平成23年5月


5月31日(火)

●この夏、東北の太平洋沿岸で、一斉に花火が打ち上げられる。岩手県の山田町、大槌町、大船渡市三陸町、福島県の相馬市、いわき市。いずれも東日本大震災で大きな被害を受けた。花火には「追悼」と「復興」への思いが込められている▼震災後、花火大会の「自粛」が次々と決まった。そんな中、東京都内で働く20〜30歳代の有志が集まって企画したのが、一斉打ち上げのイベントだ。「LIGHT UP NIPPON」と銘打ち、8月11日に開く。開催地は今後さらに増える見通しという▼開催費用は企業協賛と、公式サイトを通じた個人からの募金で賄う。被災地での花火大会を疑問視する声がないわけではない。それでもなお、「希望や喜び、そんな当たり前のことを、改めて感じる機会に」という開催趣旨からは、若者らしいストレートな思いがにじみ、好感が持てる▼宮沢賢治は故郷の岩手を理想郷になぞらえ、「イーハトーブ」と呼んだ。花巻市で毎年夏に開かれる「イーハトーブフォーラム 光と音のページェント」は、賢治の精神を後世に伝えようという試みだ▼メーンの花火大会では、北上川が七色の光に染まり、銀河と交わるような幻想的な世界を繰り広げる。今夏の一斉打ち上げがこうした有名イベントに取って代われるとは思えないが、故郷を思う熱い気持ちは一緒だ。欲を言えば、この日の花火は「再び未来へ」という号砲であってほしい。(K)


5月30日(月)

●「豊かな生活」って何を持って言うのだろうか。問われてみると、答えに窮する。というのも思いや価値観は人それぞれで、一律の基準はないから。「有り余る金があること」と考える人もいれば「時間の余裕があること」と思う人もいよう▼ただ、一つ言えるのは、多くの人が「豊かな生活」を感じていないということ。確かに金はあるに越したことはない、時間的余裕も然りだが、それが満たされた人が「豊かさ」を味わっているかというと、どうだろうか。程度の差こそあれ、不満がないわけでない▼「上を見れば方図がない」という格言があるが、こう考えると「豊かさ」は自己満足の度合いと映る。では、個人から目を移して地域、国単位でみると、わが国はどうなのだろうか。先日、経済協力開発機構が興味深い発表を行っている▼加盟34カ国を対象に生活環境や生活満足度など11項目について指標化したものだが、それによると…。国別で、治安などの安全や学習到達度などの教育では上位なものの、仕事と生活の調和(ワークライフバランス)や自己申告による健康状態は下位なのだと▼そこから透けてくる姿がある。物質などには恵まれ、生活環境もまあまあだが、精神的には未だという現実。国民性によるのか、社会的な問題があるのか、その背景は別として、欠けているのは「豊かさ」につながる生活の質ということだろう。実感として分かるような気がする。(A)


5月29日(日)

●「死を覚悟した」と話す男性の顔は、すすに汚れて真っ黒だった。事故発生時、「車外に出ないで」というアナウンスが流れた。別の男性が憤る。「あのまま外に飛び出さずにいたら、今ごろは薫製になっていた」▼テレビニュースのインタビューに答える乗客は、一様に疲れ切った表情だ。27日夜、JR石勝線の上川管内占冠村のトンネル内で起きた特急列車の火災。病院に運ばれた39人はいずれも軽症で済んだが、大惨事と背中合わせの重大事故だった▼火災が発生したスーパーおおぞら14号は、カーブを高速で走行できる「振り子式」の台車を使用する。この台車は、函館—札幌間を走る特急スーパー北斗にも採用され、スピードが速く乗り心地もまずまず。さらに「高い安全性」がセールスポイントだけに、今回の事故は多くの教訓を残した▼1972年11月、大阪発青森行きの急行列車が、福井県の北陸トンネル内を走行中に火災を起こした。死者30人、負傷者710人余り。事故後には、乗務員がトンネル内で列車を停止したことの是非が問われている▼これに対して今回の事故は、トンネル直前で列車が脱線し、トンネル内で走行不能に陥った可能性がある。一部車両のトラブルが全体に影響するディーゼル列車と、架線さえ生きていればトンネル内の通り抜けも可能な電動車両の違いである。脱線と火災の原因究明。今回急がれるのはその2点に尽きる。(K)


5月28日(土)

●夏も近づく八十八夜〜。高齢者クラブの懇親会で飲む日本茶がおいしい。福島原発から300キロも離れている神奈川県の茶畑からも基準値を超す放射性物質が検出された。一番茶を刈り捨てるのは無念だろう…▼見えない、音がない、臭いもない放射能の恐怖。それが放射線の強さを表す特殊カメラで見ると、モザイク模様で線量が一目瞭然。青から緑、黄色、赤が濃くなるにつれて線量が高いという。学校や幼稚園の土や砂はどんな色だろうか▼気象庁が発表した今夏の気温は「高いか平年並み」だが、「一時的に気温は上がり熱中症にご注意」という。一番懸念されるのは原発事故による夏場の電力不足。このため、政府は節電目標を企業も家庭も一律15%にするよう通達した▼リードする環境庁は「スーパークールビズ」を推進、アロハシャツやポロシャツ姿で仕事を始めた。クリップで留めるネクタイ、保冷剤入りハンカチ、湿気を取り除く革靴などアイデアグッズ目白押し。肌が透けて見える節電ビズも▼冷房の設定温度を下げ、涼しい服装での仕事は大歓迎。半世紀前はランニングシャツにステテコで仕事(職場に女性がいなかった…)。うちわがある、打ち水がある、青すだれもある。ちょっとだけ家電製品を控えよう。ただし、大震災の避難所には扇風機を増やしたい。特殊カメラに映った「放射能汚染の大地」は、いつ無色の元に戻るのだろう。早く新茶が飲みたい。(M)


5月27日(金)

●昆虫ほど好き嫌いがはっきりと分かれる生き物も珍しい。好きな人は「買ってでもほしい」と言い、嫌いな人は「見るのもいや」とそっぽを向く。その点でクワガタムシは、少年の多くが「大好き」と目を輝かせる昆虫の代表格だろう▼この春に社会人になった男性と雑談していて驚いた。クワガタの繁殖が趣味という。あの姿かたちに引かれるのは少年に限ったことではないらしい。実際にインターネット上ではクワガタの個人売買が盛んに行われ、繁殖の方法も細かく紹介されている。一種のブームと言っていい▼縄文時代晩期(約2500〜2800年前)のノコギリクワガタの雄1匹の全身(体長約63・5㍉)が、奈良県御所市で見つかった。全身が保存されるための条件が偶然重なったもので、専門家の多くが「奇跡」と目を見張る▼この驚きは一般の考古学ファンや昆虫ファンにとっても同じだ。中には「クワガタは太古の子どもの間でも人気者だった」という深読みも。“縄文クワガタ”は一般公開され、その写真シールも人気を呼ぶなど、大変な騒ぎになっているらしい▼クワガタは東北地方にも数多く生息している。特に福島県はオオクワガタの産地として全国的に有名。採集者が大挙して訪れるなど問題になったこともある。ただ、東日本大震災後はそんな光景を見ることもなくなった。少年たちの夢であるクワガタの1日も早い“復帰”を願うばかりだ。(K)


5月26日(木)

●「庭があった方が」「マンションがいいよ」「ローンは何年に」「ボーナスを併用した方がいいかな」。人生最大の買い物を、こんな会話を積み重ねて手にした人は少なくないはず。いずれ自分たちも、と夢に描いてきたマイホームである▼今の時代、結婚後、親との同居は少数。ただ、若い時はアパートなどでも十分だが、子どもが生まれ、成長するにつれ、将来の生活設計を考える。戸建てかマンションかはともかく、環境や広さを求める気持ちがわいてきて。とは言っても半端な額の買い物ではない▼地域によって価格は異なるが、サラリーマンが融通できる金で始末のつく買物ではない。だから悩みに悩み、ローンを組むことになる。毎月の返済額を少なくすると、それだけ期間も延びる。計算通りの所得が維持されるならまだしも…▼返済の途中で災害に遭ったらもうお手上げ。悲嘆にくれるしかない。修理するにせよ、建て替えるにせよローンは残ったまま。「家は消えて、ローンは消えず」。今、東日本大震災の被災地では、返せない、借りられない、と苦悩する姿があり、悲痛な叫びが聞かれる▼ある報道によると、返済の猶予申請は5000件を超えている。猶予で乗り切れるならまだしも、その見通しすら立たない人もいる。返済免除となると、自己破産を意味してくる。夢が破れないように…。金融庁は返済免除の緊急特例措置を検討しているという。当然だろう。(A)


5月25日(水)

●テレビ番組「題名のない音楽会」での軽妙な司会ぶりでも人気の指揮者・佐渡裕さん(50)が、このほど世界最高峰のオーケストラ、ベルリンフィルハーモニー管弦楽団の定期演奏会デビューを果たした。日本人としては、小澤征爾氏をはじめ、選ばれたわずかのマエストロしか体験していない大舞台に立った佐渡さんだが、終演後には熱烈なブラボーの嵐を受け、感極まって涙してしまったそうだ▼ベルリン・フィルと言えば、団員に欠員が出ると、世界各国の一流音楽家がオーディションに押し寄せるという、オーケストラ界のドリームチーム的存在。その集団をまとめる指揮者には、飛びぬけた音楽性はもちろん、カリスマ的な統率力も不可欠になる▼今回は3日間の定期演奏会が行われたが、最終公演後にはオーケストラのメンバーが次々と楽屋を訪れ佐渡さんと抱き合って成功を喜びあう光景が見られた。まさしく団員から信頼を勝ち取った証しといえる▼佐渡さんにとって今回の経験がさらなる飛躍につながることは間違いない。ただ、これまで吹奏楽やアマチュアの指導に惜しみなく時間を割き、若き音楽家の育成に力を入れてきた佐渡さんの活動が制限されることに心配も覚える▼今後ますます多忙となる佐渡さんだが、どんなにビッグネームになっても、これまで通り柔和な笑顔で音楽の楽しさを親しみやすく伝えてくれる存在であり続けてほしい。(U)


5月24日(火)

●中華そば40円、ビール125円、たばこ30円…。「もはや戦後ではない」といわれた時代に、障子に穴をあけた映画「太陽の季節」が大ヒット。若者の憧れや欲望を描いた行状が全国的な風俗現象「太陽族」として広まった▼この主役を演じたのが長門裕之・南田洋子夫妻。石原裕次郎らと共演した太陽族シリーズは「狂った果実」「十代の罠」「危険な関係」などと続く。清そな女優の南田洋子は青少年の憧れの的で、ブロマイドを手に入れるのに四苦八苦…▼妹や弟のために出稼ぎに行った、泥臭い青年を演じた「にあんちゃん」での演技が認められ、ブルーリボン主演男優賞を得た。芸能界の“おしどり夫婦”。華やかなスターも病気には勝てず、南田さんが脳卒中で寝たきりに▼苦労をかけた一つ年上の妻に痴呆症の症状も出て、献身的に寄り添い介護したが、2年前に見送った。自宅にカメラを入れて、増えつつある「夫婦介護」の大変さを訴え、後を追うように旅たった。「洋子よ、また俺を介護人として選んでくれ」と。77歳だった▼その5日前には「アタック25」の名司会者として活躍、同じ77歳でインテリ俳優の児玉清さんが他界した。雑誌社に寄せた遺稿には「完全に幼稚化した人間がリーダーシップを握っている」と、大震災への対応、危機を乗り越えるために何をなすべきかを訴えているという。長門夫妻と一緒に被災地を見守ってください。(M)


5月23日(月)

●戦乱や天災、疫病などが続いた平安時代。現世での救済はままならず、極楽往生を願う浄土信仰が貴族たちに流行した。この世を「わが世」と思った藤原道長でさえ、臨終の際、阿弥陀如来の手と自分の手を五色の糸で結び、浄土へ導いてもらった。その子頼道は、浄土の世界を宇治の平等院鳳凰堂に表現した▼この思想は奥州みちのくでも開花し、12世紀には平泉の中尊寺や毛越寺などの浄土教建築が生まれる。奥州藤原氏が眠る岩手の中尊寺金色堂は、文字通り光り輝く金色のお堂。金箔を施して極楽浄土を表現した荘厳は、平安の仏教美術や工芸の結晶でもある▼その平泉の寺院などが、ユネスコの世界遺産に登録される運びとなった。平泉は2008年に登録が見送られており、再挑戦での朗報。大地震という天変地異で家も家族もなくした被災地の住民にとって、明るい話題となる▼北東北と道南では、縄文遺跡群の世界遺産登録に向けた動きも進んでいる。函館市南茅部地区の大船遺跡や青森県の三内丸山遺跡などが暫定リストに入り、15年度の登録を目指している。次は縄文遺跡の番だ▼けがれた現世を嫌い、功徳を積んで清らかな来世を願った平安人。山川草木に神が宿ると考え、自然を畏怖した縄文人…。現代人が忘れた豊かな精神世界が、そこにある。東北と連携を深め、先人に学び、歴史遺産を生かしたまちづくりや観光振興を進めたい。(P)


5月22日(日)

●徒歩は別として最もエコな人間の移動手段(乗り物)は自転車だろう。自動車などに比べて確かに速度は遅く、時間もかかるが、ガソリンも必要なければ、電気もいらない。排気ガスも出さない一方、逆に健康づくりに貢献してくれる▼極端な遠距離はともかく10キロレベルなら、まさにエコと健康の一石二鳥の交通手段。3月11日、東日本大震災の当日、東京など首都圏は交通不能状態に陥った。電力が止まったのだから、頼みの綱である電車が動けるはずはなく、バスやタクシー乗り場は長い列に▼数時間かけて徒歩で帰った人もいたようだが、都心は帰宅できない人たちであふれた。何と脆(もろ)いことか。見直されたのは自転車だった。ヨーロッパでは自転車通勤は珍しい光景でない。わが国では地方で見かけるものの、東京などの大都会では…▼公共交通機関が発達し、自転車にやさしくない道路事情もあって、まだまだ少数。それが発生から2カ月余、自転車通勤が増えつつあるという。日が長くなり、ここ4、5カ月は、格好の季節。晴れた日は自転車で通勤し、休日は家族レジャーという手もある▼そう、5月22日は「サイクリングの日」(日本サイクリング協会制定)だが、それはともかく、改めて教えられたのは自転車の持つ機能と効能。スポーツにもなるし、実用的な交通手段ともなる。もっと目を向けていい。札幌などでは街中での自転車共同利用実験も行われている。(A)


5月21日(土)

●報道各社が詰め掛けた函館市内のホテル前。騒然とした空気を縫うように、黒塗りの車が玄関先に滑り込む。記者やカメラマンが群がるが、人の降りる気配はない。車はダミーだった。この日の“主人公”は既に、別の通路からホテル内に入っていた▼1997年、第二次橋本内閣で総務庁長官として悲願の初入閣を果たす。ところが、ロッキード事件での有罪判決への批判が集中し、就任からわずか12日で辞任。ホテルの騒動は、地元支持者への辞任釈明集会の前に起きた▼北海道旧3区(現8区)選出の自民党元衆院議員、佐藤孝行氏。良くも悪くもその言動には影響力があった。99年の函館市長選では保守分裂選挙の原因となる新人候補擁立に奔走。出馬会見に同席した佐藤氏は、本意に沿わない質問に「あんたどこの社だ」と記者への逆質問で答えに代えた▼こわもてに出て我を通すというイメージの一方、優しく人懐こい性格の持ち主でもあった。締め切り時間の過ぎた本社にふらっと立ち寄り、ニコニコと世間話を交わす姿が思い出される。そんな時は秘書を同行させず、必ず1人だった▼その佐藤氏が亡くなった。83歳だった。一次産業の振興をはじめ函館・道南の発展に多くの足跡を残した。強引とも取れる政治手法は誤解を与えることもあったが、有権者のことをいちずに考える泥臭い政治家だった。道南政治の一時代が終わった。合掌。(K)


5月20日(金)

●函館、新潟、そして岩手。この三つを線で結ぶには無理がある。正直、そう思っていた。「3・11 災害をこえて希望へ」。こう銘打った岩手県復興応援チャリテーは、作家・新井満さん(七飯町在住)の呼び掛けで開かれた▼東日本大震災の被災地である岩手は歌人・石川啄木の故郷。その啄木と函館の関係は深い。そして新井さんの出身地新潟は、震災被害からの復興の経験を持つ。この三つのまちが、舞台上で自然につながった。啄木をキーワードに、それぞれの逸話をちりばめた演出の妙である▼会場の函館市芸術ホールはほぼ満席。客は歌、朗読、踊りなどのパフォーマンスに酔った。その随所に登場したのが啄木の短歌だった。〈ふるさとの山に向ひて 言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな〉▼東日本大震災を啄木ならどう考えどう表現したか。こんな問い合わせが石川啄木記念館(岩手県盛岡市)に相次いでいる。「言葉では何も言えなかっただろう。啄木は(被災者に)そっと寄り添い、一緒に泣いてあげたのでは」。座談会で発言した山本玲子さん(同記念館学芸員)の見方だ▼明治の函館大火を経験した啄木は、被災者を安全な場所に移動させながら帰宅したという。座談会で桜井健治さん(啄木研究家)が挙げた一首。〈新しき明日の来るを信ずといふ 自分の言葉に 嘘はなけれど—〉。東日本大震災の被災者に向けた希望のエールに聞こえる。(K)


5月19日(木)

●燃料の一部損傷ではなかった。原発の心臓部の燃料棒すべてが溶けて圧力容器の底に溜まったまま。高濃度の放射性物質で汚染された大量の水が原子炉建屋の地下に浸透しているかも知れない。福島第一原発1号機▼大震災から2カ月以上経って、ようやくメルトダウン(炉心溶融)を認めた。大津波が原発を直撃した直後の完全メルトダウン。「想定していなかった」と過小評価したことが対策を遅らせた。2、3号機もメルトダウンしている可能性が高いという▼二転三転する行政の判断に振り回される住民。「逃げろ」という政府は具体的な方策を自治体・住民まかせ。警戒地域の一時帰宅にしても「自己責任で立ち入る」という同意書に署名を求める一幕もあった。住民は被害者なのに、こんな無神経な対応は許されない▼震災後、離れ離れになっていたナインが集まった高校の野球部。思い切り走り、ボールを追った。ユニホームで被災地の学校と分かったのだろうか、別の高校生から「放射能が来た」と言われた。「同じ福島県内なのに…」。一種の風評被害ではないか▼政府も東電も本当の情報を提供しないからだ。1号機でメルトダウンが始まった翌朝に燃料棒冷却の注水を始めたものの、遅きに失した。「水棺」をあきらめ、原子炉地下に溜まった汚染水を循環させて冷却させると言うが…。避難住民の1日も早い帰村と原発惨事収束に全力を尽くせ。(M)


5月18日(水)

●「東日本大震災から11日で2カ月が過ぎ、石巻地方の死者は4400人を超えた。行方不明者も数多くおり、人的被害の全容はまだ明確になっていない」。石巻市(宮城)に本社を置く石巻日日新聞の5月11日付1面トップ記事は、こう伝えた▼地方都市が拠点の地域紙は、全国で100社を超える。大震災の被災地域にも数紙あり、同紙は代表格の一つ。1912(大正元)年の創刊というから、来年100年を迎える老舗だが、大きな被害を受けた▼社屋は流されなかったものの、浸水や停電で編集機器や輪転機が使えず、発行できない状況に。しかし、出来ることで、と代替にしたのが壁新聞。印刷用ロール紙を切りとって油性ペンで。翌12日付には発生情報とともに「市役所では炊き出しの協力を」といった呼びかけも▼この壁新聞は、発行が元に戻るまでの6日間、避難所に張り出された。そこに新聞人の魂がある、とアメリカの報道博物館「ニュージアム」が収蔵を申し出た話は記憶に新しい。現物は現在、借り受ける形で横浜にある日本新聞博物館で展示されている▼被災地域に読者をもつ新聞社は、その後遺症対策に頭を痛めている。家がなくなり、人がいなくなることは読者が減ることであり、発行は出来ても、経営問題が重くのしかかる。「がんばっぺ石巻」(同紙人物囲み題字)。そんな苦しい中だが、同紙は4ページの紙面で生活や復興情報を届けている。(A)


5月17日(火)

●看護師不足に改善の兆しか。そんな期待を抱かせるニュースがあった。2009年度の常勤看護師の離職率が11・2%と前年度比で0・7ポイント改善。調査結果をまとめた日本看護協会によると、2年連続の低下という▼ただし、離職理由の上位にランクされる「過酷な夜勤」が改善されたというわけではない。1カ月の夜勤時間は48・1〜64時間が26・9%で最も多く、80時間を超える人も15・7%いた。離職率低下の背景には、むしろ長引く不況や就職難がある。「仕事は相変わらずきついが、辞めるのは今でなくても…」という発想だ▼言うまでもなく、医療従事者の不足は弊害が大きい。積み重なった過労は重大事故にも直結しかねない。患者数の減少が見込めないのなら、看護師や医師を増やすしかない。導き出される答えは、いつもシンプルだ▼厚生労働省は外国人の看護師採用に本腰を入れ始めた。しかし、先の看護師国家試験に合格した外国人は、インドネシア人15人とフィリピン人1人。合格率はわずか4%に過ぎなかった。「言葉の壁」という難題はいまだ解決に至っていない▼この一方で、看護師経験者の復職を促進する動きが出ている。厚労省の調査では、経験者の約36%が再就職を望んでいるが、技術や知識に不安を持つ人も多いという。研修などの対応が急がれる。後手の“対症療法”に追われる医療行政でも、間に合うことは少なくない。(K)


5月16日(月)

●人間関係を語るとき「縁」と「恩」を抜きに語れない。それは知る知らず、感じる感じない、にかかわらず助け、助けられる関係の中で生活していることの証だが、大問題に直面すればするほど、その重さを教えられる▼家族はもとより友だちも、隣近所も、地域も、そのすべてが縁で結ばれた関係である。うれしいことがあったときは共に喜び、困ったことが起きたときは共に悩み、手を差し延べる。そうした中で芽生えてくるのが「恩」であり、心から消えない強い思い▼函館市内の5漁協は東日本大震災で被災した久慈市の漁協に無償提供する小型漁船(磯舟)を募ったところ、225隻が集まったという。相談を持ちかけられ、応じた裏には、かつて「縁」が生まれ、「恩」があった。1934(昭和9)年にさかのぼる▼大火で街が被災した、いわゆる函館大火の際だった。その記録に久慈市から義援金などを受けたという記載が残っている。それから77年にわたって「恩」が培われてきたが、今度は思いを形で返す番。3月末に急ぎ支援物資を届けたのもそれ故だった▼被災地は2カ月が経った今も、途方にくれる状況は変わっていない。漁業者も然り。船がなければ始まらない。漁期は次々とやってくる。「久慈の漁業がかつての姿を1日も早く取り戻してほしい」。そんな思いが込められた225隻は6月上旬にも送り届けられる。(A)


5月15日(日)

●東日本大震災では、多くのお年寄りが犠牲になった。そろって津波に飲み込まれた夫婦もいた。社団法人全国有料老人ホーム協会は、恒例の「シルバー川柳」を今年、被災者への応援の気持ちを込めて募集する▼同川柳は昨年、10周年を迎えた。入選作にはユーモアのある傑作が多い。「厚化粧笑う亭主は薄毛症」「『アーンして』むかしラブラブいま介護」「オーイお茶ハーイと缶が転がされ」「不満なら犬に言うなよオレに言え」(いずれも第10回入選作)▼長年連れ添った夫や妻への照れ隠しなのだろう。笑いの中にも連れ合いへの愛情がのぞく。「あの世ではお友達よと妻が言い」「来世も一緒になろうと犬に言い」(いずれも第8回入選作)と茶化してはみても、実際に先立たれると寂しさが身にしみる。「口喧嘩相手なくして日の長し」(第3回入選作)▼松前町の「夫婦の手紙全国コンクール」(実行委主催)が4回目を迎えた。最優秀賞に選ばれたのは、がんを患い闘病中という大阪市の主婦。自分が亡くなった後、一片の骨を桜の木の根元に埋めてほしいと訴える。「桜と一緒に、天国からあなたを見守っています」という手紙の結びが美しく切ない▼シルバー川柳からもう1点。「残るのも先に逝くのもいやと言う」(第1回入選作)。震災はこんな夫婦の命をも奪った。「川柳で被災者を励ますことができれば」。期待通りの秀作がたくさん届きますように。(K)


5月14日(土)

●函館山の登山道にかわいいヒナスミレが咲いた。600種の植物が一斉に芽を出し、開花する。その花々の蜜を求めて、渡り鳥を含め150種の野鳥が飛びかう。函館山の動植物を観察する季節になった▼仏法僧(ぶっぽうそう)と鳴くコノハズクのように、野鳥のさえずりを人の言葉に置き換える『聞きなし』を最近まで知らなかった。有名なのは春到来を告げるウグイスの「法、法華経(ほ、ほけきょう)」だろう▼調べたら、ホオジロは「一筆啓上つかまつり候」、ツバメは「虫食って土食って口渋ーい」、ホトトギスは「特許許可局」、コジュケイは「ちょっと来い」、フクロウは「ぼろ着て奉公」、ヒヨドリは「はくしょん!」、センダイムシクイは「焼酎一杯ぐぃ〜」…▼これから函館山に飛来する野鳥はオオルリ、ヤブサメなど70種。日本三霊鳥のジュウイチも来るだろうか。ジュウイチは頭や背中が灰色、足は黄色、胸には鱗模様があり、ホトトギスのようで日光に住む霊鳥だという。昔の人は、その鳴き声を「慈悲心」と聞いた▼東北の被災地でも沢山の小鳥が飼われていた。多くはケージに入っているので、牛のように逃げだせただろうか。家族と一緒に避難しただろうか。ジュウイチは瓦礫の空を飛び回って「沙羅樹 慈悲心」と鳴き叫んでいるだろうか。今週は「愛鳥週間」。函館山に登って、野鳥のさえずりを“翻訳”するのもいい。「がんばろう 日本!」と。(M)


5月13日(金)

●「僕はシャンデリアの妖精。何が起きても皆さんを守ります」。3月11日、東京ディズニーリゾート(TDR、千葉県浦安市)。東日本大震災で震度5弱を記録した園内に、「キャスト」の明るい声が響いた。入園者には子どもが多い。“妖精”の登場で、余震の恐怖がどれほど和らいだことか▼TDRの従業員の約9割は、キャストと呼ばれるアルバイトで占められる。機転を利かせシャンデリアの真下に立ったのも、そのうちの1人だ。園内にいる約7万人の安全を守る。この一点のために、大勢のキャストが体を張って動いた▼売り物のぬいぐるみを手渡し、それで頭を守るよう呼び掛ける。菓子も手当たり次第に配った。避難場所の広場には、風よけの段ボールや寒さしのぎのごみ袋など、平時の雰囲気にはなじまない品々があふれた▼「9割がバイトでも最高のスタッフに育つディズニーの教え方」(中経出版)の著者・福島文二郎さんは、同書の中で、キャストの“プロ意識”を強調する。底流にあるのは「誰も手抜きをしない個々のリーダーシップ」であり、「主体的かつ積極的な仕事に対するこだわり」という▼この精神が、今回の震災でマニュアルを超えた危機管理を生んだ。臨機応変なTDRキャストの対応を見た後では、「想定外」を繰り返す関係者の発言がむなしく響く。責任を他者に押しつける主体性の欠如は、少なくともTDRには存在しない。(K)


5月12日(木)

●沖縄は15日に39回目の復帰記念日を迎える。大戦中ばかりか終戦後も多くの犠牲を強いられ、27年の歳月を経て占領下から脱したものの、米軍基地問題は未だ重くのしかかったまま。解決への抜本的な道筋を見出せずに今日に至っている▼日米間で沖縄返還協定が交わされたのは、1971(昭和46)年の6月17日のこと。翌年の5月15日午前10時に発効して沖縄県が誕生した。歴史的な瞬間であり、国を挙げて喜びに沸いた一方で、残念ながら本土並み復帰は叶わなかった▼全面積の10%を超える米軍施設を残した復帰であり、苦悩の象徴の一つが普天間基地。県民の叫びを受け名護市辺野古への移設計画が動き出したが、再び混迷の事態へ。一昨年の総選挙だった。民主党は米軍の再編や基地問題の見直しなどを公約に掲げ、政権を担った▼鳩山代表は「最低でも県外(に移設)」と公言し、首相就任後は「(私には)腹案がある」と胸を張ったまでは良かったが、その結末は記憶に新しいところ。裏切られた沖縄県民の心情は察するに余りあるが、それから1年近くが経とうとしている▼今、政治の目は東日本大震災に向けられているが、沖縄が抱える問題も現実の政治課題。7日には知事と防衛相の会談が行われたが、新たな提案はなく、残ったのは溝の深さだけ。沖縄の負担はいつになったら軽減されるのか。返還40年を迎えようとしているのに、少しも先は見えていない。(A)


5月11日(水)

●新1年生になるはずだった多くの子どもも東日本大震災の犠牲になった…。泥だらけのランドセルに悲しみが深まる最中の先月中旬、改正臓器移植法による15歳未満の男子から初の脳死臓器提供が行われた▼改正前にあった15歳以上という年齢制限が撤廃され、本人の意思表示がなくても家族承諾で提供できるようになった。今回のドナーは交通事故で関東甲信越の病院に入院していた10代前半の男子。全国の5つの病院で臓器移植▼肝臓を移植した北大病院へ臓器を運んだクーラーボックスには、男子の家族が織った折り鶴が入っており、添えられた手紙には「息子は世の中に役立つ仕事がしたいと言っていました。臓器移植で命をつなぐことができる人に…」と書かれていたという▼子どもが脳死となる原因は転落や窒息、交通事故などだが、子どもの脳は大人より回復力が強く、厳格な脳死判定が要求される。移植を受けなければ死を待つしかないという多くの子どもがいることも現実。これまで、募金活動をしながら海外での移植手術も少なくなかった▼先日、改正法に基づき親族優先の提供を適用した初の腎臓移植もあった。40代の母親から移植を受けた20代の長女は「もしこの場に母親がいたら頑張れと言ったと思う」…。母親やドナーの死を認めなければならない複雑な心境。男子の臓器提供で5人が救われたが、「命のリレー」に家族の心のケアも欠かせない。(M)


5月10日(火)

●心温まるメッセージは、聞く人に感動を与え、勇気をもたらす。人間誰しも楽しい日々ばかりでない。悩む時もあれば苦しい時、落ち込む時もある。その時に気持ちを和らげてくれるのが、ちょっとした言葉だったりする▼もちろん決意や思いやりに満ちていることが前提である。友人や親といった個人的な関係でも言えるが、その延長戦上にあるのがそれなりの立場の人が社会に向けて発する一言ひと言。美辞麗句は必要ない、また上手に話せばいいというものでもない▼要は「伝える」という思いがあるか否か、つまり言葉の奥に心があるか否か。それが伝わってきた時、人間誰しも高まる感情を押さえ切れなくなる。東日本大震災は発生から間もなく2カ月。物心両面の支援が求められる中で、メッセージが果たす役割は大きい▼プロスポーツ選手、芸能人が足を運び、またはテレビを通して伝えている。本欄で以前に触れたが、春の高校野球で創志学園主将が行った選手宣誓もその一つ。記憶に新しいところだが、またまた素晴らしいメッセージに出会った▼「…東北の皆さん、絶対に乗り越えましょう、この時を。絶対に勝ち抜きましょう、この時を。この時を乗り越えた向こう側には、強くなった自分と明るい未来が待っているはず。絶対に見せましょう、東北の底力を…」(楽天・嶋基宏選手会長)。復興への道は、まだ始まったばかりである。(A)


5月9日(月)

●春の大型連休が終わった。震災の影響による観光客の激減が心配されたが、サクラの開花も重なり、ふたを開けると、道南の観光地はおおむね人の入りがあったようだ▼市内各所や近郊を歩いてみたが、札幌はもちろん、北見や釧路ナンバーの車もけっこう見られた。本州への旅行を予定していたが道内周遊に切り替え、道南に入ったという声も聞いた。いずれにしてもこの地の底力を感じる▼寒い冬を乗り越えて若芽が息吹くように、凍てついた川が流れ出すように、少しずつ経済へ滋養を与える動きも出てきた。5日には大韓航空の函館|ソウル便が約1カ月半ぶりに運航を一時的に再開。15日には日本クルーズ客船の大型客船が、函館港に入る。震災後の客船入港は道内初だ。函館から始まるこうした動きを、大きな流れに変えていきたい▼人や物が動くところに経済は生まれる。世の中に落ちるお金の6割弱は個人消費であるため、景気を回復させるには国民の懐を温め、購買や投資に向かわせなければならない。懐は依然として寒いが、なるべく普段通りの生活をしてお金を使い、地域経済の下支えと被災地支援につなげたい▼函館観光は、試練の大型連休をまずは乗り切った。春の助走を夏の飛躍につなげるためには、本州からの観光客復活が欠かせない。東北新幹線も全面復旧した。暑い夏の冷涼な北海道観光をアピールし、震災列島を元気づけよう。(P)


5月8日(日)

●映画の「ゴジラ」は米国の核実験の放射能によって海洋生物が巨大な怪物へ変身するストーリー。原子力大好きのゴジラが原発をことごとく破壊してしまう。建設中の浜岡原発が舞台となった(映画では井浜原発)▼半世紀たって、巨大地震や大津波に変身したゴジラの逆襲。まず東京電力の福島原発が徹底的に破壊された。中国の新聞はゴジラを登場させ、「放射能汚染によってゴジラのような怪物が発生することはあり得ないが、海洋汚染は非常に深刻」と指摘…▼今度は東海地震などの想定震源域に立地する中部電力の浜岡原発。菅直人首相は突然、運転中の4、5号機を停止し、定期検査中の3号機の運転再開も見送るよう要請した(1、2号機は廃炉が決定済み)。防潮堤設置など対策が実地されるまでという▼理由に「30年以内にM8程度の地震が発生する可能性は87%」を挙げており、福島に次いで「最も危ない」原発とされている。万が一事故が起きた場合、首都圏への影響は福島原発を超えるとも言われている。中部電力への全面運転停止の要望は妥当だろう▼より凶暴になって「ゴジラ」が原子力を食べないように、劣悪な労働環境で福島原発の事故復旧に当たっている作業員。やっと、レトルト食に床で雑魚寝という生活環境が改善される。1日2食分を弁当にし、プレハブ寮を設置するというが、強力な「ゴジラ」を退治する体力をつけるには十分とはいえない。(M)


5月7日(土)

●連休に松前町まで足を伸ばした。目的の第一はサクラ。ソメイヨシノの満開には少し早かったが、まちは観光客の活気でいっぱい。震災による自粛ムードはなく、道南観光の今後に期待を持たせた▼松前公園のサクラは、「さくら名所100選」(日本さくらの会選定)の一つ。道内からの選定は、二十間道路桜並木(日高管内新ひだか町)を含む2カ所のみだ。松前のサクラは早咲き、中咲き、遅咲きと「時差開花」するのが特徴で、1カ月にわたって楽しめるというお得感がある▼今回、松前に行った理由はもう一つ。新・ご当地グルメの「松前マグロ三色丼」を食べること。本マグロの主産地でありながら、大間と戸井の両ブランドの陰に隠れる“松前マグロ”を広く売り出そう—。三色丼はその思いを込めた苦心の作だ▼そぼろ、刺身風、竜田揚げのマグロ料理が別々の丼に盛られ、違った味を同時に楽しめる。使うのは松前で水揚げされた本マグロ。ごはんは道南産の「ふっくりんこ」。地元産のふのりを使った味噌汁、さらに松前漬けも付く▼三色丼は前記の条件をすべて満たす町内の数店で提供されている。昨年初めて食べた時に感じたのは、“松前マグロ”の味を最大限に引き出そうという料理人の気概だった。さて今回だが、どこも満席のため再食は断念。それでもまだ松前のサクラとマグロをいっときに楽しめるチャンスはある。今月中にまた行けばいい。(K)


5月5日(木)

●ヨーロッパに住む友人に3月、男の子が生まれたと聞き、日本の「端午の節句」にちなみ、小さな鯉のぼりや五月人形を贈った。友人は鯉のぼりをベランダで掲げ、近所の人に自身がインターネットで調べた由来を説明。「くれぐれも東日本大震災のお見舞いを伝えるように言われた」とお礼のメールが来た▼5日は「子どもの日」。コラム子が小さい時は、大型連休の最終日という印象があった。今は続く平日も休めば、土日につながるので、まだ連休半ばといったところ。しかし、学校へ通う子どもは、そうは行かない▼「おわら風の盆」で知られる富山市八尾町には、高さ約7㍍の山車(だし)が坂の町を練り歩く「越中八尾曳山(ひきやま)祭」が行われる。約270年の歴史があり、5月5日に行われていたが、引き手の子供たちが翌日に学校であることや、観光客減を打開しようと、1994年から3日に開かれている▼この連休を利用し、函館にも道内から大勢が車で訪れているが、函館朝市によると人出のピークは4日という。多くの観光施設でも「5日は客足が落ち着く」と声が聞かれる▼5日は道南各地で子どもの成長を願うイベントが行われる。これまでは“自粛ムード”を払うように観光客が函館に押しかけて来た。今度は地域の人たちが外に出て、街をにぎやかにする番だ。サクラも満開が近い。大型連休を存分に楽しみ、英気を養おう(R)


5月4日(水)

●世界フィギュアで逆転優勝した安藤美姫は、エキシビションでモーツァルトのミサ曲「レクイエム」を滑った。「東日本の震災に対して、この曲を選んだ」と、日の丸を映した氷上で哀悼の思いを込めながら、白菊のように涙の舞い▼被災地は「雨ニモマケズ」の宮沢賢治のいう「一日に玄米四合と味噌と少しの野菜をたべ」の生活に戻りつつある。そんな中、土葬していた犠牲者の改葬が始まった。当初「2年程度のうちに」としていたが、火葬のめどがついたため早めた▼白菊の飾られた火葬場で、連休を利用し避難先から駆けつけた家族は「これで、やっと成仏できます」と涙ぐむ。聞くところによると、マレーシアなどから輸入された菊の切り花の大半は東北に送られているという。亡くなった人の何十倍という菊の花…▼皐月の5月は田植えの月。仙台平野や海岸沿いの田畑はまだ水浸し。何か手助けできないかと思いながら、被災地を勇気づけるには過度な自粛ムードを一掃することが大事。三姉妹の孫を連れて旭山動物園に出掛け、財布のひもを普段より少し緩めた▼経済活動を渋滞させてはならない。どの会場にも義援金の募金箱が置いてあり、その前を通る時もちょっと財布を緩めた。被災地の空に全国から寄せられた多くの善意のこいのぼりが泳ぐ。「レクイエムの舞い」の次は、子どもたちを元気づける「こいのぼりの舞い」で、早く通常の暮らしに戻そう。(M)


5月3日(火)

●大型連休の開幕を告げるテレビの情報番組で、キャスターが発言した。「連休後半はもっともっとお金を落として」。大震災後の過度な自粛ムードを戒めるつもりのようだが、その極端な言い回しが鼻についた▼自粛のまん延は経済の停滞を招き、復旧・復興の妨げになる。正論ではある。ただ、自粛から反自粛への振幅が大きすぎはしないか。へそ曲がりのせいか、極端から極端に走る全国的な風潮が少し気になる▼連休序盤、函館観光が目的の知人2人を迎えた。大門地区の居酒屋は観光客や地元住民で混雑していた。それでいて客からは「復興支援のための散財」という気負いのようなものが感じられない。新鮮なさかなとおいしい酒を普通に楽しむ。その姿を見て、被災の影響が徐々に薄らいでいることを実感した▼こんな折、別の「自粛」が全国に拡大する気配をみせている。生肉料理ユッケの提供自粛の動きだ。福井、富山両県にある同系列の焼き肉店で食事をした男児2人が死亡。これを受け、ユッケをメニューから外す店が相次いでいるという▼この一件は、衛生管理上の問題が指摘される“事件”である。ユッケは焼き肉店の定番メニューであり、原因解明までの提供自粛は当然の措置であろう。しかし、自粛が他メニューに及ぶといった過度の反応は業界の衰退につながりかねない。震災の場合と同様、自粛問題の対応の難しさがここにある。(K)


5月2日(月)

●全米有数のオーケストラのひとつ「フィラデルフィア管弦楽団」が、事実上の経営破たんした。「全米五大オーケストラ」にも名を連ねていた名門だが、アメリカ経済が低迷する中で、厳しい財政状態を強いられていたという▼同楽団は、1937年に映画「オーケストラの少女」に出演。40年にはディズニー映画「ファンタジア」の音楽を担当するなど、クラシックファン以外にも幅広い人気を獲得していった▼ストコフスキーやオーマンディと言った名指揮者の下で実力を高め「華麗なるフィラデルフィア・サウンド」として絶大な支持を得ていた。2012年からは、新進気鋭の若手指揮者ネゼ・セガンの音楽監督就任も決まっていただけに、今回の報道は寝耳に水だった▼クラシック界における財政問題は今に始まったことではない。世界最高峰のオペラ劇場「ミラノ・スカラ座」でさえ、国からの補助金が大幅に削減されるなど、厳しい運営状態が続いている。日本においてもプロオーケストラの解散や合併吸収の例は少なくない▼北海道唯一のプロオーケストラ「札幌交響楽団」も、数年前に累積赤字が5億円以上に膨らみ破たんの危機に陥った。そのために、ポップスコンサートを実施するなどして新しいファンの獲得に乗り出している。7月には1年ぶりの函館公演も行われる。この機会にぜひ足を運んでみてはいかがだろうか。(U)


5月1日(日)

●1861年(文久元年)、25歳の修道司祭ニコライが初めて箱館の地を踏んだ。150年前のことだ。ニコライは33歳までの足かけ9年をこのまちで過ごす。しかし、史料の少なさなどから、青年ニコライの日常は歴史に埋もれるままになっていた▼中村健之介氏の近著「宣教師ニコライとその時代」(講談社現代新書)は、貴重な手紙や日記、論文などを基にニコライの箱館時代に迫り、読み手を飽きさせない。その一つがまちの活写であり、異国・箱館に対するニコライの驚きが素直に表れている▼貸本屋の盛況ぶりや、乞食の姿が少ないことなどに感心し、自国ロシアと比べて日本が民度の高い国であることを実感。晩年のニコライは「総じて、箱館で感じた日本と日本人とは、開化した、礼儀のある国と人民であった」と語ったという▼中村氏の同著によると、ニコライは風呂好きでもあったようだ。布教で立ち寄った江差の共同浴場については「他所では、こんないい風呂に入ったことはない。東京の風呂もこれほどではない」と語っている▼函館市内の大学や高専など8校でつくるキャンパス・コンソーシアム函館は、本年度も合同公開講座「函館学」を開講する。そのスタートを飾るのは、函館ハリストス正教会の山崎瞳さんが講師を務める「聖ニコライ来函150周年」。開催日は6月11日。知っておきたいニコライの素顔と業績に触れる、いい機会である。(K)