平成15年6月


6月30日(月)

●仕事は忙しい。人間関係も難しい。それに加え世の中の動きが速い。肉体的にも、精神的にも疲れ、遂にスローライフが叫ばれる時代に。健康に対する自己管理がより求められる時代とも言えるが、頭では理解していても、具体的な対応行動となると…▼それでなくても企業経営が厳しい時代。楽な労働条件の企業は少なく、労働時間が延び、不規則な勤務は珍しくない。恐らく大多数が「疲労感あり」の状態かもしれない。それぐらいの“総ぐるみ疲れ社会”だが、最近では「疲労」にとどまらず「過労」という現実も▼「過労死」の統計すら登場、昨年度は160件もが認定を受けている。もちろん過去最高数。確かに健診制度は進んでいるが、手軽に出来る日常的な自己管理の手引きが欲しいところ。その声に厚生労働省が腰を上げ、自分で疲労蓄積度を診断するチェックリストを作った▼昨年来、委員会を設けて検討してきたということだが、1カ月の間に「イライラする」「よく眠れない」「物事に集中できない」ことは…など、疲労度を診断する質問は20項目。それらを採点することで「自ら注意を」とか「上司に相談を」など次の行動を促す内容…▼最初だから興味本位という一面があったとは思われるが、それにしても関心の高いこと。それはアクセスが殺到した公表当日の現象が証明したよう。危険なのは「おかしい」と思いながら放っておくことで、逆に大事なのは「おかしい」を早く知ること。チェックリストが警告を発してくれる。(A)


6月29日(日)

●福岡から北海道観光に来たきた知人が「バイトが使う『千円からお預かりします』などは北海道から出たらしいよ」と言っていた。マニュアル語が気になりだしたのは7、8年前。オーダー・エントリーシステムの「ご注文はよろしかったでしょうか」「会計のほう…」が発端▼お客が気になるかどうか、不快感を持つかどうかだが、乱れる日本語の一つであることは間違いない。そこで業界は、こちらコーヒーになります→コーヒーでございます、よろしかったでしょうか→よろしいでしょうか、千円お預かりします…と、バイト用語を禁止した▼文化庁の世論調査によると、半数前後が「…でよろしかったでしょうか」などの言葉遣いが「気になる」と答えている。注文を確認するのになぜ過去形になるのか。北海道弁では「お晩でした」と過去形にする言葉は多いが…。配送を頼んで「お名前様ちょうだいします」と言われるとびっくりする▼今一つ気になるのは「全く(全然)ハッピーです」の「全く」の使い方。「全く」には否定が続く。「今、現在…」は「今」も「現在」も同語で重複している。アナウンサーも平気で使っている。悪気なく使っても反対の意味だったり、謙遜が不遜(ふそん)になったり▼ご飯を盛っても茶わん、お茶を入れても湯のみ、下駄はなくても下駄箱…言葉は世につれ変化していく。文化庁は来年度から全国で「正しい日本語」講座を開催、日本語を見直す計画だが、問題は正しい日本語でも「モラルハザード」(倫理観の欠如)があっては何にもならない。(M)


6月28日(土)

●日本列島に最高気温30度の季節がやってきた。函館などはともかく、関東以西ではビルばかりか家庭でもエアコンが必需。それに伴って急上昇するのが電力の消費だが、例年なら心配はないのに東京など関東に限って今夏は…。安心できる状況にない▼何度も報じられているが、その要因は東京電力が原子力発電所のトラブルを隠していたという不祥事。その結果、17基ある原発のうち15基の運転が止まったまま。対策として北海道など電力他社から融通してもらう道を開いてはいるが、賄い切れる保証はないのだと▼まさに緊急事態。「足りないのだから使わないように」。辻褄合わせはそれしかないが、その一環として同社が始めたのが「でんき予報」。その日に供給できる電力量と、予想気温からはじき出した需要予測を発表、節電の目安にしてもらう趣旨だそうだが、何か変…▼こういった事態にかかわらず、省エネは時代が求めている取り組みだが、素直になれないのは、あたかも不可抗力の事態で節電への協力を求めている印象を受けるから。恩恵を受けているのは、予報を流すためのCM枠を売った民放などで、あとは「お願いします」だけでは▼せめて気持ち程度でも割引ぐらいあっていい。少なくとも社会的な使命を損なった企業責任のつけを不特定多数に押し付けているのだから。間違っては困るが、被害者は同社でない。この問題は改めて公共的な使命を担っている企業の責任の重さを提起している。(N)


6月27日(金)

●男女の性差解消は社会が抱える大きな課題。それは男女共同参画、雇用機会均等などの言葉からも読み取れるが、社会では待遇、給与格差などに始まって、家庭では家事、育児分担など様々に。現実問題として欧米の域に達するにはまだまだ…▼確かに近年、函館市も含め行政がそのための専任部署を設けるなど、対応に力を入れている。その結果として意識の変化は見られるが、男性中心の、意識後進国だった長年のつけは重くのしかかったまま。大事なのは広がりを形にしていくことであり、啓蒙は欠かせない▼函館市がその一環として実施したのが、ジェンダー・フリー川柳コンクール。先日、結果が発表され、27日まで市役所の市民ホールでパネル展示されているが、その最優秀作品は「照れながら 夫も産休 申し出る」。制度はあっても行使し難い現実が表現されている▼応募は119人から200点。小学生の作品も入選している。「生き方は 男も女も 自由だよ」。これは特別賞に輝いた鈴木博貴君の作品だが、入選には佐々木朝人君の「一人一人 個性があるから 人間だ」、重信麻衣子さんの「男と女 地球の未来を 背おっている」などが▼ジェンダー・フリーという言葉が一般化されて未だ10年ほど。次代を担う若い人たちは、いまさら何を、という思いだろうが、その父親の世代は…。「男と女 こうあるべきと 決めないで」。何と端的で、分かりいい作品だろうか。問われている意味がすべて凝縮されている。(H)


6月26日(木)

●江差は「風の町」。江差追分の「三十二反の帆を巻き上げて〜」「北風(あいのかぜ)別れの風だよ/あきらめしゃんせ〜」に出てくる風は、二千石の北前船を動かすウインドパワーだった。また、どんと束になって、ぶつかって来る「タバカゼ」に悩まされた▼その風を利用したのが標高180メートルの元山に建つ28基のウインドパワー。総建設費44億円、町が51%出資して第三セクターで立ち上げた。電力量は近隣町を含め約1万世帯の年間消費量を賄えるといい、約1万5000トンの二酸化炭素が削減できる日本でもベスト5の規模▼そのウインドパワーの経営(経理)をめぐって「灰色の風」が吹き、町議会が強力な権限を持つ百条委を設置。そもそも前町長が工務店に「利益のうち15億円を払う」という契約を、町議会(町民)に対し十分な説明・了承を得なかったのが発端。風車制御盤の不調も試験運転中に分かっていたはず▼百条委の報告は、制御盤などの欠陥で多大な被害を受けたため損害賠償を求めるべきだ、独断専行した前町長の経営責任は重大―の2点に落ち着いたが、今後、計画に対する売電収入不足が懸念される。ある町民は「定例議会の延長のようだ。百条委を軽く見ているのでは…」と手厳しい▼道内の風力発電は25市町村190基超。戸井町でも来春着工される。江差観光に開陽丸を含めた鴎島、姥神大神宮祭、いにしえ街道に続いて風光明美なウインドパワーが加わった。「ヤマセ吹かせて/あとは野となれ山となれ〜」にならないよう、情報公開して健全経営に努めてほしい。(M)


6月25日(水)

●喫煙者を取り巻く環境は厳しくなるばかり。わが国では何時、何処でも、お構いなしに吸える、そんな喫煙者天国の時代があったが、この10年余の間、隔世の感がある。5月には健康増進法が施行され、事業主にも非喫煙者への配慮が課せられるまでに▼列車内に始まり、公共施設や職場の分煙は当たり前。こうなるまでに時間がかかったが、今や喫煙車両こそ残っているものの、国内の航空路線は全面禁煙になって、その流れは加速。屋内ばかりか、駅のホームなど屋外も例外でなくなっている▼さらには自販機の設置規制、歩行喫煙の禁止など、新たな施策も各地で。その後押しとなっているのが、喫煙者のそばにいるだけで副流煙を吸い込む受動喫煙状態にあるという認識の広がり。ことが健康にかかわるだけに、単にマナーの問題だけでは済まされない▼こうした時流に賛同する一人だが、つい最近の紙面で「これはおかしいぞ」と感じた記事が。それは神奈川県大和市が打ち出した職員採用での非喫煙者優遇方針。採用条件にこそしていないものの、合格ラインに喫煙者と非喫煙者がいた場合は、判断の対象にするという▼同市は7月から庁舎内の全面禁煙に踏み切るそうだが、それと吸う習慣があるかないかはまったく別の問題。ここまで来ると、行き過ぎではないか、という思いがも込み上げてくる。少なくとも喫煙と仕事の能力は関係ないこと。法的な問題はないとしても、喫煙者差別と言われかねない。(A)


6月24日(火)

●記憶に生々しいあの激しい銃撃戦から1年半。最後は自爆によって海底に沈み引き揚げられた工作船が今、東京の「船の科学館」で、その姿をさらしている。5月31日から展示されて見学者は既に20万人を突破。臥牛子が訪れた時も待つ人の列が出来ていた▼海底に沈んだ期間263日。それもあって、船体は朽ち堕ちた印象を受けるが、吹き飛んだ自爆個所はもとより、無数の銃弾の痕がはっきりと。イカ釣り灯など中国や日本の漁船を装ってはいるが、幅が狭く、鋭く縦に長い船型、しかもスクリューが4つ、時速55キロで航行できる構造…▼さらに積載していた高速小型舟艇や水中スクーター、2連装機銃、携行型地対空ミサイルなど、居住空間を探すのが難しいほど工作、戦闘機材にあふれている。まさか、拉致に使われた船では、との思いが頭をよぎったが、それは個人的に装備したというレベルでない▼遺留品の数々からも、不法出入国など重大な犯罪にかかわっていたであろうことは、容易に想像がつく。何の縁か遺留品の展示場所が青函連絡船「羊蹄丸」だったが、見ているうちにこみ上げてきた「乗組員も犠牲者か」という思いを救ってくれたのは白ユリの花だった▼船体の展示場所に「北朝鮮の若者に捧げる」とかなりの数が。日本近海で起きた類を見ない事件だが、この船だけとは限らない。歴史の事実として語り継ぐべき意味はそこに。9月30日までの展示に連動して、この“証人”を保存させるための募金活動が具体化している。(A)


6月23日(月)

●「健康に不安感があるが、取り立てて運動するまでは」。厚生労働省が18歳以上を対象に行った2002年保健福祉動向調査で浮かび上がったのは、そんな姿。「若いうちはいいが、中高年になると…」とはよく言われるが、適度な運動は大切…▼利便性を追求する時代の流れは、生活の中で体を動かす機会も減らしてきた。端的な例が歩くこと。出勤などに車を使わないだけでも違うのだが、言われてみると、近くへ行くにも疑問なしに車を使う日々。それでなくとも栄養過多の食生活が進んでいるというのに▼この調査によると「特に運動(身体活動を含む)をしていない」と答えた人は男性で29%、女性で24%。ほぼ4人に1人が“何も運動しない族”という。意外と多い、そんな感想を抱くが、さらに驚くのは、そう答えた中の8割が「今後も考えていない」と答えていること▼聞きたいのはその理由だが…。よほど健康に自信があるのか1割の人が「その必要なし」と。他に「面倒」などがあるが、最も多かったのが「その余裕がない」だった。時間ばかりか、気持ちの上でもゆとりがなくなっていると言われる現代、ここにもその顔がのぞいている▼確かに、敢えてする運動は、義務的な思いにかられるし、時間も作らなければならない。結局は長続きせず、する、しないの繰り返しに。そんな一人だが、そうか、と思ったのは「階段を使うようにするだけでも運動になる」という話。これなら構えずに出来る、誰でも出来る。きょうからでも…。(H)


6月22日(日)

●函館市は今年度の観光振興策として、夜景診断調査の実施と街角観光案内所の設置を打ち出した。“売り”の夜景は近年、光不足が言われ、案内体制もなお不十分と指摘されているだけに、将来へどう道をつなげるか、この取り組みは一つの試み▼函館に限らず、訪れた観光客が求めるのはその日の観光情報。今の時代だから、ほとんどの人が下調べをして来るが、それはあくまでも予備知識。実際に訪れるや「きょうは」の情報がほしい。その時に容易に得ることが出来たら、印象が良くなるのは人間の心理▼とすると、それに応える方途を講ずるべきだが、残念ながら夜景情報を例にとっても申し分なしの域にない。せめて、と思うが、街中にいて、他の観光スポットにいて、観光客が容易に夜景の展望確率を知ることが出来ないものか。ここで重要なのは、ほかならぬ「容易に」という視点▼例えばだが、電光掲示で「確率80%」「確率30%」と表示されていれば、老若男女、誰にも分かる。これは函館で生活する以前、観光客の立場から感じたことでもあるが、早めに状況がつかめると、後の行動がとりやすい。そのための“お手伝い”こそ迎える心…▼日々の便宜情報はまさにその一つ。よく考えると、「函館いいとこ」と招く情報はあふれんばかりに発信されている。それに比べ、来てくれた人に対する情報の提供となると、まだまだ遅れ気味。街中情報の提供方途、体制をどう築き上げていくか、さらに長期的な視点が求められている。(N)


6月21日(土)

●平成17年度に焦点が合わされている道路公団の民営化論議は、今や総論から各論の段階。整備が途中の地方、当然ながら北海道、とりわけ道南にとって、無関心ではいられない。既定の建設計画通り工事が進むのか、それが保証の限りでないというのだから▼交通アクセスの整備は、地域の発展に欠かせない大前提の要素。陸路、空路、海路が有機的に組み合わされることで都市機能が倍加される、と言われるが、その点、函館・道南は…。将来を見据えた整備はむしろ後れをとって、今まさに再構築を迫られているところ▼陸路のうち鉄路は、振り子式の導入により高速化が進み、新幹線の青函同時開業を求める機運も高まっている。ところが、意外なことに道路に対しては、そのトーンが今ひとつ。特に、道央と結ぶルートは片側1車線区間の多い国道5号のみ。今の時代に、何とも心もとない▼誰もがそう感じているはずだが、現実に道央から延びてきている高速道路はまだ国縫まで。全線開通して初めて高速の意味を持つとすれば「せめて従来の計画通りに」と願う気持ちに。それを単に利用頻度、採算面だけで見直されるとしたらたまらない▼道路、中でも高速が担う役割は産業面に限らない。他にも火山噴火などに対する防災、救急医療分野など多々。確かに、本州などは“背骨状”に整備を終えているからいい。北海道は“あばら骨状”。道南―道央は背骨が通る一歩手前まで来ている。黙っていても道が開ける時代はとうに終わっている▼「声を中央に」。道南の期成会は24、25日に札幌、東京で七飯―国縫間の整備促進を求める要望活動を展開する。(H)


6月20日(金)

●家庭も大事、仕事も大事。世の若い父親の共通した認識だが、もっと家事育児をしなければ、と思いつつも、現実はやり切れていない。団塊の世代は、そう思うだけでも立派、と声を掛けたくなるが、そこには自分たちが出来なかった思いを託す意味も▼厚生労働省と都が就学前の子どもがいる父親に聞いた調査結果によると、半数の52%が「仕事と家事育児を同等に重視したい」と思っているものの、実際にやり切れている人となると極くわずか。ほとんどが仕事に追われ、労働時間もなかなか減らし切れていない▼経済環境は厳しく、個人的事情が通りづらい時代。函館・道南ではそうでもなかろうが、この調査では帰宅が午後9時以降という人が47%。子どもと夕食を囲める午後7時前となると、わずか10%程度。すべてが仕事でないまでも、忙しい現実の姿だけはうかがい知れる▼確かに、30歳代は、仕事では脂が乗り始めた頃。期待もされるし、自分の将来に大切な一時期。余裕もない。だからこそ悩むのだが、立ちはだかっているのは仕事最優先社会。こうした調査結果を待つまでもなく、仕事に軍配が上がる現実は誰の目にも明らか▼「あの時こうしておけば良かった」は父親なら誰もが大なり小なり抱く思い。若い当時は「仕方がない」と自分に言い聞かすことで済んでも、年齢を重ね、ふと振り返った時、反省の念がこみ上げてくると言われる。自分は違うという人がいるかもしれないが、これは「今、出来る努力を惜しまずに」というメッセージ。大事に受け止めておきたい。(H)


6月19日(木)

●今まではそうだった、そういう考えしかなかったが、本当にそうだろうか。まだ他の考え方があるのではないか。その疑問、認識から生まれるのが、いわゆる発想の転換。日常的に耳にする言葉だが、言うは易く行うは難しで、容易なことでない▼しかし…。この発想の転換こそ、新たな道を開く一歩へとつながる。当社にはかなりの数の地方紙が送られてくるが、先日、十勝毎日新聞で、なるほど、と唸らせる話が目に。それは「乳牛のトイレしつけに挑戦」という見出しの記事。帯広畜産大学の研究室が進めているという▼乳牛の飼育に関して、これまでの研究でトイレのしつけは発想外。無理か否かはともかく、少なくとも経済動物とされる牛をしつけるという考え方はなかった。ところが、出来ないことはない、出来れば衛生管理の負担が軽減される、それこそ発想の転換だ▼さらに驚かされるのが、餌場に誘導することで可能と考えたこと。「パブロフの犬」の原理の応用によって排便場所がある程度まとまるはず、という想定だが、これまでの実験結果、5頭のうち2頭が2日間の訓練で、さらに2頭が2日間をかけたところで学習したそう▼考えもしなかったことが、という一例だが、一方で、このままではいけないと思っていながら変化を嫌うことも。その典型が政治の世界だが、北海道第8区(道南)の候補者選考を巡って見せたある政党の姿も然り。少なくともそこに発想の転換はなかった。(N)


6月18日(水)

●旧駅舎から新駅舎へ。函館駅が21日、新しい歴史を刻み始める。1カ月ほど前からその姿を現した新駅舎は、未来を感じさせる斬新なデザイン。「バトンを受けましたよ」と言わんばかりのたたずまいで、進む旧駅舎の解体を静かに見守っている▼都市にはそれぞれの顔があり、幾つかの玄関口を持つ。その代表的な存在が駅で、かつての時代は紛れもない“にぎわいの拠点”。様々な人間模様が交錯する場でもあった。特に函館は…。時代の流れの中で様変わりの感はあるが、存在感は空路が発達した今も変わらない▼新駅舎に次代を託す旧駅舎が完成したのは、太平洋戦争が勃発した翌年の1942(昭和17)年。それから61年の歳月を刻んだ。青函連絡船の歴史も加わって楽しいこと、悲しいこと、数多くの人間ドラマを生み出した。愛着は人それぞれ。思い出を持つ人が少なくない▼それは本紙が1日から連載した「函館駅物語」からも伝わってくる。駅にまつわる話、活気に満ちた状況など、ゆかりある人の話はまさに歴史の証言。「そうだよ」。懐かしさを共有する企画ともなった。反響は大きく、駅の偉大さを改めて教えられた思いがする▼だが、時代の波は容赦なくその駅にも…。愛着を感じる人が多い一方で、地域社会が求めるのは「新時代にふさわしい駅舎」。機能、設備…。函館も例外でなかった。一時代を築いた駅舎はなす術もなく、その座を譲ることに。今、惜しまれつつ姿を消そうとしている。(A)


6月17日(火)

●地域経済の振興のために必要なことは? そう聞かれた時に答えとして必ず挙がるのが「産学官の連携」。恐らく函館はその答えがより多い都市と思われるが、確かに道立工業技術センターの共同研究や受託研究の増加などがそれを裏付けている▼かつての時代を支えた産業構造が崩れ、核企業を失った函館にとって、新しい産業、企業を産み出すことは経済分野の最重要課題。将来構想として昨年、打ち出した函館国際水産・海洋都市構想の中でも「産学官の連携」は「新産業の創出」とともに、柱に据えられている▼それに基づいて昨年8月には、産学官による函館海洋科学創成研究会が発足、新たな取り組みが始まりつつある。その一方で企業の強い味方になっているのが同センター。1986年に開設された施設。どう生かすか、その鍵を握るのは地元の企業の姿勢だったが…▼厳しい経済環境が逆に後押しして、生き残りを新製品開発にかける意欲の表れか、ようやく花開きつつある。ちなみに昨年度の研究実績は共同、受託を合わせて32件。5年前の1998年度は7件だった。その翌年度から13件、24件、42件と増えて昨年度も30件台▼特筆されるのは企業が持ち込む形で手がつけられる共同研究の割合が高くなっていること。水産加工関係や機械・電子関係の新製品、装置開発等々だが、すべてが将来への積み重ね。少なくとも産学の連携は進んでいる、この統計がそう教えてくれている。(A)


6月16日(月)

●高齢化時代だから当然といえば当然だが、全国的に「高齢者世帯」が急増している。厚生労働省が発表した2002年国民生活基礎調査の結果によると、いわゆる高齢者世帯(未婚の18歳未満と同居している世帯を含む)は700万世帯を超えた▼厳密には718万2000世帯。わが国では2世代・3世代同居が当たり前という時代が長かった。今も崩れたわけではないが、こだわりが薄らいできているのは事実。子どもの事情もさることながら、特徴的なのは、むしろ親の方が割り切ってきていること▼それは全国宅地建物取引業協会連合会が行った調査結果からもうかがえる。同居を希望しない人は60歳代で3人に2人の65%、70歳代で半数の52%。5年前の調査に比べ20%ほども増えているほか、嫁姑の確執を懸念するのか女性の方に希望しない割合が高い傾向が…▼今まさにそれが現実となってきたということだろう、この1年間に52万世帯も増加している。驚くほどの増え方だが、看過しておけないのは、一人暮らしの高齢者も増えていること。厚労省の調査では高齢者世帯の約半数の340万5000世帯と報告されている▼それだけ健康な人が多いことの証でもあるが、底流にあるのは「元気なうちは…。気兼ねしながら暮らすよりは」という思い。今後もさらに増え続けることは想像に難くない。まさに高齢化時代の構図を表す統計であり、改めて「支える社会」づくりの重要さを痛感させられる。(N)


6月15日(日)

●イラク戦闘終結が宣言されてから2カ月過ぎたが、戦争の終結はまだ宣言されていない。イラクへ自衛隊派遣を可能にしようというのが「イラクにおける人道復興支援活動等の実施に関する特別措置法案」。長ったらしい法案の全文を読んだ▼国家の速やかな再建を図るためにイラクにおいて行われている国民生活の安定と向上、民主的な手段による統治組織の設立等に向けたイラクの国民による自主的な努力を支援し(第一条)…戦闘行為が行われるに至った場合には自衛隊員は当該活動を一時休止し又は避難して(第六条)…▼自衛隊の活動は非戦闘地域に限定している。しかし、イラク戦争当初もそうだったが、孫子の兵法「先に戦地に処りて敵を待つ…後れて戦地に趣く者は労す」の如く、フセイン派残党兵らによる「待ち伏せ攻撃」に駐留米軍は悩まされている。イラク全土がいまだ戦闘地域なのだ▼イラク戦争開始の根拠にしてきた大量破壊兵器はまだ発見されていない。米軍の大規模なゲリラ掃討作戦による逮捕者には一般市民も含まれており、反米感情も高まるばかりで、ゲリラ戦による米兵殺傷が頻繁。アフガン戦争の際、インド洋上の給油支援とは格段の差▼医療その他の人道上の支援を行い若しくはイラクの復興を支援すること(第三条)は国際社会の一員として不可欠だが、米英軍の攻撃を支持した日本の自衛隊は狙い撃ちされる危険性もある。悲惨な「ブーツ・オン・ザ・グラウンド」にならないよう、国会で十分話し合ってほしい。(M)


6月14日(土)

●「日比谷公園」。東京の官公庁や金融機関などがひしめく丸の内、霞ヶ関をはさんで広がるドイツ式庭園。広さは16万平方メートル。わが国を代表する都市型公園とも言われ、皇居や新宿御苑などと並んで都心のオアシスとしての役割を果たしている▼朝のニュース番組で時々、映像が流されているのを覚えている人も多いはず。その「日比谷公園」が今年、開園100年を迎えたという。以前は陸軍練兵場だった所で、オープンしたのは1903年のこと。以来、今日までの間、数々の歴史の舞台を提供もしてきた▼よく知られ、語り継がれている出来事が幾つか。日露講和条約に反対する集会から発生したいわゆる「日比谷焼き打ち事件」をはじめ、園内にある公会堂は浅沼社会党委員長の刺殺事件の舞台ともなった。また、伊藤博文ら首相の国葬会場を務めた顔も…▼今でも集会などの貴重な場だが、緑は公園の名に恥じないどころか、驚くほど立派な木が多い。聞くところによると、クスノキなどの高木が約4200本、ツツジなどの低木が4000株あるそうだ。ほかに芝生や花壇が広々と。夏は大噴水が清涼感を与えてくれる▼のんびりと一回りするだけでも結構な運動になり、昼休みなどサラリーマンがくつろぐ姿が…。実際に天気のいい日など、陽を浴びながら昼食を楽しむ人たち、ベンチで疲れを癒やす人の切れ目がない。皇居にも近い。上京の機会があれば一度、足を運んでみるのも悪くない。(H)


6月13日(金)

●おにぎり・おにぎり・さんかくおにぎり…。子どもたちの間で「おにぎりの歌」がはやっている。運動会や遠足のリユックの中身も「おにぎり」が主役。先ほど、能登半島の杉谷チャノバタケ遺跡(鹿西町)で発掘された日本最古のおにぎりを見てきた▼約2000年前の弥生時代のもの。米粒がはっきり分かり、人の手で握った跡がある炭の固まり(化石)。町は「おにぎりの里」と胸を張る。平安時代には貴族のお供にふるまわれた屯食。戦国時代は武士の携帯食に。日本の「ごはん文化」はおにぎりから始まった▼おにぎりが小学校の給食に使われたのは明治22年。山形県で寺院が仮校舎だった時代。おにぎり2つ、サケの切り身1つ、それに漬け物。貧しい家庭の児童を対象に無料で配われたことから「救食」と呼ばれていた。昔話の「おむすびころりん」のお爺さんは3つのおにぎりを持って…▼正直で働き者のお爺さんが、おむすびを山の不思議な穴に落とすと、かわいい歌声が聞こえてきた。もう1つ落としてみると…。某国立大が出題した「おにぎりとおむすびの見分け方」の入試問題に「山のてっぺんから転がして穴に落ちたら、おむすびころりん」という珍解答(?)もあった▼米は一粒万倍。自身の分身を数千倍に増やす生命力を持つ。まさに「救食」のお米パワー。おにぎりが呼吸できるように母親が心をこめて握るから、食べる子供たちの胸をうつ。政府は03年度の環境白書で新しいライフスタイルにスローフードを盛り込んだが、おにぎりはスローフードの主役だ。(M)


6月12日(木)

●「きょうは○○の日」。広い意味での“記念日”だが、年間に何日、数は幾つあるのだろうか。それは愚問だよ、と言われそうだが、探ってみると意外や興味深い。まず気づくのは、何もない日がある一方で、かなり重なり合う日があること▼雑学研究会が編集している「今日は何の日」という本をめくってみると確かに。例えば、6月1日は数が多い代表格。「電波の日」「真珠の日」「写真の日」「人権擁護委員の日」「気象記念日」「バッジの日」「麦茶の日」「梅の日」など実に13も…▼これからも分かるが、公的に制定された日もさることながら、商業ベースで設けられた日が結構多い。「母の日」「父の日」などは総体的に消費の押し上げに貢献するメジャーなクラスだが、それは極く一部で、むしろ知名度のない日がほとんど▼もちろん、いずれにも謂われ、理由づけがある。「恋人の日」。実はきょう6月12日がその日なのだが、縁結びの聖人が没したこの日に恋人同士が写真立てに写真を入れて交換し合うというブラジルの習慣から。全国額縁組合連合会が設けた▼販売促進を狙って1988年に。「恋人の日」という響きが若い人たちに受けそうだが、15年経つのに意外や浸透し切れていない。商業ベースに乗るレベルまでとなると、頭で考えるほど簡単でないということだろう。ただし…。「PRのきっかけづくりとしては有効」。そんな思いが記念日の数に表れている。(Y)


6月11日(水)

●人にしてもらって当たり前、といった風潮が強くなったと言われて久しい。それを感謝の気持ちが薄れている証と結びつけるには無理があるが、「ありがとう」を聞くことが少なくなった、というのはよく聞く話。ならば、字にして伝えては…▼函館市倫理法人会は新たな社会活動として「ありがとう大賞」を企画、募集した。「気持ちが塞ぎがちな今の時代だからこそ『ありがとう』を大事にしたい」。そんな思いから出発した取り組みだが、1月から3月までの間に寄せられた作品は、年齢層も幅広く400編余▼その入選作が2月から毎週2編、本紙に掲載されている。亡き母に、夫に、両親に、妻に、先生に、友だちに…。これまでに34編。文章の良し悪しはともかく、いずれも感動にあふれる作品で、心温かな気持ちにさせてくれる。例えば、高校生が寄せた「ありがとう」は▼「おかあさん、今までで一番幸せなことって何?」「それは、あなたを産んだことだよ」…自分を産んだことで病気になった母との会話だが…「本当に?」「本当だよ、後悔なんか一度もしたことないよ」…この言葉を信じたい…「お母さん、ありがとう」。素直な気持ちが伝わってくる▼「ありがとう」の輪が広がるきっかけになれば。当社は趣旨に賛同して紙面を提供しているだけだが、他都市の倫理法人会から函館が注目を集めている、という話はうれしい限り。既に募集は締め切られたが、入選作品の掲載は今しばらく続く。是非、読んでいただきたい。(H)


6月10日(火)

●自分の生きてきた軌跡を活字に残したい。「出来れば…」としながらも、誰しもが一度は思うこと。自らの半世紀であったり、闘病などの記録、家族との生活記録、仕事の思い出など枠はない。いわゆる「自分史」。最近、書き綴る人が増えているという▼北九州市の「自分史文学賞」は創設14年。かの有名な文豪・森鴎外外が、軍医部長として小倉で過ごした際、無名の人たちの生き方を描いた伝記小説を執筆した精神を引き継ごうと設けられた賞だが、実際に応募作が増加中。この13年間に5594編が応募されている▼91歳から20歳まで年齢層も幅広く…。昨年度をみると、360編寄せられ、75歳の横田進さん(埼玉県)の「死と向かい合って」が大賞に。戦争体験を描いた作品で、改題されて6月中旬に出版されるが、「人それぞれ一編の物語をもっている」ことを教えられる▼「自分史」は自己満足という説を必ずしも否定はしないが、実体験が故に説得力があり、逆に感動を呼び起こしもする。横田さんの作品に、審査員が「戦時中の教育機関の象徴的なところがある士官学校を筆者の目を通して記録している」(三浦朱門氏)と賞賛しているのもその証▼「書きたくても先に構えてしまって」。400字詰で200枚以上を考えると、それも頷ける。でも、大切なのは、1枚でも書き始めること、なんだそう。「自分史」は美文である必要はない。時間の制約もない。書き上げた暁には、さわやかな達成感が待っている。(H)


6月9日(月)

●休 刊


6月8日(日)

●最も手軽で無理のない運動はウオーキング。早朝、五稜郭公園を歩いている人が結構いるよ、という話を聞いていたが、足を運んでみると確かに。ほとんどが中高年の人だが、天気のいい日の外周コースは、時間帯によってぞろぞろといった感じ…▼日常生活の中で、ともかく歩かなくなった。近くへ行くにも無意識に車に乗っている。頭では「運動不足になる」と分かっていても、それが当然のように。振り返ってみると、車が普及していなかった昔はそうじゃなかった。通勤などで30分歩くなんて当たり前…▼バス路線があれば利用するも、せいぜい自転車。わざわざ朝早く起きて歩かなくても、意識しない中である程度の運動量が保たれていた。それに引き換え今の時代は…。歩きながら可笑しさがこみ上げてくる。不思議だが、重ねるうちに歩くことが楽しいと思えるように…▼何より朝の新鮮な空気は気持ちがいい。自問自答しながら、木々が芽吹き、日々緑を濃くする姿も観察できる。さらにはハンドルを握っていては見過ごす新しい発見もある。「函館は黄色だったんだ」。お粗末な話だが、先日は消火栓の色を気づかせてもらった▼仕事のことなどで、閃いてくることもある。時々メモ帳を持っていれば、と思ったりするほど考える時間にもしてくれる。「健康のため」。目的はそこに集約されるが、楽しみを見つける気持ちで、さぁ、どうだろうか。気張る必要はない。函館・道南は今まさに最高の季節に…。 (H)


6月7日(土)

●函館の空から「YS11」が姿を消した。5月31日をもって。道内では新千歳―女満別であと3カ月、勤めを残しているが、国産機として親しまれ、国内の空を飛び続けること40年。余力を残しながらも装置の近代化を求める時代の要請に引導を渡された▼わが国の航空機開発は立ち遅れを余儀なくされた。占領軍に開発生産が禁じられたことによるが、実際、「YS11」がデビューしたのは1962(昭和37)年のこと。座席数64席。空港整備が遅れていた当時、滑走路も短くて済む、地方路線に格好の飛行機だった▼その後、大型機の時代を迎えるに至って受注が減少。採算面から182機で生産を終えた。ただし、性能と安全性は折り紙付き。飛行年数こそ経っているが、函館路線で活躍した飛行機もまだまだ現役OK。海外に買い取られ、飛び続けている“仲間”も少なくない▼振り返ると、今日までの長い歴史の中で、悲しいニュースにも遭遇した。道南で忘れられない記憶として残るのが、横津岳に墜落した「ばんだい号」の事故。1971(昭和46)年7月3日夜だった。乗員乗客68人全員が死亡。今、慰霊碑が静かに当時を語り続けている▼「慎重なまでの事故防止対策を」。10月から衝突防止装置の装着が義務づけられる。それに要する費用は多額。「YS11」に対する実質的な引退勧告といわれる所以だが、巡り合わせの悪戯か、国産小型ジェット旅客機の開発計画が動き出そうとしている。時代の流れの中で、また一つの歴史が幕を閉じる。(H)


6月6日(金)

●郵政が公社化され、今、最も注目を集めているのが道路4公団という「役所」。敢えて「役所」と表現したのは、総裁人事をはじめ国土交通省が影響力を握ってきた故だが、実際、天下りや政治家との関係など、批判の矢面に立たされている▼なのに…。変わっていない。ちょっと時間が経ったが、そう思わせる記事が5月末の読売新聞の夕刊に。函館・道南で配達される同紙には載っていなかったが、こんな主見出しで。「道路公団『改革派』左遷」。日本道路公団の話だが、発令された2人は民営化論者だった▼記事の前文は「公団幹部も異例の左遷と認める人事だ」と締めくくっているが、本文ではさらに「改革派を一掃する動きと受け止められている」とも。内部に批判の声があるのが救いだが、コメントを求められた識者も「公団に改革の意思がない証拠」と糾弾している▼何事にも言えるが、現状維持が一番楽。それは公団幹部ばかりか、地元で点数を稼ぎたい道路族と呼ばれる政治家にとっても、天下り先を握っていたい国交省にとっても。だから抵抗するが、国民の厳しい目が注がれている中でも、というのは、長年の“おいしさ”が忘れられない症候群▼他省庁の所管事項では甲高い声で批判する扇大臣も、この民営化ばかりは…。資料の提出を渋るなど消極的なスタンスに終始している。法案作りも刻として進まない。少なくてもこの時期に懲罰とも疑われる人事をしては、改革意識の欠如と指摘されても仕方がない。(N)


6月5日(木)

●「はじめての海に/サケの赤ちゃん泣くでしょうか/母さんさがして泣くでしょうか…」。大きくなって川に帰るまでのサケの冒険の詩。帰って来る場所の環境が良くなれば必ず帰って来る。山が豊かになれば海も豊かになる。そのためには植樹が欠かせない▼31年前にストックホルムで国連人間環境会議が開催されたのを記念して創設されたのが「世界環境デー」。日本では6月を環境月間としてさまざまな催しを実施。今年のテーマは「はじめています。地球にやさしい新生活」。特に排ガスに「世界で最も厳しい規制」が導入される▼最近の実験では、妊娠中のラットにディーゼル車の排ガスを吸わせたら、生まれた子供が花粉症にかかり、人間にもあてはまる可能性が高いという。一方、海中に鉄分をまくと、植物プランクトンが増えて、二酸化炭素を吸収させ、温暖化対策に効果があることも分かった▼函館市内の一般家庭から出るゴミも分別収集など工夫したところ、資源ゴミを中心に26・3%も減少した(昨年度)。「夏至の夜、全国一斉に電気を消して、環境やエネルギーを考えよう」と1000万人のキャンドルナイトが行われる。参加して、スローな生活を体験しよう▼6月は1年の折り返し点。服装だけではなく、心の衣替えの月だ。地球(環境)が動く月かもしれない。先日、カマを手に町内の面々と近くの児童公園を清掃した。草刈りゴミ拾いでいい。サケの赤ちゃんが安心して帰える山里を育て、クリーンな地球にしませんか。きょう5日は「環境の日」。(M)


6月4日(水)

●函館には自慢していい幾つかの“顔”がある。文化部門の華やかで、活発な活動もその一つ。実際に書、絵画をたしなむ人が多いし、いわゆる文芸愛好者の層も厚い。そして「函館ならでは」の文化財産として野外劇、子ども歌舞伎、市民オペラなどもある▼その中で、2週間ほど前も野外劇と子ども歌舞伎の話題が相次いで紙面を飾った。記憶に新しいと思うが、野外劇は新しいテーマ曲が誕生した話で。「星のまちHakodate」。大沼に別荘を持ち、函館ファンの新井満氏(芥川賞作家で、シンガソングライター)が作曲した▼また、準備が始まったと…。今年の初演は7月18日。「函館賛歌を大々的に歌い上げたい」と、新井氏が語るこのテーマ曲は、オープニング、五稜郭築城、フィナーレの3回登場するという。新しくなったシナリオを盛り上げる役割を担うばかりか、話題性も十分。16年目の公演に期待が膨らむ▼一方の子ども歌舞伎…。先日、石川県小松市で開催された全国子ども歌舞伎フェスティバルで高い評価を得た。「函館に子ども歌舞伎あり」を全国に発信したが、それは市川団四郎さんの指導が着実に花開いていることの表れ。来年9月に予定という地元公演が待たれる▼野外劇、子ども歌舞伎にしても“舞台裏”は、けっして順風満帆でない。運営費一つとっても大変だが、共通しているのは関係者の熱き情熱と頑張りが支えていること。「支える輪がさらに広がってほしい」。一生懸命な姿に接するたびに、そんな思いがこみ上げてくる。(A)


6月3日(火)

●飲用水は生活の生命線。生きていく上で、絶対に欠かすことが出来ない。日本はその水に恵まれている。「海外旅行では水に気をつけて」。よく聞くが、現実の話として世界の中で日本ほど安全で、おいしい水を安定的に享受している国はない▼水道の普及に負うところが大きいが、函館を例にとっても普及率は99・62%。1日一人当たりの給水量は約360リットル「。ただ全国的には極く一部ながらも井戸水が利用されている。もちろん「安全」が前提になってのことだが、茨城県の神栖町では信じられない事態に▼8戸が利用していた井戸水から、環境基準の450倍という濃度のヒ素が検出された。猛毒のヒ素であり、しかも桁違いの濃度。料理を通してでも毎日これを摂取していたら、体が蝕まれるのは容易に分かる。実際に大人の歩行困難や子どもの発達障害が起きている▼単なる災難と片付けるわけにはいかない。原因は旧日本軍の毒ガスと推定されているのだから。それだけでも国や自治体の責任が問われて当然だが、先日の住民説明会では新たな事実が明らかに。数年前に500メートルほど離れた所から46倍のヒ素が検出されていたという▼その時に疑いの目をもって向けていれば…。発覚後の国の対応は確かに早かったが、対応方針となると疑問符がつく。提示した“愛の手”は補償でなく救済で、過去の医療費は対象外というものだった。埋めさせたのは誰…。いつものことながら国は責任論を避けたがる。(N)


6月2日(月)

●学校の原点は「生命の教育」だ。「校長先生はがんなんです。皆が学校で飼っているヤギやカマキリもいつか死んでしまう。でも、その命は、生まれてくる赤ちゃんに…」「命がリレーされる」「つながっている」。やせてゆく体の教材に感動した(5月31日「毎日新聞」)▼末期がんで余命3カ月と宣言された神奈川県の小学校の56歳の校長。命の終わりをどうやって子供たちに見せたらよいのか。毎日、12時間の点滴で栄養をとって教壇に立ち、黒板に「いのち」と書き「命って何だろう」と呼びかける。日に日にやせ衰えていく自分の姿を見せて…▼自分の病気のことを話し、点滴の道具を見せ、生き物の命について書いた絵本をゆっくり読み聞かせる。「命には限りがある。でも、心としての命は永遠なんだよ」。登校すると痛みや死への恐怖などすべて忘れ、子供たちから生きるエネルギーをもらって、余命3カ月が1年以上も経過した▼「僕は末期がん。その現場からルポを送ります」と、自分の生老病死を「生きる者の記録」として連載した毎日新聞の佐藤健記者。キリストも皆の身代わりとなって十字架にはり付けられ、一つの命の消滅は一つの命の誕生につにながることを身をもって証した▼スキーの授業で前傾姿勢の滑りを見せて「自殺するように滑りなさい」と指導した女性教諭(栗山町)。「シは死のシ…さぁ死にましょう」とドレミの替え歌を歌った校長(さいたま市)。不適切な表現、判断力のミスだなんて、とんでもない。末期がんの校長の「命の授業」を受けてほしい。(M)


6月1日(日)

●農業などでは昔も今も不可欠だが、「気象」は日常生活で無くてはならない情報。ほとんどの人が1日に一度は新聞、テレビの気象情報を見ているはずで、依存度は高まるばかり。その期待にたがわず一段ときめ細かくなり、精度も上がっている▼今では市町村ごと、しかも時間ごとに予報が可能な時代。科学の進歩を感じるが、大きな役割を果たした、と言われるのが静止気象衛星の「ひまわり」。1977年に1号が打ち上げられて以来、5月22日に役目を終えた5号まで、貴重なデータを送り続けてきた▼ところが、後継機の打ち上げ失敗により、あとを託したのはアメリカの「ゴーズ9号」。不安視する向きもあるが、それはともかく高まる信頼は、こうした先端技術を駆使した体制があってのこと。わが国で気象観測が始まって130年。その先陣を切った都市こそ函館だった▼「函館で最初に気象観測したのは安政2年。ロシア人医師・アルブレヒトで、自宅に…」。中西出版の「新函館物語」に、こう記されているが、開拓使の許可を得て函館気候測量所が設置されたのは1872(明治5)年。気象庁の前身である東京気象台より3年前だった▼函館にしても、東京にしても、晴雨計、寒暖計がある程度だったそうだが、記録によると、天気予報が始まったのは1883年という。以来、当たり前のごとくいただいている。今、予報が途切れたとしたら、その影響は計り知れない。感謝しなければ…。きょう6月1日は「気象記念日」―。(A)


戻る