分かりやすいのは、国の事業仕分けや企業でいう合理化など。いずれも効率化の追求であり、いわゆる無駄の排除。特に財政がひっ迫してきた行政では待ったなしに問われている。だが、行政でその効率化が十分に進んでいるかと言うと、まだまだの域▼そんな中で「これは…」という取り組みもある。先日の本紙に、効率化の一方で、将来を見据えた取り組みが掲載されていた。それは七飯町教委が打ち出した考え方。記憶にあろうが、学校図書室をネットワーク化し、学校の垣根を超えて運用させるという話▼同じ本を全校に置くとなると費用も大変だが、一元購入によって抑制できる。また、希望に応じて配本したり、定期的に各校間で入れ替えるなど一元管理によって各校間の蔵書格差も解消される。そこにあるのは教育的な視点プラス効率化の視点。注目に値する。(A)


1月26日(水)

●一人暮らしの高齢世帯が増えている。健康で、日常生活に支障がないからと言っても、災害や急病はいつ何時起きるとも限らない。せめて緊急時に連絡先などが分かるようなシステムがあれば…。本人も安心だし、親族の心配も軽減される▼それに応える取り組みが、ここ数年、広がりつつある。聞いたことがあろう、通称「命のカプセル」と呼ばれる救急医療情報キット。どの家庭にもある冷蔵庫を保管先とし、必要な医療情報メモなどを入れておく円筒型の容器である▼その中に親族の連絡先をはじめ持病、血液型、服薬内容、かかりつけの医療機関、健康保険証(写し)などを入れ、冷蔵庫のドアに保管の旨を知らせるシールを貼っておく。例え誰もいなくて、言葉を話せなくなった状態でも、救急隊員に最低限の必要情報は伝えられる▼アメリカで始まったと言われ、わが国での歴史はまだ3年ほど。最初に着手したのは東京都の港区で、その後、神奈川県の逗子市、京都府の亀岡市などが採り入れ、活用例も報告されている。北海道では十勝の音更町が「希望者に」ということで展開中と聞く▼わが国の独居高齢者は2年前で463万人を数え、高齢者のいる世帯の約半数48%が独居者(国民生活基礎調査)という。親族がそばにいるとか、隣近所と付き合いが深いという人ばかりでない。何かあった時、少しでも早めの対応ができる術を…。「命のカプセル」の意義はそこにある。 (A)


1月25日(火)

●「クルル〜」 雪原に響きわたるツルの一声。高病原性鳥インフルエンザに感染した鳥類の受難が広がっている。先日は浜中町の鳥獣保護区で衰弱したオオハクチョウから強毒性のウイルスが検出された▼強毒性ウイルスの検出は昨秋、稚内のカモのフンから始まって、島根県の養鶏場の鶏、富山県のコブハクチョウ、鳥取県のコハクチョウ、鹿児島県の出水平野のナベヅル、福島県のカモと続き、浜中町で8カ所目▼なかでも、出水平野は1万羽を超すツルの越冬地で、世界のナベヅルの9割、マナヅルの半数が集まってくるという。いずれも絶滅危惧種。シベリアや中国東北部で子育てを終えた親子が「万羽鶴」となって飛来。密集したことが、かえって感染を広げたようだ▼養鶏場にも波及。産出額が全国2位の宮崎県の養鶏場では6羽から強毒性ウイルスを検出。半径10㌔以内の51カ所の養鶏場に移動の自粛を要請。2例目を含め42万羽を殺処分、焼却した。同県では4年前にも20万羽が殺処分されている。佐渡のトキも鳥インフルなどの感染症を防ぐため、島根県で分散飼育することになった▼浜中町の鳥獣保護区にはタンチョウなど希少鳥類の生息地や給餌場もあり心配だ。ウイルスの感染経路は不明で、渡り鳥が運んできた可能性も考えられるが、空を飛ぶ野鳥が相手では決め手がない。餌付けの是非などを含め、保護活動を見直す必要もあるのでは。(M)


1月24日(月)

●諸外国のエコノミストには、日本経済が危機的状況と映っているようだ。ここ1週間のテレビ番組でも、外国人専門家による辛口の批評を2度聞いた。偶然だろうが、どちらの論調も「日本に未来はない」といった、身もふたもないものだった▼まるで亡国扱いだが、そこは「このままの政策を続けていけば…」という前置き付き。打開策には歳出の抑制、消費税率の引き上げなどを挙げた。そのことは政府・民主党も理解している。分かってはいるが、実行に移せない。政権維持の大前提となる選挙に勝てないからだ▼第177通常国会が、きょう24日に召集される。今春には統一地方選が控えている。大げさに言えば、今国会における政策論議は日本の将来を占う試金石ともなり得る。ところが、最大の焦点が民主党・小沢一郎元代表の政治とカネをめぐる問題とあっては、国民の第一次欲求との乖離(かいり)は否めない▼野党・自民党も消費税論議には及び腰だ。統一地方選が終わるまでは「禁句」といった風潮もある。与野党そろってこれでは、税率アップの是非を判断するための論戦はいつまでも棚上げのままということになる▼消費税ばかりではない。有権者の間で賛否が分かれる環太平洋経済連携協定(TPP)参加についても、各党は“鬼門”と受け止める。目立った国会論議もなく、内憂外患が続く。これでは、強い日本の復権は望むべくもない。(K)


1月23日(日)

●教師や学校に対して理不尽なクレームをつけ続ける「モンスターペアレント」の存在は、マスコミに何度も取りあげられてきたが、“標的”にされた教師側が初めて相手を提訴したことで、あらためて脚光を浴びることになった▼あたかも現代社会のひずみが生み出した“怪物”のように言われるが、過度な愛情から敵対心をむき出しにして教師や学校に対してクレームをつける親は、いつの時代も存在していた。しかし、ここ最近の事例にはこれまでにはない常識外れな言動が少なくない▼水筒に教師が油性マジックで児童の名前を書いたら「ブランド品なのにオークションに出せなくなった。弁償しろ」。学校行事のスナップ写真で背の高い子と並んで写っていたら「息子の背の低さが強調された」。「給食にうちの子の嫌いなメニューばかり出すのはやめてほしい」▼まるで笑い話のようだが、親にとっては真剣そのもの。中途半端に門前払いにしようものなら、教育委員会に乗り込んでいったり、毎日のように嫌がらせの電話を掛けてくるというのだから、たまったものではない▼ただ、今回の件については、両親側の「自分の子どもが担任から差別的な扱いを受けた」という言い分が正しければ、決して理不尽とは言い切れない部分もある。どうしてここまでもつれる前に解決できなかったのだろうか。何より一番心を痛めているのは、子ども自身なのだから。(U)


1月22日(土)

●私はあなたについていく、素直、温情、優美、幸福…ジャスミンの花言葉は多い。神経や情緒を穏やかにし、強力なリラックス効果があり、活力をもたらすとも。遠い国、チュニジアから「ジャスミン革命」のニュース▼革命の発端は通りで野菜売りの青年が警察に排除されたのに抗議の焼身自殺を図った事件。3歳で父親を亡くし、子どもの頃から野菜などを売って、母親と姉妹を養っていた。フランスに追放された他の青年も焼身自殺▼失業や雇用への不安、住宅難などに抗議したものという。また、告発サイトが独裁政権の大統領一族の贅沢三昧を白日の下にさらした。言論統制をかいくぐってツイッターで広がり、デモや取り締まりの情報を交わし街頭デモ。大統領は国外に逃れた▼騒動は首都チュニスから、古代ローマ遺跡を擁し、観光客でにぎわうカルタゴにも飛び火。国軍と前大統領の残党との銃撃戦が繰り広げられている。国の花にちなみ「ジャスミン革命」と名づけられ、全国で数千人の市民が抗議デモを実施▼かつて、ウクライナの大統領選挙で不正があった際に「オレンジ革命」で再選挙、逆転したことがあった。キルギスでは「チューリップ革命」、グルジアでは「バラ革命」で政変が起きている。ジャスミンは「独裁的政権は絶対腐敗する」と強い香りを放つ。アフリカに“崩壊ドミノ”が起こらないように、市民が「あなたについてゆく」国づくりが必要。(M)


1月21日(金)

●雪はその質によって呼び名を変える。細かく締まった「しまり雪」、解けたものが再び凍った「ざらめ雪」、水分が多いものは「べた雪」と言う。大寒の20日、函館・道南は早朝の「しまり雪」から、除雪に難儀する「べた雪」に変わった▼その除雪にもいろいろな呼称がある。一般的なのは函館でも使われる「雪かき」。このほか、全国的には「雪はき」「雪はね」「雪除け」「雪どけ」「雪寄せ」「雪すかし」「雪ほり」「雪透かし」…。地域性が出て面白いが、豪雪地帯の住民らにとって、大量の降雪は迷惑以外の何ものでもない▼高齢化が進む地域では「老・老除雪」なる言葉もある。比較的元気なお年寄りが、外に出られないお年寄りのために雪かきを行う。若者が都市に集中することで、老・老互助の傾向はさらに強まりそうだ▼函館市の高丘町会は小学校の始業に合わせ、地域児童の通学路を除雪するボランティアを行った。歩道が雪で埋まり、やむなく車道を歩く子どもの姿がこれでなくなる。できる者が率先して困った者を助ける。分かってはいても、実行に移すとなると難しい▼市内の生活道路ではシャーベット状の「ざらめ雪」が目立つ。除排雪が間に合わないところでは、車同士がすれ違うこともできない。いらいらすることもあるだろうが、そこは譲り合うしか方法はない。厳しい自然環境の中で求められるのは、やはり“互助”の精神である。(K)


1月20日(木)

●函館市内の西部地区に以前住んでいた。住宅は坂の途中にあった。窓からは港の一角が望め、花火大会の時季には光のショーを楽しむこともできた。何よりも歴史的建造物群が醸す情緒が、気持ちに潤いを与えてくれた▼その一方で、多少の不満も。スーパーなどの商業施設が少なく、買い物に不自由した。冬の坂道も難儀で、雪や氷で車のタイヤが空回りして冷や汗をかいた。買い物品を詰め込んだ重いカートを引き、坂道を上るお年寄りの姿は日常の光景だった▼西部地区7町の住民の約8割が「住み心地がよい」と回答した。市が実施した住民ニーズ調査の結果である。同地区の街並みや景観について6割以上の世帯が「誇りを持っている」とし、7割超が「今後も住み続けたい」と答えた▼逆にマイナスイメージとしては、夜間の歩きづらさや買い物の不便さを挙げる声があった。これらの調査結果には、長短両面で住民の実感が端的に表れている。住民の誇りと生活面での不満が同居しているところが、この地域の特徴であり、面白さでもある▼興味深かったのは「日用品の買い物に不便を感じるか」との問いに対する回答。「はい」の45・4%に対し、「いいえ」も42・6%に上った。歴史的な街並みと大型ショッピングセンターが連なる景観は、できれば避けたい。「情緒・美観」「生活の利便」の二者択一ではない、第三の方途を真剣に探る時なのかもしれない。(K)


1月19日(水)

●「環境にやさしく」は、今に生きる我々が突きつけられている時代のキーワード。生産優先の付けとも言える温暖化は異常気象を現出させ、わが国では大雪に見舞われる地域が続出、オーストラリアなどでは大水害が発生している▼戦後、世界的に工業技術開発が進んだ。それは発展を誘導した一方で生産活動や暖房など、あらゆる分野で原油への依存度を高め、二酸化炭素の排出量を増やし続けてきた。気がついた時はすでに遅く、今や地球規模の課題だが、そうした中で乗り物の世界だけは別▼自動車は「脱ガソリン」への歩みを強めている。電気自動車時代は現実になって「ガソリンから電気へ」と加速していくことが予測されている。路面電車も新時代が到来して「脱架線」が実用化の段階。自動車同様、それは充電で走る電池電車である▼まさに画期的。架線がいらないとなれば、初期の建設費を抑制できるほか、保守などの維持費は安く済み、景観も損なわない。車両メーカーでの研究が進んだ結果、始発や終点での停車中充電で10キロ程度は走れるレベルまできているといい、登場は時間の問題▼路面電車は「環境にやさしい乗り物」。それは世界50数カ国450もの都市で活躍している事実が教えてくれている。しかも函館市には誕生から100年という車両があるなど、寿命も長い。次世代への語り部として、その国内最古の「ササラ電車」を大事にしていきたい。(A)


1月18日(火)

●市町村の首長にとって、3期目の選挙は鬼門とされる。かじ取りのあらが見え始める時期であり、時には住民に飽きられることさえある。2期8年の経験を基に「まちづくりの本番はこれから」と3選出馬した首長が落選の憂き目にあう。こんな政治の悲哀を幾度もみてきた▼任期満了に伴う福島町長選で、現職の村田駿氏が3選を果たした。半分の票は他の2候補に流れたが、三つどもえの戦いを制した現職の勝因は、これまでの実績と3期目への町民の期待に他ならない▼当選後のインタビューで村田氏は「常に町民目線で」「町民の方々と腹を割って話し合う」と政策執行の手法を語った。同氏の信条でもある「町民が主人公のまちづくり」は、首長として当然の姿勢と思うなかれ。主人公であるべきはずの住民が置き去りにされているケースもままある▼解職請求(リコール)成立に伴う鹿児島県阿久根市の出直し市長選では、議会との対立で混乱を深めた竹原信一前市長の続投にノーが突き付けられた。住民を二分する政争のまちに発展はない。新市長の下、今後は文字通りの出直しが求められる▼名古屋市も大揺れに揺れている。市議会の解散請求に基づく、議会解散の賛否を問う住民投票が告示された。発端は河村たかし市長と議会の対立。特定の支持に偏らない、大半の市民にとっては甚だ迷惑なことだ。「住民不在」とはこういうことを指して言う。(K)


1月17日(月)

●健康維持の原点は歩くこと。近年はウオーキングなる言葉も一般化し、運動目的で歩いている人は多い。函館でも五稜郭公園などで見かける光景だが、夏ばかりか、寒い今の時期も。「歩く」は大事、という認識が広がっている証しとも言える▼「歩く」ことの効用は多々あり、例えば足の裏を刺激し、発汗作用を促すほか、心肺機能を高める、など。さらに効果を期待するなら速足で、とも言われる。単に歩けばいいというものでないというわけだが、それは汗のかき方の違いからも分かる▼その「歩く」にも、速度や姿勢、歩き方など人それぞれに個性がある。確かに肩を落とし、遅足だとだらだらした姿に映る。逆に背筋を伸ばして速足だと、さっそうとした印象をもたらす。自分は前者か後者か気になるところだが、先日、驚く研究調査結果が報道された▼「歩くのが速い高齢者ほど長生きする傾向にある」。発表したのは米国ピッツバーグ大の医師らで、歩行速度を健康度の目安として着目した研究。疑問符をつけて読んだ人もいたと思うが、3万5千人ほどの歩行速度と余命を解析した結果という▼乗り物が発達した現代、生活の中で「歩く」は確実に減っている。函館・道南も然りだが、車依存度の高い地方で生活する人たちは特に。「普段の生活で体にいい歩きを心がけるべき」。この報告の趣旨がそこにあると考えれば、ありがたいアドバイスにも聞こえてくる。(A)



1月16日(日)

●大雪が続く。朝、昼、晩と3回も「雪撥(は)ね」「雪掻(か)き」をする日も。雪に埋もれた新潟県では「雪堀り」、石川県では「雪透かし」、福島県では「雪かたし」などと言い、除雪は重労働▼自治会で独居高齢者を含め“心配される人”を支援する「みまもり隊」を結成した。まず除雪からスタート。市の除雪ブルが入った日を基準に玄関から道路まで除雪。ボランティアを募集したところ、大半が後期高齢者で「どっこいしょ」と汗を流す▼誰かが「スタミナをつけるにゃ、餅が一番」と言った。雑煮から始まって鏡餅など、日に2、3枚の切り餅を食べている。餅は昔から栄養価が高い食品として重宝された。産後の母親が母乳がよく出るように餅を食べたり、赤飯を食べた、と聞いている▼かつては、近所の人も集まって「ペッタン、ペッタン」とついたものだ。あつあつの餅を丸める顔と顔の温かい笑み。餅は粘り気が強い。一緒について、みんなに配り、共に食べれば、人と人を結びつける役割になる▼丸餅、伸し餅、豆餅、菱餅、さくら餅、きな粉餅、よもぎ餅…。人の輪を生み出し、心にも栄養をつけてくれる。菅政権の第2次内閣が発足した。党内からも“崖っぷち内閣”という声も上がっているが、17人の閣僚は“餅のくっつきパワー”をもらって、死に物狂いで精進せよ。北極付近の寒気団が南下しやすく、真冬日は続く。あすも「雪掻き」か。(M)


1月15日(土)

●「国会は 高齢社会の 見本市」「『もういいよ』 政治家たちの 肩たたく」「議場から 居眠り老人 姥捨てに」。全国老人福祉施設協議会が募集した第7回「60歳からの川柳」には、政治家の高齢現象を憂える作品も数多く寄せられた。上記の3作は、有権者の心裏を映した快作である▼第2次菅改造内閣が発足した。17閣僚のうち11閣僚が留任するなど、新鮮味の乏しい陣容というのが率直な印象だ。官房長官には46歳の枝野幸男氏を抜てきした。本来ならそのフレッシュさをアピールできるところだが、“反小沢路線”を鮮明にするという別の意図が潜むなど政治の裏が透けて見える▼枝野氏を補佐する官房副長官には藤井裕久氏を起用した。同氏は78歳の高齢。反小沢路線を貫徹する上でのやむにやまれぬ決断か。たちあがれ日本を離党した与謝野馨氏を経済財政相に充てたことと併せ、疑問符が付く▼与謝野氏も72歳と決して若くはない。そもそも、たちあがれ日本はベテラン議員が集まって結党した際、その平均年齢の高さがやゆされた。加えて今回は、与謝野氏の離党という“お家騒動”が背景にある。同氏を閣僚として迎えた菅首相への風当たりは強い▼政治家のすべてが若ければいい、というものでもない。要は老若のバランスと、それぞれの手腕次第である。新たな内閣でいかに難局を乗り切るか、まさに民主党の正念場。内乱に明け暮れている場合ではない。(K)


1月14日(金)

●佐幕派の政権である蝦夷共和国は明治元年に誕生した。総裁は日本初となる選挙(入札)で選んだ。当選した榎本武揚は組閣に着手、土方歳三(陸軍奉行並)らを閣僚に抜てきした。同国の存在は約5カ月と極めて短期間だったが、選挙史に刻んだ1ページの意味は大きい▼その榎本が、選挙の投票方法を説明している。函館市選挙管理委員会が成人の日に合わせて実施した「箱館偉人選挙」。榎本は“選挙公報”の中に登場するが、初の選挙をくぐった総裁経験者の直接指導だけに、その説明は明瞭かつ簡潔だ▼偉人選挙に立候補したのは4人。「交渉力に自信あり」とアピールする坂本龍馬、「海運で景気回復」を公約とする高田屋嘉兵衛、「仕事のない若者への雇用創出」を唱える土方歳三、さらに「市民が文学に親しむ機会を」と言う石川啄木が続く▼新成人のうち143人が投票した。¥68¥票を集めてトップ当選したのは、函館で抜群の知名度を誇る土方だった。根強い新選組人気に加え、端麗な容姿で女性票を集めたことが勝因か▼模擬選挙とはいえ、市選管による今回の試みはユニークで、若者受けのする内容だ。昨夏の参院選では、函館市の¥20¥—¥24¥歳の投票率が¥26¥・1%と低迷した。偉人選挙はその危機感からの苦肉の策ではあるが、実際の選挙と同じ方法で行うだけに、投票率向上への取り組みとして実効性も期待される。統一地方選は今春に迫っている。(K)


1月13日(木)

●江戸の大盗賊の鼠小僧次郎吉は汚職大名や悪徳商家から盗んだ金銭を金に困った貧しい家に分け与えていた。子どものころ、痛快な「恩返し」の鼠小僧伝説に感激したものだ。今は漫画のタイガーマスク「伊達直人」か▼40年前のプロレスラー漫画では孤児の主人公が覆面レスラーとなって悪役と戦い、育ててくれた施設にファイトマネーで恩返しをする物語。昨年のクリスマスから「伊達直人」の名前で、児童養護施設などにプレゼントが届くようになった▼ランドセルのほか、文房具、現金、お米、白菜、プリンターなど、全国で300件を超えている。伊達直人に肝っ玉母さん、デザイナーなどが続く。桃太郎を名乗ったプレゼントにはキビ団子も。長崎の平和祈念像には暴漢の凶弾で倒れた前市長の名前もあった▼添えられた封書には「お金持ちではないが、幸せのおすそ分けです」「子どもたちを宝物だと大切にしています」「寒空の下で頑張っている子どもたちに届けて」「希望が君たちを待っている」「障害を持つ若者たちの発達支援に役立てて」などと書かれていた▼少子高齢化、無縁社会、忘れられた家族の絆、希薄化した人と人とのつながり…。「伊達直人」から始まったプレゼント。善意が善意を生むうれしい連鎖反応。いじめや児童虐待が後を絶えない。訳あって親元を離れて暮らす新1年生。各地のタイガーマスクは「恩返し」で悲しい世相に挑戦している。(M)


1月12日(水)

●大卒者の採用活動を1年以上前から行わなければならないのか、大企業は学生のことを考えているのか。近年の新卒就職活動をみていると、そんな疑問が込み上げてくる。3年生の夏休み明けから、というのは、少なくても尋常な姿でない▼経済情勢の混迷を背景に、企業は人材を確保したい思惑がより働く。その結果として、経済界が「広報活動」と称する企業説明会の時期は早まっているのだが、学生としては流れに乗らざるを得ない。そこから透けてくるのは、紛れもない企業の論理▼現実に目を向けると、説明会は3年の10月ごろ。専用のホームページを設けて登録を受け付け、企業の青田買いが始まる。3年の秋といえば、まだ学生生活を1年半も残し、専攻した専門分野を学んでいる重要な時期。だからと言って、一人、悠然と構えていられない▼しかも、焦る学生は多数の企業に接触する。複数社から内定を得る学生がいる一方で、その分、はじき出される学生も。採用業務期間の長期化がもたらす弊害と指摘されている。さすがの経団連も批判を無視できなくなって再検討したのだが…▼答えは、まったくの期待はずれ。説明会の開始時期をわずか2カ月先延ばししただけだった。本質的に何も変わっていなければ、学生のことを考えたという姿勢も伝わってこない。せめて「3年次は避ける」というぐらいの答えがほしかったが、遺憾というほかない。(A)


1月11日(火)

●阿弥陀如来の願いを信じて念仏をとなえれば、仏になれる。浄土真宗を開いた親鸞の教えは平易だが、90年の生涯をかけて到達した思想体系は難解だ。念仏こそ、闇を照らす光だったが、明かりが輝くほど、闇は深い▼親鸞は比叡山で20年間、修行に明け暮れたが、迷いの森から抜け出せなかった。そこで山を下りて出会ったのが、法然が唱えた念仏。親鸞はここで、これまでの行を捨て、一切を救おうとする阿弥陀如来の願いに生きると決意したが、国家権力からは邪とされ、35歳で越後に流された▼その越後で、妻の恵信尼と身を寄せ合って生きたのが、今から800年前。春まだ浅い越後の丘に立ち、親鸞は恵信尼に言う。「比叡のお山から近江の湖を眺めて、ずっとそれが海だと思いこんでいたのだよ」(五木寛之『親鸞』激動篇)▼比叡山からの琵琶湖、越後での日本海…。親鸞の著作に「海」は多く見えるが、自分の力では逆らえない、絶対的な世界として見ているようだ。代表的な著作『教行信証』の中で「自分は情けない。愛欲の広海におぼれ、名誉や利益に振り回されている」と吐露している▼親鸞には胸躍る青春時代がなく、苦難や挫折の連続だった。しかし、越後での受難の日々は、人生の荒波に負けずに歩んでいく足腰を鍛えた。その思想は、老境で円熟していく。苦悩する宗教者の姿に、混迷する現代を生きるヒントが隠されているかもしれない。(P)


1月10日(月)

●俳人・正岡子規は、優れた随筆家でもあった。明治35年、新聞「日本」に連載した随筆集「病牀六尺」の話題は、国際問題や伝統芸能、俳壇、自らの病気など実に多彩。未婚ではあったが、その旺盛な好奇心は子どもの教育論にまで及んだ▼家庭教育に触れた項は現代にも通じる。「一家が平和であれば、子供の性質も自(おのずか)ら平和になる」「家庭教育の価値は或る場合において学校の教育よりも重いといふても過言ではない」。家族間に必要なもの、それは「有益な雑談」「高尚な品性の感化」と子規は説く▼小学校を皮切りに今年から実施される新学習指導要領では、ゆとりでも詰め込みでもなく、「生きる力」をよりいっそう育む方針という。学力重視の詰め込み教育と、その後のゆとり教育の失敗に対する文部科学省の反省が背景にあるようだが、理論を伴わない作文は説得力を欠く▼そもそも「生きる力」の定義があいまいな上、その力を養うのは家庭教育の領域という見方もできる。多くの責任を学校教育、あるいはその現場に委ねるあまり、常識はずれのクレームを突きつける「モンスターペアレント」を増殖させはしないかと心配だ▼ちなみに、家庭教育の重要性を説いた子規は、母や妹の愛情を一身に受けて成長した。多少甘ったれたところもあったが、その愛情を自らの生きる力に転化させた。病気と闘い、子規が随筆の筆を置いたのは死のわずか2日前だった。(K)


1月9日(日)

●今年は事件事故の少ない年でありますように。年の初めに、毎年、思うことだが、幸いにも北海道は平穏にスタートを切った。「この調子で」と願う一つが交通事故。ここ数年、北海道も含め全国的に死亡事故は減少しているものの、さらに…▼交通事故が社会問題化して久しい。車の増加、道路整備の遅れなど、そこにはいくつかの要因があるが、年々、改善され、警察や関係機関の指導も役割を果たしての減少。今から20年余り前の1990(平成2)年、全国の交通事故死者は1万1228人だった▼それが2000(平成12)年には1万人を割って9066人。そして一昨年は4914人、昨年は4863人。全国のワーストランク常連の北海道も、2001(平成13)年まで500人台だったのが、ここ5年は200人台を保っている▼ちなみに昨年は215人。その北海道で、函館方面本部管内は前年比6人減の16人(全道の7・4%)。統計を取り始めた1949(昭和24)年以降、最も少ない記録といい、まさしく意義ある年と総括するに値する年だった。そんな中で課題も浮かび上がっている▼高齢者の死亡割合が高まる傾向にあること。昨年は全国で5割を超え、北海道も46%というから、さらなる対策が必要。ともかく交通事故死者が北海道で200人、道南で10人を割るまであと一歩のところまできている。その鍵は一人ひとりの意識、注意が握っている。(A)


1月8日(土)

●流刑の罪人に村人の反応は冷たかった。当時の流人には1年分だけの食糧が与えられた。食糧がなくなると、自活しなければならない。妻と田畑を耕し、野ウサギなどを捕まえて、なんとか食いつないだ▼「この里に親を亡くした子はなきか、み法の風になびく人なし」。それでも阿弥陀の本願を伝えきらなければ。冷たかった村人にとけ込んで草の根説法、越後に念仏の華を根付かせた…▼携帯小説などが普及しても、毎日届く新聞の連載小説を読むのが楽しみ。本紙でも五木寛之さんの「親鸞 激動篇」が始まった。比叡山での修行を終えた親鸞が越後に流罪となった後の波乱の人生を描く。「親鸞の生涯のなかでも、もっとも謎に包まれた時代に全力投球する」という▼初夢に越後の飢えから救ったと思われるウサギの夢を見た。子どものころ、軍用兎として学校で飼っていたからか。101歳の詩人、まど・みちおさんは「うさぎにうまれて うれしいうさぎ〜」と生きていることの歓びを詠っている▼移り変わる諸行無常の世で、いつかは死んでいく人生、何が本当の生きがいなのか、を問うた「ウサギと雲」という説話もある。枕もとの弟子たちを前にして、親鸞は「煩悩と離れることはできない。あるがままで生きよ」、そして最後の言葉は「…死にとうない」だったとか。五木さんは「毎日、待ちかねて読んでくださる読者がわずかでもいてくれたなら…」と話している。(M)


1月7日(金)

●函館生まれの女優、歌手、エッセイストの高峰秀子さんが彼岸に渡った。5歳で映画『母』で子役デビューして以来、『二十四の瞳』や『浮雲』など昭和映画の黄金期に300超の映画に全部主演として出演▼幼児期は函館で過ごし、母親と死別して東京の叔母の養子に。見学に行った映画撮影所のオーディションに合格、わけも分からぬうちにデビュー、スター街道まっしぐら。最初に観たのは『二十四の瞳』(原作・壷井栄さん)だった▼分教場のおなご先生。優しさあふれる存在感。子どもたちのいじらしさが心を打つ。日本映画初のカラー作品で、ストリッパーを演じた『カルメン故郷に帰る』では、太ももをあらわに踊り、ピチピチしたお色気にカルチャーショックを受けた▼天才子役から名女優へ。養母はステージママにありがちな自堕落女で、子役時代から家庭を支えた。最盛期は現在の金額で年間10億円は稼いでいたとみられるギャラも吸い取られていたという。「貧乏人は貧相で惨め。私の敵のひとつだった」(世渡日記)▼挿入曲に「仰げば尊し」や「故郷」「古城の月」など13の唱歌を盛り込んだ『二十四の瞳』は日本人の原風景。当時、小豆島のロケ現場を訪れた壷井栄さんは、高峰秀子演じる女性教師が教え子の墓標の前で昔を思い出して泣くシーンに、おさえきれずに涙を流し続けたという。今は、函館出身の名女優の訃報に涙を流し続けたい。(M)


1月6日(木)

●21世紀に入って、世の中の流れがともかく速い。科学技術分野においては特に。まだ10年でしかないが、これほどまでに変わるものか、そんな思いが込み上げてくる。10年先はどうなっているか、想像の域ながらも期待は膨らむ▼三菱電機ビルテクノサービスが昨年末、行った調査の結果が興味深い。まずは、21世紀最初の10年を漢字2文字で表現してもらったところ、トップは「進化」で、「停滞」「不況」「変化」の順。経済の混迷に対する思いの一方で、さらなる近代化を実感している姿が読みとれる▼「21世紀らしいもの」の問いに対する答えでは、ハイテク関連が上位にずらり。「携帯電話の必需品化」「ハイブリッド車の普及」「高速のインターネットが当たり前に」「電球がLEDに変わり始めた」など。いずれも「進化」「変化」を象徴する分野である▼確かに、携帯電話一つとっても、その「進化」は著しい。20世紀末に登場した際には通話の制約が多かった。それがあっという間に解消され、カメラやメール機能が備わって驚いていたら今や…。生活の周りがデジタルの時代に変わろうとしている▼そこで今後だが、この調査が教える10年後…。「電気などクリーンな車への完全移行」「がん完治治療薬の開発」「当たる天気予報の開発」などが挙げられている。いずれも期待されるが、そこまで「進化」するか、難しいか、21世紀の新たな10年が幕を開けた。(A)


1月5日(水)

●子どもたちにとってのお正月は、誕生日、クリスマスと並び毎年プレゼントをもらえる3大ビッグイベントのひとつ。中でも、普段は手にすることのできない多額の現金が供給されるお正月は、興奮の度合いもひと際高くなる▼このように魅力いっぱいのお正月の唯一の難点は、ほとんどの店が休業するため、数日間は買い物を我慢しなければいけないこと。その間は親類とのゲームや、テレビ観賞になどで気をまぎらわせるしかなかった。この当たり前のような日本の正月風景がすっかり様変わりしていることを、今年の元日に気がつかされた▼朝からテレビを見ながらの寝正月を過ごしていたのだが、夕方に「ちょっと気分転換でも」と車を出したところ、幹線道路は平日と変わらぬ渋滞の様子。主要な大型スーパーが元日から営業しているため、普段通りに買い物客でにぎわっているのだ▼子どもたちも、その日にもらったお年玉でさっそく買い物を楽しんでいる様子。かつて筆者が体験した我慢をする必要はない。うらやましく思う半面、ちょっぴり寂しい気持ちにもなった▼欲しい物が1年365日いつでも手に入るのは幸せなことかもしれない。しかし、わずか3日間の我慢を経た後に満足感を体験できたことも、今となっては幸せだったのかもしれない。「現代っ子の忍耐力のなさの要因ここにあり」などと野暮なことを言うつもりはさらさらないが。(U)


1月4日(火)

●函館市は新年度から5カ年の計画で、朝食を必ず食べる子どもの割合100%化に取り組むという。食事は健康な体づくりの原点と言われるが、こうした計画の背景にあるのは、欠食や栄養バランスなどの乱れが指摘される現実が色濃いから▼「食育」なる言葉がよみがえり、具体的な取り組みの必要性が指摘されて久しい。敢えて触れるまでもなく大事なのは「三食をきちんと摂る」ことだが、特に問題とされているのが朝食。規則正しい生活の原点とも言われるからで、成長期の子どもには大切である▼ところが、その朝食を食べずに学校に通う子どもが少なくない。函館市の調査では「朝食を必ず摂る割合」は小学4年生で82%、中学1年生で76%だったという。つまり、ほぼ5人に1人が朝食を摂らずに通学していることになる▼別に函館市だけが特殊なわけでない。全国的に生じているこうした現実を踏まえ、農水省や全国農協中央会などが朝食摂取率週間100%運動を立ち上げた。それから10年、朝食の大切さやご飯の薦めを説く啓蒙活動は、徐々に取り組みの輪を広げつつある▼函館市は現在「健康はこだて21」を推進中。そこに掲げる「食で健康な体をつくる」「食で豊かな心を育てる」は食育の柱であり、食が問いかけている基本的な理念。朝食の大切さを親にどう気づかせ、理解させるか。改めて学校、PTAとも連動した啓蒙が求められている。(A)


1月3日(月)

●「西高東低型」という言葉をよく聞く季節である。日本の典型的な冬の気圧配置の意味で、日本列島の西に高気圧、東に低気圧があり、日本海側は雪、太平洋側は乾燥した晴天となる。今年の正月はまさに西高東低型で、特に西日本が大雪に見舞われた▼元日の朝、知人が宿泊するホテルに行った。モダンなロビーには、箏(こと)の音色が響いていた。洋風な空間ながら一聴すると、お正月や和の雰囲気に浸り、新しい年を迎えて心を洗われた気分となった▼そういえば、函館には“新春”と名の付く和のイベントは少ない。江戸時代中期から芝居小屋があり、明治から大正にかけては東京歌舞伎の幹部俳優が来函し、多くの劇場で興業があった。現在でも函館邦楽舞踊協会や函館子ども歌舞伎、素人落語の活動は盛んである▼正月に限らず、年間を通じて市内では邦楽舞踊より洋舞が、箏や尺八などよりピアノの公演が盛んである。書の隆盛は不変だが、日本画は画材の入手すら困難という▼ある邦楽家は「函館は文化も西高東低」と言う。街並みは和洋折衷だが、函館の文化は東洋よりも西洋の方が人気があり評価も高いという▼ホールの正月休業もネックだ。門松を立てて休むのはもったいない。せめて1月2日は特別開館し、和の芸術文化を堪能できる催しはできないものか。演者側も新年早々に1年の決意を込めた舞台を考えてもらえればと思う。(R)


1月1日(土)

●新しい年が明けた。函館山の山頂からは、初日の出を拝むことができただろうか。この原稿を書いている時点で、年末年始は雪、晴れ、曇りのマークが混在する複雑な天気予報。不況など厳しい世相を反映してか、天気もまた、“迷い”の中でのスタートとなった▼昨年、映画にもなった佐藤泰志の小説「海炭市叙景」では、二人の兄妹がなけなしの小銭を持ち、初日の出を見に山に登る場面がある。この山のモデルとされる函館山は、その歴史の中でさまざまな営みに目を向け続けてきた▼戦争に翻弄(ほんろう)された暗い記憶もある。明治末期から昭和20年までの間、函館要塞として市民の立ち入りが禁止された。日露戦争下の1905(明治38)年には、津軽海峡の応急防備としてその一翼を担う計画もあったという▼戦禍も時として皮肉な結果を生む。函館山の一般の出入りが規制されたことで、良好な自然が保たれ、函館のシンボルとして欠くことのできない存在になった。何よりその頂上から眺める夜景は、国内外の観光客の心をとらえて離さない▼私事になるが、函館新聞の題字にあるイメージ画は函館山を模し、コラムのタイトルには「臥牛山」を使わせてもらっている。本紙は今年、紙齢5000号を迎える。函館山の存在に及ぶべくもないが、市民の営みを見つめる鳥の目、虫の目の一つであり続けたい。—初空や光りの粒が港じゆぅ(菅野茂甚)—(K)